尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示
2011年11月10日
インド現地の信者達の祈求に応じて、これは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが四回目北インドのパンジャブ省シーク教区の有名な都市のジャランダー(Jalandhar)で、殊勝なチベット仏教法会を開催して、そして11月12日及び13日の直貢噶舉派の冬季法会に参加する。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは主殊勝な「普巴(プルパ)金剛」法会を主催し、合計で545人は参加した。インドの貴賓は308人、その中にはホテルのお客様14人と社員18人、台湾から皈依弟子でない7人と皈依弟子230人を含んだ。法会の中に、地震の瑞相が現れて、法会に参列する大衆は地面が2度上下に震動したこをを感じて、法会の殊勝さにしきりに賛嘆した。
法会に向かう現場でリンチェンドルジェ・リンポチェの大型の法照が数枚も見えて、会場の周りには、直貢噶舉教派の旗幟を懸かっていて、法会現場の装飾は非常に荘厳である。午前9時、2百数人の寶吉祥弟子達は既に法会現場で座っておいて、あらゆる法会に参加する貴賓及びインドの信者達が整然と静かに一人ずつ会場に入って、すべての参列者は最も恭しい心にて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法席に昇ることを恭しく待っている。午前10時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはホテルが特別に用意される赤いじゅうたんを通って、法会会場に到着された。経幡、薫香炉楽器の吹奏音と宝傘の先導護送で、また出家衆の導かれたともに、リンチェンドルジェ・リンポチェは生花がこぼれている八吉祥図案が印刷された白いじゅうたんを歩いて、法会会場に入って、法会に参列する大衆が起立して合掌するまま、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法席に昇ることを恭しく迎えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城の上で尊勝なる 直貢チェツァン法王と尊勝なる 直貢チョンツァン法王の法照と諸仏菩薩は頂礼してから、法席に昇った。そして衆生を代表して、点灯して仏陀を供養して、引き続いて茶の供養の儀軌を行った。
法会は始まって、領衆する弟子は法会に参加する大衆を祈請文を唱えるように連れて、現地の信者は担当の弟子の導引のもとで壇城に向かって、現場で自分で抽選された5名のマンダラを捧げる信者、及び100名の点灯する信者の代表はマンダラを捧げる儀軌及び点灯する儀軌を行なった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは点灯する信者達はすべて点灯し終わったことを待ってから、参列者に貴重な仏法の開示を与えた。
リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。皆さん、おはようございます。今日皆さんはお忙しい中、法会に参加しにくるのは一つとても良い事である。仏教は人種と宗教を区別しないので、すべての人に対して全部平等であり、必要さえあれば、仏菩薩が助ける。今日の法会は我々に累世の業障、体の病魔を消滅させることができる。
ただ今そなた達は見た行った2つの仏法儀軌は、1つはマンダラを捧げる儀軌であり、それは供養することであり、すべての衆生を代表して上師と諸仏菩薩を供養する。供養により、仏菩薩の助けを受け取る縁と福報がある。もう1つは灯の供養であり、灯の供養は仏法の中で重要な儀軌であり、灯は仏の光が一切衆生を照らすことを代表して、衆生に輪廻の苦海を離れるように助ける。仏の光はすべての障害を取り除くことができて、点灯して仏を供養する事を通して、知恵を増加させる。それも仏法を学んで明るい未来があることを象徴する。長期にわたり点灯している者は、容貌が比較的につやがあって、美しくなる。灯の供養により、同じく仏の光が照らして、この法会を加持することを表す。
今日修める「普巴(プルパ)金剛」という法は仏教の中の忿怒の本尊である。仏教は寂静尊があり、比較的に慈悲で優しい、そして、忿怒尊がある。忿怒尊は恐ろしい外観を現れて、そなたが間違いの事をした時にそなたを厳重に処罰するのではなくて、あなた達は自身のした因であれば、もともと自分の果報を受けるはずであり、仏菩薩があなたを罰するのではない。忿怒尊の意味は衆生の悩みがとても重くて、内心世界の貪、嗔、痴がとても重い時、忿怒の様子は衆生に速く貪、嗔、痴を除いて切れるように手伝うことができる。忿怒尊は両親が子供を教える時に、最初に喜んで扱うが、しかし子供がずっと言う話を聞かない時、父母親は忿怒の様子を現れて、子供を静かにさせて、ようやく集中して父母の教えを聞くことができる。しかし、たとえ今多くの子供は父母が忿怒の様子を現れても、彼らも話を聞いてくれないで、末法のため時代にいる衆生の業力は本当に重すぎる。
普巴(プルパ)金剛を修めるのは次の通り皆を助けることが出来る。1.精神、情緒、脳の方面の疾患。2.幽霊、怪、竜、神の引き起こしたすべての無名の病気と癌を駆除する事が出来る。3. 年、月、日、時の動きと違えて起こる意外事故を避ける事が出来る。皆はいわゆるよくない年、月、日と時があるから、私達が非時意外がある。非時意外はそなたが死なないべきなのに却って死んでしまったのである。4. 星宿の変化が引き起こされる水、火と地震などの天災を避けることが出来る。太陽の風暴、黒子の変化は全て地球の地震と水害、火災を引き起こする。5. 他人は毒を使って呪いをかけて引き起こした障害を防止する。6. 累世の業障を取り除く。
普巴(プルパ)金剛は金剛薩埵の忿怒尊であり、阿弥陀仏、大勢至菩薩、金剛手菩薩、文殊菩薩と大威徳金剛の意の化身であり、すべての仏事業の本体である。長期に普巴(プルパ)金剛を修めて成就を得た行者は、吉祥になり、一切の功徳を具えることができる。すべての功徳、富、健康、長寿、眷属が円満であること、仏法の事業が発達していること、威力無窮、最後まで円満することを備える。普巴(プルパ)金剛は多くの法の本があって、今日修めた法は直貢噶舉教派 第29任 卻吉嘉稱法王が整理された法本であり、この法本は一般の信者達に比較的に大きな助けがある。その他の法本が公然と修行することができないのである。直貢噶舉教派は今が第37任直貢チェツァン法王であり、この法は直貢チェツァン法王が自ら灌頂してリンチェンドルジェ・リンポチェに口伝して教授して、さらに本尊の円満な閉関を通って、この法本は既にとても長い歴史がある。普巴(プルパ)金剛の能力はとても強大であり、いかなる法を修める時、普巴(プルパ)金剛を護法とすすることができて、すべての悪魔を屈服させることができる。
普巴(プルパ)金剛を修めた修行者は必ず円満に閉関修行して、空性の慈悲を修めて、とても深い禅定、済度能力を具えると修められる。他の宗教の中にも忿怒の神も現れたが、意義は仏教と違う。彼達のやり方は敵を追い払う或いは殺すが、仏教の忿怒尊は敵を消滅した後、能力があって済度される人なら、この法を修められる。若し敵を敵を追い払う或いは殺せば、彼達を浄土に済度できないなら、悪い果報がある。仏法は慈悲を根本として、敵に対してもこのように対応した。若しそなたは敵と戦ってたとえ勝っても、機会がある時、敵も復讐する。仏法と修行者を通して、敵を済度しなければならない。累世にそなた達に傷付かれた衆生も含めた。仏法は根本から問題を解決するから、慈悲で全ての問題を解決して後遺症が残らない。
後程リンチェンドルジェ・リンポチェは法を修める。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェは何をして、何を話す事を分からないが、此れは重要ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師尊勝なる直貢チェツァン法王だけ分かった。更に直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの果位を認証した。しかし、そなた達は直貢チェツァン法王ではない。そなた達は仏菩薩が行った全ては衆生のために利益して、衆生を助けて輪廻苦海を離れる事を分かれば十分だ。
続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて普巴(プルパ)金剛を修めて、更に開示された。一般に法を修める時三部分を分ける。前行、正行、迴向である。先程修めた一段は前行であり、続いて正行を修める。つまり法を修める主な部分である。前行は菩提心を発すと供養、供養物を加持した後、外に置いてある鬼神を食べさせて、彼達に法会の進行を妨げさせない。続いて八種の供養儀軌を進めて、八種の供養物で仏と本尊に供養する。
リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて本尊を迎い、仏菩薩を供養して称賛した。更に開示された。後程法を修める時、そなた達はまっすぐに座って、背中を椅子の背持たれに頼らなくて、トイレに行かないで、考え方、雑念を余り持たない。そなた達が嘗て傷付かれた衆生及び累世の父母達を代表して参加する。恭敬心があって、この法を修めればそなた達にとても大きい助けを与える。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて法を修めて、参列者に自分の名前を三回話させて、普巴(プルパ)金剛に助けられる眷属と友達の名前を三回話させる。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに普巴(プルパ)金剛法の正行を修めて、本尊の真言を唱えた。この法を修めるはとても儀軌を重視した。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて本尊の真言を唱える時、極めて獰猛な表情を表して、眉を逆立て、目を突き出し、口を歪めて、それは、普巴(プルパ)金剛の忿怒相と全く同じで、本尊と相応する殊勝な兆候を現す。修法して、真言を唱える過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に極めて低く沈み雷鳴のような叫び声を発し、極めて威厳に首を回して俯いた。今回修法して現れた普巴(プルパ)金剛の忿怒相の時間はとても長くて、威力は比類のないが、参列者は全て普巴(プルパ)金剛本尊が降臨した無比の震撼と勇猛な力を感じた。修法する過程において、600人余りの参列者は誰にも動かなくて、現場はしんと静まりかえって、赤ちゃんも完全に泣かなくて、不思議な摂受力である。多くの人も涙が流れた。此処から見ると、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの法を修める時、加持する力はとても強くて、衆生を助けて、仏を学ぶ障碍を除けて、無数な衆生を利益できる。
法会が始まる前に三匹の鳩は法会会場に飛び込んで、常に会場の上にぐるぐる回り飛んでいた。法会の過程に於いて、屋根の梁に留まって、静に法会に参加した。
続いて、アチ護法を修めた。護法を修めるのはアチ護法を感謝して法会を守って順調に進めた。
続いて、薈供の儀軌を進めて、参列者は全てリンチェンドルジェ・リンポチェが加持された供え物を貰った。また、法会の中に仏菩薩と一緒に食べる得難く殊勝な因縁を得た。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。今日皆に配る供え物は台湾から運んだ日本食品であり、皆は法会の中に少し食べて、また一つを取って回供としてした。法会に参加できない衆生に与えるのは布施の一つである。大福報があれば、機会があって、上師、本尊及び仏菩薩と一緒に食べ物を食べる。福報がないとできない。例えば、乞食者は富豪と一緒に食事出来ないと同じだ。今日皆を助けてある縁があって、上師、本尊及び仏菩薩と同時に食べ物を食べる。何故そなた達に供え物から一つを取って外に持っただろう。それは法会に参加できずそなた達が見えない衆生、神魔に与えて、彼達に機会を与えて、上師、本尊及び仏菩薩の助けを得させた。この供え物は仏菩薩を供養したから、食べると加持がある。皆を助けて業障を除いた以外、皆を助けて仏菩薩と共同受用の縁を作った。
先唱えた懺悔と満願文は皆を助けて煩悩を断った。煩悩は全て我々の欲望から生じた。欲望があるから、執着を起した。我々の執着は我々に苦しみを起した。上師、本尊及び仏菩薩の助けを通して、皆を助けて煩悩を断った。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは普巴杵で皿の中にツァンパで作った仏の供え物を切った。それはそなたと憎しみがある物を全てこの皿の中に招いて、普巴杵で切って、そなた達が衆生と全て憎しみを供え物に化して、本尊を供養する。
その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲に指示して、参列者に行列させて、壇城の前に行かせた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら普巴杵で全て参列者の頭に置いて加持した。リンチェンドルジェ・リンポチェの右肩は関節の中に軟骨がないが、今日600人余りの参列者を加持するため、リンチェンドルジェ・リンポチェは右手で法器を持って、腕を数百回以上曲がって、一心に衆生に助けを与えた。また丁寧に弟子を指示して、信衆が貴重な寿球と寿酒の動線を調整して、自分の苦労を完全に無視した。金剛乗成就者は衆生を利益する心は如何なる堅いだろう。たとえ自分は極めて苦しみを受けても、懸念なのは衆生の苦しみだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に全部の命で仏法で衆生に助けを与えて、僅かな報いでも求めない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに法を修めて、開示された。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが行った事はそなた達は構わない。直貢チェツァン法王だけ分かった。そなた達は直貢チェツァン法王ではないと分からない。そなた達は唯まっすぐに座って専念に聞ければいい。そなた達は分かるかどうかを問わず、リンチェンドルジェ・リンポチェは何をする事を考えない。そなた達は専念に聞けば、そなた達の未来に対して必ずよく、必ずそなた達を利益できる。
続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは五色旗を持って、開示された。この儀軌はそなた達を助けて、寿命を増加できる。そなた達は通常に起こった貪、瞋、癡は止まらず自分の寿命を消耗する悪行をしていた。殺生、肉を食べる、酒を飲み、タバコを吸い、麻薬を吸い、欲望が重いなど全て人の寿命を損害した。修法を通して、消耗された寿命を補充できる。仏を学ぶ人に対して、寿命を増加するのはそなたに十分の時間を与えて、仏法を修行できる。一般人に対して、寿命を増加するのはそなた達に善を行って、そなた達に享受させなくて、金を稼がせない。金のためにどんな事もでも行えないで。汚職、賄賂しない。そなた達は此の世に財があるのは前世に供養布施した事があった。此の世に善事を多く行って、福報を累積すれば、来世はよくなれる。
そなた達に寿命を多く与えるのはそなた達に伴侶を探せる事ではない。若しそなた達は縁があって夫、妻を捜せば既に恋した。今まで待つ事ではない。そなた達は現世の運命は過去世に行って、得られたが、縁があれば既に発生した。今までまだ発生しないとはそなた達の運命はこのように決めた。その後リンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えて、徐々に五色旗を振って参列者を加持した。修法が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。今日の法会は修法が円満に終わった。また、引き続きに儀軌を進めて本尊に見送った。
リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。仏を学ぶのはまず布施を重視する。例えば、シーク教徒は常に食べ物を貧乏な人に布施する事と同じだ。そなた達は違う宗教の人にとって、そなた達が自分の神の教えに従って、引き続きに善を行って他人を助けた。
仏法は縁起を説かれた。仏教の源はインドである。釈迦牟尼仏は当年仏法を広めた時インド、ネパールの近く所から始まって、その後中国、チベット及び世界各地に広めた。今日リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット仏教のメンバーとして、インドに戻して法会を行なった。インド人、中国人、チベット人にとって、とても深遠な意義がある。
通訳の担当弟子が適当に通訳が出来なかったのでリンチェンドルジェ・リンポチェは思い切って自分が流暢な英語で直接信者に開示された:自分は高卒で、この弟子は嘗てアメリカの有名な大学で教育を受けて、基本的で英語がとても良いはずなのに、リンチェンドルジェ・リンポチェのようにはっきりして適切な方式で説明出来なくて、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの英語を聞き入れたか?参列者は頭を頷いて分かったと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて申されて、これは通訳の担当弟子が大変緊張で、彼は自分が一番良く出来ると望んだから。実は所謂一番良い標準がない。
一番大切のは集中であり、集中ですれば結構で、一番になるのを考えないで、世界中には一番良いものがない。仏を学ぶには一番重要のがし始めであり、一番良いまでするのを問うな。仏教は宗教ではなく、一つ高いレベルの教育で、別の宗教と同じではない。今日の法会はそなたをリンチェンドルジェ・リンポチェ或いは仏教に皈依させるのではなく、そなた達はそなた達が信仰する神様が全ての教えにより善行をし続ける。今日皆が法会に参加しに来たのは一つの縁起のであり、そなた達の未来に対して是非とても深い役に立つ。一番重要のは善行を作るのである。自分が善行すると思わないで、これ等の事をするのは自分のため、ある目的ではなく、いくらをしたか、どの程度までしたかなぜするか問うな。善行と呼吸と同じで、そなたが呼吸しなければ死になる。他人を助けるのは善行するためと思わずに、人を助けるのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日そなた達を覚えて、そなた達のため幸せを祈る。
今日の普巴金剛法会が出来るには地元の信者を除いて、またJ.P.Singh様の賛助、多くの財力を尽くして、及び台湾寶吉祥仏法センターの250名の弟子、特別に台湾より仏教の発祥地―インドに飛んで来て、多くのお金を使って、それに、ドラドンより四名のラマ僧が手伝いに来て、その上リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する必要だ。何も求めずにこれ等をして、ただ皆とこの土地に対して役に立つと望んだ。今日そなた達は法会に参加しに来るのが既にリンチェンドルジェ・リンポチェと縁を結んだ。皆はリンチェンドルジェ・リンポチェと関する仏法の事業が知りたければ、寶吉祥仏法センターのウェブ・サイトで、毎週リンチェンドルジェ・リンポチェが法会の中に開示された内容が見える。どの問題があるなら、ウェブ・サイトと結んだ電子メールを通じてリンチェンドルジェ・リンポチェにメールを書く事が出来る。
今回こんなに多くの人力、物質を尽くしたのは今日の法会によって、この土地と地元の人に全部元気で、平和共存をさせ出来るように希望した。山には山神、地母があり、なぜまた地震或いは戦争など災難があったか?それはそなた達が山を掘って、土地を破壊したから。土地の上に建築工事を行うなど地母に影響したので、地震があった。今日の法会は地母と山神に楽しませて、この地区の人にも安らかに暮らし、楽しく仕事をするのをさせ出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に何か仕返すものを求めなく、但し皆がこの一生に多く善行をするように望んだ。今日法会に参加したのは唯数百名が、皆は全部善行、良い人、良い行為がすれば、周囲の者に影響して、それに全世界のため平和を持って来させる。
法会が円満に終わった後、参加する弟子と信者は道を挟んで喜びと感恩の心によって、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りるのを恭しく見送った。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全ての随行弟子達とランチパーティーして、寶吉祥仏法センターの弟子達は上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、弟子にもう一度福報を蓄積するチャンスを賜った。北インドのヂャンチュウブリンより来た四名ラマ僧も招かれてランチパーティーに参加した。
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2011 年 12 月 06 日 更新