直貢噶舉第三十六代 チョン・ツァン法王

チベット仏教直貢噶舉教派の36世法王チョンツアンは、チベットで極めて有名な活仏である。ディクン・チョンツアン法王という称号が正式に始まったのは、第26世法王ドンジュチェジェの時代からである。そして、その化身の源は文殊師利菩薩にさかのぼることができる。これは古代インドの大成就者サラハである。サラハは、チベットでジェバジテンソンゴンの一番弟子ジェナシェラジョンニェとなり、歴代ディクンの上師のうち、第9、17、24、26、28、30、31、33、そして35世法王として化身した。現在、直貢噶舉教派のチョンツアン法王は36世であり、1942年、チベットの南にあるラジェ家にて誕生された。

この一家はチベットの国王ソンザンカンブの後裔であった。チョンツアン法王が誕生したとき、虹が空にかかるなど、さまざまな吉祥の兆が見られた。また、チョンツアン法王の出生当日、前代のディクンチェツァン法王シウェロチョはディクンティ寺で徹夜をしていたが、不思議な心境に包まれた。それでシウェロチョ法王は夜が明けると「法王チェジジョンニェが降誕された」と公表した。これを受けてディクンの僧侶らは、各地を訪れて霊童を探した。同じころ、ラジェリの護法神も降臨されて神諭を諭しため、この霊童が確かにチョンツアン法王の転生であることが確認された。また、吉祥天女聖湖をおとずれて「走観」を行った代表が、この湖において法王が生まれたときの家族の状況を見た。このため、最終的に当時のチベットダライ政府からの許可を得て、この霊童がディクン・チョンツアン法王の8回目の転生であることが正式に認定された。

チョンツアン法王は4~5歳のころ、ディクンティ寺へ迎えられた。十数人の親教師による指導により、大蔵経の全ての読誦、大宝伏蔵、カジュ密呪蔵、大円満甚深心意法、勝楽輪金剛などの潅頂と説法を受けた。

チョンツアン法王は幼いころより、ディクン派にとって4年に1度の大法会と12年に1度のポワ大法会において、十数万人の弟子に仏法を教え、潅頂を行った。幼いながら、大勢の有情に利益し、人々の尊敬を集めた。このようにチョンツアン法王は幼いころ、仏法事業に関して卓越した成就を得て、円満にディクン法脈の一切の顕密説法を習得したほか、チベット仏教のさまざまな重要な法門からも潅頂と真言を受けた。

1959年、チベットで動乱が発生した。チョンツアン法王は約20年間、牢獄での修行を余儀なくされた。1979年のようやく出獄し、チベット仏教協会の理事、常務理事を歴任。現在は同会の副秘書長を担当している。

チョンツアン法王は出獄後、ディクンティ寺をはじめ、チベット各地にあるディクン派の寺院を修繕することに専念した。各寺院の修繕のために必要な、一切の指導と協力を提供した。また、機会さえあれば、法王はディクン派の大成就者バチョンリンポチェを訪れて親交を深め、非常に貴重な真言の教えを得た。バチョンリンポチェは1988年、88歳の高齢で入滅された。入滅された際、バチョンリンポチェの体は1尺ほどに縮んでいた。バチョンリンポチェを荼毘に付す儀式を行った際、チョンツアン法王は誰にも教えられないのに、約1尺の壇城を正確に描き、大衆を驚かせた。バチョンリンポチェを荼毘に付した際、空から四葉の花が雪のように舞い降りた。それは、地面に落ちるとすぐに融けて消えるという、不思議な光景だった。

1991年以降、チョンツアン法王は2度、北インドのディクンヂャンチュウブリン(菩提寺)と蓮花湖を訪れ、万人法会で講読して潅頂を行った。ジョンツアン法王は日ごろより、チベット仏教協会の大蔵経印経院において経書の出版に専念し、仏法の推進に精進し、努力している。

2008 年 07 月 26 日 更新