尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会での開示 – 2021年11月14日
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ、『宝積経』巻第十九「不動如来会第六之一」を解説された。
不動如来は仏典では東方の阿閦仏とも言う。顕教に於いては、此の仏を修めたり拝んだりするのを殆ど聞いたことがないし、チベット仏教の密法における信仰も少ない。だが、密法無上瑜伽タントラを修める全ての上師が不動如来は重要な本尊だと知っている。無上瑜伽タントラにある多くの本尊の頂戴(本尊の上師)は不動如来である。
以前、私は此の段落の経文を拝読したことも、説いたこともなかったが、無上瑜伽タントラまで修めるようになって、不動如来との関係が緊密になった故、敢えて本日は此の段落の経文を開示してみることにした。これであらゆる衆生が不動如来と縁が結ばれたらと願っている。今生に縁が結ばれたら、未来世に無上瑜伽タントラを修習する機会があるかもしれない。
多くの人は、密法を学ぶのはつまり法を請いに来ると上師が授け、求めると学べて修め得られるものと思っている。実は、法を求めれば、必ず得られるとは限らない。かつて二祖慧可が達磨祖師に法を請った際に、達磨祖師に供養するために、午後、雪の積もったところで自分の腕を斬って、翌朝までずっと跪いていたと言われている。達磨祖師がドアを開いて、外の状況を見ると、まぁまぁいいから法を授けようと言ったという。腕一本を斬るどころか、そなたらにしては一本の毛すら抜いたら嫌なぐらいだ。それではどうやって法を求められようというのか。多くの人は禅宗は簡単だ、ひたすら結跏趺坐すればいいと思っている。そんなに簡単だったら、達磨祖師は慧可法師を試す事はなかっただろう。
二祖慧可が腕一本を斬っても血を流しすぎて死に至ることがなかったことから、彼はもう修め得たと思い知らされる。チベット密教を修める者なら、慧可は既に空性を証され、我らと完全に違うとわかっているからだ。腕一本を斬って、痛くて死ぬことや、出血し過ぎて死に至るのは言うに及ばず、況して大雪の中で外で一晩跪いても凍死にならないことから、密宗から言えば、彼はすでにクンダリーニ(拙火/Kundalini)まで修めたということになる。禅宗を見下す人が多く、彼らにひたすら座禅し、参話頭以外、何もかも触れず、「山を見れば是山に非ず、水を見れば是れ水に非ず」と思われているが、実はこの観念は正確ではないのだ。此の話からはっきりわかるのは、慧可法師は既に密法まで修めたが、まだ成仏する正真正銘の心法を得ていないから、まだ法を勧請する必要があったということだ。
達磨祖師は噶舉派のミラレパ尊者と同じ時期に存在し、この二人は会ったことがあるが、修める心法がそれぞれ違うという記載がある。ミラレパはガンジス川から伝わった大手印を、達磨祖師はインドからの禅宗を継承するとされる。六祖慧能まで伝承すると、「花開五葉」という一言が残っているが、「花開五葉に伴い、果が実る」とは言っていない。慧能は衣鉢と心法を残すことが出来なかった。ほら、『六祖壇経』の中にも書かれていないだろう。『六祖壇経』とは、慧能が法会で開示された法語だが、中にはどうして禅宗を修めた彼があんなにも凄くなれたかに言及されていない。よって、禅宗も密法だと分かった。
私の帰依弟子は実体を伴わない上っ面の理想を持っている。帰依して何年か経つと、求めるだけ授けられ、法を授かると修め得られると思っている。そなたらは真にそんな器ではない。かつて、全ての大成就者が修行された際に、数多くの苦難を経験してきた。そなたらのような気楽さがあるものか。帰宅後、食事を含め全部済ませた上、座ってアキ護法に焼香し、(数珠を)2回りでも回して唱えると、今日は修めているという。更に、機嫌が良ければ、今日は3回りでも多く観世音菩薩に六字大明呪を唱えよう。逆に機嫌が良くなければ休みを取って明日でも補おうと言う。こんな修め方なんてあるわけがない。
そなたらはどの世で大きな福報を植え付けたのか、今生によくもそなたらに私を見つけられた。今生、私は債や恩を返しにやってきたが、完済したら離れよう。何年も前に、当時私はまだリンポチェではなかったが、ある親友から「誰か法を受け継ぐような弟子はいないのか」と聞かれたが、いないと私は答えた。毎日唱えれば私の法を受け継げるとか、大卒や医者だからこそ密法を学べるとかと思ってはならない。それは有り得ないことだ。私ですら、古代の修め方を見ていると、汗顔の至りだ。私は彼らの程度に至っていず、少なくとも現段階では私は腕一本を斬って法王に供養にしていない。腕を斬っていないとはいえ、身口意の一切を全部供養にしている。
本日、不動如来について開示するのは、そなたらに少し不動如来に触れ、不動如来と縁が結ばれるようになのだ。釈迦牟尼仏はまず西方の仏を、その後、東方の仏を説かれている。多分、一部の人は西へ行ったり、東へ行ったりするのが好きだからかもしれない。釈迦牟尼仏のご説法によれば、如何なる本尊・仏についても詳しく解説されることが分かる。この仏がどうやって成仏したか、成仏してからの功徳についても詳らかに説かれている。この点に鑑みれば、釈迦牟尼仏は仏だ、そしてどの一尊でも地球の人類と縁がある本尊のことを説かないように隠すことがないと思い知らされる。ただ、釈迦牟尼仏が全宇宙のあらゆる仏を言い出すには時間が足りないに決まっているから、地球人類と縁のあるような仏と菩薩のみ紹介されるようにした。
仏道修行はABCという段取りに従うような簡単なものではないが、大工事のような困難なものでもない。困難なのは、因縁と決心の有無である。二祖慧可の功徳と功力によれば、さらに勧請する必要などなく、間違いなく既に他を寄せ付けないような行者になっているのだ。腕一本を斬って一晩血を流しても死なないなんてもう人ではない。それにもかかわらず、彼は求め続けた。何故なら、まだ成仏の心法を得ていないからだ。彼が菩薩に成ったことに満足していないのではなく、物足りないと思っているからだ。一切の有情衆を広く度するようなことに至っては、仏にしかこんな大功徳力がないからだ。「仏道修行を多めにしたい。急いで学べば、早く分かる」という心持でいるのなら、それは修め得られないに決まっている。
どうして修め得られないのか。そなたらは皆在家衆で毎日用事が多くてたまらなく、または用事がないくせにわざわざ用事を見つけてきたり、何方もじっくりと修める時間がなく、時間を盗んだかのように修めたり拝んだりしている。それに、よく話を聞かず、気ままに振舞っている。もっぱら自分の好きな・得意なことだけ実行し、それ以外のことを一切聞かないでいる。話を聞かないから、正真正銘の心法を授けないとする。テキストを手に入れたら修め得られると思ってはならない。法王のことはさておき、私すら、そなたらの修行に一冊の『観音菩薩簡儀』テキストで10種類もの方法を言い聞かせることができる。『観音菩薩簡儀』を手に入れると、勝手に唱えれば修め得られるつもりか。どうして私は10種類も言い聞かせられるのか。それはレベルによって、多くの心法を言わないようにしているからだ。そなたらはまだこのレベルに相応していないからだ。上師を敬うことすら成し得ていないのに、どう教えられようというのか。何か秘密があるわけではなく、伝授するのを惜しむのでもない。それはそなたが上師を敬わないと、いくら心法を伝授したとしても、そなたは「そうかな」、「そうなのか」と思ってしまうからだ。こんな疑問が現われると、そなたがよく修められたとしても、阿弥陀仏浄土の外廓の疑城に生まれるに留まり、500歳の間、仏に遇えないという始末だろう。だから、皆に害を与えたくないのだ。
現在、私は厳しさで遠くまで名を馳せている。先日の講演で、外からの多くの人々は「このリンポチェのことを知っている。厳しいそうだ。」と言っている。仏が定められたルールにしては、私はすでにそなたらを控えめに扱っており、今でも法会への参列を許している。そなたらはどんな暮らしを送っているのだろうか。いい暮らしだ。現在の寺院建立についても、専門家らを頼りにしておけば、多くの事を解決し得るだろうと思いきや、余すところなく私が後片付けしている。どうしてこうなるのだろうか。彼等は分からなくても言わないし、リンポチェが言ったところ直接に実行に移さないからだ。さすがそれは無理だろうと思われても、実は、私が言ったのは全て有り得ることだ。
不動如来を開示するのは、そなたらの激しい進歩を狙っているのではなく、そなたらが未来世で密法の無上瑜伽タントラを学べるよう、縁を結ばせる為なのだ。他所の道場では気軽にそれを授けられるかもしれないが、ここではそうはならない。たとえそなたが泣いて縋れても、無上瑜伽タントラを伝授しない。なぜかと言うと、その器ではないからだ。私の何分の一を成し得た者こそ、器と言える。だが、そなたらはそんなに話を聞くのだろうか。法王が閉関しろと言ったら、私はすぐ閉関に行く。法王は直貢梯寺の黄金屋根を修復しろと言ったら、お金を持っていなかった私もすぐ実行した。そなたらは私のように成し得ているのか。いや。そうしていなければ、そなたに多くの仏法を教え続けられる理由はあろうか。
周知のように、私は謹厳実直な人だ。そのうち、不妄語が大切な一環とする。私に分かったことを決して分からないと言わないし、分からないことを分かっていると言わない。簡単に言えば、そなたが器だったら、そなたに求められると私は伝授するに違いない。逆に器ではない者に対しては、どう求めようと、供養だけは受け取るが、法は伝授しないとする。どうして供養のみ受け取るのかと言えば、菩薩道の一個目に当たる資糧道を修めることで、そして資糧道の一個目が福報だということだからだ。供養なしに、福報がどうやってあらわれるというのか。私はお金が欲しいのではなく、お金が欲しいのであれば、寺院建立はとっくにしてなかったのだ。私個人で寺院建立に2億元(台湾元、以下同じ)弱を寄附した。私はもう74歳だから、2億元を貯金しておけば、きっと死ぬまでも使い切れないだろう。そなたらは細かく計算している。これを葬儀費用に充てよう。あれを何かに充てよう。余ったのをリンポチェにあげよう。だから、釈迦牟尼仏は出家衆を「乞士(こっし)」と呼ぶわけだ。実は、私もその一人だ。
本日、この段落を開示するが、仏によって修行者に対する条件や要求はそれぞれ違うことをよく分かって欲しい。その慈悲心が異なるのではなく、その修行の過程が違うことから、自然に信者に対するこれ等の条件を要求するようになるわけなのだ。例えば、私が仏門に帰依してこのかた、ずっと戒律を慎み深く守る等の事を貫いていることから、そなたらを好きなようにさせることはない。そなたらも知っているはずだが、リンポチェは戒律を厳しく守ることから、そなたらの事を含め、妙に多くの事が無事に解決できたりしている。これ等は全て戒律だ。
『無量寿経』を説き終えた時点で、続いて不動如来についての開示になることに気づいた。ここ数年、私が修めた幾つかの本尊の頂戴(上師)はみな不動仏だから、皆さんが不動如来と縁が結ばれるよう、私にこの経文を開示する能力がつくことを願って、私は釈迦牟尼仏のご加持を祈り求めた。
経典:「是くの如く我れ聞けり。」
現在、我らが拝読する経文は何れも釈迦牟尼仏が口伝された際にその場で書き記されたものではない。2000年以上前には録音する機械がなく、全てが釈迦牟尼仏の弟子らが覚えたことを頼りにし、釈迦牟尼仏の涅槃後に、500という阿羅漢が集まって入定してから、彼らが聞いた仏のあらゆる開示を少しずつ言い出すようになったのだ。よって、最初に来る一節は、一律「是くの如く我れ聞けり」となっており、私は仏が仰せになったのを聞いたもので、私が考え出したものではなく、私が多くの理由をつけて説明するものでもないという意味だ。即ち、経文にある全ての文字は仏の仰せだということだ。きっとそなたらはどうしてその場で書き記さないのかと聞くだろう。釈迦牟尼仏はそんなに馬鹿ではなく、きっと彼が説法されていた際に、一切の阿羅漢・比丘・比丘尼は入定して仏法を聴聞していたから、そんな書く時間がなかったのではないかと私は信じている。
他所では、開示を聴聞している際に筆記したり、ノートパソコンや携帯で文字を打ったり、ひいては携帯でそれを写真に撮ったりする人が多くいる。自宅に帰ってから読めば分かるようになると思いきや、何れも意味がないのだ。もし、これが有効なものであれば、釈迦牟尼仏は仏法を開示された際に、とっくに筆記しろと言っているはずだった。例えば私は毎週日曜日に仏法を開示している時、弟子がその場で筆記することを禁止しているようにだ。そなたはじっと聞けばいい、後に私は一字ずつチェックすることこそ、古くから伝わった方法だ。昔、私が顕教やチベット仏教の法会に参加した際に、どうして注意深く聞かないのかと、いつも変に思っていた。多くの名相(みょうそう)が覚えられなくても大丈夫、いつでも仏教辞典を引けばいいからだ。最も重要なのはその意義だ。仏陀の「是くの如く我れ聞けり」という教法は、多くの社会通念を打破している。
インドはあの時代にすでに紙と筆があって筆記することが可能だったが、釈迦牟尼仏は説法されてから数十年経っても、書き記せよと言ったことがなかった。彼が涅槃後に、500という阿羅漢が閉じ込め、自分を第八意識田の経文に入定させた上、一節ずつ書き出すようになったのだ。よって、そなたらが仏法を聴聞している際には、筆記が禁止なわけだ。覚えられない心配があるとそなたが言うのなら、そなたに福報がなく、信じず、覚えられる機根がないことを表している。
経典:「一時、佛、王舎城の耆闍崛山に在して大比丘衆、千二百人と俱なりき。皆是れ阿羅漢にして衆に知識せられ、諸漏已に盡きて復煩悩無く、心慧解脱して自在無礙なること、猶、大龍の所作已に辦ぜるが如く、」
耆闍崛山(ぎじゃくっせん)は小さな丘だ。あそこへは私は二、三回訪れたことがあるはずだ。あの時、私はたくさん供養し、法王もその丘を買われた。歴史を紐解くと、釈迦牟尼仏が忉利天(とうりてん)に昇ってのご説法で、入定して『地蔵経』を開示された際は、この山から赴かれたと記されている。釈迦牟尼仏の周りに1250人いるから、仏が説法される度に、少なくとも1250人が集まるとされる。これ等の人々は決して一般の出家衆ではなく、既に阿羅漢果を証し、あらゆる有漏、即ち如何なる果報が生じるようなことが既に尽き、証されたから、何一つとして煩悩がない者だ。その心・その智慧は既に煩悩の中を解脱されたということだ。
自在とは、我らが言うような快適かつ気楽に日々を送ることではなく、如何なる煩悩にも囚われない清浄なる智慧と清浄なる本性のことを指す。その心と智慧は既に本来の清浄なる面目に戻っている。その心と智慧は大龍のように、空へ飛びたい時に飛ぶし、海に潜りたい時に潜るからだ。もちろん阿羅漢はこうして終日遊んでばかりいるのではなく、その心と智慧はもう俗塵の如何なる人や事物に囚われないという意味だ。
経典:「重擔を捨て、己利を逮得し、諸の有結を盡し」
四聖諦法(ししょうたいほう)と十二因縁法を既に成就まで修めた。四聖諦法は即ち苦集滅道だ。釈迦牟尼仏のお教えの四聖諦法と十二因縁法に従い、一切の煩悩を断ち切り、輪廻という重荷を捨てるという。
結びとは煩悩という結びのことだ。阿羅漢は自利を修めるものだ。これも釈迦牟尼仏はのちに小乗仏法を修めるのはあまり良くないと説かれた理由だ。何故なら、衆生利益せず、もっぱら自利し、利他をしていないからだ。小乗を修める人がいい導師の監督しない状態で修め続けると、往々にして慈悲心を修めないようになりがちで、またひたすら自分の生死解脱・輪廻解脱ばかり思っていて、エゴ・自利に堕ち、何もかも関与せず、自了漢を修め、終日閉じこもって座禅し思惟し、一切の煩悩を断ち切ろうとすることが多い。どうして仏はのちに菩薩道を広められ、小乗仏法を控えめに広めるようにされたのか。末法時代の衆生に煩悩が多く、業力が重いから、小乗仏法を授けると、修めれば修めるほどエゴになり、自分以外のことに全然目を向けようとしなくなるからだ。想像するだけで、ぞっとするだろう。エゴで何もかにも目を向けないのなら、仏法の偉大さと離れすぎていないか。釈迦牟尼仏はのちに、菩薩道のみ広められ、『宝積経』こそ菩薩道だと説かれる仏典だ。
経典:「正教に通達して彼岸に到れるなり」
彼は自了漢でありながらも、釈迦牟尼仏に教わった一切の方法に基づいたから、全部通達する。通達の「通」とは、法一つで全ての諸法に通じることで、同時に彼岸の仏の浄土へ行くという目的に「達」することもできるとされる。
経典:「唯、阿難ありて學地に住せり。」
阿難だけは、まだ学んでいる。阿難は釈迦牟尼仏の侍者で、釈迦牟尼仏の起居・飲食は全部阿難が侍しており、つまり阿難が自身の修行を犠牲して、釈迦牟尼仏に付き添って仕え、供養するのを主にしていた。釈迦牟尼仏は彼を保護するために、彼が修めていないと仰せになった。こうして、他の弟子は彼が修めていないと思って、彼を見下げるようにもなったのだ。仏が涅槃後に、此の500という人が集まって仏典を書き記そうとした時、彼を入らせないように門を閉じた。阿難は神通を顕わして、鍵の穴をくぐり抜けて入った。これも阿難は実は修得できたことを裏付けた。仏は彼が嫉妬されると同時に、皆が悪業を起すことを心配していた。私の身の回りの侍者が凄い、よく修められているだろうと皆に思われるように、何とかして彼らを通じてリンポチェに何かを伝えようとしている。2000数年前にもこんな話があったが、今だにそなたらはまだそれを繰り返している。仏を侍する為の阿難を残すよう、彼はまだ学んでいる、彼はただの侍者に過ぎないと、仏は仰せになっている。
上師をするのは実に大変だ。仏の境地に至った以上、勝手に人騙しなんてしないが、ただ他の人に阿難が何の境地まで修めたかを言わないだけなのだ。私が仏法を広めに出てきた最初の頃、法王は人前で私の修行がどう凄いかと一切言わなかったが、ここ数年間やっと言うようになられた。私は既に成し得たし、そなたらもそれを見たから、もう言ってもいいだろうと思ったからだ。それまでは、黙っていた。ここで、仏は突然に阿難の顔に泥を塗って、1250人という大阿羅漢の前に、彼はまだ証していないと言った。明らかに、これは割り込んだ文だ。よって、いつか私が突然に「この人はまだ修めていない」と言ったら、そなたは間違いなく彼が修めていないと思ってはならない。これが釈迦牟尼仏が私に教えた手法だ。
どうして私はこう開示するのか。私の心が行き届きすぎるからだ。法王がこんなにも多く私に伝法されたのは、きっとそれは私が多く供養したからという人もいるが、実はそうではない。本当は、私が上師として弟子を入れ始めた当初、テキストをそんなに持っていなかったものだ。今や持つようになったのは、私が耐え忍び、死を恐れないことによったからだ。そなたらの事柄を全て私は責任を持って担いでいる。可笑しい事に、私が寺院建立する段となると、そなたらは担ぐ責任を持たず、ゆっくり様子を見たり、正体を見極めたりし、リンポチェの寺院建立を手伝うとメリットがあるかどうかを見ようと思っている。私は既に年を取っているから、私がされた対応で、そなたに対応をする。
この段落を開示していると、私も経験してきたから、心に沁みて全く同感だ。釈迦牟尼仏は仏法弘通される方で、経文を説かれる途中にこの一節を割込ませるようなことなどしない。私はこの一節を拝読して、釈迦牟尼仏がこれをよく言い出したことに感謝の気持ちでいっぱいで、彼はその侍者を保護しているのだ。
経典:「爾の時に、尊者舎利弗は座より立つて、偏に右の肩を袒ぎ、右の膝を地に着け、掌を合せて、佛に向つて白して言はく、世尊、如何。諸の菩薩摩訶薩は阿耨多羅三藐三菩提に發趣して遍き清浄の行を修行するに、精進の甲を被て功徳を荘厳し、是の諸の菩薩は甲を被るに由るが故に、阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退転を得たり。」
舎利弗は衆生を代表して法を勧請する。釈迦牟尼仏に、過去の大菩薩らはどうやって「阿耨多羅三藐三菩提」を発し、「遍き清浄の行を修行」するのかと、指示を請った。「精進の甲を被て功徳を荘厳す」。
「精進の甲を被る」とは、仏法・戒律を鎧としてはじめて、功徳が荘厳になれるのだ。これ等の菩薩は戒体(かいたい)という鎧によって守られてはじめて不退転に阿耨多羅三藐三菩提を修められたのだ。ここでは明瞭に「戒律なしに、保護はない」と言っている。ご自身が戒律を守っていると思ってはならない。そなたらの殆どは戒律を守っていない。戒律を守らなければ保護が付かない。戒とは、これをしたらダメ、これをしたら罰せられると我らを規制する為のものではなく、我らを守る為のものだ。我らは生生世世に様々な悪業を犯しても自分が気づいていない上、自身には更に分からない祖先の犯した悪業すら我ら自身と関係がある。そなたが仏道修行すると発心した折、もし戒体という鎧で身を守らなければ、これ等累世の業がついそなたに害を与えてきたり、ひいてはそなたの修行に差し障ったりする。どうしてリンポチェがそんなにも慎み深いのか。戒律による保護がなければ、累世の業及び先祖が作った業は、何時でも私に危害を与え得ることをよく分かっているからだ。自分が傷づけられるのが怖いのではなく、不退転の阿耨多羅三藐三菩提を証しないことを心配するからだ。
二歩進んでは一歩引く、更に三歩進んでは四歩引くというペースで仏道修行する人が多いのは何故なのだろうか。他でもない、戒律を守らないということだ。誰しも自分は五戒を破っていないと思っている!しかし、五戒の中には多くの細かな戒があるのだ。最近、ある弟子は他所を真似して梵行を行うつもりで、夫と別々の部屋にしようとしたところ、私を非難の矢を止める盾にしていた。何度も言っているが、『宝積経』の中に、在家の者は眷属による合理的な要求を拒否してはならないと書かれている。出家のものなら、もちろんダメだ。梵行を修めるのは、専ら出家のものを対象にしているのだ。一座の面々の、半分に当たる人は私を非難の矢を止める盾にしている。自分がしたくないことをしたくないと直接に言えばいいのに、勝手に私を盾にしないで欲しい。
昨日、ある信者が法会への参列を求めに彼女を連れてきた。これまでの二回とも私はそれを拒否した。また昨日求めに来てもなお理由を言わなかった。出家衆に彼と相談しろと私が命じたところ、彼女の家族の何人かが病を患っているから、守られるだろうと思って法会に参列したいという理由だったそうだ。そして、私はこの男を叱った。この男の父親がかつてリンポチェを騙し、そして癌を患ったことがある。彼は父親の苦しさを見ただけで、恐怖を覚えている。またその父親が死ぬ前に、私がちょっと加持したところで、その苦しさが緩和して往生するようになったのを見たから、彼は私の凄さを分かって、再び私に助けを求めるようになった。(詳しくは衆生済度事跡第1096号を参照)再度、私に助けを求めに来てもいいが、彼女が法会に参列する本当の理由を直接言わない代わりに、仏道修行したいと都合のいい口実を口にした。他所の道場だったら大歓迎するだろうが、私は来ないようにと言った。本気で仏道修行するつもりではないからだ。本気でなければ、何れも厄介事に見舞われるようになるのだ。かつて、彼自身も帰依していたことから、昨日、彼が求めに来たが、また私に叱られた。「ここ十数年、二十年の間、そなたは父親が私を誹謗しても無事だったのを見て、母親にも手の施しようがないから、そなたはとうとう道場を離れることにした。ここ数年間、母親はそなたのことで心配で仕方がないから、母親に悪いのは確かだ。全てをそなたに残すように、そなたの母親が倹約な生活をしているのに、今日もよくも本当のことを隠したな」と私は言った。
リンポチェは我慢強い人だ。私が終日怒っているようには見えるかもしれないが、ちゃんとよいタイミングになるまでじっと待ってから、矢を勢いよく射てしまうのだ。ここでは特別に注意喚起をするが、そなたが菩薩になったにしろ、成仏して生死解脱したにしろ、そなたを保護するのは、上師が伝授した戒律だから、必ずそれを身に被るべきだ。手加減したり、ゆっくり実行したり、暫く待っても大丈夫という理由は一つとしてない。私にとってはどうでもないが、そなたらにとっては関係がある。鎧は24時間何時も身に付けるべきだ。この鎧には重さがない上、お金もかからないのに、どうしてそなたらはそれを要らないでいるのか。人間は理不尽だ。仮に私がこれは黄金で作った鎧だから、必ず被るようにしてくださいと言えば、そなたは間違いなく被るのだろう。
まさに道場でテキストや寶吉祥の弟子用のベストなど忘れたりする弟子がいるが、お金は一度も忘れられたことがないようにだ。お金が大事でしっかりとしまっておかなければならないからだ。帰依弟子のベストを失った場合、いくらリンポチェに求めても、私は再びあげようとは絶対しない。又は、テキストは印刷物で、もう一冊印刷すればいいと思っても、私はあげようとしない。何故かと言えば、そなたは既に戒律を破って三宝を尊重していないからだ。そんなに大事なことなのかとそなたは問うだろう。ベストはただの布で、テキストは何枚かの紙に過ぎないが、イデオロギーとして、これが重要だと言う風にそなたの心を訓練しなければ、そなたは永遠に三宝を重要視しない。三宝がいつも自己の欲望を満足させるよう利用されていると、そなたはいつでも破戒に曝されている。いったん破戒して何かあってからまた懺悔したいと言っても、苦しい思いをするのはそなただけで、リンポチェではない。リンポチェは悲しい思いはするが、苦しい思いはしない。またもう一人度しなくてはならないのは大変だから、悲しい。
経典:「世尊、是くの如き行願及以び發心は、惟、尊の大慈にて開示演説したまへるか。世尊、彼の諸の菩薩摩訶薩は、天人・世間を利益し安楽にせん為めに、遍清浄の行を精勤し修習するに精進の甲を被、」
仏曰く、一切の大菩薩は天・人・世間を煩悩や苦痛がない境地に安住させるよう利益する。まるで、阿弥陀仏があらゆる往生を発願した衆生を、佛の浄土に安住させることのように、佛の浄土に煩悩や苦痛がないのだ。「楽」とは人間界の楽ではなく、喜んで修行し、喜んで永遠に輪廻しないという樂なのだ。
ここでは何度も清浄に言及したが、清浄とはねだることがないと定義される。例を挙げると、仏法弘通の際には、今回の法会を通じて、何かをしたいのではないことだ。例えば、毎年の「阿弥陀仏無遮大済度法会」の際に、この法会を利用して私が望んだことを進めるということをしないようにだ。例を挙げると、去年(2020年)二万を超えるという大人数が法会に参列したが、私もその場で寺院建立や供養する人を加持するなどのことを公表する方法もあったが、私は言わなかったし、宣伝する為のビデオすら流さなかった。彼らはそのビデオを流すつもりだったが、私はそれを拒否した。何故なら、その日は阿弥陀仏を修める為の済度法会であって、募金する為の法会ではなかったからだ。
そなたらにはその違いがどこにあるか分からないのだろう。私の弟子は誰もリンポチェが大法会の際に寺院建立のことを宣伝しない理由を理解できていない。理由は他でもない、清浄だ。私が法会を執り行うのは、衆生の為で、お金の為ではない。だから、私はこんなにも多くの衆生を済度しても何の問題も生じない。そなたらは一人が10の鬼道衆生を連れてきただけで、20万という鬼道衆生になる。況やどれも百を単位に連れてきて、山となる衆生をや。誰もその理由が分からないことから分かったことは、そなたらは一に戒律を守らない、二に清浄なる修行がないから、まったく上師の心がどこに据えられているか分からないのだ。
どうして彼らは宣伝のビデオを見せようとしていたのか。こんなにも人が多くいるから、ついでに宣伝すると、寺院建立へ寄附する信者の仲間を多めにかき集められるかもしれないと思っているからだ。だが、私ははっきりと区分している。コンサートはコンサートで、講演は講演だ。コンサートの際、寺院建立にお金を出せと書いてあるのか。いや、書いていない。それなのに、そなたらは私に対してはっきりと線引きしている。
大法会で寺院建立の募金についての宣伝などしない。何故なら、私は釈迦牟尼仏・因果を信じていて、全ての立ち振る舞いは仏典に基づくべきものだからだ。そなたらはそれに背いて自身の好きなことばかりしている。そなたが何を唱えようと、効果を発揮することが出来ないは何故なのだろうか。心が清浄でないからだ。仏法は清浄なものだ。つまり、微塵たりとも、俗塵に塗れる煩悩・貪念・欲望がないことだ。だが、リンポチェという果位まで修められ、宗派の為に修法することは許容される。
私がひたすら唱えれば、そなたらは良くなるのはどうしてなのだろうか。心が善だからだ。それにつれ、そなたらの悪業が成熟する時期も遅くなり、ないし成熟しない結果に終わることもある。これはただ紙一重の差に過ぎず、超えたら仏法ではなく、商売になるのだ。政府が発表する前から、我が会社はインフレーションを考慮して既に4%の賃上げにしている。
経典:「是れに由つて一切衆生を利益し安楽し、及び現在・未来の菩薩の為めに、當に仏法の光明を作して」
これ等菩薩がされた一切の事は、全てが現在・未来の菩薩の為にお手本として示すとし、修めるにはこうすべきだ、こうしてはじめて仏法が光明になると教えているのだ。こんな方法に基づいての仏道修行でなければ、仏法は輝くことにならない。仏法が光明になるには、人が多くいるやら、多くの人が毎日唱えているやらではなく、最も肝心なのは前述した清浄・精進・鎧を被ることなのだ。これ等の条件は着実に実践すべきで、妥協なんか許さない。
例えば、持呪する際に、背中を伸ばして座る必要があるが、背中を伸ばして座るにつれて気脈も順調になる上、これも戒律に繋がっている。衆生を尊重しないことはできるのか。本尊の清浄なる真言を誤魔化しながら唱えられるのだろうか。腰掛けて足を組んだままで数珠を持って唱える人もいれば、机に手をついて唱えるのもいるが、こんなのはみな不精進・不守戒だ。私が背筋を伸ばして唱えることを成し得たのは、自分の為ではなく、念々(ねんねん)の中に衆生のことでいっぱいだからだ。仏法では自利利他というが、実に簡単な道理だ。そなたは衆生を利益するとは、即ち自身を利益することだ。そなたは衆生を尊重しないと、自ずと背中を伸ばして座ることが出来なくなるわけなのだ。
閉関修行は一日中持呪するもので、一日に六回、毎回に2時間かかるから、最低12時間持呪することになる。そなたらにしては、12時間どころか、30分で倒れていることだろう。体が真っ直ぐになれば、気が順調になり、伴って血脈もスムーズになってはじめて持呪という音波が、そなたの体に効果を発揮するようになるのだ。持呪の際、どうして声を出すのだろうか。それは声を出すことによって体内の共鳴がそなたのあらゆる脈・血液の循環・内分泌を震動させて、そなたの体に役立てるのだ。背中を丸めて、首を片方に傾けて唱えると、血管まで曲がってしまうのではないか。
体の具合が良くないという人もいるだろうが、具合が悪くても背筋を伸ばして唱えるべきだ。数回に分けて唱える方法もある。例えば、1万遍を数回に分けて唱えることだ。休憩を入れての誦持(じゅじ)もあるのに、そなたらは一気で唱え終わってから他の事をしたいという。ドラマを見たいのもいれば、デートに行きたいのもいる。こんな心持で唱えると、効果が出ないぞ。
前述したのは全て修行の方法だ。菩薩だけそうすると思ってはならず、我らは凡夫地にいる時から訓練を開始するべきなのだ。私は既に74歳になり、重度のS字型脊柱側彎症を抱え、頸椎も歪んていて、背筋を伸ばして座るだけで痛むが、私は始終背中を真っ直ぐして持呪している。それは衆生への尊重、本尊への尊重だ。体が端正でなければ、きっと心も歪みを生じるに違いない。自分がどう唱えているのか、ご帰宅後に考えよう。悪い姿勢で唱えるのなら、尊重がないことになる。あくまでもお腹が空いてご飯でも食べようという風に扱うと、きっと如何に修めようと、ちっとも効果が出ない。まったく話を聞いていないのだ。
経典:「功徳を讃揚し善根を證獲すべきが故に、」
七支供の中には随喜功徳がある。功徳の慶讃(きょうさん)と随喜によって、福報が素早く積める。衆生および諸仏菩薩の功徳を褒め称えれば、そなたは善根が植え付けられる。そなたは彼らがする一切の善を認めることによって、そなたの根っこも植え付けられるのだ。仮に、そなたはそれを褒め称えず、利用ばかりしていれば、如何に植えようと善根がない。善根がなければ、何もかもない。多くの人は「リンポチェよ、慈悲深く私を加持してください」と言うが、何が何でも上師を褒め称えることをしない。どうして寺院建立する為の募金があんなに大変なのか。それは、そなたらは日頃から親友に上師の功徳を称揚しないからだ。あんなに雑談するのに、どうして上師の功徳を親友との雑談の中に入れないのか。恥ずかしい、信じてくれないだろうから、言ってもしょうがないのではないかと思っている。今後、喧嘩にならないよう配慮しよう。こうだったら、そなたが上師に対する尊重心がなく、手際よく上師の功徳を称揚することが出来ないとも言えよう。
経典:「諸の菩薩をして此の法を聞き已つて真如法性に於て精勤に修學して、當に阿耨多羅三藐三菩提を得しめたるか。佛言わく、善い哉、善い哉。舎利弗、汝、能く問へり。過去・未来の菩薩摩訶薩の、浄行の光明・廣大の甲冑もて功徳を闡揚せるは、未来の菩薩摩訶薩を攝受せんが為めなり。」
「真如法性」は仏性ともいう。菩薩は「真如法性」に於いて精勤に修学するもので、意識や俗塵の心を用いるのではないから、阿耨多羅三藐三菩提を得るに違いない。
舎利弗がこうして指示を請ったことを通じ、過去あらゆる菩薩が為されたのを見本として、未来の菩薩摩訶薩を摂受することができる。
経典:「故に、諦かに聴け、諦かに聴きて理の如く思惟せよ。當に汝が為めに説くべし。」
仏曰く、気を配って丁寧に聞くべきだ。「理の如く思惟せよ」とは、人類の脳でこの仏法の正確さを思惟するのではない。理は仏理で、仏が説かれる菩薩道はとりもなおさず六波羅蜜を行って広大なる衆生を利益することだ。如何なる言動も六波羅蜜を修めて広大なる衆生を利益する為でなければ、理の如くではない。「理の如く思惟せよ」とは、仏が仏法を開示される際に、我らは気を配って聴聞し、仏の説かれた仏理を以て自分が為し得たかどうかを思惟することだ。「私は聞いたことがない。そうなのか。私には分からなく、受け入れられず、出来ない」なんて言うのではない。こんなのだったら、理の如く思惟しないことになる。決して人類の脳で仏法を考えないことだ。人が身に付けた物は全て人生の経験談で、仏法ではないからだ。仏法を聴聞してから、仏陀が説かれた理に基づいて、自分にそれが出来るかどうかを思惟するべきだ。
「當に汝が為めに説くべし」。私はそなたらに言い聞かせることだ。
経典:「舎利弗言わく、唯然り、願樂して聞かんと欲す」
仏は条件を提示される。適当にそこいらに座って散漫に聞いたり、あれやこれやとくだらないことを思いめぐらしたりする場合には、私は説かないとする。そなたが諦聴(たいちょう)という条件を満たしてはじめて、私は説くことにする。諦聴諦聴とは、ただ皆に丁寧に聞けという意味だけだと、多くの人は勘違いしている。実は、丁寧に聞けと私が言って、そなたがそうしなければ、私は言わないようにし、ましてやそなたを追い払う場合もあるのだ。皆に背筋を伸ばせとひたすら言うのは何故だろうか。背筋を伸ばしたほうが、居眠りしないからだ。座る姿勢が良くないやら、首を片方に傾けるやらすると、うとうとしやすく、心が散漫しがちだからだ。背筋を伸ばし、気が落ち着くと、心が比較的散漫にならない。諦聴(たいちょう)は、単に耳に任せるものではなく、座り方も大事なのだ。
寶吉祥道場では、南港エキシビションセンターでの法会以外、全て椅子がないようにしている。今後、寺院にも椅子がないとする。何故なら、椅子に腰かけた場合、つい寄りかかるようになり、そうなると心が散ってしまうからだ。たとえ背筋を伸ばして腰が痛くなっても、気を配って丁寧に聞くよう自分自身に注意を喚起するだろう。首を垂れて私を見ない振りをするのではない。そうすると、心が散るようになる。
仏の説法にはそれなりの要求があり、そなたが聞きたいだけ、私は説くのではない。「諦かに聴け、諦かに聴きて理の如く思惟せよ」。そなたが此の条件を成し得なければ、彼は説かないようにする。それは、説いても仕方がなく、そなたは受け入れられず、ただそなたと仏の時間を無駄にしているだけだからなのだ。それよりも、他の人に言い聞かせたり、縁のある・機根のある人に説いたりしたほうがいい。そなたは此の条件を満たせば、仏はそなたに言い聞かせるに違いない。
なお、舎利弗は、私は間違いなく為し得るから、仏法を聞けることに非常に喜び・嬉しく存じると答えられた。
そなたらの多くはつい「上師が言いたくないようだから、私は下がろう」と思ってしまっている。これも、求めに来た人の多くがあまり私から相手にされない時に、供養金を傍にいる出家衆に渡してしまう所以だ。彼が喜んで、嬉しく求めに来たのではないからだ。その欲望を満たせられない場合、彼は自然に供養金をあちらに渡しがちなのだ。これはそなたの思想と関わっている。上師を尊重する者なら、上師の言った一字一句に気を配って聞き、好き嫌いがなく、全身口意で上師を尊重するのだ。どうしてそなたらは尊重しないのだろうか。それは、そなたはお気に入りの、望みのものを選別しているからだ。上師が口にしたその話が、そなたの望んだのと違ったら、すぐそなたの尊重心が無くなり、それに伴って動きも変わり、尊重しなくなったり、好き勝手なことを適当にしたりするようになる。
全てがそなたらの心が動じたことによった動きなのだ。上師が凄いのではなく、そなたらが凄いのだ。いいか、尊重しなければ、すぐ身口意は一変する。「私の望んだだけ、してくれるべきだ。そうしなければ、慈悲ではない!」なんて思ってはならない。私が慈悲でなければ、ここにこんなにも長く座っていられるのか。
経典:「佛、舎利弗に告げたまはく、是れより東方に千世界を過ぎて、彼に佛刹あり。名けて妙喜と曰ふ。昔、廣目如来應正等覺は彼に出現して諸の菩薩摩訶薩の與めに微妙の法を説きて、六波羅蜜に從ふを首と為せり。」
仏は舎利弗に曰く、此処より東、千個の世界(即ち千個の銀河系)を過ぎれば、彼処に仏土があり、廣目如来という仏が在す。仏の開示すら六波羅蜜をはじめとするものだから、六波羅蜜を実践しないそなたらは、ゆっくり待ってみろ!六波羅蜜の実践は、財産を尽くしての実践ではなく、全力を尽くしての実践でもない。絶え間なくし続け、機会があればすぐ実践するのだ。私は無理だ、私はまだそんなレベルまで修めていないなんて思ってはならない。
その後の精進・禅定・智慧は、そなたが為し得てから実践するものではなく、絶え間なくし続けるべきことなのだ。禅定は結跏趺坐してじっとしている様子と定義されるのではない。禅定の定義は、ある仏法の事に専念し、成し遂げ、持戒・布施・忍辱という三つを精進に実践すれば、そなたの心が落ち着くようになることだ。此の定とは、完全に思惟・思考・感覚がないというのではなく、煩悩が減少するという境地に留まることだ。前からの三つを実践しなければ、後のも伴わないのだ。この三つを実践すると、後のも伴って出てくるようになる。いつ果報が出るかに至っては重要ではなく、ひたすら実践し続けるべきなのだ。
精進とは、凄く出来ていて、たゆまずに進歩を遂げている様子ではなく、毎日することだ。どうして我らは供養・布施・廻向・守戒をする必要があるのだろうか。つまり、前からの三つだ。戒律を守られる人は、一切を堪えられる。戒律を守られない人は、何も堪えられない。この点は肝心だ。
経典:「舎利弗。彼の時に一比丘あり。座より起つて、偏に右肩を袒ぎ右膝を地に著け、佛に向ひ掌を合せて、白して言はく、世尊、佛の所説の如く、菩薩の法教を志願し修行せんと。佛言わく、善男子、汝、今當に知るべし、菩薩の教法を修習すべきこと難きことを。何を以ての故に、菩薩は諸の衆生に於て瞋害の心を生ぜざる故なりと。」
菩薩の教法は実に修習し難い。何故なら菩薩は衆生に対し、完全に瞋恚・傷害する心を起さないからだ。
経典:「時に、彼の比丘は佛に白して言はく、世尊、我れ今日より阿耨多羅三藐三菩提心を發して、無諂・無誑・實語・不異語を以て一切智智を求めん。乃至、未だ無上菩提を得ざるに、若し衆生に於て瞋害心を起さば、即ち無量・無數・無邊の世界の中の、現在に説法したまふ諸佛如来に違背すと為ん。」
この誓言はどれほど重いことか。今日から私はこの無上の菩提心を発するのは、何の偽りや嘘がなく、真実な言葉で、誰かの考え方を満足させる為にこう言っているのではないことを指すのだ。
「一切智智を求めん」。どうして智が二つ重なっているのか。一つは根本智で、もう一つは後得智だ。如何なる衆生も元より根本智を具備しているが、ただ累世の業によって遮られているだけなのだ。我らが仏道修行するのは後得智を修める為であって、後得智を成就まで修め得られ、根本智と後得智が一つになると、智智ということになるのだ。智慧というものは、試験がよく出来たり、頭がよくなるための存在ではない。
「乃至、未だ無上菩提を得ざるに」。つまり、私は仏果を証するまで、もし如何なる衆生に対して瞋害の心を起すことがあれば、現在、説法されている一切の世界にいる仏如来に違背することだ。「私の本尊は観世音菩薩だから、観世音菩薩にだけ違背しなければいい。他のに違背しても構わない」と言う人もいるだろうが、これも正しくない。というのは、もし私が衆生を瞋害するようなことをすれば、十方三世一切の諸仏の説かれた仏法に違背することになる。これが、その成仏に対し、我らがまだ凡夫にいる所以だ。
言うまでもなく、不動如来には衆生を瞋害する心があるべきではない。衆生にさえ瞋害しないから、まして上師に対するをや。「そんなことはないだろう。私は敢えてすることはできないだろう」とそなたは言うだろう。そなたらにとって此の願は気楽そうに発せると思われるが、実は深刻なことだ。何故なら、一尊でも仏のお教えに違背すれば、永遠に成仏することにならないからだ。多くの人は私は成仏は要らないが安穏な日々だけ欲しいと思っている。こうすると、仏法はそなたとは関係が無くなるのだ。広大なる有情衆を利益する為、成仏しなくてはならない。阿弥陀仏の浄土は、成仏するまでの間に、まず浄土へ修行しに行って菩薩果位から仏果を修め得てから、そなたと縁のある所へ衆生済度しに乗願往生する為の場所なのだ。
不動仏の発された此の願は、行者としては命より大事な願なのだ。彼が如何なる有情衆に対し、如何なる瞋害の心や動きをすると、彼は十方諸仏のお教えに違背するということになる。一尊でも仏のお教えに違背すれば、永遠に成仏する資格がないとする。こんな願は偉大すぎる。一般の人が承諾したり、成し遂げたりするような願ではない。だから、それなりの裏付けがあって、彼が阿閦仏に成れたのだ。
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2022 年 02 月 27 日 更新