尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 - 2025年11月9日
2025年11月9日、開山住職であられる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、寶吉祥リンチェンドルジェ・リンポチェ仏寺において開光一周年記念法会を厳修された。当寺は昨年11月12日の開光大典以来、リンポチェが仏法を弘め衆生を利益するという大いなる願をもって、毎月仏寺にてみずから殊勝なる法会を主法されている。開光一周年の記念日にあたり、リンポチェは特別に一日の法会を催され、午前には殊勝なる「上師供養儀軌——加持雨降」を、午後には上師供養薈供を厳修された。また、累世の業障を取り除き、仏道修行に際して生じる障礙を清めるため、帰依弟子に向け初めての清浄法門を修持された。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深く修法をなされると、妙なる香気が満ちわたり、壇城は清浄にして荘厳さを増し、参列した人々は身心ともに静まり、法悦に満たされた。さらに、リンポチェの御身と壇城からは同時に金色の光が放たれ、大地すらそれによって震動した。参列者は皆、慈悲あふれる暖流を強く感じ、ある者は体の芯から熱気が沸き上がって煩悩の垢染が瞬時に清められ、またある者は体の外側から清涼を感じ、心身ともに安らぎと自在が包まれたと感じ取った。これらの殊勝なる瑞相と不可思議なるご加持により、大衆は仏法に対して無比の信心と讃歎の心を起したのであった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、常に衆生を輪廻の苦しみから解脱させることを心心念念に願われ、そのため弟子を厳格に導かれることで知られ、まさに「厳父」のごときお方である。また、弟子に対しては微細に至るまで気遣い、いつも善き因縁を整えてくださり、上師の功徳の大海に浸る機会をお与えくださる。さらに、しばしばご自身の功徳と福報を費やして弟子の修行の障礙を除いてくださっている。衆等は、この生において尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと巡り会えたことを深く慶び、祖師の法脈がリンポチェによって真実にして不虚なる形でこの世に伝え継がれていることを、目の当たりにしている。このように具徳にして、かくも殊勝なる教法を伝え給う上師に随い修習できることは、まさに百千万劫にも稀なる福報にほかならない。弟子一同、無尽の感恩を胸に、ただ教えのままに修し行じ、深く重き師恩に報いていきたいと願うものである。
午前9時30分、リンポチェは幡・幢・出家衆・八供女・宝傘・楽器・薫香の先導と迎請を受け、鮮花がまかれた八吉祥の白いカーペットを進み、仏寺の大殿へと入場された。参列の大衆は、迎請の厳かな楽声の中、合掌して粛然と立ち並び、リンポチェの御登座を恭しくお迎えした。リンポチェは壇城に進み、諸仏菩薩に頂礼し、燈明を供えてから法座にお上がりになった。
リンポチェが法座にお上がりになった後、出家衆に指示を与え、参列の大衆を導いて、皈依発心・四無量心・『随念三宝経』・『八聖吉祥祈祷文』を念誦させた。続いて、リンポチェは百字明咒を持誦され、そののち、慈悲をもって尊い仏法の開示を賜った。
寶吉祥仏寺は昨年の開眼からちょうど一年を迎え、本日はその周年記念法会である。そのため、今回は普段あまり修されることのない法──『上師供養儀軌・加持雨降』を特別に修することとなった。
私の修行の伝承は直貢噶舉であり、直貢噶舉は八百年以上前に始まったものである。直貢噶舉の初代法王祖師であるジッテン・サムゴン(吉天頌恭)は、パグモ・ドルパ(帕摩竹巴)の最も重要な弟子の一人であった。八百年以上にわたり、直貢噶舉の伝承は一度も断絶することなく、歴代の法王が法を絶えず受け継ぎ伝えてこられたのである。直貢噶舉の修行は実修を主とし、すべての仏寺は基本的に青海・チベットなどの山地に位置している。そして、私たちの寶吉祥仏寺もまた山中に建てられた寺院なのである。
釈迦牟尼仏が経典で説かれたところによれば、仏法の修行は山中や林中で行うのが最も適している。なぜなら、これらの場所は世俗の諸事から遠く離れ、多くの人々による煩わしさも避けることができるからである。また、空気も清浄である。修行の過程において、密教では最終的に気の修行に至るが、気の修行を行う際には清浄な空気が必須である。例えば、寶吉祥仏寺の敷地は全体で21ヘクタールに及ぶが、仏寺・閉関センター・寺務所を建てるために使用しているのはそのうちわずか2ヘクタール足らずであり、残りの敷地は原状を維持し、木を伐採したり変更したりすることなく、この土地の本来の姿を保護している。この仏寺の土地は、過去数十年間耕作されたこともなく、誰も活動していなかったため非常に清浄であり、空気も良好である。そのため、この地を仏寺建立の場所として選んだのである。
寶吉祥仏寺は、直貢噶舉がチベット地域外に建立した初の仏寺であり、また台湾における初の直貢噶舉の仏寺でもある。さらに、直貢噶舉八百年以上の歴史の中で、初めてチベット人以外、しかも在家の上師によって建立された仏寺でもある。チベット仏教、特に密法まで修行した上師においては、成就を得た際、その功徳により仏寺を建立することができる。これは仏法を広め、閉関修行を行い、この法脈を永遠に存続させるためである。
そのため、本日の開眼周年記念法会では、特別に上師供養法を修するのである。顕教ではこの法は修されない。顕教で「南無本師釈迦牟尼仏」と称する際の「本師」とは、上師のことを意味する。私たちは末法時代に生まれたため、仏陀を直接拝見する福報や因縁もなければ、仏陀の説法を直接聞くこともできない。そのゆえに、必ず上師の教えに従い、指導を受けながら仏法の修行を行う必要があるのである。
チベット仏教において、特に密法を修する際には、上師の存在は非常に重要である。法本には文字としての記載はあるものの、多くの心法は文字に書かれておらず、文字だけで解釈することはできず、また容易に説明することもできない。まさに上師の口伝が不可欠なのである。上師は弟子に対して、この生における自身の修行の仕方、どこで学び、どのように閉関したかを明確に示す。すなわち、仏法において経験を積んだ修行者であり、その経験を弟子に伝えるのである。したがって、チベット仏教において上師は極めて重要である。たとえば大学での学習に例えるなら、最後まで学ぶ際、教授の指導がなければ、たとえ教科書を手にしても内容を理解することはできない。それと同じ意味で、上師の存在が不可欠なのである。
直貢噶舉における「噶舉」という二字の意味は、すなわち口伝である。上級まで修習すると、すべては上師が弟子に一対一で口伝するものであり、公開で伝えることはない。公開で伝えられるのは顕教の法であり、たとえ密法が公開されるとしても、それは初階のものであって、最上級の密法ではない。ゆえに、上師と弟子の関係はきわめて密接である。密接であるということは、上師が弟子を選び、その弟子に深遠な佛法を学ぶ資格があると認めることであり、弟子は上師に対して百分の百の尊敬を示し、完全に委ねることによって、はじめてその法を学ぶことができるということである。我々が福報を積み、上師の加持を得るために、今日この法を修するのである。今日ここに六百名以上の方が私の帰依弟子ではない。しかし、今日法会に参加しているという事実は、この法脈と何らかの善き因縁が存在することを示している。ゆえに、たとえ諸君が直貢噶舉の法脈に帰依する準備がなくとも、今日私が法を修することによって、未来世において必ずや直貢噶舉と関係を結ぶことになるのである。
多くの人は、法会に参加すれば自分の好ましくない事柄を一度で解決できると思っているが、この考えは誤りである。仏法とは少しずつ積み重ねていくものであり、福報は一日にして得られるものではない。もし福報が一日で得られるとしたら、むしろ耐えられないであろう。ちょうど、ある人が重病を患っており、医者がその身体を整えて回復させたとしても、そこへ急に強力な滋養のあるものを食べさせれば、かえって身体が耐えられないのと同じである。身体はゆっくりと調え、徐々に良いものを与えていくことで、はじめて健康を取り戻すのである。
仏法も同じ考え方である。一度法会に来ればすべてが得られると思ってはならない。もし一度法会に来るだけで何もかも得られるのであれば、私は32歳から修行を始め、今78歳になってなお修行を続けているはずがない。ある人は「あなたは馬鹿だ」と言うかもしれない。そうである、私は馬鹿である。なぜなら、賢い人は仏を学ばないからである。仏を学ぶのは愚かな者である。賢い人は皆、自分は忙しい、やるべきことがたくさんあると思っている。私は出家者ではなく在家であり、多くの事を抱え、家庭もあり、さまざまな責任を負っている。しかし、私が仏法に触れたとき、この世界、この地球上で、人類の問題と煩悩を根本から扱い、変え、解決できるのは仏法だけであり、他にそれを可能にする方法は存在しない、ということをはっきりと悟ったのである。
たとえば、この一年余り世界は非常に混乱している。ある人々は自分の国を守るために何かをしなければならないと思い、その結果、世界全体が乱れてしまった。この考え方は正しいのか。人間の思考から見れば正しいかもしれないが、仏法の観点から見れば正しくない。仏法は、自分だけが幸せであればよいとして他人の苦しみを顧みないものではないのである。ゆえに仏法は、仏法の利益をまだよく理解していない凡人が、次第にその恩恵を体得していくよう教導するものである。これは長い時間を要し、数十年かかることもあれば、多くの生を経ることもある。人それぞれの因縁は異なる。しかし最も重要なのは、上師が諸君のために善い因縁をつくり、福報を植え、諸君が生々世々にわたって仏法に触れる機会を持てるようにしてくださることである。今日のこの法本の中には、顕教も密法も含まれている。顕教の部分は私が皆と一緒に読誦する。密法の部分は私が単独で読誦する。密法の部分は、諸君が灌頂も口伝も受けていないため、読んでも意味がなく、効験も生じないのである。
顯とは仏法の道理・原理そのものである。密法とは、その理論を学んだのちに、その理論をどのように用いて自分自身と衆生を利益するかを学ぶものである。ゆえに本日はまず諸君を導いて法本を読誦する。上師供養儀軌の法本を取り出し、第一頁を開こう。
リンポチェが大衆を導いて法本を念誦する。
上にある一段は、我々直貢噶舉の歴代上師の一部を読誦したものである。
リンポチェが引き続き大衆を導いて法本を念誦する。
この一段は、釋迦牟尼仏が『広雲経』の中で授記した内容である。未来五百世の末、すなわち像法時代の後の五百年であり、像法時代から末法時代へ移行する時期について述べている。かつて釋迦牟尼仏は、インド北方のさらに北に「増」と名づけられた都市があり、その都市の北方に「直」と呼ばれる地域があると説かれた。「直」とは直貢を意味するのである。この地には仁欽貝という名の比丘がいて、千万十万の衆を守護していた。我ら直貢噶舉の祖師であるジッテン・サムゴンが直貢梯寺において弘法した際には、十万を超える出家衆が存在したのである。「彼聖賢名遍世間、仗行我教法事業」(その聖賢の名は世間に遍く広まり、我が教法の事業を行じ)。ゆえに直貢噶舉の寺院では、中央に本尊である南無本師釋迦牟尼仏を安置するのである。
仏経に説かれるところによれば、ジッテン・サムゴンは龍樹菩薩の再来である。龍樹菩薩の前世は維摩居士であり、顕教を学んだ者はこの経典を目にしたことがあるかもしれない。維摩居士の次の生が龍樹菩薩であり、さらに龍樹菩薩の後世が我らの祖師ジッテン・サムゴンである。ジッテン・サムゴンは雪域の青海に生まれ、仏陀の大摂政として、仏陀を代表し仏法を弘揚した。名を仁欽貝という比類なき直貢巴である。輪涅において名声の大鼓を擊ち、彼を基礎とする上師瑜伽を持続する。我々がこの密法を行部・事部・瑜伽部および無上瑜伽部と分けて修行する。上師供養を修する際は、この覚者の身に行うものであるゆえ、我々は壇城のしつらえなどをするのである。
リンポチェが引き続き大衆を導いて法本を念誦する。
この二段は、我々にどうやって帰依するか、どのような心を発すべきかを教えるものである。心を発すとは、いくら供養をするか、いくつの大礼拝を行うかではなく、菩提心を起こすことである。ゆえに後の四句は、過去世において、我々は生を受けるたびに母親を持っていたことを説いているのである。なぜ母親を比喩に用いるのか。それは我々全てに母親があり、少なくとも人間としての条件を備えた者であれば、母親が我々のために多くの苦労を重ねてきたことを理解できるからである。したがって、六道において輪廻するすべての有情衆生は、まるで我々の母親が絶えず苦しんでいるかのようである。
私は現在、仏法を学び、最も優れた仏法を修行しているが、それは輪廻の海にあるこれらの有情衆生を助け、解脱させ、仏土に至らせ、さらには仏果に到るまで助けるためである。この四句の発心は、大乗の発心であり、金剛乗の発心である。一般の人が学仏の時に言うような、両親の健康を願う為に自分の寿命を減らすというようなものではない。これは実行不可能である。なぜなら、寿命は減らせないからであり、自ら減らす以外に方法はない。この四句の言葉こそ、この法本における最も重要な精神である。すなわち、大乗・金剛乗の心構えでこの法を修行せよということである。この心構えで修行すれば、得られる加持と福報は非常に大きい。もし自分のためだけに法会に参加するのであれば、得られる福報は非常に小さいのである。
リンポチェが大衆を導いて法本を念誦した後、修法を引き続き行う。
リンポチェが開示された:以下、私が読誦するこの一段は、諸君の法本には載っていないのである。
リンポチェがしばらくの間修法を行った後、続いてマンダラ献供の儀軌を行うのである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがガムポパの法帽をかぶり、出家衆および八供女が衆生を代表してマンダラを供養し、上師に献じるのである。
マンダラ献供が円満に終わった後、リンポチェは開示された。これまで行ったすべての行為は供養であるとして、引き続き供養文を読誦するのである。その後、リンポチェは大衆に法本を開くよう指示し、数句を皆で念誦した後、リンポチェは単独で修法を続けるのである。そして、すべての男性出家衆に壇城に上がり、リンポチェに向かって礼拝を続けるよう指示した。次いで女性出家衆にも壇城に上がり、リンポチェに礼拝するよう指示するのである。この時、ある男性出家衆がリンポチェの指示なしに壇城から走り去った。リンポチェはその者に問いかけた。「私はお前に走れと言ったか。」その者は首を横に振った。リンポチェは修法を続け、すべての出家衆は壇城の上で礼拝をし続けたのである。
リンポチェがしばらく修法を行った後、開示された。先ほど読誦したのは、祖師ジッテン・サムゴンが黄金大殿において記した「密咒七支供養」である。通常、密法を修行する際、閉関中にはこの供養文を読誦するのである。黄金大殿とは、直貢噶舉がチベット・直貢梯寺にある大殿の一つであり、私はそこに何度も訪れたことがあるのである。
リンポチェは出家衆に席に戻るよう指示した。しかし、先ほど勝手に走り去った出家衆は壇城の上に留まり、礼拝を続けるように指示したのである。そして、会場の大衆に対しても、法本にある讃頌の段落を共に読誦するよう指示したのである。
この段は、仏法を学ぶ準備をしている者・初心者、あるいはすでに仏法を学んでいる者に対し、上師に対する心構えがどのようであるべきかを示すものである。もし上師に対する心構えが十分に堅固でなく、自分の考えが優先されるなら、いかなる法門を学んでも無益である。たとえば、法本には「上師尊身に我は頂礼す。上師の語は梵天の音。無礙具足の獅吼の声」と書かれている。多くの人は、修行者は必ず静かで柔らかい声で話すと思っているが、それは誤りである。法本には明確に「獅吼の声」と書かれており、獅子の吠える声である。それは先ほど私が彼らを叱責した声のようなものである。諸君が修行者に対して穏やかに話してほしいと思うのは、諸君がその者の弟子でも信衆でもなく、単に供養のために来ている人だからである。そのため、修行者は礼儀正しく接するのである。本当の上師は供養に執着せず、間違いを見ればきちんと指摘する。獅吼の声は私の発明ではなく、外の多くの人が「リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に厳格だ」と言うのも、法本にそのように書かれているからであり、私が意図的にそうしているわけではない。ちょうど先ほどの出家弟子のように、私が走れと言わなかったのに勝手に走った場合、彼は引き続き礼拝を行わなければならない。彼らは出家者であるため、私は彼らに対してさらに厳しく接するのである。
この数段は非常に明確に述べている。上師の意、すなわち上師の考えに対して我々は礼拝するのである。「上師は仏であり、また法である」。すなわち上師は仏法を代表し、仏を代表して法を伝えることを表しているのである。もし上師を凡夫と見なせば、得られるのは凡夫の加持である。しかし、上師を仏と法の代表と認識すれば、得られるのは仏と法の加持である。「また、上師は僧でもある」。上師は出家者の姿で現れることもあれば、在家者の姿で現れることもある。しかし、いかなる姿であれ、上師は僧である。ここでいう僧とは単に出家者を意味するのではなく、在家二衆と出家二衆の総体、すなわち僧団を指すのである。たとえば、寶吉祥には男性・女性の出家衆、男性・女性の修行者がいるが、これらをまとめて僧団と呼ぶのである。
「上師はすべての仏と同様である」。上師は仏と同じである。なぜなら、上師が伝える法は仏の説いたことを伝えるのであり、自らの意思を説くのではないからである。多くの人は、上師が自分の意図・考え・要求を語ることを好むものである。上師の語るところが自分の考えや要求と異なるや否や、それは上師の言葉であって自分の求めるところではないと感じるのである。しかし、これは誤りである。最も重要なのは、上師がどのように三悪道と輪廻の苦海から離れるかを丁寧に教えるかである。ゆえに、上師(善知識)に礼拝するのである。上師は大いなる恩、大なる体性を有しており、上師に対する観念をまず理解することによって、将来仏法を学ぶ上での困難や障礙は軽減されるのである。
「グル」とは上師の意であり、英語で「Master」と翻訳するのは正しくない。正しくは「Guru」と書くべきである。グルはサンスクリット語である。グルとは、単に何かの事柄を教えるだけの存在ではなく、現在および未来の人生の方向を変える手助けをし、人生に対して真に正確な観念を教え、輪廻の苦海から離れる方法を教える存在である。
仏法は、仏と衆生の双方が成仏の本質を具えていることを説く。仏は覚悟によって成仏したのであり、我々は覚悟していないためにまだ成仏していない。ゆえに仏は、我々にどのように覚悟すべきかを教えるのである。覚悟とは、単に何かを理解することではなく、輪廻の苦海からいかに離れるかを覚悟することである。現在行う行為が自らを絶え間なく輪廻させることを理解することである。「寿命は無量であり、殊勝で極めて堅固である」。修行が菩薩や仏果に至る段階に入れば、寿命は堅固である。仮に今日、一度この頌を受持したり、読誦した場合、長い劫を経て輪廻を漂った後、ついにある生で仏の前に現れることがある。その時、仏法を修行し、証果に至るまで行うのである。このように、学仏することの殊勝な利益は語り尽くせないほどである。
リンポチェは再びすべての出家衆に壇城に上がり礼拝するよう指示した。修法を続けた後、開示された。以下の段は「十方三世」と呼ばれ、重要なのは我々の上師に対する感恩の心と、上師が衆生を助ける恩徳を説いていることである。
リンポチェは、先ほど勝手に礼拝を止めた出家衆には壇城に留まり引き続き礼拝するよう指示し、その他の出家衆は席に戻ることを許したのである。
その後、リンポチェは会場の大衆を導き、祖師ジッテン・サムゴンの心咒を共に読誦させた。リンポチェの殊勝な修法の加持のもと、現場の大衆は深い感受を体験した。ある者は全身に暖かさが流れ、穢れが清められるのを感じ、ある者は清風が顔を撫でるかのような軽やかさと心地よさを感じ、煩悩がたちまち消えるのである。
リンポチェが開示された:
その後、上師は四つの灌を授けるのである。これは上師が自身の功徳を用いて諸君に灌頂を施すものである。では、なぜ我々は灌頂を受けるのか。我々の身・口・意は本来清浄である。ここでいう清浄とは、雑念や妄念がなく、いかなる業もない状態を指す。しかし、我々は生々世々輪廻してきたため、この世で数十年生きる間に、あるいは母の胎内にいる時から悪業を行ってきた結果、身・口・意は汚染され、清浄な仏法が入ってこられないのである。灌頂を通じて、この瞬間に身・口・意および自性が清浄とされることにより、清浄な仏法が入ることができるのである。これは、汚れた水の入った瓶に清浄な水を注いでも汚れたままであるのと同じである。したがって、まず汚れた水を清浄にしてから清浄な水を注ぐことで、はじめて清浄となるのである。
私が先ほど読誦した数句は、ジッテン・サムゴンが龍樹菩薩の化身であり、雪域、チベットの寒冷な地に生まれ、広大な仏法を弘めたことと、帰依の場は総集寶吉祥であり、祈り求め、悲を以て摂受するよう請うものを述べている。これから私が読誦する際には、諸君は身体をまっすぐに座し、何かを考えたり、何らかの感応や、何らかの光景が見えるのを期待したりしてはならない。それらはすべて誤りであるのである。
今日のこの灌頂は、一般の大灌頂ではなく、縁を結ぶ随縁の灌頂である。これは、上師が諸君と縁を結ぶためのものである。私の手に捧げているのはジッテン・サムゴンの仏像である。実際、先ほど私が読誦している間に、諸君の身・口・意にすでに加持が施されている。上師を信じる者には、先ほど感応が現れ、身体が熱く感じたり、多くの煩悩が清浄になったりしたのである。さらに、帰依していない者、弟子でも信衆でもない者のために、もう一度加持を施すのである。これにより、諸君の身・口・意が清浄となり、将来できるだけ早く仏門に帰依する機会を得ることができる。どうぞ、先延ばしをしないように。時間は限られているため、加持を受けた後、もし諸君の清浄な本性が現れれば、自然と帰依したくなるのである。帰依しなければ、どれだけ礼拝し、どれだけ読誦しても効果はほとんど現れず、得られるのは一部の人天福報にすぎないのである。
ある者は「よく理解してから帰依する」と言う。しかし、どうして理解できるのであろうか。諸君は仏ではないではないか。学校のように簡単なことだと思っているのか。たとえ学校であっても、まず入学を済ませ、入学した後に教授や教師が教えてくれるのである。皆はまず身体をまっすぐに座すようにしなさい。
リンポチェは手にジッテン・サムゴンの仏像を捧げ、大衆に加持を授けるのである。その後、開示した。以降の読誦は、皆は私に従って行おう。
衆らが各自で法本を読誦し、上師に注意を払っていなかったため、リンポチェは修法を止めて開示した。「皆、少し止って、急いで読誦する必要はないのか。家に帰るのを急いでいるのか。諸君は上師に注意を払うのである。諸君は皆、同じ欠点を犯している。自分で読誦していると思っても、諸君は何の功徳も生み出していない。私が導いて読誦しているのである。注意を払うが良い。授業の際も、教師が何を言うかに注意を払うべきである。」
「為法之故亦不捨身命」という言葉には二つの意味がある。すなわち、修行者は仏法のために、自らの生命を惜しむべきではないということである。しかしこれは命を捨てろという意味ではなく、法を学ぶために身や命が受ける苦を惜しむべきではないという意味である。たとえば、2007年、私はネパール北部の標高4500メートルの地で、三か月余り閉関したのである。閉関とは、小さな部屋に閉じこもり、扉を開けず、外出せず、会話せず、入浴せず、ひげを剃らず、髪も切らず、ひたすら修行に専念することである。食事は最も簡素である。私は肉を食べず、毎日白湯で茹でた味付けのない麺を食べるだけであり、辛いものも食さないため、味は全くない。午後にはお茶もお菓子もなく、一日二食の麺のみである。朝は焼いた小麦団子を一つ、いわゆるパンで済ませる。これを三か月以上続けたのである。なぜか。それは、法のため、法門を学ぶためである。
もし私が、自分の身体が苦しむことを惜しみ、命が危ないのではないかと恐れていたなら、この法門を修することはできなかったであろう。なぜなら、標高4500メートルの地では、太陽が沈むと気温は氷点下10度から20度まで下がり、暖房も冷房も電気も何もないからである。この一句を特に諸君に解説する。「依大勇気利益諸衆生」とは、仏法を学ぶ者には大いなる勇気が必要であるという意味である。ここで言う勇気の定義は、無鉄砲に恐れず突き進むことではない。「死を恐れず、考えずに突撃する」ことを勇気と呼ぶのではない。上師が法を伝え、こう実践せよと教示したとき、そのときにこそ勇気を発揮し、畏れを抱かないことである。自分には無理だ、忙しい、やることが多い、家が乱れている、問題が解決できない――そのように思い始めるなら、そこには勇気がないのである。
特に在家衆は、自分自身に多くの理由をつけやすい。たとえば「仕事がある」と言う者がいる。私も以前は仕事をしており、今でも働き、商売をしている。毎日忙しい。しかし、なぜ私に仏法を学ぶ時間があるのか。それは勇気があるからである。では、諸君に時間がないのはなぜか。それは勇気がないからである。勇気がなければ、衆生を利益することはできない。なぜなら、諸君は自分を愛しすぎているからである。しかし、ここで自分を愛してはいけないと言っているのではない。だが、いくつかのことは必ず手放し、見破らなければならない。そうして初めて仏を学ぶことができるのであり、そうでなければ学ぶことはできないのである。
リンポチェは大衆を導き、法本を読誦させた。しかし出家衆が従わなかったため、リンポチェは叱責した。「出家衆でありながら読誦できないのか。なぜ読誦しないのか。君に何かトラブルでも生じるに決まっている。」
四灌頂という法は、ジッテン・サムゴンが五支道に基づき行ったものである。我々直貢では、なぜ法本に「直貢」と書かれているのか。それは、他人がどうのこうのについて語ることはできないからである。正しいのは自分自身について語ることである。直貢では「精勤於上師供養使」を使わず、心の中で上師を憶念し、祈請する者は極めて稀である。現代において仏法を学ぶ者は、上師への供養に対しても精進せず、勤勉でもない。用事があれば供養はするが、用事がなければ上師に会おうとしない。まさに我々が言う「無事不登三宝殿」の通りである。心の中で上師を思わず、用事があるときだけ尋ね、用事が済めば会わない。「祈請上師者極為稀少」。上師を祈請する者は非常に少ないのである。これは、私が道場で常に説いていることである。多くの者は、一冊の仏典を手に入れ、いくつかの真言を学び、毎日家の中で門を閉め、半時間、一時間読誦すれば修行していると思っている。しかし、実際には修行しているとは言えないのである。
真の修行は段階があるものであり、上師の指導と導きがある。例えば、寶吉祥では閉関センターを設けており、毎月私の弟子が閉関を開始する。閉関前には選抜があり、条件を満たす者だけが参加できるのである。これはちょうど、勉学において条件を満たした者だけが高校や大学に進学できるのと同じである。望むからといって誰でも閉関できるわけではない。仏法の学習は困難であるか。私の経験では、まったく困難ではない。なぜなら、私は32歳で仏法を学び始め、皆と同じく家庭や事業を持っていたが、なぜ修行できたのか。それは前述の通り、勇敢であり、身命を捨て、勇気を持っていたからである。だからこそ、今日ここまで達したのである。
ここで特に皆に注意を促す。多くの者は上師を利用するものであり、上師を憶念、祈請し、供養することをしない。そのため、教法は衰微し、仏法の教えはますます少なくなるのである。諸君は皆、学校に通ったことがあるであろう。学業が優秀であり、教師に対して恭敬と尊重の念を持つ者には、教師はより多く指導を与え、困難なときには助けてくれるであろう。仏法も同様である。しかし、諸君は法本を手に入れ、ただひたすら読誦すれば修行できると思っている。正直に言えば、それでは修行は成就しないのである。
例えば、かなり以前のことである。法王は私に一冊の法本を単独で伝授された。法王が読誦していると、突然こう言われた。「この一句は多くのリンポチェは知っているが、使い方を知らない。」法王は続けて、その使い方を私に教えてくださったのである。よく聞くと良い。もし諸君がそのような資質を持たなければ、法本を与えられ、上師が使い方を教えてくれない場合、ただ読誦するしかない。読誦しても成就はできないのである。ここで皆に注意を促す。仏法を学び、修行し、仏法において学びたいと望む者は、上師を必ず憶念、必ず恭敬し、必ず供養しなければならないのである。
教法が衰微すると、多くの望ましくない事態が現れる。これは、上師に従って如法に仏法を修行せずに学ばなければ、自分自身や他人に望ましくないことが多く起こるということである。ここでいう「望ましくないこと」とは、自分の思い通りにならないことである。なぜ思い通りにならないのか。仏は人間には必ず八種の苦があると説く。生老病死、愛別離である。最も愛する者と生死により離別するのである。かつて、多くの若い女性が私に尋ねた。「この男性と付き合い続けると、どのような結果になるか」と。私は彼女に四文字で答えた。「生離死別」である。必ずそうなるのである。女性は結婚して子供を持つことが結果だと思い込むが、決してそうではない。必ず生離死別がある。結婚して子供を持っても、最後には必ず誰かが先に逝く。それは生離死別である。これは結婚を否定するためではなく、結果を正しく理解させるためである。人には必ず八種の苦がある。生老病死の苦、愛別離、求不得――求めるものが得られないこと、怨憎会――最も嫌う者が妻、夫、子として現れること。これは前世での貸し借りが今生に現れたものである。
五蘊熾苦とは、我々が毎日、眼・耳・鼻・舌・身の感覚を追い求めることである。たとえ睡眠中であっても、眼・耳・鼻・舌・身は作用している。この五蘊は一生を通して「私の生命」・「私の活動」・「私の事業」・「私の未来」・「私の成就」を絶えず操っている。しかし、最終的には、死に至るとすべては空である。この言葉は、現在持っているすべてを放棄せよと言っているのではない。現状を正しく認識せよということである。今持っているものも、持っていないものも、すべて変化するものであり、永遠不変ではない。必ず変化するのである。したがって、得たものに対して過度に喜ぶ必要はない。あれこれ争って自分のために取ろうとする必要もない。失ったとしても悲しむことはない。失ったものは元々失うべきものであり、失った後に、別の良いものが現れることもあるのである。
したがって、もし上師に従って如実如理に仏法を学ばなければ、この教法は衰微し、たとえ法本を得ても修行は成就しない。そうなれば、自分自身や他人に多くの望ましくない事態が現れるのである。この貴重な修持伝承の伝統を衰えさせず、さらに増大させるため、また、道を実践する者の利益のために、康究赤巴、敦珠曲旺などの者が、怙主に従う者である他沙瓦西叉比丘(これは法王の非常に長い名前である)に勧め、この法本を再び書き直し、再編成させたのである。これは、この善行が絶えず増大することを願ったものである。ゆえに、すべての上師は、すべての弟子および衆生が、生々世々にわたり仏法に接し、仏法を学ぶことを願っているのである。
後半は上師供養薈供である。現在11時20分になったので、皆はまだ昼食をとる時間が必要であり、午後に体力が持たなくなるのを懸念してのことである。法本は机の上に置き、返却する必要はない。すべてのものはそのままにして、午後1時半に再開する。(このとき、大衆は法本を袋に入れる際に音を立てたため、リンポチェは慈悲深く皆に静かにするよう注意を促した。)午後は上師供養を修行する。薈供の後、上師はすでに帰依した弟子に清浄な法門を修する。帰依していない弟子に効果があるのか。ある。直接この法会を行っているわけではないが、弟子のための清浄法門は基本的にあまり修行されない。しかし、今日は仏寺の周年記念であるため、特別にこの法門を修するのである。この法会に参加した者は、帰依の有無にかかわらず、今日この法会に信心をもって参加すれば、人生に必ず役立つのである。これは私が言うことであり、上師が言うことでもある。我々の言葉は決して嘘ではない。(大衆は一斉にリンポチェに感謝の意を示した。)
リンポチェは、先ほど指示した通り壇城で頂礼を続けていた男性出家眾に対して言った。「よい、立て。今後、私の話がはっきり聞こえなければ、私は引き続き罰を与えるであろう。」
午後、私はできるだけ3時半以前に法会を円満に終えるつもりである。なぜなら、皆が帰るのに急いでいることを知っているからである。できるだけ2時間で終えるつもりである。つまり、私の話を少しだけ短くするという意味である。
午後1時30分、寶吉祥仏寺開山住持である尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、経幡、顯密出家眾、八供女、寶傘、楽器、薫香の先導および迎請のもと、花で敷き詰められた八吉祥の白いカーペットを踏み、大殿に入り壇城に上がり、法座に昇った。
リンポチェは大衆に法本を開くよう指示し、次のように開示した。午後はまず上師供養の薈供を修行する。顯教にはこの法門は存在しない。チベット仏教と密教において、薈供は非常に重要な法門である。薈供は、仏門に皈依し仏法を学ぶ準備をしているすべての者が、学仏の福報を速やかに累積するのを助けることができる。
リンポチェは修法を開始し、大衆にリンポチェに従って法本の内容を念誦するよう指示した。
八供女は壇城に歩み上がり、清らかで透き通る歌声で上師および諸仏菩薩を供養した。参加した大衆は皆、感動し賞賛し、法喜に満ちた。続いて供品が配られた。参加者一人ひとりは、諸仏菩薩および歴代上師に供養された貴重な供品と、大修行者と同時に享受する殊勝な因縁を得た。
続いて、先導する出家弟子が大衆を率いて、供茶文および供飯文を念誦し、上師を供養した。
リンポチェは修法を続け、大衆にリンポチェに従って上師供養の祈願文を念誦するよう指示した。
大衆が短時間念誦した後、リンポチェは大衆に念誦を停止するよう指示し、自ら念誦を行った。リンポチェは開示した。「先ほど皆が念誦した供養文はぎこちない上、誠意がなかった。私がもう一度念誦する。自分が修行していると思ってはいけない。皆にはその資格がない。なぜなら閉関をしたことがないからである。心を込めて聞き、集中して聞き、法本に心を向けよ。」
この法本では、二つの浄土を祈請する。一つは極楽浄土、すなわち阿彌陀仏の浄土である。もう一つは不動仏の浄土である不動光浄土である。祖師ジッテン・サムゴンは、阿彌陀仏と不動仏の二つの仏土を同時に修持したため、ここで二つの浄土が言及されている。寶吉祥道場では、阿彌陀佛の法門に加えて、不動仏の法門も修行する。
この祈願文の重点は、上師が我々を加持し、障碍を取り除き、修行のための福報と智慧の資糧を迅速に積むことができるようにすることである。加持によって、我々は微細な因果を如理に(仏法の理論と道理に従って)取捨できるようになる。加持によって、我々が六道の輪廻にとどまらず、阿彌陀仏または不動仏の浄土に生まれることができるようになる。祈願文には、如何に財を得るか、健康になるか、夫を従わせるか、妻の小言をなくすか、子供を従わせるかといった内容は記されていない。そのため、今日一部の人は失望するかもしれない。しかし、記されていないからといって成就されないわけではない。福報が積み重なり、智慧が発展してくると、自然とそれらの問題は現れなくなる。求める必要はない。これは私の経験である。
次に、上師供養の法門によって、生者の罪を清め、善の方向に転じる修法を行う。多くの人はこの生で修行を志し、仏門に帰依したいと強く願っても、容易に自分自身に障礙を作り、さまざまなことが自分を妨げていると感じる。これはすべて、過去の生で行った多くの不善業の結果である。そのため、修行の心を起こそうとすると、これらの障礙が絶えず現れる。ただし、修行者自身に善根器が備わっている場合は、どれほど困難があっても決心を下し、受け入れる。打撃を受けても退却することはない。しかし、このような人は多くなく、非常に稀である。
次に、侍者は敬意をもって、帰依した弟子の名前が詳しく記載された赤い紙の札を、リンポチェが修法を行う机の上に置く。リンポチェは次のように開示された。名簿には未帰依の者の名前は記されていないが、今日この法会に参加した者に対しても、多少なりとも助けになる。
リンポチェは修法を続けつつ開示された:この段落では、上師の心間の光を通じて、参加者の病魔や罪障を名簿の中に融入させる。リンポチェは引き続き真言を持ちつつ、四度にわたり、参加者に自分の名前を唱えて加持を受けるよう指示する。
リンポチェは出家弟子に指示し、参加者全員で《三十七曼達供養文》を恭誦させ、また出家弟子が代わって、すべての衆生に代わり祖師ジッテン・サムゴンおよび諸仏菩薩に曼達盤を捧げるようにする。
リンポチェが禅定の中で法を修しつつ、同時に真言の念誦、観想、鈴を振る所作、印を結ぶ動作、そしてさまざまな儀軌を行われると、会場の大衆はリンポチェの途切れることのない真言の響きと荘厳で殊勝な修法の中に強い慈悲の力を感じ、一筋の温かな流れが差し込み、心身の不調がまるで消え去っていくようであった。同時に清涼な空気がそよぎ、心身が安定して集中力が高まった。香の妙なる変化が辺りに漂い、極めて殊勝で感嘆せざるを得ない雰囲気であった。
リンポチェは大慈悲の心をもって、迅速かつ円満に修法儀軌を行い、参加者は皆深く感恩の念を抱いた。リンポチェは出家弟子に指示して、参加者全員で回向文を唱えるよう導き、皆が《求生極楽浄土祈請文》を一度唱え終えると、リンポチェ自身が渾厚で誠実な声で唱誦を行った。その法音は大殿に響き渡り、広く衆生の心を摂受し、多くの人々が感動して涙を流すほどであった。慈悲の力は遠くまで及び、誰もがその恩恵を感じることができた。
リンポチェは弟子たちと共にアキ護法の儀軌を修持した後、自ら武のアキ護法儀軌を修持し、その後開示された内容は以下の通りである:
まだ三時半前であるが、時間どおりである。(大衆一同「感恩いたします、リンポチェ」)本日修するこの法は、直貢噶舉の上師が弟子の修行を助けるために授与する特別な法門であり、私自身にとっても今回が初めて修する法門である。本来、弟子の障りを除く前には、もう一つ済度の儀軌が存在する。しかし本日は、信者の中に既に仏門に帰依している者もいれば、まだ帰依していない者もいるため、その済度法を修しても功徳が生じないのである。この済度法は、すでに仏門に帰依し、仏法を修行することを発願し、菩薩の果位を成就して衆生を利益したいと志す弟子に向けられたものである。彼らが累世において殺害または傷害した衆生を済度し、その衆生が弟子の修行を障礙しないようにするための法なのである。私は毎月一度、帰依弟子のために済度法会を行っている。上師として、私は他の上師とは多少異なる存在である。以前にも述べたとおり、私の帰依弟子であり、私の道場・仏寺を離れない者については、必ず輪廻の苦海から脱し、三悪道を離れることができるよう助けると誓っている。これが私の誓願である。
今日この法を修することは、未だ帰依していない者を助けないという意味ではないのである。法本にはっきりと書かれている通り、発願し、修行を誓う者であれば、上師である私は必ず彼らを助けるのである。しかし、今の時代において、このような者は非常に稀である。本来、この法は二日間かけて修行するものである。しかし、皆忙しいため、私は法を濃縮して行うのである。濃縮とは言っても、本来あるべき内容はすべて含まれており、単に私が読む速度を早め、一日で修行を終えるのである。二日かけて修行すれば多く修行できるかと問われれば、そうではない。必要なのは、弟子が静坐の時間を多く持つことである。朝と午後に行った加持の際、皆は身体が熱くなるのを感じたり、清涼感を覚えたりしたのである。もしも、具徳のある上師が法を修行しても、弟子や信衆が何も感じない場合、それは本尊が現れていない可能性があるのである。
この法は、第一に、上師に済度する力があること、第二に、上師が金剛薩埵の法門を円満に修得していること、以上の二つの条件を満たして初めて修することができるものであり、一般の者が修行できるものではないのである。したがって、この法は私が一年に一度行う程度であり、常に修行するものではないのである。今日この法会に参加するために申し込んだ信衆が、この大きな善い因縁を得られたのは、皆が過去の修行によるのである。修行の後、仏法の事業においてさらに進歩するか否かは、自らの決定に委ねられるのである。仏菩薩は無理強いをせず、脅迫も威圧もしないのである。しかし、私の人生経験に照らせば、我々の抱えるすべての問題を解決できるのは仏法のみであり、他の方法では解決できないのである。他の方法はすべて一時的であり、後遺症を伴うことがあるが、仏法のみは後遺症がなく、仏法に基づき修行しつつ生活することが、人生にとって比較的良いものである。
我々が仏寺を建設する過程において、工事班の者たちには多少の誤解や行き違いが生じることもあるが、私はすべて仏法に基づき処理するので、彼らは喜んで仏寺の各種建設に協力するのである。仏塔はすでに工事に着手しており、私自身は法を厳守する者であるため、政府の法令で許されていないことは決して行わないのである。したがって、すべての申請には非常に長い時間がかかるのである。法令に違反しない原則に従ってすべての事柄を進めるため、時間がやや長くかかるのである。仏塔が完成した後、皈依を望まない者、仏法を学ぼうとしない者に対しても、福報を増やすための聖物が一つ増えることになるのである。なぜなら、法本や仏典には、仏塔を巡礼し、仏像を恭敬することで福報を積むことができると説かれているからである。
昨日、法会終了後、私は観音殿の後方で一尊の石造のミラレパ尊者像に開眼供養を行ったのである。ミラレパ尊者は直貢噶舉の祖師であり、一生を洞窟の中で修行して過ごしたのである。2007年、私が修行していた場所は、まさに彼が一生修行した場所であり、彼はそこを一度も離れなかったのである。最高の標高は六千メートルに近い、さらに人間が立ち入れない洞窟も存在したのである。ミラレパの伝記には、彼がその洞窟まで飛んで修行したと記されているのである。ミラレパ尊者の聖像は他の仏像と少し異なり、右手を右耳の横に置いてあるのである。これは、もしあなたが彼の聖号を唱えるならば、仏法を学び、修行しようとする意思があれば、彼は必ず聞き届け、助けに来ることを意味しているのである。もちろん、財を求める者や妻を求める者の願いには応えられないのである。なぜなら、彼は一生洞窟の中で修行していたからである。
かつてある国王が彼を招きに来たことがあるが、彼は決して出向かなかったのである。なぜなら、上師マルパ尊者が彼に洞窟で修行するよう指示しており、上師が去った後も、彼はその教えに従ったのである。これに比べ、あなた方は、上師が生きているときですら言うことを聞かず、ましてや上師がいなくなった時ではなおさらである。私の帰依弟子でさえ「そうだ」と言うところ、帰依していないあなた方はさらに「そうだ、そうだ」と言うのである。なぜなら、あなた方は皆、非常に民主的だからである。仏法は民主的ではないと思うかもしれないが、確かに民主的である。しかし『宝積経』には、釈迦牟尼仏が非常に民主的でない例が記されているのである。釈迦牟尼仏は、弟が家庭を離れるよう導くため、まず短期間出家させ、インド北方の舎衛城に住まわせたのである。直貢チェツァン法王は私の資金提供により、そこに精舎を建設する計画を立てたのである。釈迦牟尼仏は、弟が輪廻に堕ちぬよう、まず出家させ、出家後はあらゆる方法で彼が家に戻ることを阻止したのである。弟は様々な方法で家に帰ろうと考えたが、釈迦牟尼仏はそれを阻み、天界にまで連れて行ったのである。弟は非常に福報のある人物であった。彼は、自分が仏法を学ばなければ天界に生まれることになると知ったのである。天界の享楽は人間界よりはるかに優れていたが、天界の福報が尽きると地獄に堕ち、大いなる苦しみを受けることも目にしたのである。これをすべて自ら目撃した結果、彼は家も妻も捨てる決心を下したのである。
仏経によれば、釈迦牟尼仏の弟の妻は非常に美しく、かつ温和であり、まことに優れた女性であったのである。釈迦牟尼仏の弟は出家に赴く前、妻と山盟海誓を交わし、必ず戻ってくると約束したが、結果として誓いを破り戻らなかったのである。私たち俗世の感覚ではあまりに無情に思えるかもしれない。しかし、仏法の本旨は、一切の人類および六道の衆生を助けることであり、人類がこの生を終えた後、輪廻に堕ちず、地獄・畜生・餓鬼の道に堕ちないよう導くことである。地獄・畜生・餓鬼の道に堕ちるのは非常に容易である。なぜなら、この生で真剣に仏法を学ぶ決心をせず、正しい上師に随わなければ、三悪道に堕ちやすいためである。帰依仏門したからといって、必ずしも堕ちないわけではないのである。本日は既に時間は足りなくなった。とは言いながら、私は超過して話しているが、超過料金は請求しないぞ(大衆笑)。
今後、またこのような法縁があれば、皆に『宝積経』の物語をさらに多く語ることができるである。台湾では仏寺で『宝積経』の開示をすることは非常に少ないのである。なぜなら、この仏経は菩薩道の修行法を説くものであり、菩薩道を語る際には、多くの事が世間の事柄と多少衝突することがあるからである。この衝突は不自然でも違背でもなく、法本に従えば、黒白の因果を理解し、取捨をわきまえる必要があることを示しているのである。もし能力が足りなければ、上師の加持を祈り、正しい取捨を助けてもらうことができるのである。正しい上師、具徳の上師がいなければ、時として誤った行いを正しいと勘違いすることもあるである。上師は弟子に意見を与え、何をすべきで何をすべきでないかを教えるのである。なぜなら、如何なる上師も弟子が三悪道に堕ちることを望まないからである。これは私たち上師の約束であり、責任でもあるのである。私個人もこのように考えているのである。皆に感謝する。
法会は円満に終了し、大衆はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の法雨に浴し、身心は比類なく清浄となった。衆等は法悦と感恩の心を抱き、観音殿へ向かい、恭敬に仏を繞り礼拝した。その後、開眼を終えたばかりの伝承祖師ミラレパ尊者の聖像に恭しく頂礼し、深い感動が自然と湧き上がった。
開眼周年記念法会の前日、開山住持尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、仏寺にて一日中修法され、ミラレパ尊者の聖像に対し開光(開眼)法を修された。リンポチェの修法後、石造の聖像の顔貌は瞬く間に明るさを増し、線条は豊かに満ち、眉目は生き生きと輝いた。この不可思議なる瑞相は、すべてリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる加持の顕現である。
リンポチェはこの高齢にして、なお衆生を広く度するため労をいとわず、法のために身命を忘れる精神を持たれる。これは末法の時代に生きる衆生にとって、最も究竟の依り所である。リンポチェの広大無辺なる慈悲の願力は無遠弗届であり、清浄なる法脈は必ずや興隆し、永く伝わるであろう。
« 昔の法会開示 - 法会開示へ戻る - 新しい法会開示 »
2025 年 12 月 02 日 更新