喜金剛円満

2007年 5月から7月のあいだ、尊き 直貢チェツァン法王は特別に リンチェンドルジェリンポチェに対し、祖師 ミラレパ尊者が当年閉関修行を行われた聖地──ネパールのラキ雪山に赴き、直貢チェツァン法王の指導のもと閉関修行を三ヶ月間行うよう指導されました。リンチェンドルジェリンポチェの今回の閉関修行する本尊は喜金剛で、マルバ大師が成就した法です。喜金剛は密続の王だと認められていて、無上ヨガ部の中で最も重要な密続です。喜金剛は教派の中にすでに2、3百年にわたって、伝承されておらず修行されておりませんでした。直貢チェツァン法王が3、4年をかけて資料及び法本を収集整理し、自ら リンチェンドルジェリンポチェに喜金剛の最も秘密な真言と心法を伝承しました。直貢チェツァン法王は嘗て、これからすべての直貢噶舉仏寺とセンターで再び喜金剛のこの伝統を創立することを期待するのを明らかに諭しました。今回の閉関修行にはもう一つの特殊な意義があります。それは「チベット仏教直貢噶舉教派の歴史のなかで、リンチェンドルジェリンポチェが 直貢法王に追随してはじめて閉関修行を行い喜金剛の本尊を円満に修行し終えた リンポチェとなったということです」《此処をクリックしてフォトギャラリーを参照のこと》。

リンチェンドルジェリンポチェの閉関の場所は、海抜4500メートルのラキ雪山の上にあります。現地は夏の6、7月のあいだも異常に寒く、気温はすべて摂氏0度以下です。そして、頻繁に雪や雹が降り、空気が希薄になり、橋も道もなく、水道も電気も通っていない人煙の稀な場所で、ヘリコプターを使って初めて到達できます。身にしみる寒風がリンチェンドルジェリンポチェの閉関の部屋の木造の塀の割れ目の隙間から吹き込むから、部屋の温度は夏でも依然として摂氏0度以下で、地上の水分さえ凍ってしまいます。また閉関修行の期間中は鍵をかけられていて、部屋を出てはならず、また話をしたり人と会ったりしてもならず、顔を洗ったりひげをそることもできません。髪の毛を切ることができなくて、さらに手と足の指の爪もすべて切ることができません。このような厳しい環境の中で閉じこめられることで欲望がきわめて低くなるため、はじめて欲望を持たない大修行者になりえるのです。一般の行者にはできることではありません。

リンチェンドルジェリンポチェは大無私の慈悲の願力を以って、毎回の閉関と同じように死を覚悟して修行に臨み、たとえミラレパ尊者と同じように既に骨と皮ばかりに痩せこけても、三ヶ月連続して絶え間なく精進しました。毎日夜明けの4、5時には学習が始まり、夜の10時にようやく休むことができます。リンチェンドルジェリンポチェはかつて、閉関期間は毎日起床すると鳥の鳴き声が聞こえ、まるで リンチェンドルジェリンポチェに起床を呼びかけているようだ、と語ったことがあります。出関後にはもう鳥の鳴き声は聞こえなかったというのです。リンチェンドルジェリンポチェが閉関の修行を円満に終えたことは、 法王に随行しているラマに絶賛されたほか、同時に ドラブワンリンポチェが諭すところの:「リンチェンドルジェリンポチェは稀に見る大根器修行者だ」という言葉を立証するものでした。リンチェンドルジェリンポチェは諭したように拙火定を成就しなければ、喜金剛の閉関が円満に終えることができなくて、同時に リンチェンドルジェリンポチェのS字型の脊椎の側湾も殆どまっすぐになりました。

今回の閉関のプロセスで、リンチェンドルジェリンポチェの心拍は一度は150を下回り、呼吸の停止したが、突然意識を取り戻しました。生命が危機にさらされるなかでも、リンチェンドルジェリンポチェは自分の安全を省みることなく、それどころか護法と本尊に「もし私の身体が衆生に何ら役に立たず、何の利益ももたらさないのであれば、どうぞ私をお連れください。もしまだ衆生の役に立ち、何らかの利益を生むのであれば、私を残してください」と祈りました。言葉を禁じられた閉関のプロセスにおいて、リンチェンドルジェリンポチェは外部に助けを求めることなく、さらに自分のために修法することもなく、「アキー護法はリンチェンドルジェリンポチェに1粒の甘露丸を賜りました。」、リンチェンドルジェリンポチェは引き続き閉関し安全にこれを乗り越えました。リンチェンドルジェリンポチェが衆生に利益をもたらす願力が諸仏菩薩の加持を得たといっても過言ではありません。

直貢チェツァン法王の侍従のラマの話によると 直貢チェツァン法王は閉関が円満に終わった後、「リンチェンドルジェリンポチェが非常に多くのよい行いをし、非常に多くの無数の衆生に利益を齎し、衆生が輪廻の苦しみの海から脱することを助けたため、魔宮から妬み恨まれた。だから、今回この関を閉じねばならなかった。さもなければ、リンチェンドルジェリンポチェは2007年6月に生命すら失っていたであろう」と語ったと言います。

直貢チェツァン法王は 4年前(2004年)から今回の閉関の準備を始めました。このなかには 直貢チェツァン法王の関房わきに リンチェンドルジェリンポチェの関房を建てること、および飲食の準備などです。極めて珍しいことに、今回の閉関は 直貢チェツァン法王が リンチェンドルジェリンポチェを率いて、弟子と二人で同じ時間、それぞれ隣り合った二つの異なる関房で閉関を行ったことです。直貢チェツァン法王はさらに リンチェンドルジェリンポチェの閉関期間の修持について 直貢チェツァン法王の修持を同じく本尊とするよう指示されました。閉関期間中の飲食も、 直貢チェツァン法王の指示に従い、 直貢チェツァン法王の侍者のラマが準備しました。そのような指示のもと、 直貢チェツァン法王は リンチェンドルジェリンポチェにケアーと重視を見せ、さらに 直貢チェツァン法王の リンチェンドルジェリンポチェの大いなる功徳と大いなる願力、そして大いなる成就に対する評価を示しました。そして 直貢チェツァン法王と リンチェンドルジェリンポチェは互いに心から敬いあい、親密にして不可分な師弟関係を確認しあいました。それは、2006年8月 直貢チェツァン法王がインドで開示された「リンチェンドルジェリンポチェの事業が衆生に大いなる利益をもたらすことを信じている。私たちは永遠にともに仏法の大道の上で素性に利益を与えることができるものと確信している」という言葉の通りなのです。

リンチェンドルジェリンポチェは閉関のなかで、一度六道衆生が輪迴の時に受ける苦しみを見たため、その悲しさのため1時間にもわたって慟哭したといっています。この種の形容しがたい苦しみは、 直貢チェツァン法王が亥年の大法会で仰った「ミラレパ尊者はかつて、六道輪迴で衆生が受ける苦しみは創造だにできない。思い至っただけで恐ろしく、見るなどとんでもない」との言葉を彷彿とさせます。リンチェンドルジェリンポチェが閉関を円満に終えて出てきたとき、 直貢チェツァン法王にこのプロセスを報告し、直貢チェツァン法王は 「リンチェンドルジェリンポチェがすでに空性まで証悟した。」ということを開示なされました。

閉関が円満に終わった後、直貢チェツァン法王は自ら リンチェンドルジェリンポチェを連れて三日間の火の修行を行い、これが円満に終わったとき、リンチェンドルジェリンポチェは滝のような大雨の中で、殆ど小石ばかりの泥濘の地面で、大礼拝を行って、根本的に上師 直貢チェツァン法王の教えに対して頂礼をして恩に感じて、そして根本上師 直貢チェツァン法王にハダを差し上げて供養しました。直貢チェツァン法王は額を直貢チェツァン法王の根本弟子リンチェンドルジェリンポチェの額に触れ、そしてリンチェンドルジェリンポチェの顔を捧げて加持します《此処をクリックしてフォトギャラリーを参照のこと》。ちょうどリンチェンドルジェリンポチェは毎回の出関時と同じように閉関円満終了したすべての功徳を直貢チェツァン法王に捧げました。直貢チェツァン法王は殊勝な法号「リンチェンドルジェリンポチェ」を与えました。この意味は「宝金剛リンポチェ」で、法名の由来は 直貢チェツァン法王が自ら伝えたもので、無上の栄光と尊重をあらわしています。「リンチェン」は無数の宝物のエッセンスを意味し、「ドルジェ」は金剛を代表します。「リンチェンドルジェ」とはすなわち宝金剛のことで、衆生の利益と仏法事業の心が金剛のように強固で永遠に変わることはなくことを示しています。

2010 年 09 月 24 日 更新