直貢噶舉第三十七代 チェ・ツァン法王
チベット仏教直貢噶舉教派の現在の法王は第37世チェツァン法王である。これまで第23、25、27、29、32、34世法王に化身してきた。チベット仏教四大教派(ニンマ、カジュ、サキャ、ゲルク)に公認された四大法王の1人である。チェツァン法王は1946年、チベット暦火犬年にチベットのラサに住む貴族チャロン家において誕生された。この日は、仏陀がかつて鹿野苑(サルナート)で初転法輪を行ったとされる吉日であった。
1949年:3歳のとき、当時の直貢噶舉教派の摂政王チャラデンツンドドン・リンポチェが、吉祥天女の霊示を受け、チェツァン法王を正式に法王の転生であると認定。チェツァン法王にとって、7度目の転生であった。
1951年:4歳半になった法王は、ダライ・ラマ14世の前に連れて行かれ、帰依剃髪式と法名を取る儀式が行われた。その後、直貢噶舉教派の主要な寺院「ディクンティ寺」へ正式に迎えられる。法王の主要な上師はチジャチャロ・リンポチェで、チジャチャロ・リンポチェは法王に、カジュ真言蔵などカジュ派の一般的な説法や直貢噶舉教派の不共法門を伝授した。このほか、レジョンチバ・リンポチェが法王にカジュ派に伝わる重要な説法とニンマ派の大宝伏蔵を伝授した。また、このほかにも多くの修行者、例えばペバジュコテンペニ、ロジョンチュ・リンポチェ6世、ヨンチェントドン・リンポチェなどの指導を受け、ディクン派に伝わるあらゆる説法、護法潅頂、伏蔵の総集潅頂、命根密呪、大蔵経の口伝などを伝授され、文法暦算、医学、主要な経論などを円満に習得された。
1959年:政局の変化の影響を受け、ディクンティ寺から追放される。しばらく、慈悲の心と知恵、そして屈辱を忍ぶ心をもって、苦難の時期を過ごす。
1969年:中国で文化大革命が発生。宗教学習の中断を余儀なくされる。5年間、強制収容所に収容されたが、この間、上師瑜伽と供養法を密修黙記し、その後、インドへの出発を決意する。
1975年:友人の協力を得て、地図1枚、ナイフ1本、そして食料と5つのジャコウを持ち、チベットから境界線を越えてネパールへ渡る。10日間歩き続けてカトマンズに到着。ダライ・ラマは法王のために、新たに正式な就任の儀式を設ける。その後、法王は両親とともにアメリカに2年半滞在。その間、英語を習得したほか、西暦を使ってチベットの歴史を見直し、ディクン派の歴史書の執筆に着手した。
1978年:直貢噶舉教派の複数のリンポチェの要請を受け、アメリカからインドへ移動。暫く、ラダックの平陽寺に法座を設立し、すべての時間を仏法の学習に費やす。同年の年末、ラダックの「ラマユル寺」にて、チョンガ・リンポチェの指導のもと、三年間、閉関する。長寿仏とあらゆる四加行をはじめとして、直貢噶舉教派の不共大手印五支道と那洛六法を修め、リンチュ師から勝楽輪金剛五尊大潅頂を伝承される。ジテンソンゴンによってディクンティ寺が建立されて800年が経つことを記念して、ラダックで法会を開催。ダライ・ラマとチベット政府の代表もこれに参加。
1981年:チョンガ・リンポチェの入滅後、ダージリンにあるチュバ・カジュ派の総寺「密呪法蔵寺」へ渡り、3年間滞在する。チュバ・カジュ派のカンブナヤンから、寂天の菩薩論、龍樹の親友書、月称の入中論、弥勒の究竟一乗宝性論、チュバカジュ派の伝規大手印とダポタシナンジャが作成した『月光疏』や『日光疏』などを受領する。同年、ガマバ16世とトゥシェ・リンポチェ1世からガマ・カジュとチュバ・カジュの那洛六法を得る。
1983年:ブータンでティンコチンゾ・リンポチェ2世から口訣蔵、龍欽心髄精義四支、大円満明力潅頂、知恵上師口授と密続秘密蔵を習得する。その後、ネパールのシンチン寺でティンゴチンゾ・リンポチェからチャンゴンカンチュ1世の『大宝伏蔵』十部補充、広大密庫、不共秘密蔵、そしてダポタシナンジャ三光疏の『宝光疏』、大円満精義四支などの法要を教授される。
1984年:ラダックにて、カンフトチュから非常に貴重なチベット国王ソンツェン・ガンポの伏蔵『マニ全集』を授与される。また、ヨンチェンアンヤントデン・リンポチェから『アキ全集』を得る。さらに、シッキムでタロンカジュ法王―タロンシャゾリン・リンポチェから勝楽輪六十尊大潅頂、四十三尊随許と耳伝金剛句など法要を受け、当時、タロン・カジュ派で最も完全な説法の持ち主となった。このとき、法王はディクン、ガマ、チュバ、タロンといった現存するタポカジュ那洛六法を一身に伝承していた。その後数年間でまた、当時のカジュ派の大修行者から妙法密伝、大印の信力命輪、那洛六法などを伝承。ワナラシで齋僧大法会を執り行う。
1987年:世界各国で仏法を説くことを正式に開始。インドのヂャンチュウブリンにおいて直貢噶舉学院と教育センターを設立し、僧侶の育成と直貢噶舉教派に伝わる法脈の伝承につとめる。
1989年2月:台湾を訪問して仏法を説く。当時の台湾中国仏教会会長の悟明長老、星雲法師、証厳法師などに会う。また、ディクン派の大遷識法閉関を開催。
1991年11月:台湾を訪問して「甚深大円満」を伝授。その際、砂壇城が舎利を描き出すという瑞相が見られた。
1992年11月16日:インドで直貢噶舉教派の仏学院と菩提寺を建設。ダライ・ラマが自ら開光大典を執り行う。直貢噶舉教派教育センターには、200人あまりの学僧が在籍する。学僧たちは毎日朝晩1時間祈る。また、最初の3年はまず基礎教育と現代教育を受け、その後の5年間は顕教経論哲学を学び、最後の1年は密続を学ぶ。
1994年から1995年まで:2度目となる仏法を説く旅を展開。インドからドイツ、エストニア、ラトビア、アメリカ、カナダ、南アメリカのチリから東南アジアに及ぶ。
1997年10月:台湾を訪問し、台北にある直貢噶舉教派仏法センターで開光大典を執り行う。また、寶吉祥仏法センターに四加行と阿弥陀仏潅頂を伝授。この年の年末までに、転生した活仏を40数名認定。これは、ディクン派の法脈を継続させるための、法王にとっての大事な責務である。このほか、世界各地の図書館を巡り歩き、直貢噶舉教派の祖師の著作を探す。また、ラサとチベット各地も訪れ、残存の可能性のある本を探す。長い間の努力で、最初となる直貢噶舉教派の著作『法王リンチンチェザ全集』をようやく完成させる。その後は『ディクンチェバチテンソンゴン全集』と『ガンポバとパモチュバ著述選集』の執筆に着手するとともに、世界的な宗教文物デジタル図書館「ソンツェン図書館」の設立を計画。これは、全世界にあるチベット仏教の経典、善本、文献とヒマラヤ文物宝物などを収集して編纂し、インターネットを利用して、世界各国の人たちに公開するというものである。
1999年12月:台湾を訪問。2000年1月12日に台北で1日間の『プバ金剛秘密無上了義如意宝潅頂』法会を行う。これは、寶吉祥仏法センターのリンチェンドルジェ・リンポチェが1999年3月にインドのヂャンチュウブリンで閉関した際の要請に応じたものである。法王は、台湾でこの大法を伝授し、台湾のために加持し、現地の衆生のために祈福した。
2000年:台湾を訪問。台湾中部の各地を訪れ、1999年9月21日の台湾大地震の被災者のために『火供』法会を行う。法会終了後、供養金として総計111万台湾元を寄付。
2001年:寶吉祥仏法センターのリンチェンドルジェ・リンポチェの懇請に応じて、世界各地で巡回公演しているチベットの秘宝「金剛舞」のメンバーを台湾に派遣。苦しんでいる無数の衆生のために祈福。法王はその半生を描いた自伝『大悲身影』の中で、チベット語で『栄耀、平和、富裕が、この土地の衆生と共に存在することを願う』と書き、この土地のために加持。
2002年:寶吉祥仏法センターのリンチェンドルジェ・リンポチェの懇請に応じて、再び台湾を訪問。リンチェンドルジェ・リンポチェの寶吉祥仏法センターの弟子と、ほかの台湾ディクン派仏法センターの協力で6月30日、桃園県立体育館で万人大法会を行う。法王自ら法会を執り行い、阿弥陀仏の浄土へ導く密教大法ポワ法と、直貢噶舉教派の祖師チテンソンゴンが自ら伝授したという葉衣仏母の無病息災の殊勝な法門によって、台湾という土地と衆生の業障と因果病痛を取り除いた。
チェツァン法王はチベット仏教四大法王の中で唯一、デジタル仏教図書館「ソンツェン図書館」を設立した人物である。これは、近代的な技術をもってチベット文化、歴代経典、仏陀時代の文物を保存し、仏教文物をより普及させることを目指すものである。また、より多くの衆生が仏法と縁を結び、三宝を帰依し、正しい仏教をこの世の中に広めることを目指している。この図書館の設置には、長期間にわたる経営とたゆまぬ経費の投入が必要であった。デジタル図書館でありながら、非常に困難な工程と大変な努力を必要とする事業でもあった。しかし、仏教を今後数百年、数千年と繁栄させるために、法王はこの偉大な仏法事業を始めることを決意した。「ソンツェン図書館」は2003年3月3日に正式オープンし、この際、『第一回国際チベット語言セミナー』を1週間開催した。今後は、仏学とチベット文化という2つの体系を研究課題として、図書館としての役割を十分に発揮することが使命となる。
チベットの動乱後、尊きチェツァン法王が身に受けた試練と苦難は、その尊い身分によって軽減されるということは一向になかった。六回の転生を経て、何故法王はこの娑婆世界へいらっしゃったのか。何故一切の試練に耐えるのか。この世に対して悲願を持っているということ以外、より適切な回答は見つけ出すことはできない。アメリカにいようが、インドに滞在していようが、世界各地で説法旅行を行っていても、法王が心の中で考えるのは衆生のことだけである。十数年間、法王は世界各地で説法し、衆生を救ってきた。また、インドのヂャンチュウブリンの菩提寺では、直貢噶舉教派の教えを伝承する僧衆を育成した。今日再び直貢噶舉教派の繁栄を目にすることができるのは、喜ばしいことである。直貢噶舉教派の弟子として菩薩、護法に祈りたい。法王が長くこの世に存在し、仏法を広め、一切の有情に利益することを。
2008 年 07 月 26 日 更新