リンチェンドルジェ・リンポチェの寶吉祥仏寺開眼式典
2024年11月12日は、リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下により建立された「寶吉祥仏寺」の開眼法要が厳修される、極めて殊勝なる吉祥の日でございます。開山住職であられる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ猊下ご自身が、寶吉祥仏寺において、御自ら主法され、開眼大典が厳かに執り行われました。また、この吉祥なる開眼の日は、リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下が、特に尊勝なる直貢チェツァン法王猊下に懇請され、御許可を賜り、授かった日でして、当日は、国内外より二千名を超える弟子・信衆が結集し、顕密四衆が悉く具足して、この尊き開眼法要に共に参列いたしました。リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下はかつて、「仏寺の開眼は、諸佛菩薩の光明が仏寺並びに修行者に降り注ぎ、すべてが吉祥と成るのである」と御開示くださっております。
リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下は、衆生済度と正法弘布のため、御年既に古稀を越えられたにも関わらず、広大無辺なる菩提心を発し、法脈の継承と佛寺の建立に御尽力くださいました。2015年より寶吉祥仏寺の適地を求め始められてから、リンポチェ猊下は一貫して政府の法令を厳守され、宗派からの支援すら一切受けることなく、まさしく開拓の困難を一身に担われ、仏寺建立の大願を遂行されてまいりました。その道のりは、およそ十年に及び、計り知れぬ御労苦、御時間、御資財を捧げられ、幾重にも及ぶ困難や艱難辛苦を乗り越えられた末、ついに本日、リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下御自身による寶吉祥仏寺の開眼式典が挙行されるに至りました。また、法要の円満成就を願われ、猊下は既に旧暦九月より仏寺において「息・懐・増・誅」との四つの火供を修法され、これよりの仏寺並びに修行者の吉祥円満を深く御祈念くださいました。
寶吉祥仏寺は、直貢噶舉における台湾初の仏寺であり、また直貢噶舉八百余年の尊き歴史の中においても、チベット以外の地において、漢民族の在家であり、且つ転生リンポチェではない御方によって主導・建立された初めての仏寺でございます。リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下の寶吉祥仏寺建立に込められた大悲願は、尊勝なる直貢チェツァン法王猊下より常に高くご讃嘆と御支持を賜っております。寶吉祥仏寺は、喜金剛修行道場であり、在家・出家を問わず修行が許される道場でございます。リンポチェ猊下は、正信なる仏法をもって広く衆生済度を志され、その御精神のもと、寶吉祥仏寺は修行と閉関修法を中心とした道場として運営されております。今後もまた、寶吉祥仏寺は、尊き金剛上師・リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下より受け継がれた清浄かつ殊勝なる法脈を伝承し、仏法を以てさらに多くの有情衆生を利益すべく精進してまいる所存でございます。
法要当日、早朝より参詣の大衆が仏寺の境内へと歩みを進めた折、空には清らかなる妙香が漂い、四方より鳥たちの歓喜の囀りが響き渡りました。寶吉祥仏寺の金色の屋根は、陽光を受けて燦然たる金光を放ち、まさに吉祥そのものでございました。リンチェンドルジェ・リンポチェ猊下の菩提心の御願は、永遠に、際限なき衆生を普く照らし、加持し続けんことを祈念いたします。
午前九時二十分、寶吉祥仏寺の開山住職たる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ猊下は、経幡を掲げ、顕密両部の出家衆、八供女、寶傘、楽器、薫香の先導と迎請の中、八吉祥の白い絨毯にお花が敷き詰められた道を通られ、荘厳なる仏寺大殿へとお入りになりました。迎請の奏楽が厳かに響く中、参列者は皆、恭しく合掌し、静粛にして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ猊下の御法座への御登座をお迎えいたしました。
リンポチェ猊下は荘厳なる壇城にお登りになり、開眼法座にお着座の後、貴重なる御法話を賜りました。
「本日は寶吉祥仏寺の開眼における吉祥なる日でございます。チベット仏教における開眼の儀軌は、顕教とは少々異なります。まず諸々の供養と除魔の法が修され、その後、仏像に対し加持を施し、諸佛菩薩の身・口・意の功徳が仏像に加持されることによって、仏像は本尊たる仏菩薩と全く隔たりのない存在と成るのでございます。また、開眼と開眼を主法する者との間には極めて重要な関係がございます。もし主法者が『リンポチェ』の果位に到達しておれば、開眼を施した仏像の功徳とは極めて偉大なるものとなるのです。」
寶吉祥仏寺は、約十年もの歳月を経て、ようやく本日、衆生をお迎えすることが叶いました。この始まりは、まさに新たなる仏法事業の出発でもございます。本仏寺は今後、修行と閉関を主とする道場であり、世俗的な営みは一切行わない方針でございます。例えば、ここでは光明燈を灯すこともなく、功徳主の札を設けることもございません。また、仏教に関連する物品、例えばお香や數珠などの販売も一切いたしません。さらに、信衆の方々への食事の接待もなく、閉関修行者のみが滞在を許される場でございます。また、出家者の場合、仏寺及び私自身の承諾を得た方のみが、ここで修行することが許され、それ以外の方の滞在・修行はお受けしておりません。このような在り方は、世の多くの寺院とは運営方針が異なるかもしれませんが、清浄なる修行の場を創造するためには、どうしても守り抜くべき道と考えております。世俗的な方法を用いれば、たやすく名声を得たり、様々な面での負担が軽減されるかもしれませんが、しかしそれは真の修行には何ら資するものではありません。私は修行を通して、仏法、殊に釈迦牟尼仏の御教えと、直貢噶舉の清らかな伝承が、台湾の地に永遠に留まり、さらに広まり、すべての有情衆生を利益し続けんことを深く願っております。
リンポチェ猊下はまず、鈴杵(ベルとヴァジュラ)に加持を施され、その後、ご自身の修行により得られた功徳証量を以て、御自身で仏像に対する開眼および除魔の儀軌を厳修されました。開眼の儀軌が進行する中、リンポチェ猊下が空中に米を撒かれますと、散り散りとなった米粒は光を放ち、空中に静止したかのように留まり、その後ゆるやかに降り注ぐという、誠に殊勝かつ不可思議な瑞相が現れました。
大殿の開眼儀軌は一時間余りにわたり厳修されました。リンポチェ猊下による開眼と除魔の後、諸仏聖像はまるで黄金のような輝きを放ち、壇城は瞬く間に明るく照らされ、堂内は華やかな光に満たされ、妙なる香気が漂いました。大地も震えるかのような感動的な瑞相が現れ、誠に不可思議な出来事でございました。参列された皆様は、その暖かな波動が身心に満ちるのを感じ、深い感動に包まれました。大殿の開眼儀軌が円満に終了した後、リンポチェ猊下は参会の大衆を率いて、諸仏菩薩に敬意を表し三度の礼拝を執り行い、衆生に代わって花束を供養され、その後、御法座にお戻りになられました。
リンポチェ猊下より貴重なる仏法の御示教を賜りました。
「先ほどの開眼を経て、仏像には仏菩薩の生命が宿り、すべての信衆・弟子の誠心の祈願は必ず応じられることでしょう。この一時間の間に、多くの密教儀軌が修されましたが、これより私は密殿および観音殿の開眼を執り行う予定でございます。私が密殿と観音殿にて開眼を行う間、出家衆の方々が皆様を率いて共にお唱えくださいます。唱える経典・文は以下のとおりです:第一に『隨念三寶經(ずいねんさんぼうきょう)』、第二に『百遍頂禮證知(ひゃくべんちょうらいしょうち)』、第三に『八聖吉祥祈禱文(はっしょうきっしょうきとうもん)』、第四に『佛子行三十七頌(ぶっしぎょうさんじゅうしちじゅ)』、最後に『皈依発心(きえほっしん)』より『祈請伝法(きせいでんぽう)』までをお唱えいたします。」
私が大殿を離れる前に、まず百字明咒、すなわち金剛薩埵(こんごうさった・ヴァジュラサットヴァ)の真言をお唱えいたします。これにより、本日法会にご参列のすべての衆生に加持がなされ、今後の仏道修行におけるあらゆる障害を取り除く助けとなることでしょう。仏道の修行とは、本日一度お参りしただけで全てが成就するものではございません。そのようなことはありません。本日ここにお集まりいただいたのは、仏菩薩と良き深い縁を結ぶためであり、その縁を以て、今後も継続して修行に励むことが肝要でございます。障害を取り除くとは、仏道を学ぶ上で予期せぬ困難や妨げを除くことでございます。例えば、本日既にお申し込み済みでありながらご参列にならなかった信衆がいることも、まさに一つの障害の現れであります。この障害はどのように生じるかと申しますと、自らの思い込みがもたらす障害、または累世の冤親債主(おんしんさいしゅ)による障害、さらには過度に愛する人々が生じさせる障害など、多様でございます。これらの障害はすべて、自身の過去世における修行の影響に起因しております。
金剛薩埵本尊(ヴァジュラサットヴァ)は、修行の障碍を除くことを主たる本願とする報身仏でございます。
顕教においてはこの本尊の修法は見られませんが、密教においては極めて重要な本尊の一つであり、私の主修する本尊の一尊でもございます。ゆえに、私が御法座を下りる前に、まず皆様のために百字明咒をお唱えいたします。これにより、本日一日を通じての法要が円満に進み、今回の法会にご参加の皆様が一切順調に過ごされますようお祈り申し上げます。(参列者一同、心よりリンポチェ猊下へ感謝の意を表す)
続いて、リンポチェ猊下は百字明咒を持誦(じゅじ)し、参列の皆様に加持を施されました。持咒の終了後、リンポチェ猊下は御法座を下りられ、密殿および観音殿にて開眼儀軌を執り行うためにご移動されました。大殿では出家衆が先導し、参列の皆様と共に『隨念三寶經(ずいねんさんぼうきょう)』、『百遍頂禮證知(ひゃくべんちょうらいしょうち)』、『八聖吉祥祈禱文(はっしょうきっしょうきとうもん)』、『佛子行三十七頌(ぶっしぎょうさんじゅうしちじゅ)』および『皈依発心(きえほっしん)』、『祈請伝法(きせいでんぽう)』をお唱えいたしました。午前の開眼法要は殊勝かつ円満に終了いたしました。法会終了後、仏寺の清浄かつ整潔な環境を維持するため、参列の皆様には専用の送迎バスにて近隣の小学校へ移動し昼食をお召し上がりいただく特別な手配がなされました。当日の昼食会場、食事、ならびに仏寺との往復送迎交通費用はすべてリンポチェ猊下のご厚意によりご負担いただきました。リンポチェ猊下は「本日は皆様が初めてお越しになる私の新たな家であり、私より皆様へ供養を差し上げる日である」と仰せられました。
【直貢噶舉上師供養法】
午後二時、寶吉祥佛寺の開山住持であられる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ猊下は、経幡を掲げ、顕密両部の出家衆、八供女、寶傘、楽器、薫香の先導および迎請を受けながら、八吉祥の白絨毯に瑞花が散り敷かれた道を通り、大殿へと入られました。リンポチェ猊下は壇城に足を進め、諸仏菩薩に三度の頂礼を捧げられた後、御法座に昇られました。
リンポチェ猊下は慈悲深く御示教を賜りました。「午後には、我々は上師供養法をお修めします。顕教にはこの法門はございませんが、チベット仏教においては特に重視されております。なぜなら、上師が仏法を教え導いてくださらなければ、我々は仏法を学ぶことができないからでございます。我々は顕教を学ぶ際にも、釈迦牟尼仏を本師釈迦牟尼仏として尊称いたします。ゆえに、上師の教導なしに自己だけで修行成就することは到底不可能であります。『寶積經』には、釈迦牟尼佛の過去世における、この菩薩やこの仏に仕え修行し、佛道を学んだ多くの記述が説かれております。」
修行において最も重要なものは二種の資糧を積むことでございます。ひとつは福報、もうひとつは智慧であります。供養は我々が速やかに福報を積むための有効な手段でございます。多くの方々は、福報があれば健康に恵まれ、身体が丈夫で、すべてが順調に進み、家庭が円満で大金を得られると考えておりますが、これは小さい福であり、真の修行とは関係のないものです。仏法が説く福報とは、修行を成就するために不可欠な基盤でございます。例えば、今生において私が仏法を学ぶとき、もし福報がなければ、仏門に帰依することはできません。仏門に帰依した後も、福報がなければチベット仏教の仏法に触れることもできず、尊勝なる直貢チェツァン法王法王に帰依することも叶いません。帰依後、多くの法門を修行する際、特に金剛乘の各法門はすべて衆生利益を目的としております。もし自身の福報が十分でなければ、衆生を利益することは不可能であります。
例を挙げますと、ある方が非常に貧しく、資金援助を必要としているとします。その方を助ける者は、必ず経済的に余裕がなければなりません。お金がなければ助けることはできません。つまり、福報とはお金のようなものであり、困窮し食に困る人々を助けることができる力であるということです。したがって、福報は仏道を学ぶ者にとって非常に重要でございます。福報がなければ、良き法門を聞くことさえも叶いません。例えば、本日の朝、ある信衆が送迎バスに乗り遅れて遅刻したことも、福報の不足によるものといえます。また、法会に参加しようと考えていたのに、突然の事情で参加できなくなった場合も同様に福報が足りないためであります。もちろん、多くの方は様々な理由で法会に参加できなかったり、仏法を学べないことを説明いたしますが、仏経の教えはそれとは異なっております。
本日、初めて法会に参加された多くの信衆の皆様の姿を拝見いたしました。私どもの佛寺の周辺には飲食店がなく、同じ時間に約二千名もの方々に昼食をご用意することは決して容易なことではございません。実際、台湾での弘法は非常に困難でございます。なぜなら、チベットにおいては弘法が比較的簡単で、仏寺の外に壇城を設け、法座を設置するだけでよいからでございます。法会に参加する方々は地面に座り、飲食については各自で手配し、仏寺は出家者の生活のみを担当いたします。
直貢噶舉には、もう一人、チベットにてご活躍のチョンツァン法王がいらっしゃいます。ある年、チョンツァン法王は直貢噶舉で最も古い佛寺である直貢梯寺にて法会を執り行いました。その際の参加者は総勢32万人に及び、これは政府の統計による数字でございます。直貢梯寺の大殿は、当寺の大殿のおよそ四分の一の大きさであり、参加者は野外の草地に座っておりました。そこにはテントも何もなく、すべて何もない状態でございました。参加者は自ら食べ物や飲み物を持参し、各自で用意を整えておりました。しかしながら、台湾で野外にて法会を開催した場合、私は誰も参加しないと考えております。なぜなら、台湾の人々はチベットの方々のように風雨に耐え忍ぶ生活に慣れておらず、生活の場としてしっかりとした場所を必要とするためでございます。そのため、やむを得ず、このように大きな仏寺を建立した次第でございます。
当初は、大殿が三千人収容可能な仏寺を建立する予定でございましたが、土地利用の法規制により、これほど大規模な仏寺の建設は困難であることから、やむを得ず二千人収容可能な仏寺を建てることとなりました。また、佛寺は市街地には建っておらず、参拝者の皆様には多少のご不便をおかけいたします。例えば、本日も私が昼食や送迎バスのご用意をさせていただきましたが、それでも皆様にはご食事や移動でご苦労をおかけしたことと存じます。しかしながら、この機会を通じて皆様に運動をする時間も持っていただけたのではないでしょうか。普段あまり運動をされていない方も多いようですので、これを機にお昼の食事も少なめにされ、ダイエットの一助となれば幸いでございます。
もちろん、仏寺の住職として、信衆の皆様が法会に参加しやすく、仏法を学びやすい環境を整えるよう努めておりますが、多くのことはやむを得ない事情もございます。例えば、この山間地域はほとんどが森林保護区域でございます。幸いにも、この場所(仏寺を建てたここ)のみが農地であり、農地を合法的に宗教用地に転用できるため、この仏寺はすべて政府の法令に則って建立いたしました。しかしながら、ここは林地や保護区域ではないものの、敷地の制限により大規模な建築や大きな厨房を設けて皆様に飲食を提供することはできません。それゆえに、もし皆様が仏法を学ぶことに対し信心と敬意を持っておられるならば、多少のご不便やご苦労をお許しいただければと存じます。私自身も修行者として申し上げますが、この「辛苦」は皆様の業障を消滅させる一助となるものでございます。
本日、皆様は大変ご苦労なさって法会にご参列くださいました。早起きをし、新幹線に乗り、さらに乗り換えを経てこちらにお越しいただき、非常にお疲れのことと存じます。実は、私がかつてインドやチベットで仏法を学んだ頃は、皆様の今のご苦労の十倍は辛いものでございました。車で少なくとも七、八時間かけて到着し、山を登って修行場所へ向かいました。現代の皆様の生活様式では、このような方法はなかなか受け入れがたいものでしょう。しかし、仏経の教えによりますと、修行の場は市街地からやや離れていることが望ましいとされております。私はこの地を、市街地から離れているものの交通の便が良い場所として選びました。高速道路のインターチェンジからすぐに到達でき、深い山奥のように見つけにくい場所ではありません。したがって、本日の開眼は皆様に寶吉祥仏寺がすでに衆生利益のために始動しており、特に閉関修行を重視していることを正式にご紹介する機会ともなりました。
午後に修行する上師供養法について、できるだけ時間を早めて進めるつもりでございます。皆様は夕方六時過ぎに新幹線に乗られるため、遅くとも四時三十分には佛寺を出発して車に乗らなければなりません。もし儀軌をすべて終えられなくても問題ございません。皆様が先にお帰りになるのはやむを得ないことであり、私の力でどうにかできることではございません。もし新幹線を私が運行しているのであれば、皆様を待たせることも可能でしょう。しかし、私にはそんなに多くのお金もなく、政府も我々のような小さな仏寺のために新幹線を延長して待ってはくれません。そのため、この法本の修行をできる限り急いで進めてまいります。
上師供養法の中には、懺悔、供養、布施、そして発願が含まれております。まず最初に、我々は皈依文を唱えます。皈依には、「不共の発心」と「不共の皈依」があり、「不共」とは「共通しない」という意味でございます。仏法は小乗、大乗、そして金剛乗に分かれております。「発心」とは、寄付をしたり、ボランティアをするという意味ではなく、「菩提心を発する」ということを指します。菩提心の発し方は、小乗、大乗、金剛乗でそれぞれ異なっております。今日皆様にお唱えいただく発心文と皈依文は、金剛乗で用いられるものでございます。金剛乗はまた、菩薩道を修し、成仏への方法を修める道でもあります。そのため、発心の仕方や皈依の方法は、小乗や大乗と異なり、その願力や心の広がりも大きく異なっております。願力が大きければ大きいほど、成就も速やかで大きなものとなります。また、発する心の広さに比例して、得られる功徳も大きくなります。本日は時間の都合上、ゆっくりと詳しく説明することは叶いませんが、これが概念の概要でございます。今後ご縁があれば、私が生きている間に続けて教えをお伝えいたします。
今後、毎月一度、寶吉祥仏寺にて日曜日のいずれか一日に法会を開催してまいります。この仏寺は、私自身が一部資金を出しているほか、多くは私の皈依弟子や信衆の皆様のご支援によって建立されたものでございます。私は1997年より弘法活動を開始し、常に一つの立場を堅持しております。すなわち、「私の皈依弟子でなければ供養は受け取らない」ということでございます。皈依した弟子のみに供養をお受けいたします。しかしながら、仏寺建立は非常に大きな事業であり、弟子たちだけでは資力が足りません。そのため、皈依していない信衆の方々からも募金をお願いしております。仏法の特色は衆生に負債を負わないことであり、私は皆様から頂いたお金をお返しすることはできません。なぜなら、それらのお金はすでに仏寺や将来の衆生のために用いられているからでございます。ゆえに、私がお返しできるものは仏法のみであり、その佛法によって皆様にお返しさせていただく所存でございます。
私の生涯にわたり、毎月必ず寶吉祥仏寺にて法会を開催いたします。寶吉祥仏寺へご寄付くださった信衆の皆様は、法会へのご参加をご応募いただけます。今後の法会は、一日の開催ではなく、皆様の生活スタイルに合わせて半日のみといたします。もし毎回一日中の法会を開催した場合、すぐに皆様がお疲れになり、急激に体重が減ってしまうかもしれません。そうなると、「なぜ仏法を学んでいるのにそんなに痩せてしまうのか」と人に思われかねません。そのため、法会は半日、主に午後に開催いたします。ご参加をご希望の方はお電話にてお申し込みください。空き状況をご案内いたします。さて、これより不共の発心文を唱え始めます。
リンポチェ猊下は《直貢噶舉上師供養法儀軌》の修持を開始され、以下のようにご開示されました。
この発心の意味とは、「我が解脱を妨げるものすべて、我に怒りを抱く敵、我を害する邪魔者、我の学仏を阻む者、虚空に遍満するすべての母如きの衆生よ、安楽を得てすべての苦しみから離れられますように」ということでございます。この文からも分かるように、学仏者には敵や仇は存在せず、すべての者の幸福を願っております。なぜなら、学仏者は因果を信じているからでございます。敵や害する者がいる場合、それは過去に自分がその者を害した因縁に基づくものであり、彼らが速やかに阿耨多羅三藐三菩提を証得されることを願っているのです。私がこのような発心を持ち続け、仏果を証得するまで、身・口・意の三門において善を行うと致します。ここで言う善とは、単に寄付をしたり法会に参加したりすることではなく、最も基本的な十善法を守ることでございます。十善法の他、生死を離れ成仏へ至る法門こそ、善法でございます。
ここで三種類の発心に分けて説明いたします。今から私が仏果を証得するその時まで、身・口・意すべてが善であり、悪をなさないこと。もう少し簡単に申し上げますと、この一生の死ぬまでの間、身・口・意の行いすべてが善であること。さらに簡単に申し上げますと、皆様ができないことを心配し、仏菩薩は大変慈悲深く、今この一秒から明日の同じ一秒までの間、身・口・意の三門で善を行うことを誓う、というものです。ですので、信衆の皆様は帰宅後に「お昼が足りなかったから、火鍋でも、もう一品肉を食べてお腹を満たしたい」のようなことをしないでください。さもなければ、今日お唱えした発心文の意味がなくなってしまいます。私は皆様のために発心文を唱えますが、実際に行うかどうかは皆様自身の決断にかかっております。仏菩薩は既に皆様を大いにお世話してくださっております。一日だけでも善行をなさねばならないということを。もし一日もできなければ、なぜ仏法を学びたいのか、自らよく問いかけてください。
次に、不共の皈依を唱えます。
リンポチェ猊下は修法を続けながら、次のようにご開示されました。ここで行われるのは禅定の灌頂でございますが、本日はこの灌頂を授与いたしません。なぜなら、多くの方がまだ仏道を修める者ではないからでございます。多くの方は、ただ胡坐をかいてぼんやり座ることを禅定と誤解しておりますが、実際はそうではございません。顕教においては、禅定は必ず禅定の経験を持つ出家者から心法を教わり、指導を受けるものです。禅宗に関しては、六祖慧能以降、伝法が途絶えております。つまり、重要な心法の多くが伝承されていないということでございます。六祖慧能以前には、「花開五葉」という言葉があり、禅宗には五つのシステムがあるものの、「結果」があるとは言われておりません。多くの方が禅宗の修行は簡単で、ただ座ってぼんやりしていればよいと思い込んでおりますが、それは誤りでございます。もし正しく禅宗を学ばなければ、仏典に説かれる「禅病」(禅修による病)を患い、重症の場合は精神を病み命を落とすこともあります。チベット仏教においては、特に直貢噶舉派では、大手印の禅定修行は必ず上師からの灌頂を受けて行うものと定められております。
灌頂とは何かと申しますと、この法門を修行するための権限を授けることでございます。灌頂を受けなければ、この法を修め得ることはできません。では、なぜ本日は灌頂を授与しないのかと申しますと、禅宗を学ぼうとする方は必ず菜食を守らなければならないからでございます。「多くのチベットの人々は肉を食べている」と言われますが、私にはわかりません。しかし、私は菜食を守っております。直貢噶舉の祖師である、今日私たちが修している上師供養法の祖師ジッテン・サムゴン上師は八百年以上前にすでに菜食を実践されておりました。当時のチベットには菜食の環境が整っておらず、今のように温室で多くの野菜を栽培できるわけではありませんでしたが、それでも彼は菜食を貫かれました。なぜ禅を学ぶ者は菜食でなければならないのか。菜食をしない場合、動物性脂肪が血液に多く含まれ、気脈や血脈の流れを妨げてしまうため、禅定が定まりにくくなるからでございます。したがって、禅宗を学ぶには必ず菜食を守らなければなりません。菜食をしないことは非常に危険でございます。皆様は悪魔に取り憑かれることはないでしょうが、「走火」(修行が逸脱すること)を起こす可能性が高く、走火は非常に危険な状態でございます。
リンポチェ猊下は、参加者の皆様とともに上師供養法の簡軌法本を唱誦された後、次のようにご開示されました。直貢噶舉の伝承は八百年以上の歴史がございます。祖師はジッテン・サムゴンでございます。法本によれば、祖師ジッテン・サムゴンは龍樹菩薩の第二であり、龍樹菩薩の再来とされています。龍樹菩薩の前世は維摩居士(ゆいまこじ)でございます。直貢噶舉の起源は噶舉派にあり、噶舉派はインドから伝わったものでございます。帝洛巴(ティローパ)、那洛巴(ナーローパ)、そして西蔵に伝わって馬爾巴(マルパ)がその教法を受け継ぎました。マルパから密勒日巴(ミラレパ)、密勒日巴から岡波巴(ガムポパ)、岡波巴から帕摩竹巴(パグモ・ドルパ)へと受け継がれ、帕摩竹巴は多くの弟子に広めました。現在の噶瑪噶舉、竹巴噶舉、香巴噶舉はすべてその時代に分派したものでございます。噶舉派が「四大八小」に分かれると言われますが、これは教派の大小を示すのではなく、誰が先に皈依し、誰が後に皈依したかを指しております。四人の大弟子を「四大」と呼び、その後に皈依した八人を「八小」と呼ぶ通称に過ぎません。
直貢噶舉は現在、第37代に至っております。直貢噶舉の教えによりますと、この法脈は一度も途絶えることなく、常に一人の法王が伝承、教法、そしてすべての法本を掌握してきました。もちろん、その下には多くのリンポチェ、ケンポ、そしてラマが存在しております。私は第三十七代のチェツァン法王に師事し、仏法を学んでおります。私は直貢噶舉八百年以上の歴史の中で、初めての漢民族であり、転世ではなく、在家のリンポチェでございます。以前には存在せず、将来どうなるかはわかりません。
寶吉祥仏寺は、直貢噶舉の歴史の中で、初めてチベット人ではなく漢民族によって建立された寺院でございます。先ほど私の身分についてご紹介いたしましたが、これもまた直貢噶舉の伝承が台湾において初めて建立したお寺でございます。一般的にチベットでは、寺院の大殿はこれほど大きくなく、多くても100名から200名ほどの収容人数でございます。なぜなら、通常は閉関修行を主としているためでございます。ですので、チベットの寺院の大殿のそばに多くの部屋があるのをご覧になることがございますが、それらはラマたちの閉関のための場所でございます。厳密に申し上げますと、チベットや青海では在家の人々が仏法を学ぶのは非常に難しく、修行しているのはほとんどが出家者でございます。リンポチェとして成就するには、累世からの因縁や多くの要因が関わっており、今生でそれを成し遂げることができるのです。
先ほど唱誦された文は、私たちに「上師は三宝(仏・法・僧)すべてを摂受する体であり、その体は法・報・僧の三法が具わっている」ということを示しております。私たちが成仏に至るまでは、根本具徳の上師に帰依しなければなりません。その後に唱えられたのは供物への加持の文でございます。続いて、曼荼羅献供の儀軌が行われます。リンポチェ猊下は岡波巴法帽をお冠りになり、出家弟子の方々と八供女が、衆生を代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに曼荼羅の供養を捧げられます。
リンポチェ猊下はご開示されました。「リンポチェであることは大変なご苦労であり、体力がなければ務まりません。ですから、どうかリンポチェのことを羨ましがらないでください。信者の皆様はこのような場面をご覧になったことがないかもしれませんが、チベット仏教には多くの儀軌がございます。これらの儀軌は見せびらかすためのものではありません。たとえば、先ほど私が戴いた法帽は直貢の伝承を象徴しております。しかし、誰もがこの法帽を戴けるわけではございません。果位を有する者だけが戴くことができ、それは衆生を代表し供養を受けることを意味しております。先ほど彼らが供養したのは八供養であり、これは宇宙で最も尊いものを上師と伝承に捧げるものであり、また、すべての法会参加者が供養することを象徴しております。」
リンポチェ猊下は修法を続けられた後、参会者の皆様とともに長く上師供養法の真言を唱誦されました。リンポチェ猊下が修法を執り行われる過程において、多くの方々が尊きリンポチェ猊下の身から金色の光が放たれるのをご覧になり、壇城はまるで金色の宮殿のように輝いておりました。また、ブンブンという響きや瓔珞(ようらく)のかん高い細やかな音を耳にされたり、暖かな気流が身に注ぎ身体が温まるのを感じられたり、妙香を嗅いだり、地震のような揺れを体感された方もおられました。
続いて、八供女が壇城に上り、上師および諸仏菩薩に向かって三拝を行い、献唱いたしました。リンポチェ猊下はまず八供女に法座が高すぎて見えにくいため、少し後ろに下がるように指示され、参会者の皆様はその様子に心の中で微笑みました。八供女は清らかで艶やかな歌声をもって供養を捧げ、その妙音は大殿内に響き渡り、多くの方々の胸を打ちました。献唱の後、薈供の儀軌が執り行われました。すべての参会者はリンポチェ猊下によって加持された供品を受け取り、リンポチェ猊下は供品を手にした皆様に、その場で少し召し上がり、残りはお持ち帰りになるように指示されました。こうして参会者は法会の中で、上師および仏菩薩と食を共にするという、かけがえのない殊勝なご縁を得られました。
続いて供茶、供飯の儀軌が執り行われた後、リンポチェ猊下はご開示されました。「チベット仏教の法会に参加されたことのない方は、チベット仏教の法会には多くの独特な点があると感じられるかもしれません。なぜ先ほど突然、歌唱の場面があったのかというと、あれは単なる歌唱ではありません。あの八人の少女たちは『八供女』と呼ばれています。彼女たちの歌は人間が作詞作曲した歌ではなく、私たちが『空行母(くうぎょうも)』と呼ぶ存在が作った歌です。歌の内容は供養であり、その歌声で仏さま、菩薩さま、そして上師に供養を捧げるものです。仏典にも記されているように、これは空行母が歌って供養しているのです。私は、この儀軌を台湾に初めて導入したのは自分ではないかと言えます。多くの方は、ただ適当に八人の人を集めれば歌えると思われるかもしれませんが、それは違います。必ず特別な条件を備えた少女たちでなければならず、さらにこの歌を歌うための訓練が必要です。」
なぜ寶吉祥仏寺で特にこの歌を唱うのかというと、私が修している本尊と関係があり、その本尊に対する供養でもあるからです。しかし、皆様はまだ密教の修行に至っておられませんので、詳細は申し上げにくいことをご理解ください。現在、いくつかの場所で何人かを集めて歌わせることがありますが、それは本当の八供女ではありません。チベットの衣装を着ているからといって八供女とは限らず、必ず特別な条件や要件があります。最も重要なのは、仏菩薩や上師の功徳を称えることであり、彼女たちは皆様の代わりに称えているのです。それによって、皆様も福報を得ることができます。
先ほど皆様にお供え物を召し上がっていただいたのはどういう意味かというと、仏典には、仏さま、菩薩さま、そして上師と共にお供え物をいただくことで、福報を積むことができると説かれているからです。お供え物とは、ただ適当に買って置くだけのものではなく、加持と真言の唱持を経て、清浄なものにされたものです。特に寶吉祥では厳格に菜食を実践しており、すべての供品は完全な精進料理であり、一切の肉類は含まれておりません。本日皆様が召し上がったお供え物は、皆様の今後の仏道修行に向けた善き因縁を種まきするものです。また、お供え物をお持ち帰りになり、ご家族に召し上がっていただくこともできます。たとえばお子様が食べれば少しは素直になるかもしれませんし、ご主人が食べれば機嫌が良くなるかもしれません、奥様が食べればお小言が減るかもしれません。これは仏典に記されていることではなく、私の個人的な冗談ですので、あまり真に受けないでください。しかし、お供え物を召し上がることで確実に加持が入り、福報が積まれることは間違いありません。
時には、例えば福報のない方がいらっしゃいます。そうした方にお供え物を差し出しても、不思議なことに食べられません。「これは仏さまに供えられたものです」と説明せずとも、どうしても口にしないのです。福報のある方は自然に召し上がります。仏典にはっきりと記されている通り、福報のない方は仏さま、菩薩さま、そして上師と共に食物を分かち合うことができません。本日、皆様はこの仏寺を護持してくださったおかげで、福徳因縁を得て、諸仏菩薩および上師と共に食物を享受することができます。私は保証いたします。これにより、皆様は生生世世、絶対に飢えに苦しむことはありません。ただし、ご自身の意思で絶食したり、ダイエットのために食を控えたりする場合は別です。
チベット仏教には多くの法門がございます。もし学んだことがなければ、本当に彼らが何をしているのか分からないものです。加えて、彼らがチベット語でお唱えになるため、なおさら理解が難しいでしょう。では、すべてのチベット人がリンポチェであるかと言えば、そうではありません。すべてのチベット人が密教を修行しているわけでもありません。かつて私がチベットや青海に頻繁に赴いていた頃、多くのチベットの方々は皆様と同じように、年に一度か二度お参りするだけで、普段はあまりお参りをしませんでした。本当に修行に励む人は多くはありません。
先ほどの供養のご飯や供養のお茶の際には、まず祈願文をお唱えいたします。これは単にお腹が空いているからではございません。チベットでは通常、この時間に休憩をとります。チベットは非常に寒いため、酥油茶(バター茶)を飲み、少し食事をするのです。食事は本来、朝にいただくものですが、今日は午後に上師供養法を修しているため、形式として口にします。これは、私たちが生生世世にわたり食の福報をいただいていることを表しています。食の福報とは、たくさん食べることではなく、間違って毒のあるものを食べたりせず、腹を壊さないということです。中にはすぐにお腹を壊す方がいらっしゃいますが、それは体調が悪いからではなく、福報が足りないためです。良いものを食べているにもかかわらず、その方が食べると悪くなってしまうことがあります。食べ物が良いか悪いか、または腹を壊すかどうかも、福報に関係しております。
本日皆様が行われましたすべてのことは、福報の積み重ねとなっております。身体が健康であってこそ修行が可能となるのであり、健康だからといって多くのお金を稼げるわけではございません。お金を得ることができるか否かは、過去世における布施や供養の善行にかかっており、今生において受け取っているものです。したがいまして、今生において供養を行う方々には、必ず来世において貧しさに苦しむことはございません。供養をする限り、未来の世において必ずお金に困ることはなく、心配なさらなくて結構でございます。
続いて灯供(とうく)を修持いたします。なぜ灯を供養するのかと言いますと、私たちの無明(むみょう)の闇を消除するためでございます。無明とは何かと申しますと、因果を信じないこと、仏法を信じないことを指します。そのために灯を灯し、この法を修することで、皆様の心を明るく照らすお手伝いをいたします。「灯さねば、光らず」という言葉がございます。一人ひとりが灯を灯さなければ、光は広がりません。さもなければ、皆それぞれ自分が偉いと思い込んでしまいます。
続いて灯供の儀軌を執り行い、リンポチェ猊下は衆生を代表して灯明(とうみょう)を供養されました後に、御法話を賜りました。少し簡単に、先ほどの点灯の意味についてご説明申し上げます。大切なのは、皆様の菩提心が自然に現れるようになることです。もともと私たちには菩提心が備わっておりますが、累世の貪・瞋・痴・慢・疑により、その菩提心が覆い隠されてしまっています。そのため、灯明の光明がその障碍を消し去るのです。ただし、修行しなければ障碍は消えません。その他の意味としては、皆様が未来の修行において障害を減らし、光明に満ちた道を歩む助けとなることです。灯明を点じた後は、輪廻に堕ちることなく、邪見の世界に生まれず、地獄の最底辺に落ちることもありません。また、野獣の害や煩悩という鋭利な刃物の苦しみも軽減されます。最も重要なことは、灯明の功徳によって私たちの般若の脈絡が動き出すことでございます。この般若の脈絡とは密法の教えであり、詳しくは解説いたしませんが、私たちの身体の中に自然と脈が開かれ、動き始めることを指します。これは単なる座禅だけでは得られず、多くの助縁が必要でございます。本日の灯供は、その一つの助縁となり、皆様が変化を始めるきっかけとなるのです。しかし必ずしも顕現するとは限りません。
本日は合計で十八灯の大きな灯明を点しました。さらに私が最初に点じた灯や、他の出家僧が皆様を代表して点じた灯も加えると、本日この法会に一度ご参列されたことは、外に行って一年間分の灯明を点じるよりも遥かに勝るものです。(会衆一同「リンポチェ様、ありがとうございます!」)密法における修行の最も大切なところは、如何にして衆生を利益し、あらゆる方便を尽くして助けるかにあります。私たちの日常で触れることができるあらゆるものを、衆生利益のために用いるのです。例えば、前方にある観音殿をご覧になったかと思いますが、観音殿には特徴として四つの門があります。これは釈迦牟尼仏のご生誕にまつわる因縁によるものです。釈迦牟尼仏がまだ太子だった時、ある占い師が釈迦牟尼仏の父王に「決して王子を城の外に出してはなりません。もし出れば、必ず出家してしまうでしょう」と進言しました。しかしある日、太子は従者すら連れず、馬に乗りこっそりと城を出られました。この時の様子は「神変図(しんぺんず)」に描かれております。その際、王城の四つの門を順に通り過ぎ、生老病死の苦しみを目の当たりにし、それをきっかけに出家して修行の道に入られ、遂には仏果を成就なさったのです。
私の観音殿には四つの門があります。なぜなら、仏寺に四つの門を設けるのは構造上難しかったため、観音殿に設けました。観音殿の上部からは水が降り注ぐ仕組みになっており、現在はその水が滝のように落ちて皆様を濡らさないよう、調整を研究しているところです。この水には私が加持を施します。皆様が観音殿に入る前に、この水によりある程度の業障を浄化していただき、その後、千手観音菩薩に礼拝していただけるようにと願っております。千手観音の両側には、緑度母(りょくどぼ・グリーンターラー)と白度母(はくどぼ・ホワイトターラー)がお祀りされています。この二尊は観世音菩薩の二滴の涙から生まれたと伝えられています。観世音菩薩が、度しても度しても終わらない衆生の苦しみを見て、あまりの悲しみに涙を流されたのです。そのうちの一滴が緑度母となり、もう一滴が白度母となりました。緑度母は、私たちの日常生活における諸々の困難や問題を解決し、白度母は、私たちが過去世に積んだ悪業や、この生で遭う魔障からの妨害を浄化するよう、加護をくださいます。
そのため、私は特別に観音殿を建立しました。将来、皆さんが参拝に来られても、大殿の壇城には近づくことはできず、扉の外からのみ拝むことになります。ですが、観音殿では皆さんに参拝していただけます。また、観音殿の水には私が加持を施し、入殿の前にその水で身を清めてから仏様に礼拝していただけるようにしました。より清らかな状態でお参りできるよう配慮したのです。なぜなら、多くの方がまだ菜食ではなく、体から臭いが出ているからです。そのため観世音菩薩はまた二滴の涙を流されることになるかもしれません。「肉を食べたら何か問題がありますか?」と問う方もいるでしょう。確かにチベットでは多くの人が肉を食べていますが、彼らは彼ら、私は私です。今の時代、私たちは菜食ができる環境に恵まれています。ですから、ぜひ菜食を心掛けてください。肉を食べ続けると、さまざまな病気を引き起こす原因にもなります。
リンポチェ猊下はさらに法要を続け、上師供養法は円満に修了しました。リンポチェ猊下は、出家の弟子たちに導かれ、会衆全員で回向文、尊勝なる直貢チェツァン法王の長寿祈願文、尊勝なるチョンツァン法王の長寿祈願文、そして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの長寿祈願文を唱えるようご指示くださいました。その後、リンポチェ猊下は『極楽浄土への往生祈願文』と『発菩提心』をお唱えになりました。
リンポチェ猊下は弟子たちを導き、アキ護法の儀軌を修持された後、次のように開示されました:先ほど修したのはアキ護法です。アキとは、祖師であるジッテン・サムゴンの祖母であり、彼女は伝説的な女性です。今から約900年前の古代では、すべての女性の結婚は両親が決めるものでしたが、アキはそれを拒み、自ら夫を探しに青海へ赴き、夫を見つけました。そして息子が生まれ、その息子にさらに息子が生まれ、ジッテン・サムゴンとなりました。直貢噶舉ではアキ護法を専修しており、これを「不共(ふぐ)」、すなわち共通ではない護法尊と呼んでいます。つまり、直貢派が必ず修する特別な護法尊であり、「智慧型の護法」とも称されています。どういう意味かと言うと、チベットには多くの家庭的な護法、あるいは鬼や神の護法が存在しますが、彼らはまだ菩薩の果位に至っておらず、智慧を具えていません。しかしアキ護法は智慧の護法であり、もし修行や学仏において困難があれば、心からひたすら祈願すれば必ず助けてくださいます。また、もし寺院に何か障碍が生じた時も、アキ護法に祈願すれば、きっと助けてくださいます。
この護法尊は、寂静(じゃくじょう)尊と忿怒(ふんぬ)尊の二つに分かれます。アキ護法のお姿は本当に美しく、私は通常、忿怒尊を修します。忿怒尊とは、皆さんにもわかりやすく言えば、「事を処理する」存在です。何か問題が起きた時には、護法尊がすぐに出向いて対処してくださいます。今日は時間が限られているので、発車時間が迫っている方はここで先にお帰りいただいて構いません。私はこのまま修法を続けます。もしお急ぎでない方、あるいはどうしても最後まで残りたいという方は、最後までご参加いただき、ご自身でタクシーなどを手配してお帰りください。
会衆一同に「リンポチェ様に深く感謝申し上げます」と唱和しました。その後、リンポチェ猊下は武のアキ護法の儀軌を修法されました。続いて、リンポチェ猊下は引き続き会衆を導いて、長時間にわたり「六字大明咒」を唱え、そして次のように開示されました︰「皆さんの時間次第です。まだ帰りたくない方は、観音殿へ行ってご参拝ください。私はもう77歳になりました。今日は12時間ずっと休まずに皆さんと共に法会を行ってきました。では、また次回お会いしましょう。」
法会終了後の夕暮れ時、参詣者一同は法悦に満ちた心で寶吉祥仏寺の大道を歩いて帰路につきました。その途中、思いがけず桃色の夕焼け空に美しい虹が現れ、その瑞相の尊さに誰もが驚き喜びました。静寂な山あいに佇む仏寺の金色の屋根は、ひときわ輝きを放っていました。空からは細やかな雨が静かに降り注ぎ、まるで甘露の法雨のように、集うすべての衆生に法の恵みを与えてくれているかのようでした。
寶吉祥仏寺は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる願力のもと、必ずやさらに多くの衆生を利益し、世界に祥和と安楽をもたらすことでしょう。
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2024 年 11 月 19 日 更新