尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示
2011年10月16日
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、「勝義菩提心」を開示された。
法会が始まる前、ある女弟子は参列者にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を助けた経過を報告した。この女弟子は言われたが、リンチェンドルジェ・リンポチェがないと、彼女の家は既に無くなった。2002年に彼女の夫は顧客と話し合った時突然に倒れた。病院に着いた後、始めて激しい頭痛があって、引き続きに嘔吐していた。検査の結果は「くも膜下出血」に罹った。彼はICUに六日や七日間に泊まった後、脳部は再び出血して、昏迷状態に陥った。更にGCSは3点なので、医師は脳幹は全て損害されたと言われた。この状況であれば、再び甦る人がいない。奇跡があっても植物状態である。
彼女の夫は昏迷した日に友達の紹介を通して、彼女は姉と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは病院で患者を助けて加持した。彼女達はとても福報があるから、病院でリンチェンドルジェ・リンポチェに会えて、加持を得られた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に言って、彼女の夫は子供の時に、神を敬わないから、脳の腫瘍はあの頃に生じた。偶然にその夜彼女の夫は子供時代のクラスメートと幼なじみは病院に見舞いに来た。彼達は昔彼女の夫は他の二人の親友と常に土地公寺に遊びに行った。今は三人は既に往生した。他の二人は交通事故に遭って亡くなった。
彼女は「くも膜下出血」に罹れば、命を失う事を分からなかった。彼女は夫は再び動けない事を確定すると、心から始めて恐れて、焦った。それは当時彼女は子供が二人有って、一人は幼稚園年長組であり、他の一人はまだ腹にいて唯三ヶ月である。
彼女の夫は昏迷の間に彼女は毎日リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、リンチェンドルジェ・リンポチェに夫を助ける事を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で優しくて彼女に言った。「貴方の夫の債務は既に返済済みなので、彼はこの一生でとても苦しかったが、彼は離れると、彼に対して悪くない。貴方の子供は貴人があって彼女達を助ける。」更に彼女に指示して法会に参加すべきだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いた後、彼女は心がぱっと開けて、慌てた心はようやく落ち着いた。
彼女の夫は昏迷した第五日に彼女は順調に共修法会に参加した。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏語を聞いた後、彼女は宝物を得たように感じた。始めて挿管や気管切開はとても苦しいと分かった。全ての事は因果が有るが、眷属の往生は実は唯因縁の終わりだった。彼女は自分の夫に再び医療の苦しみを受けさせないと決めた。翌日彼を家へ移して、呼吸器を抜ける前に、看護婦は家族に何か言いたい事があるかどうかを聞いた。皆は彼に「安心して行って懸念しないでください。」と呼び出した。彼女はその場で他の人に泣く事を止めた以外、何もできなかった。唯リンチェンドルジェ・リンポチェに夫を済度できるように祈った。
当時リンチェンドルジェ・リンポチェは既に彼女の夫を助けて済度した以外、更に開示された。彼女の夫は言われたが、彼女が送ってくれた財布に磁気カードとパスワードがあった。幸いリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を得られて、そうしないと、往生した時まだ執着があれば、今後鼠やゴキブリになって財布を守るため離せない。
火葬した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは骨あげの人は亡者は生前に薬を飲んだかどうかを聞いた。彼女はないと返事した。彼はまた服の色に染められたかもしれないが、骨は緑色、ピンク色を焼かれた。その後彼女は始めて分かったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは夫を助けて殊勝なポワ法を修めた。夫の梵穴は暖かくて、体は柔らかくて、排便せず、骨は色彩に富んだなど現象は全てポワ法の円満瑞相である。彼女は自分の夫は何徳何能(美徳と能力が何もない)だが、殊勝なポワ法を得られた。リンチェンドルジェ・リンポチェは命を捨てて法を修めたが、亡者を済度する以外、亡者の累世冤親債主、傷付かれた衆生でも全て浄土に済度された。
当時彼女は子供達とも皈依せず、供養せず、身分や地位も無い。唯一般人だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは貴賤貧富を問わず、自分の命を捨てて衆生を救った。この大きい恩と大きい徳は報ぜず、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を開示されて、仏を学ぶのは恩返しである。彼女は自分は必ず仏を学ぶと言ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼女が皈依する事を同意した。皈依した後、上師の頼りが有って、仏法の薫陶が有って、債務を返済する機会があって、尚更に上師は生死を解脱して再び輪廻させない事を教えた。
彼女は出産する前の週に、彼女は胎児の体重不足なので、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。此れは彼女は悲しんだのせいだ。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝して、短い一週に胎児の体重は2000グラムから2900グラムになった。また、出産の過程は順調で母体は赤ちゃんとも無事だった。
出産後彼女は毎日頭痛で、8日目に相弟子よりお知らせ電話があった。リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に子供を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに加持させるとご指示なされた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に外出する時帽子を掛けると細かく言いつけた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに自分が毎日頭痛したのを報告するとリンチェンドルジェ・リンポチェは申された:「大丈夫で、麻酔剤が多過ぎた。」同時にリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で彼女を一目見て、その後彼女はもう頭痛しなくなった。
彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに絶えずの加持することを感恩し、彼女に数年続けて法会に参加して、仏法を聞く福報をあらせた。彼女は先生の往生したのも感謝し、その故で彼女がじめて仏を学ぶ因縁をあらせた。数年来彼女と子供は絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェのお世話と加持を受け賜った。彼女は日頃子供を良く教育しなくて、世話も良くしなくて、子供が不従順で、学校に問題があって、彼女が病気にかかって、仕事の方が難しい目にあって、心が慌てる時、上師の手は何時も出して彼女を助けて、上師の恩は生々世々返せないのである。実は彼女の子供の貴人は即ちリンチェンドルジェ・リンポチェと相弟子達であり、子供は皆が手伝って育ったから。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て申された、金剛相弟子は家族より親しいである。彼女は多い相弟子達に長期の関心と助けを感謝した。
これ以外、彼女も尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。上師が衆生に利益するのは時空を問わず、休憩時間さえもなくて、彼女は自らで良く改めなくて、本分がよく出来なくて、業力が目の前現れた時、また上師に加持を願って、上師の体力を費やして、上師が衆生に利益する時間を無駄にして、彼女はこの故で恥ずかしくて懺悔した。世界に各地の多くの寺院、道場、閉関センターは全部尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けと護持が必要で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての福報を皆にやって、自分が重荷を負った。彼女は自分が力を尽くして供養するべきと分かったが、かえって、上師に自分のお世話をさせて、このため懺悔した。
彼女は表れた、自分が上師に供養しなくて、挨拶もなくて、上師の衣食住行を関心しなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に六十何歳で、また稼ぎで多くの者を養って、退職が出来ない。上師は弟子の事に対して全部命を掛けて助けて、報わないが、誰でも上師に1本の命を欠けて、彼女が反省して自分が上師に対しての心は一体幾らを添えたか?それに深く懺悔した。
彼女もこの間長寿仏法会のを懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェが苦労して千人あまりを加持していて、彼女は独りよがりで敬い心をもって、彼女の番頂礼する時ぶつけなくて、もっと前に向かってぶつけようと思って、幸いに、先導の相弟子は彼女の手腕を強く掴んで、彼女は恥ずかしくてさっさと離れた。上師、仏菩薩の加持は絶える事がなく、今迄皆にも教えないのである。彼女は自分には清浄の心がなく、、法、福報に貪欲するのを懺悔した。
嘗て彼女は無数な衆生に害をした。幼い頃、彼女は何時も魚を掴んで太陽の下に乾して、特に大肚魚、彼女は大変人間性がないように彼らの腹を押し出した。これは彼女に現報を有らせて、帝王切開で2回子供を生んで、全部極めて痛かった。彼女は嘗て蟻を虐待して、電球で熱くさせて、彼らの足を抜いて、水で洗い落として、火で焼いて、また汗知らずを散らして彼らに滑らせた;彼女は嘗て市場で活け魚を買って、目でボスが金槌を持って、魚を死ぬまで打ったのを見た。彼女無数な陸、海、空の衆生を食べた、殺した事があって、残虐な心が起こると、彼女は彼らの痛みを体得しなかった。彼女は大変後悔して、自分の心はあんなに悪くて、それに深く懺悔した。
彼女は、自分は貪念、瞋念、悪口、嫉妬する心を常に起きて、彼女が他人に文句を言って、他人に責めて、我執が重くて、慈悲心が無いで、五戒十善がすべて遣り遂げる事が無かった、と表示した。『仏子行三十七頌』にて自分を点検する際に、毎日に遣り遂げない事があって、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示が一つが遣り遂げないなら、その日に仏弟子ではなくて、彼女もそのために懺悔した。
彼女は自分がした悪が虚空に置く事さえ出来なくて、18層地獄に堕ちても返さなくて、彼女が随時に死ぬはず者である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の為に、彼女に毎日に目覚めてから、余計な一日に生きていて、また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持なので、彼女に意外で死ぬ事を避けさせて、彼女に多くの時間とお金を節約させた。
世の中に多くの金持ちがいて、しかし内心はところが貧しかったで。しかし、全ての寶吉祥仏法センターの皈依弟子は最もお金持ちで、これは皆が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子の為に続けて因縁を作らせて、福報を累積させて、皆に仏を学んで時間があって弁済する事が出来させた。前回の法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示の通り、部屋の中にいる魚を綺麗になって、再び魚を着かんで帰って来てはいけなかった。上師は衆生に憐憫して、皆の心と行為に絶えず監督して点検させて、皆が再び輪廻苦海に堕ちる事を避けた。上師の恩は天により高くて、海により深くて、彼女が身口意にて上師の恩に供養する事を願って、その上、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの身体が健康し、法輪が常に転じて、常に世に止まる事を望んでいた。
それから、ある女の信者は参列者に発露して懺悔した。彼女は2007年の末に未婚して妊娠し、ただ一心にその時の彼に連れて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見したくて、が、上師に尊敬しなくて、その上、上師の前に怒って言い争って、上師が説く諭しを聞かなかった。それから、彼女は子供が脳水腫がある事を発見して、私利私欲なのに、上師に信心がなくて、因果を信じていないで、結局、殺生の考えを起こした。彼女は他人の異様な考えを恐れて、その上、彼女の家族も知らなくて、彼女が上師が信じていないで、最後、依然として、殺生して、彼女に傷害られた衆生如何に苦しむ事を完全に思わないで、また、多くの人々に傷害した。彼女は因果の恐れを信じてないで、自分がまた独りよがりな結果を受け入れる事が出来る事と思って、そのため、寶吉祥仏法センターに離した。
彼女は上師と彼女に傷つけさせる衆生に懺悔し、彼女が子供から人々に躾をしないで、ただ自分の意思をしたくて、その上、悪い言葉にて人々に罵った事があって、目上に尊敬しなくて、自分の母親にとても心配して悩ませて、その上、両親に盾突いた。彼女が成長してから、彼氏と付き合う事を家族に知らせないで、ただ嘘をついている事だけで、また、一回の妊娠が中絶した。彼女は無数な肉と海鮮を食べた事があって、その上、多くの蟻、蚊、ゴキブリ、ムカデ、ミミズを殺した事があった。彼女は会社で勤めて一心ではなくて、会社に損を得させて、その上、会社の品物を自分の品物を使って、同僚と友達をうわさを話して、他人に誤解させた。
彼女が皈依した後、仏を学ぶ心構えが間違って、他人に自分が仏を学んで菜食する事を恐れた。上師が説く内容は殆ど聞き入らないで、仏法テープも聞かないで、宿題も上手くしないで、法会に参加する事がただ加護を守って、衆生の為に考える事をしなかった。彼女は仏法を生活に使って自分の行為を改正しないで、供養をもったいないで、損をする事を受けないで、万事がただ自分だけを考えていて、自分の心を放縦して、だから、知るけれどもわざと殺生をする事をして、因果の恐れを信じていないで、上師と衆生への誓いを違反した。彼女は上師を利用し、上師に恭敬しなくて、上師の前に喧嘩し、上師に依止する事をしないで、上師に褒める事をしないで、仏法を尊敬する事をしなかった。彼女は違ってからまだ悔い改めることにわからないで、五戒、十善、『仏子行三十七頌』ということが一つでも遣り遂げる事がなくて、守るはず戒律が一つでも守らなかった。
リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲開示が無いならば、自分の問題がどこを知らないで、いま、具徳の上師に依止する事が如何に重要であるをやっと分かって、自分が自分の間違いを見えないので、自分が貪瞋痴がこのような重いことを知らないで、違っても直面して承認する勇気がないで、衆生の為に考える事が無かった。彼女は自分に傷害する衆生にとても謝って、彼らに苦しませて、一切が自分で作った悪なのにこのような結局がある事も信じていて、一切が自分の違いである。彼女は自分が作った一切な事を真にとても後悔し、悪を止めて善を行って、同じ違いを再び犯さないで、彼女は上師と衆生に祈って、彼女に再度弁済する機会を再び与えて、彼女が累世の習慣を直して、罪業を清浄して、輪廻を解脱して行った。最後、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に放さないで放棄しない事に再度感謝し、彼女に発露懺悔する事を与えた。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に登った後に、先週皆に「世俗諦」と「勝義諦」を開示されて、今日皆に「勝義菩提心」の修行する方法を開示する。
ガムポパ大師は「勝義菩提心を修習するため、総合的に、前世の修習、自分の今生の努力、上師の加持に入ることなど三つの要件を備えなければならない。」と開示される。
そなた達はなぜ勝義菩提心をやり遂げることができないのか。それはそなた達の前世修行した善根が十分かどうかと関係がある。自分が読経したり拜懺したり座禅を組んだりしているのは、仏を学ぶのや修行をしていると思わないでください。このような考えはすべて間違っている。そなた達は自ら膨張しやすくて、出家する者を含めて、皆は自分が仏法を多く聞けば、以後衆生を度することができると思っている。そなた達も仏法が学問だと思わないでください、仏法は学問ではなくて、そなた達が聞いたのは多ければ多いほど乱れていて、貢高我慢の心が発生するのである。
昨日ある信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来て、仏法の課程を学びたいと言った。仏法は学問ではなくて、今多くの者は仏法を学問として研究する。仏を学ぶのも授業を受けるのではなくて、経典には、仏を学ぶのが課程であるということに言及していなくて、ただ仏を学ぶのは次第にしなければならなくて、段取りをふんで実修すると仰った。尊勝なる直貢チェツァン法王は多くの上師がいるのを嘗て聞いたことがあり、自分もこのようにすることができると思わないでください。多くの修行者をは大勢の上師がいて、上師に様々な法門を学んでもらったが、そなた達はこのようにする条件がない。尊勝なる直貢チェツァン法王は何度も転世してくる大修行者であり、なぜ異なる上師に法を学ぶのか、それは衆生に利益するためである。そなた達にとって、聞くのが多ければ多いほどもっと乱れていて、同じくそなた達に貢高我慢させる。誇らしい人は慈悲を修め得ることができなくて、へりくだっていない人は永遠に慈悲心がない。
仏を学ぶ者はもし修行が悟りを開くためと思うならば、これも間違っていて、因縁が来ると自然に悟りを開いて、もしそなたの前世修行した功徳は足りないならば、この世も悟りを開くことはできなくて、たとえたくさんの灌頂を受けても、嘗て閉関したことがあっても、すべてはまだ未知数である。実行して修行していないのでさえあれば、方法がないので、行者は自己満足で、自分で十分だと思う心構えがあってはいけなくて、というのは、もしこのような心構えがあれば、もう清浄でなくなってしまい、、清浄な心は無所求の心である。最近一部の新しく皈依する弟子はせっかちにリンチェンドルジェ・リンポチェに多くの仏法の録音を聞きに求めたが、そして誰が皈依するとすぐ勤行修業をすると言うのか。そなた達が皈依した後に勤行修業をし始めて、いわゆる朝晩課をすると思っているが、このような観念は間違いである。そなた達が皈依した後、上師はそなた達の因縁により法を伝えて、急がないで、そなた達は法を求めに来ることができて、法を求めるのが衆生に利益して生死に解脱するため求めるはずであるが、しかし法を伝えるかどうかについて、リンチェンドルジェ・リンポチェが決定するのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェが以前皈依したばかりのところ、ただ教えたことを聞いて素直にして、顕教の上師に皈依する時、上師に法を伝授することを求めていないで、上師が教えた物事をすべてそのまま素直にした。尊勝なる直貢チェツァン法王に皈依する時にもこのようにして、尊勝なる直貢チェツァン法王は何を仰るとそのままして、これまで尊勝なる直貢チェツァン法王に法を伝えることを求めていない。、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に利益するために仏を学んでいると知っているから、その故絶えずに法を伝えて、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に利益することができるようにさせた。
ここを講じて、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏教文化交流協会の理事長に尋ねて、いつからリンチェンドルジェ・リンポチェの代弁者がいるのかと聞いた。理事長は誰もリンチェンドルジェ・リンポチェの代弁者ではないと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、最近ある女子弟子が勝手にリンチェンドルジェ・リンポチェの言ったらしい話を拡散したが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは一度も公然とこれらの内容を言ったことがないと開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの女子弟子に、自ら自分の耳でリンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたこれらを聞いたことがあるかどうかと尋ねた。この女子弟子は自分が観光バスで、あるガイドを担当する女子弟子がこう言ったのを聞いたのだと表した。ガイドを担当する女子弟子は、彼女が寶吉祥グループの内部会議でこれらの話を耳にしたと言った。
リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。ガイドを担当するこの女子弟子はこれが会社の内部会議の内容であることをはっきりと知っているのに、どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェの授権を得なくて自分が勝てに対外的に宣言したのか。ツアーに参加する女子弟子が耳にした後に引き続き広く宣伝して、完全に上師の教導を忘れてしまい、教派の事について、リンチェンドルジェ・リンポチェは言ってないことを引き続き広く宣伝してはいけない。更にガイドを担当するこの女子弟子は観光バスの上で公然と皆に教えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて開示されて、彼女たちのこのような行為はこれ見よがしで、威張ることを見せびらかして、リンチェンドルジェ・リンポチェの名号を使って他の人を抑えて名聞をねらって、他の人に彼女たちの身分が特別であり、誰も知らない事を知っているように感じさせる。そなた達は今そなた達にお金を供養する人がいないから、その故利養という問題がなくて、今犯しやすいのは名聞を求めるのである。
この二人の女子弟子がこのような事をしたのは、前世の善根が足りないからである。是非を言う戒律を犯して、団体の中でそそのかして悶着を起こさせるのは、このような種類の人である。ガイドの話を聞いた後に、あちこちに情報をを拡散した女子弟子について、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の供養を受け入れないことを開示されて、彼女も道場を護持する必要がなくて、青の道場ベストを着替えると開示された。ガイドを担当する女子弟子は、すぐ寶吉祥の赤い道場ベストを脱いで、法本を回収して、もう皈依弟子ではなくて、ただ法会に参加する信者となり、しかも道場の後方で座れと開示された。
リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したことがあるが、仏法と関係がある事でさえあれば、たとえやったら良いことだとを知っていても、必ず尊勝なる直貢チェツァン法王とやることができるかどうかを伺いを立てなければならない。しかしこの二人の女子弟子は勝手に話を取り次いで、ふだんリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いていなくて、努力して修行していないで、ようやくこのような問題が現れる。一部の事はまだ熟していないで、まだやる時間を要して、たとえ知ったとしても言い出すことができなくて、何故かと言うと、事がいつでもある程度変化する可能があるためである。たとえ1つの善事を行なっても、言い出したら、恐らく善の因縁を変化させるかもしれなくて、更にこれはリンチェンドルジェ・リンポチェは公然と言っていない事である。この二人の女子弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの名号を使っては皆と言って、自分が皆の知らない事を知っていると思っていて、このような考えがあるのは誇らしくて、誇らしい人は慈悲まで修行することができないのである。
昨日ある女子弟子は母親を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来て、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した後に、身の回りの仕える出家する弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を標準的な中国語でもう一回話してこの女子弟子の母親に聞かせるのを要したが、この女子弟子が出家の弟子の言った話を聞き終わった後に、すぐ大きな目を見張って出家の弟子を見ていて、私の母がこの意味ではないと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この出家の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示により言ったから、彼女の言ったことはリンチェンドルジェ・リンポチェが言ったのであり、この弟子は意外にも出家衆と口答えをして、それも上師と口答えをしたと同じだと開示された。上師にさえ大胆に口答えをして、彼女がこのように長年に皈依しもて、完全に加護を求めにきて、全然修行していない。もし彼女は修行しているならば、その時にはいかなるひと言を言わなかった。それ以外に、彼女は意外にも出家衆に対して目を見張って、出家衆を見くびるのではないか。出家衆が修行しているのは良いかどうか、そなた達と関係なくて、少なくとも彼らは1つの清浄戒めを守っていて、そなた達がやり遂げていなかったので、そなた達は彼らを尊重しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場にいる出家衆の弟子に、もし出家衆に対して尊重していないならば、どんな果報があるのかと聞いて、ある出家衆の弟子はお経には仰ったことがあり、三宝と出家衆に対して尊重しないと、死んだ後に地獄に堕ちる。この弟子のこのような行為は地獄に堕ちる因を犯して、リンチェンドルジェ・リンポチェはもちろん彼女を是正しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場でこの弟子の道場ベストと法本を回収することを開示された。
さっき出てくる懺悔した女性の信者は以前に皈依する弟子であり、彼女が前ボーイフレンドと付き合っている時、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て彼女にボーイフレンドと付き合わないでくださいを開示されたが、しかし彼女はその話を聞いてくれないだけではなくて、また彼氏を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに着て、リンチェンドルジェ・リンポチェが男友達に彼女をめとらせることを望んでいて、彼女の欲求を満足させるのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のボーイフレンドが仏陀を謗らせないため、どんな話も言わなかった。この女性の信者は リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の欲求を満足させることができなくて、怒って寶吉祥道場を離れた。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達が別にボーイフレンド或いはガール フレンドに交際することができないと言わなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を自分の子供にして、すでに彼女の未来がよくないのを見たから、やっと彼女にこの男と付き合わないでくださいように教えて、もしもしリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞き取れたら、事が無事に進んだ。しかし彼女は話を聞き取らないで、依然として彼と交際していて、結果は事を間違って、最後に2人はやはり別れた。
ちょうど顕教を学び始めたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは生活の中にいかなる問題があれば、すべて顕教の上師に伺って教えてもらったのである。尊勝なる直貢チェツァン法王に皈依した後に、生活の中にいかなる問題があったら、すべても直貢チェツァン法王に伺って教えてもらったのである。ただ上師だけはそなた達の唯一頼ることができる者である。どうしてすべては上師に教えてもらわなければならないか。上師がすべて我々によいためという事を信じるから、その故、上師がどのように言ったら、どのようにしなければならない。上師は私達がやらないよう要した事を決してやらなくて、上師から言いつけられた事について一生懸命にして必ずやり遂げなけれなならない。しかし、いつも上師の仰ったことはすべてそなた達の欲求と違い、そなた達の聞きやすい話ではなくて、上師はそなた達に生死に解脱するように助けるためであり、ところが、そなた達のやりたいのはそなた達に六道の中で輪廻させる。今回リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を連れてチベットに行く時、ある女子弟子は成都空港でリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく迎えることを知っているが、意外にも悪念を起こして、リンチェンドルジェ・リンポチェが体裁ばかり取り繕うと思っていて、これは上師のしたすべてが我々によいためということを信じない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いてもう一人の女子の弟子を厳しく責めて、リンチェンドルジェ・リンポチェが以前に言ったことがあって、道場のお金が十分であれば良くて、お金が多すぎるようにしないでください、お金が多くて、是非を発生しやすくて、、もし本当に需要があるならば、例えば大法会を催すことなど場合、公開に布達して、弟子達に護持させて、護持された金額も特定の目的のみ使用する。この女子弟子は上師の話を聞き入れていないで、自分で道場に新台幣50万元を護持した。嘗てある者は協会に新台幣100万元を寄付したことがあるが、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け入れないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは基金会を設立しないのは、誰かがマネー・ロンダリングを行うことを免れるためであり、そなた達が道場にお金を護持して、所得税と相殺することができるのである。もし皆はすべて税金を払わないならば、政府はどのように事をするのか。この女子弟子はこのようにして、彼女が上師の教えを聞こえていないことを代表し、自分の考えで自分のお金があってどのようにしても構わないと思っていて、分別心があって、上師を供養することをもやり遂げていない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女がこれからリンチェンドルジェ・リンポチェに供養し、道場を護持することができなく、リンチェンドルジェ・リンポチェに従ってインドに行って法会に参加する必要もないと開示された。
そなた達は多分、今日これらの弟子達が犯した欠点はすべて小さな問題であると思っているかもしれなく、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれらの問題が見れば、小さなことであり、実はとても深刻な問題であることを知っていて、上師と諸仏菩薩は衆生が三悪道に堕ち込むことを見たくないから、そのため衆生がいかなる三悪道に堕ち込む悪因にあったら、きっと阻止する。
ガムポパ大師は「私達は必ず『積資浄障』この2種類の修行する道を予定通り実行し実修しなければならない――「資糧を集積してしかも障害を浄化すること」を知っていて、この両者は実はきわめて重要である。」と開示される。
そなた達のすべての人は間違った事をしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔して許すことを求めたら良いと思っているが、しかし実は懺悔して事が決して消えて無くなるのではなくて、ただそなたに機会があって初めから始まるようにさせるだけ。善と悪は互いに相殺することができなくて、そなたが悪を犯した時に、悪の果報は依然として存在していて、そなたがやった善は悪よりかなり多いのでない限り、これらの善の力は、やっと悪報の力を抑えることができて、それが出現することを延びて、或いはそなたが善行をするのは極めて多いから、悪の力が起きないようにさせて、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのように修行してきたのである。そなた達の作った僅かな善は、悪の力を押さえることがあり得ないので、そなた達が小さな悪を一つも再犯することができないように教えた。福報を累積する最も速い方法は、上師を供養し恭敬することであり、供養が福報を累積して、恭敬が功徳を累積して、仏を学ぶ者は資糧を十分に累積してから、ようやく成仏するのと仏を学ぶ障害を浄化することができる。多くの者が仏を学んで障害があるのは、過去に十分な福報を累積していなかったためである。出家衆にかんしゃくを起こした女子弟子は、長年に皈依していたが、しかしただ加護だけを求めて、修行していないで、資糧をも累積していない。
多くの者は業障が好きでなくて、排斥して、業障が私達にとってよくない事であり、私達に貧困となり、苦を受け、或いは事が順調に進まないようにさせると思っているが、実は業障がただ悪のだけではなくて、善のもある。業障とはそなたの累世の身、口、意がした事が、1種の善と悪の力を発生して、そなたが仏を学ぶことに障害する。福徳資糧を累積するのは私達の仏を学ぶ障害を浄化するため、境界が現前するところ、私達の意識に影響を受けさせないようにする。業障を浄化するのは業障が無くなったのではなくて、業障の力がそなたが仏法を学ぶことに妨害しないで、そなたの清浄な本性が自然に現れてくることができる。資糧を累積すること及び障害を浄化するのはとても重要であり、お経には、もし資糧を早く累積しないと、障害を浄化することができないと言及される。十分な福徳資糧があって、往生する時にようやくリンチェンドルジェ・リンポチェの法名、法相と本尊が覚えていることができて、そなた達が修めたすべての福徳は、重点が往生する時に使うことができるのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェは業障があるか。はい、ある。2010年に、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に、自分が退職して修行に行くことができるかと伺って、しかし、尊勝なる直貢チェツァン法王は賛成しない。実は、そなた達の千数百名の弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェの障害である。もしかするとそなた達は、リンチェンドルジェ・リンポチェが一名の「リンポチェ」であるから、残って私達に助けてもっと多くの衆生に利益するべきだと思うかもしれないが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、リンポチェがただ1つの名称であり、衆生を度するに便利である。近代の衆生はもう、誰が本当に彼を助けるのを見分けることができるこの慧眼がないから。台湾で、仏寺、精舎、道場、センターが林立して、どこでもあるようで、たくさんのニュースは至る所広く伝わって、皆はもう見分ける方法がなかった。リンポチェというこの名称があって、これが1つの修行の果位だということを知っていて、衆生を度するのは比較的にしやすい。リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、リンポチェという肩書きはあまり重要ではなくて、浄土に行けるのも重要ではない。もし亡くなった後に、地獄まで地獄道の衆生を助けに行くことが出来るならばいい。
リンチェンドルジェ・リンポチェは経論を学んで始まったのではなくて、修行する方式は普通な人と違う。リンチェンドルジェ・リンポチェは先に実修してきたので、上師に伺った後、法本の中で自分が既にこの境界まで修め得たことを見た。今日開示されたこの3つの方法は、リンチェンドルジェ・リンポチェが以前にこの法本を見たことがなかった。ただ数年前、リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修行する時、自分が亡者に浄土まで行くように助けることができることを発見して、また亡者の最後の考えを知っていることができて、尊勝なる直貢チェツァン法王に伺いを立てた。尊勝なる直貢チェツァン法王はこう開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修めて成就を得て、及び亡者の考えを知っていることができる原因が3つある:1つは累世の善根、二つはこの一世に非常に精進すること、3つは上師と教派にとても忠実することなどである。ちょうどただ今言った法本の中でいわゆる勝義菩提心の3つの条件と同じようである。今日ガムポパ大師のこの開示を見てから、はじめて実は自分が数年前にとっくに勝義菩提心まで修めえたことが知っている。
リンチェンドルジェ・リンポチェの2年前に往生した仲良い友達は、彼が台湾で紫微斗数命理の分野でとても有名であり、今道場の参列者の中に多くの人も彼に運命判断をしてもらったことがある。彼はほとんど四大教派のすべての法王と大リンポチェに会ったことがあり、彼らと話をしたことがあり、これらの修行者の灌頂をも受けたことがあって、生前合計で2,000以上の灌頂を受けて、朝課、晩課をすることもあって、月曜日から金曜日まですべて台湾各地で法会に参加したが、しかし固定的に一名の上師に依止していなかった。彼は1つの40坪の小さな道場があって、人脈が広いため、台湾の有名な法師さえも彼が彼の小さな道場まで招くことができて、尊勝なる直貢チェツァン法王を除いて、各教派の法王と大リンポチェはすべて彼の道場に行ったことがある。
彼の関係のため、リンチェンドルジェ・リンポチェはようやく尊勝なる直貢チェツァン法王に会って皈依することができる。2009年にこの友達は北京で突然脳卒中になって、リンチェンドルジェ・リンポチェはお金を払って彼にSOS特別機に乗り台湾に帰って治療を受けさせて、ちょうどその時、尊勝なる直貢チェツァン法王が台湾にあるから、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ尊勝なる直貢チェツァン法王に、病院に行って彼を加持することができるかどうかと伺って、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェとの師弟の因縁がその人で起きたと思って、彼を加持に行くことを慈悲に承諾して、数日後、この友達が往生した。彼が病気にかかって入院している時、尊勝なる直貢チェツァン法王を除いて、その他の法王或いはリンポチェはすべて彼を助けて与えなかった。
リンチェンドルジェ・リンポチェのこの仲良い友達はどうしてこの様子になっかのか。第一は、固定的に一名の上師に依止していなかったから。彼は多くの法王とリンポチェに法を伝えてもらったが、しかし本当に一名の上師に依止していなくて、つまり、生々世々彼を配慮して成仏に至ることを承諾する上師が一人もない。第二は、死亡無常を修めていないから。彼は嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェに来世に再び来るかどうかと聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは人生が非常に苦しいから、もう来ないと表示したが、しかし彼は自分が今生多くやって、多くの福報を累積したから、来世再び来て遊びたいと表した。この僅かな考え違いのため、彼のやって得たのはすべて福徳になるようにさせて、累世の業と障害を転じることが出来なくて、彼は甚だしきに至ってはリンチェンドルジェ・リンポチェより4歳下である。
ガムポパ大師は、「我々の今生は本当に露、電などと同じように、脆弱で真実ではなくて、一瞬の間にすぐ死去して、いつ雲散霧消して、忽然と無くなるのか、実は決して一定ではない。そこで、今生の一時的な利楽について、我々がいずれにしてもについて心の底の深い所から、心からいわゆる需求がない固い誓いを発して、その後、更に世俗菩提心と勝義菩提心を修習して、これはまた極めて重要である。これより分かるのは、世俗菩提心を生起するため、このように無常を修習するのは極めて重要である。」と開示される:
尊勝なる直貢チェツァン法王は毎回仏法を開示する時、全て死亡と無常を言って、というのは、これが仏を学ぶのに対して最も重要であるから。リンチェンドルジェ・リンポチェはよく皆に開示して、「無常」がいつ来るか、なんとも言えなくて、あまり長く生きていないと思っている者は、きっと死ぬとは限らなくて、とても長く生きていると思う者は、突然死んでしまうかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェがいつも自分がとても長く生きていることはできなくて、いつでも死亡するかもと思っている。私達の生命は露水或いは電のように脆弱であり、終わる時間が一定ではない。どのように無常と死亡の観念に対して実行するのか。リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗てそなた達に教えたのは、毎晩眠る時、自分が死亡の過程に入って、翌日の朝起きてまた新しい生命が始まるのを考えなければならない。何故かと言うと、自分が明日目が覚めるとは限らないから、もし目が覚めなければ、今日は最後の一日なるのである。
リンチェンドルジェ・リンポチェは常におっしゃったとおり、自分は何時か死ぬかどうか分からないが、寝て目覚めないなら死んだかもしれない。この方式で毎日考えれば、徐々に自分に死亡の観念を受けさせて、死亡は真実であり存在している事を認めた。他の宗教は死亡を討論せず、仏法だけ死亡を討論する事を忌避する。自分はいつでも死ぬ事をはっきりに見て受けるのはそなたに消極的に生きる事ではなくて、尚更に積極的に毎日の生活をしっかりに過ごせる。仕事や出勤する時しっかりに行って、一秒でも自然に落ち着いた。落ち着くとはそなたの欲望は昔より少なくなるかどうか。そなたは自分を検討して、自分の生活は昔よりもっと落ち着くかどうか。心の中に雑念が無いなら、再びに間違い事を行わない。毎日の物事に向き合って、処理すべきなら処理して、間もなく行う事のため、混乱して不安しない。若しこの心を持たないなら、教えに従って奉じない。そなた達は現在しっかりに自分の心を制御しないが、ちっとも油断できない事をすべきだ。
常に死亡無常を考えなく、自分は人生の中に短い利楽を追求すると思えば、それは需要を求めない堅い願いを起さない。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて仏を学んだから、自分はリンポチェ果位を証した事を考えず、自分は衆生を利益する事も考えない。唯上師の教えに従って、尚更に完全に行った。此の世に少し成就があるのは「需要を求めない」を行ったから。「需要を求めない」は即ち清浄な心だ。そなた達は常に上師が説かれた事は仏経と少し違うと聞いて、上師が間違いだと思った。この考え方は需要がある心だ。チベット仏教はとても上師を重視するが、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達と違うが、直貢チェツァン法王は伝授した事は経典の内容と異なるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師が伝授した事を主とし、上師は正しいから。勿論上師も経典に書かれた条件を満たさなければ成らない。
リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王が必ず自分のため、考える事を分かって、完全に自分の考え方を持たない。上師が言われたら、行う。法本の中にある内容は書かれない。直貢チェツァン法王も嘗て開示されたが、あるリンポチェは同じな法本を持ったが、ある記載されない内容を知られない。密法の中に事部及び行部は大衆に伝授できたが、後の伝授になると、必ず一対一の伝授だ。なぜなら直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにこの内容を教えた。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは既にある果位を証した事を見るから。上師は能力が有って、多くの兆候から弟子の修行の段階を確認して、弟子は修行の間に相貌の変化などを含めた。此れは嘘ができない。どんな兆候から判断しただろう。そなた達は上師ではないから、聞く資格がない。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェを是正できると思わない。リンチェンドルジェ・リンポチェを是正できたのは直貢チェツァン法王しかいない。そなた達はこの資格がない。
此の世の命は露のように電のように偽物なので、とても滅びやすい。だから、心の中から需要を求めない堅い願いを起さなければ成らない。若し自分は発願して衆生を済度すると言われても全て求めがある。そなた達は発願しなければならないと言ったではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、釈迦牟尼仏は発願して浄土に往生すると説かれた。発願して衆生を済度する事を言わない。仏は間違い事を言っただろう。発願とはこのような心ではない。自分が能力があるかどうかをはっきりに分からないと出来ない。若し菩提心を修めなくて、自分さえ済度できないなら、発願して衆生を済度する事は唯自分を騙す。どんな考えても持たず、求めなくて、上師が言った事に従って行う。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て倒産して、皮膚癌に罹って、脊椎が曲がりなど障碍があったが、この障碍を浄化できたのは需要を求めないから。どのような誓いは堅い願いと言えるだろう。例えば、地蔵菩薩の願力は「地獄を空かないと成仏しない」である。或いはリンチェンドルジェ・リンポチェの願力は「衆生は成仏しないと、私は成仏しない」である。地獄は空く事が出来ないが、衆生も全て成仏事が出来ない。だから、意味はこの願力は永遠に滅ばない。
顕教を学んだ時我々は仏法に疑情を持つ事が出来る。仏経に説かれた事が間違いではなく、自分に聞いて、何故仏経に説かれた内容を行えない。しかし、そなたはチベット密法を学んだ時、疑情さえ持たれず、聞く事でも出来ない。。それは上師は清浄な心で仏法を伝授するから、そなたは疑問が有れば、心は雑念がある。唯上師は必ず正しいを分かればいい。そうすれば、早めに福徳資糧を累積できる。ある人は心は堅くない彼方此方に聞いて動いていた。若しそなたは前世で邪見邪念が無いなら、此の世に邪師に会えない。全ては自分の因果だ。
ガムポパ大師は開示されたが、修行者は世俗菩提心を起して、無常を習うべきだ。無常はいつでも来るから。最近とてもいい例が一つあった。先日ある男弟子は突然に亡くなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を助けてポワ法を修めて済度した時、彼が四件の事を懸念した事を分かった。母、娘の体が悪く、保険、自分の部屋を懸念した。完全にリンチェンドルジェ・リンポチェを考えず、六字大明呪でも思い出さなかった。此れは彼は長く皈依しても死亡無常を修めていない事を表した。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に皆を教えたが、臨終する前に上師、本尊、真言を覚えなければならない。彼は全然考えなかった。つまり、彼はこの数年間に守りを求めた。元々彼はポワ法を得る資格がないけど、幸い彼の妻は厳しくて、彼の側にリンチェンドルジェ・リンポチェを考えなさいと叫んだから、彼の神識はリンチェンドルジェ・リンポチェの前に来て、ポワ法の済度を得た。尚更にポワ法の最高境界紅白菩提まで修めた。即ち彼は既に六道輪廻を解脱して、浄土に済度された。
この男弟子は自分は唱えて、拝んで少し供養をしたと思った。また、道場のためにパソコンのソフトウェアを書いて、リンチェンドルジェ・リンポチェの会社を協力して、プログラムを書いたから、福報があるべき無事だと思った。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが繰り返して死亡無常の重要を開示した事を聞き込まないから、功徳を修められない。だから、自分の業を転じられない。
彼はアメリカにいるとき、嘗てある会社を協力して、賭博のソフトウェアを設計して、大金を稼いだ。この金で部屋を買って、妻と結婚して、子供を二人生んだ。彼は小さい供養をしたが、供養するのは残ったドルだ。新台湾ドルに両替した部分は全て隠して、自分の子供に残すつもりだ。此れも構わないが、彼の体調は長い間に悪かったのに、病院に行かなかった。一方怠けて、もう一方は金を惜しんだ。そなた達は現在常にこの欠点を犯して、病気に罹っても医師に診察されない。皆自分をリンチェンドルジェ・リンポチェに任せると言われた、可笑しいなのは何故自分の金と部屋をリンチェンドルジェ・リンポチェに渡せないだろうか。
リンチェンドルジェ・リンポチェは昔開示されたが、体は法器である。密宗から見ると、体は壇城であり、しっかりに維持しなければならない。そなた達にこの体を愛するわけではない。しかし、体がないと如何なる仏を修めた。直貢チェツァン法王は或いはリンチェンドルジェ・リンポチェは体調は少し悪くと、漢方薬を飲んで保養した。そなた達は言うまでも無いだろう。釈迦牟尼仏は昔病気に罹る時も薬を飲んだ。だから、体が悪いのは衆生を助けて業を背負ったのを言わない。元に言うと、若し修行者は功徳福報を修めると、体は自然に重病に罹らない。
ボランティアを担当して、少し福報を累積しただけ、如何なる自分の業力を転じるだろう。しかし、皈依弟子なので、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を自分の子供として見て、彼は間もなく輪廻する事を見たが、如何しても彼を助ける。彼の妻も皈依弟子であり、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの男弟子は死ぬと、父に死なれた母子を残す事を考えると、惻隠の情を起して、すぐ事務所にこの弟子を助けてポワ法を修めた。一般人は営業の場所で人を助けて法を修めないが、そなた達は見えたが、亡者に寺の中に留まらせて、仏殿に亡者を済度するわけではない。それは一般的には忌諱だから。しかし、寶吉祥道場の何回も亡者はその場で済度を得られた。
リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子を助けてポワ法を修めた時、始めて分かったが。この弟子は元々36歳に死んだはずだった。当時彼はアメリカで火蟻に噛まれて、嘗て一週間に意識を失った。彼も嘗て親しい兄弟子にこの事を話した。しかし、火蟻の毒素はまだ彼の心臓に残って、今回は爆発して、心筋梗塞が起こった。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で医師弟子に聞いて、毒素は心臓に残れるかどうか。西洋医の弟子ははっきりに分からないと言ったが、漢方医の弟子は確かに医学書から読んだ事があって、邪毒は体内に残って排出できない。漢方薬を飲む事を通して、徐々に排出できる。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアに漢方医は西洋医より素晴らしいらしいと言われた。
彼は往生した後、金を少し残した。しかし、家はこのせいで混乱していると思わなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に彼を助けて浄土に行ったけど、彼は生前に修行しないから浄土にいても相変わらず凡夫だ。だから、家族は金のために争った事に対して、分かった。この弟子は長く皈依したのに、今回突然に往生した。そなた達に長く皈依した弟子にとても大きいインパクトを与えた。そなた達は長く皈依しても往生した事を考えるが、実は誰でも往生できる。しかし、そなた達は彼を知り合ったから。通常に彼は道場に余り話さなくて、人に常に多いの物を背負って、子供を抱いているというイメージを与えた。女性の目から見ると、いい男だけど、男性の目から見ると、馬鹿な男だ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは今日彼の事を仏法の開示としてした。若し外の知らない人を話せれば、そなた達は何も感じなくて、唯聞いて確実に行わないかもしれない。彼の事を仏法の開示として、彼を助けて浄土で福報を累積できて、修行、成仏の時間を縮める。我々は彼を感謝しなければならない。彼の往生したから、そなた達にリンチェンドルジェ・リンポチェは開示された仏法を体得した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の死亡を呪った事ではなく、勘違いではない。唯ちょうどこの因縁が起こった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を助けてポワ法を修めた後、また彼の妻は今混乱した気持ちを考えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の性格を分かって、彼女は金を持っていない事も分かった。金は全て彼女の夫に隠れられた。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ十万元を出して、弟子に持たせて彼女に葬式のために使う。だから、彼女の心に落ち着いて、その後の事を処理できて、自分と子供を世話できる。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に迷惑を掛けて金を出したくないから、上師は自ら金をあげた。つまり、リンチェンドルジェ・リンポチェの子供になるのはとてもいい。ある上師は若し衆生の考え方及び需要を分からないと、彼達を助けられない。若しリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の夫を助けて、法を修めないなら、彼達は今金のために必ずもっと混乱した。そなた達はこのような厳しい上師に皈依したけど、そなた達は最も需要する時にリンチェンドルジェ・リンポチェは始めてそなた達に最も実質的な助けを与えた。
この男弟子は家の長男であり、妹が三人有った。彼の妹達はある寶吉祥の弟子に会って、恐喝に言ったが、若し彼女達は亡者の妻及び子供を見えないなら、法律訴える事をして、自分は弁護士であるからと言った。その場リンチェンドルジェ・リンポチェはこの往生した弟子の母、リンチェンドルジェ・リンポチェの皈依弟子に言って、帰ってから自分の娘に伝えて寶吉祥仏法センターの全ての人は彼女達の金を一銭でも要らない。彼女の息子は往生した時、嫁は慌てた。この弟子は彼女達を助けて、事情を処理した。彼女達は嫁に遺産を与えるかどうか彼女達の家事だ。しかし、人を虐めない。
亡者の妻もリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であり、若し亡者の妹達は彼女に不合理に対応して、法律の行為を超えれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ずすぐ現れて彼女を助ける。更に寶吉祥に数人の弟子も法律を勉強したから、同じに彼女を助ける。その場、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏法センターの理事長を指示して、若し協力して葬式を処理した弟子は訴えられたら、彼女は一人の事ではなくて、全ての訴訟費用は協会が払う。更にあの弟子は亡くなった時、リンチェンドルジェ・リンポチェは金を出して、彼の妻に葬式を行ったが、亡者の妹達は金を一銭でも出せず、協力もしなかった。
リンチェンドルジェ・リンポチェは強調して、この話を話したのは人が多ければ勢いも大きい事に頼る事ではなく、亡者の妹達に知らせて、金のために父に死なれた母子を虐めない。数年前にある弁護士はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の後ろは大勢な鬼衆が連れてきた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弁護士に最近間もなく訴訟をするかと聞いた。弁護士はあると返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を勧めて、この事件を受けない。それはこの家族の人はこの弁護士に依頼するのはこの家族の中に父に死なれた母子を虐めるつもりだ。また、後ろに連れた多くの鬼衆はこの家族の祖先であり、この家族の人は父に死なれた母子を虐める事を見たくない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弁護士に言って、この事件を受けない。この弁護士もリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞いて、この事件を受けなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示されたが、父に死なれた母子を虐める事は祖先でも見たくなく、道徳がない事だ。
リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子の母に指示して、帰ってからよく自分の娘に伝えた。彼女は夫を死んだばかりが、先に父に死なれた母子を慰めなくて、遺産を分配する事を討論するのはとても悪かったです。当初若しこの嫁が嫌いなら、娶らないほうがいい。彼女は元々体は悪くて、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、体調は徐々によくなって彼達の家に嫁があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは肯定的にこの嫁はいい女と認めたが、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であり、リンチェンドルジェ・リンポチェも彼女を自分の娘として世話した。この亡者もリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であり、リンチェンドルジェ・リンポチェも彼を自分の息子として世話した。この母親もリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であり、リンチェンドルジェ・リンポチェも同じで彼女を世話して、彼女の立場も考えた。現場にいる弟子達は聞いた後、心の中に非常にリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感謝して、多くの弟子は止らなくて涙が流れた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは優しくこの母親に言った。息子と娘は皆自分の子供であり、もはや悩んでいない。帰ってから、確実にリンチェンドルジェ・リンポチェが話した事を伝えて、若し彼女は相変わらず決められないなら、娘達にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁させてもいい。リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女達に離してもいい。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子に開示された。自分の子女はこのような言葉を言ったのは全て父母が子女を教育する問題だ。若し自分はこのような行為をしないと、このような子女を教育しない。
ガムポパ大師は開示されたが、「他には我々も『輪廻過患』を習う力を借りるべき、慈悲を習い。また、我々は私利を捨てるべき、力を尽くして、他人を利楽する輝き事業をする。若し覚悟して成仏したいなら、始める段階で我々はまず利楽有情の強い願力を発しなければならない。更に中間の段階で我々は利楽有情の輝き事業を修めるべき、最後、覚悟成仏した後、その時利楽有情の輝き事業以外、我々は他の事を行なえない。」
六波羅蜜を修めるのは六道輪廻を対治する。輪廻は一つの過患であり、一つの衆生の輪廻である。また、他の衆生を巻き込めて一緒に苦しみを受ける。共業の力はとても怖ろしい。毎日自分の行いや考えは六道の中にいるかどうかを注意しなければならない。うまく修めても瞋恚の心を起すと、地獄道に堕ちる。他人が経を唱える事は自分より下手だと感じれば、阿修羅道に行く。傲慢な人は自分が他人より持戒がいいと感じれば、天道に行く。業、因、果を信じないと、畜生道に行く。貪念が重いなら、餓鬼道に行く。輪廻過患に対して、真実に受ければ、慈悲を修められる。そなた達は六道を輪廻する苦しみを分かると、この苦しみを離れたい。全ての衆生は我々と同じでこの苦しみを受ける事を分かる。そなた達は衆生が六道を輪廻する苦しみを離れる事を望めば、慈心、悲心及び菩提心を習える。始めて一切自分を利益する考え方を捨てられて、自分の全部の命を尽くして、衆生を利益できる。そなた達は皆私利の考え方を捨てない。だから、先週に懺悔した弟子のように、お腹が空いてないのに、100元の弁当代を惜しんで、貪念を起すと、衆生の事をほっとして、常住の物を捨てた。
利楽有情は二つ部分を分ける。利楽有情の願いを発す事から始めて、利楽有情の輝き事業をするまで。此処に言われた楽は不生不死、永遠の楽である。そなた達は現在衆生を利益する能力が無いが、ガムポパ大師は開示された通りに、初段階で能力が無くて、果位を証しない前に願いしかいない。だから、衆生を利益する考え方を持つべきだ。そなた達は現在この最初の段階にいる。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を教えたが、焼香や花を供えるなど全て衆生を代表して、私利私欲の考え方を全て捨てて、次第に修行して、一歩一歩で行う。仏を学べば学ぶほど謙虚に成る。人に謙虚にならないと、慈悲心を学べない。慈悲心を学べないと、菩提心を学べない。菩提心がないと、衆生を利益して、生死を解脱する事が出来ない。
修行者は中段階に入ると、衆生を利益する輝き事業を修めなければならない。つまり、衆生を助けて、苦海を離れて彼岸まで済度して、衆生を助けて生死を解脱する。此れもリンチェンドルジェ・リンポチェは今にいる段階である。自分がいる段階を分かった後、確実に修めて、少しの感応があっても針小棒大にして、自分が能力があると思わない。一切の神通は究境ではない。修行者は最後の段階に入って、覚悟して成仏した後、衆生を利益する輝き事業以外、他の事を行う必要がない。仏の心も動ける。仏は動かないと思わない。衆生は仏の助けが必要であれば、仏は心を動いて彼達を助ける。しかし、他以外、仏の心は完全に動揺しない。仏果を証した後、もう心を動けなくて、行ったのは衆生を利益する事しかいない。即ち《金剛経》に説かれた:まさに住する所無くして而も其の心を生ずべし。中段階の時、生を利益する輝き事業はとても長い時間に続かないと出来ない。実は初段階から中段階まで多くの時間にかかる必要がある。何世の時間に経っても初段階にいるかもしれない。
中段階の時、衆生を助けて問題を解決できる。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者が最後の念を分かれて、亡者の神識が何処にいる事も分かれる。若しそなたはこの事を分かれないと、初段階にいる。ある時リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を接見したとき、必ず亡者の家族に先にリンチェンドルジェ・リンポチェはが亡者を助ける能力があるのを信じられると、因縁があって亡者を助けて済度できる。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に亡くなった家族は現在今の居場所を知らせた。例えば、ベッドの側或いはソファーにいるなどを拝謁した信衆に知らせた。
昨日リンチェンドルジェ・リンポチェがある信者の往生したお母さんのため加持した時、彼の母親の神識が鏡の前にいるのを見た。この者ははいと言った。彼の母親は生前非常にこの鏡に映すが好きで、一日に何回も映した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の家に行った事がなくて、さらに彼の母親が鏡に映すのが好きのを知らなくて、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲心と空性を修め得たので見られた。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは少し神通力を現れて家族の心を安定させ出来て、はじめてリンチェンドルジェ・リンポチェの話しを耳に入れる事が出来て、リンチェンドルジェ・リンポチェがこんな能力があって助けを与えるのを信じた。中段を修め得た行者は確かに亡者に助けを与える事が出来る。先日往生したばかりの弟子が例えとして、彼は本来浄土へ往生する因縁がなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の罣礙を知って、彼に助けを与えて、はじめて彼の功徳を直ちに蓄積させて、ポワ法での済度を受けるのが出来て、浄土へ往生した。
亡者の最後の考え、罣礙を知るのを修め得なければ、彼を済度するのが出来ない。法会する前分け合って弟子の夫の財布のように、上師が知らなければ、彼がこんな重い執着心によって、死んでからゴキブリか蟻になるはずで、彼の財布を守って離れたくなかった。
人が死んだ後、神識は生前好きな所に戻って、家で彼が一番よく滞在するところかもしれない。しかし必ず家に戻るとは限らなく、例えある弟子は何年前リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れた時、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子の往生した父親の神識が家の中にいなくて、一匹既に往生した犬を連れて彼の家に近くの公園の中にいるのを見た。リンチェンドルジェ・リンポチェはあのところへ行った事がなかったが、やはりあのところの情況を言い出して、家族もあれは亡者が生前やり好きな事と実証した。この弟子もこの事ではじめてリンチェンドルジェ・リンポチェを信じた。
往生した後招魂が必要と言う者がいたが、それとは限らない。亡者が死亡の瞬間に自分が死んだと分かって、まだ自分の業力に従って輪廻する前、自分が慣れたところに戻った。しかし、あの瞬間に彼は自分が死んだと思わなかったら、神識はそのまま彼が死んだ地点に滞在する。前、リンチェンドルジェ・リンポチェも嘗て新聞より警察が全て撮った二枚の交通事故の写真を見た。一枚目は犬がぶつかれて車の下に横になったのである。二枚目は犬が車の前に立ったのである。即ちこの犬はまだ自分がすでに死んだことを知らなくて、神識はまだあそこにいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自らもこんな情況があった。一回、リンチェンドルジェ・リンポチェは大変酷い交通事故があった。事故が発生した時、あの一瞬間に自分はある事が発生したとわかったが、何にかあったか分からなくて、只目の前に全く黒くて何にも見えなくて、空が暗くなったのではなく、これは即ち神識が肉体より離れた情況であった。
ガムポパ大師は申された:「以上色々を観ると、まず「死亡無常」を修めるべきで、次は「輪廻過患」、最後には慈、悲、菩提心によって、一心一意で成辦利樂有情の事、即ち「世俗菩提心」を習い、「勝義菩提心」を修習したければ、三つの要件を備える必要である:前世の修習、自分(今生)の努力、上師の加持に入る」努力とはいくら念仏、持呪などの宿題のではく、上師が教えた方法に従って絶えずに自分を検討して、自分の身、口、意を訂正するのである。
この三つの条件の中に、例えそなた達は前の二つが全部出来なくて、一番重要は三番目:「上師の加持に入る」リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て直貢チェツァン法王に伺った。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェはこの世に修め得たか?直貢チェツァン法王は開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは前世に修行があって、多くの善業を蓄積して、この世に努力して、損を食って、精進に仏を学んで、修行して、上師に対し忠誠して、それより上師と相応して、上師の加持を得るのが出来た。さもないと、今生はリンポチェの果位を修めえるのがとても容易ではない。
ガムポパ大師は開示された:「前世の修習がなければ、我等は今生この『七種善趣功徳』(種姓賢善、色身美妙、長寿、無病、具備善縁、富有財物、知恵較大)の揃えた人身を得ることが出来ない、それで『勝義菩提心』を修習する因縁がある者は必ず一人前世の業が既に各種善根資糧を繰る返して蓄積した熟修者である。」
一番目は種姓賢善である。種姓とは以前インドで階級種姓に分けて、しかし、現在此処で解釈する種姓賢善は階級の区別ではなく、仏を勉強するチャンスがある家庭に生まれるのである。前世良く修行して、善根が多ければ、今生は仏を勉強できる家庭に生まれ、仏を学ぶ父母があって、或いは父母がとても努力的に善行する家庭、子供は父母の善行に影響されて善行する。これ即ち家庭教育である。
リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の家族を例として挙げた。リンチェンドルジェ・リンポチェの曾祖父は蚕虫を養ったが、祖父以降全部文化の家庭で、祖父は科挙の殿試の第二席の合格者で、試験を通じて得たの、お金で買ったのではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの父親は官員で、非常に楽しんで人を助けて、自分の家庭には大変貧乏しても人を助けるため、自分のオーバーコートと靴を典当してお金を貰って、人を助ける。例え経済的に能力がなくでも他人のため色んな方法を考えようとした。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親も今までお喋り或いは文句を言わず、そなた達に有る女のように、夫が他の女との噂を聞くと騒ぐのをしない。それに母親は人に頼まれると、必ず完璧までする。
ある者は生前一口のお金をリンチェンドルジェ・リンポチェの母親に預けて、彼女の後事の手配を頼んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親はこの事を大変完璧に出来て、一つ銭とも自分のポケットに入荷しなかった。ある者はあの中から少し交通費として引き取って、これはまま結構だが。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は何にも取らなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは幼いより、こんな家庭で育てて、見たのは全部このような善の行為で、自然に聞きなれ見慣れることになって、人を助ける事が好きで、衆生を助ける。実は、子供が生まれてから教え始めるのではなく、妊娠の婦女は《地蔵経》を読む必要で、即ち一つの胎教で、お腹の胎児を教導する。しかしそなた達の家庭教育はどうだろう?幼いより、苛められないで、損を食わないで、自分を保護して、賢くて、用があれば早めに消えると教えた。このような教育で教導した子供はそなたがどう彼に善行をするだろう?
だから、そなた達の子供に無理に法会に参加させないで、彼らの好きにして、これもそなた達が出来たのである。そなた達が幼いよりこんな家庭の中に生活をしたため、現在そなた達に供養布施をさせると誰でも命を取られるように、大変苦しんで惜しんだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは小さい頃から父母親が努力で人を助けるのを見た。それで自然に自分の利益を問わず衆生を助ける。そなたは累世に多くの善を作れば、召し寄せた子供は割合に従順で、父母親が努力で善行したため、リンチェンドルジェ・リンポチェのような子供を呼び寄せて投胎する。
二番目は色身美妙である。色身美妙とは1人の体つきがとても良いのではなく、すごく綺麗ともなく、他人の目つきを引きつけたやすいのである。そなたは一つの団体の中に、他人に特に自分の存在を注意させなければ、即ち良く修めなかった。仏には32相、80随好があり、修行して得たの、美容整形したのでない。リンチェンドルジェ・リンポチェは面相を仰らない、ある者が整形しに行かせないため。
三番目は長寿だ。長寿とは短寿で亡くなることをしないのである。以前西蔵人は平均齢は割合に短くて、50才すぎると長寿である。四番目は無病だ。無病とは直せない病にかかることをしない。一般的な小さい病気は言えない。
五つ目は具備善縁である(善縁を備える)。所謂善縁を備えるとは、例え、あの頃、リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教の法師に皈依した時、わざと願ったのではなく、因縁があって顕教の法師を見た、自発的に皈依と願ってしまった。リンチェンドルジェ・リンポチェは友人に誘われて直貢チェツァン法王に面会を申し入れた時、実は、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのつもりではなかった。それは、あの時顕教が一般的に密宗に対して過ち見解があって、リンチェンドルジェ・リンポチェもあの見方を信じたから。もともと只一口のお金を供養しようと思ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェの友人は度々堅持的に、標準語が出来る直貢チェツァン法王に面会を申し入れると誘ったので、リンチェンドルジェ・リンポチェははじめて承諾した。
尊勝な直貢チェツァン法王ははじめてリンチェンドルジェ・リンポチェを見た時、自分が使っている念珠の一端をリンチェンドルジェ・リンポチェに持たさせて、自分が他端を持って、持呪加持し始めて、あの時、リンチェンドルジェ・リンポチェは一つの暖流がお体の中に流れ込んだと感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェは願わなかったが、直貢チェツァン法王は自然にこの動作をやってしまって、これこそ善縁を備えたのである。これら数年間リンチェンドルジェ・リンポチェも今まで直貢チェツァン法王がもう一人にこんな動作をしたのを見たことがない。また、リンチェンドルジェ・リンポチェははじめてテンジン・ニンマ・リンポチェに伺った時、テンジン・ニンマ・リンポチェは何も言わずに主動的にリンチェンドルジェ・リンポチェの髪の毛を切って、皈依弟子として受け取った。或いは、リンチェンドルジェ・リンポチェがユンカ・リンポチェを見ると願いもしなくて、ユンカ・リンポチェは主動的に秘密な灌頂を伝えた。これらは再々現れた、リンチェンドルジェ・リンポチェが過去世に修めた。だからこれら善縁が自然に現れた。そなた達のように長く願いしても求め得るとは限らないのではない。そなた達は善縁があるか?有る!そなた達は寶吉祥仏法センターに皈依して、つまり過去世にも少しの善縁があって、しかし悪縁がやはり一層多かった。そなた達の善縁が足りないので1人終日ずっと叱る上師に皈依した。しかし、叱っても、罰をしても、人を追い払っても、問題にあったとやはりそなた達を助ける。
直貢チェツァン法王は八つ世を転生した法王で、今生この世に来て、一切やはり始めから勉強する必要だ。しかし累世の善縁がとても深くて厚いので、仏を学び、他の勉強の速さは極めて速くて、勉強すると身につけた。
六番目は富有財物である(財物に富む)。仏を学んで修行するには財物が必要で、そなたは前世に供養布施して、今生そなたが始めて財がある。財とは只お金ではなく、物質も含んだ。善趣を備えた者には、多くの良い物はすごく奇妙で自然に現れて、欠けない。直貢チェツァン法王は嘗て仰った。自分が一足の靴下が欲しいとの考えが起きると不思議にある者が十足あまり贈った。最近ある者がリンチェンドルジェ・リンポチェに大変良いお茶をくれて、レストランの者さえ飲んだら美味しいと思った。しかし今生の財物は過去世に修め得たと言っても仕事をしなくても良いとは言えない。そなたはやはりそなたの責任を尽くさなければならない、真面目で仕事をする必要だ。但し、ずっとお金をもうけるのを考えばかりで、ひいては不正当な方法でお金をもうけるのを考えるな。
この間ある者がリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて、彼の会社の商売が良くなるように願った。リンチェンドルジェ・リンポチェはある時助けるある時助けない。この会社はいつも安定的に正当な商売をして、それにこの人がとても努力して、善良で、将来も良くなれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の会社を助ける。彼を助けるのではなく、彼の会社の社員を助けるのである。そうでなければリンチェンドルジェ・リンポチェは助けない。リンチェンドルジェ・リンポチェの会社はあんなに多くて、そなた達の考えにより、毎日事務室で財神法を修めるべきだ。しかしそうではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎年只一回道場で弟子を引き連れて財神法を修める。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の累世の全て布施供養したのが自分にもうけさせると信じたから。
今生全て得たのは全部前世がやったのである。今生が全て作ったのは全部来世いのためだ。この一生そなたはまだ貧困であれば、即ち過去世に供養布施するのを惜しんだから。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて申された、ある医者弟子は嘗てSARSにかかって、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の命を救った。彼は株、基金を問わず、買って全部埋め合わせた。それはこれはもともと彼のお金ではなく、彼は1人既に死んだ者べきだから。是非リンチェンドルジェ・リンポチェにもっともうけてはじめて供養すると言わないで、現在リンチェンドルジェ・リンポチェはもう彼の供養を受け取らない。今日多くの弟子のように、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らの供養を受け取らない。
七番目は「智恵較大」である。これは上師がなんにを仰るとすぐ自分の考えが有らずにするとの現われだ。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに何時か閉関するべきと指示した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは承諾しかしなかった。そなた達ならばきっとまた考えて、或いはまた見てみて、ある疑問を提出した。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ承知して、なにも聞かず、求めず、只上師が仰った通りに従ってして、全て私に対して是非良くて全く上師に信じた。
この七種善趣を備えた者こそ暇満人身である。そなた達は自分に聞いてこの七つ条件に合致したか、なければ従順にする。そなた達はこれらの条件が出来なければ少なくとも上師に依止するべきだ。依とは上師に頼って、止とは自分の考えで上師を見るのをやめるのである。
ガムポパ大師が申された:「其の外に、自分が今生努力したことがなくて、怠けて懈怠の道に流れれば、聖者の道へ得ることが出来ない。上師の加持の流れに入らなければ、我等はどの功徳でも増えなく、最後も必ず両手が空きっぱなしで、最後まで返って何も得ない。例えしばらく少しの福徳がおきても、あの福徳も「抽刀断水」(刀を抜いて水を斬る」する時、水面の上に現れた断紋のである。
ある者は自分が毎日念仏、持呪、座禅、拝懺をして努力と思ってそうではない。努力とは上師が全て伝えた仏法を分秒で日常生活の中に運用するのである。怠けて懈怠すれば修め得ない。怠け実は不従順だ。上師の加持に入らなければ、どの功徳もない。加持はそなたの清浄な心を現れさせて、そなたに福報を蓄積させるのではなく、そなたが障碍に影響されないのを出来させる。上師の加持力はそなたの目の前に見た只この一人ではなく、諸仏菩薩及び全部伝承教派歴代の上師のである。我等は上師を離れる事が出来なくて、上師に依止して、即ち全く上師に頼って、自分の考えを止めて、上師の身、口、意を全く受け取って、はじめて全て伝承上師と仏の加持を獲ることが出来て、功徳がはじめて増えた。
直貢チェツァン法王が下記のように開示された事があった。そなたは上師を仏菩薩とすれば、仏菩薩の加持を得た。そなたは上師を凡夫とすれば、凡夫の加持を得た。そなたは上師の行為が問題がある事と思ったら、上師が問題がある事ではなくて、そなたの心が問題があった。直貢チェツァン法王も自分の私的な事があって、リンチェンドルジェ・リンポチェは例え見ても、聞いても、知っても尋ねる事をしなくて、それが直貢チェツァン法王の私的な事わけである。そなた達の私的な事と同じように、リンチェンドルジェ・リンポチェは尋ねた事が無いで、そなたの家が如何に乱しても、リンチェンドルジェ・リンポチェも気にしないで、それはそなたの私的な事である。しかし、ただ仏法に関する事であれば、絶対に気にして、皆が間違う道を歩ませなかった。
そなた達は、今日処罰られた一部の弟子が犯す間違いがそんなに大変である事と思っていたかもしれなかった。しかし、万事は全て小さい事から始まったので、仏法により、彼らがとても大変な間違いを犯した。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェと一緒にいると絶対に仏法を説く事と思ってはいけなくて、師徒の二人といる際に多くの事を言った。一部の信衆は出家師父を見たら仏法に関する事をすっと尋ねて、出家師父が疲れるかどうかを気にしなかった。
一部の人々は皈依した後に、色々な事が順調になるのようで、それからまた様々な事が来て、これが福徳を修めるが功徳を修めなかった。福徳を具えるけれども、そなたのこの世の業力を回す事が出来なくて、刀を使って水を止めるのように、水がまだ同じように流れていた。水はそなた達の煩悩と輪廻で、絶えず回していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てずっと皆に気付かせて、梁武帝が仏法の為に多くの事をして、このように多くの仏寺を築いて、『梁皇宝懺』も彼のわけであった。が、彼は達摩祖師に会った時に、彼が「自分はこのように多くをして、功徳があるかどうか」を依然として尋ねた。これを尋ねてから、功徳が福徳になって、この世に累積する福徳が転業できなくて、最後、梁武帝が餓死したのである。
ただ功徳だけで転業することが出来て、功徳を修める者であれば、尋ねる事をしなかった。梁武帝は上師の教導が無いで、功徳を修める事が無いで、例え達摩祖師のような大師が現れても、上師に依止しないで、自分が既に多くの事をして上手く修める事と思っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェのその往生した友達のように、福徳を修めて功徳を修め無かったので、自分の業力を回す事が出来なかった。また、彼はある上師に依止して仏を学ぶ事が無いで、彼方此方に聞いて、ただ上師に利用し、上師が伝法するはずだと思っていた。
往生したばかりこの弟子は皈依以来のこの間にただ福徳を修めて、上師が説く諭しを聞かないで、ただ上師が彼に「こんなにけちで如何にお嫁さんを得るか」を罵る事を彼が聞き入れた。これらの年以来、彼は最も大きな満足がお嫁さんをもらえて、二人の子供を生まれて、ここに来る事が加護を求めた。彼は11万回の大礼拝が既に完了し、毎日に朝課、晩課もしていると思って、実はこれらは全て福徳を修めた。また、数年前にネパールに居た時、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェと一緒にある事を相談し、その時、その男弟子がそばにいて、直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェの談話を聞いて、台湾に帰ってから聞いた内容を他人に話した。あれは明らかに直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェの間の談話で、この弟子に聞かせる事ではなくて、もし真にこの弟子に聞かせるならば、彼に呼んで側に一緒に聞く事をして、然し、その時にそのようにする事をしないで、彼に聞くのではないのを表した。
リンチェンドルジェ・リンポチェは上師である事を言わなくて、ただ普通な目上が会話しても、そなたが盗み聞きをするのが礼儀正しくなくて、耳にしても聞かない事に成らなければならなくて、言わない事をするべきである。先、話したばかりリンチェンドルジェ・リンポチェが公布しない事を彼方此方に言うその二人の弟子のように、自分が他人が知らない事を知るのを顕彰し、他人により凄い事が好きである。この弟子は自分が間違う事が知らなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼に公的な罵った事があって、彼が罵った事があったら十分であると思って、公的な懺悔した事が無くて、結局、この業力がずっと残っていた。
この往生の弟子はポワ法を得た後で、顔色がより白くなって、生前により更に美しかった。何故このように成っただろうか。これは彼の業が既に一掃して、だから、顔色が普段そんなに黒い事にしなかった。ポワ法はただお経を唱えて、いくつの音を出してポワ法を修めてあげる事と思ってはいけなくて、彼の業と一緒に明らめないなら彼に助けられなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の奥さんに彼の顔色を尋ねて、奥さんが「そうです。彼の顔色が普段により白くなった」と表示した。
例えば、先週脳卒中になった弟子は10年前に一回で脳卒中になって、10年後にまた一回来て、何故でしょうか?これは福徳を修めて功徳を修めないわけである。この数年間で道場でボランティアを務めて、少しの福報を累積して、然し、福報を転業できなくて、だから、果報がやはり発生した。死が近づく時懺悔心を起きて、トイレを抱いてリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔しないなら、彼がとっくに死んだ。懺悔心を起こるので、修める少しの福徳をすぐに功徳になって、彼の業力を転じられて、上師が彼の命を助けられた。仏経に記載されたのは、臨終になる前に懺悔心を起きれば地獄道に堕ちない事が出来る。これより分かるのは心の変化がとても微かで、だから、上師に依止しなければならなかった。未来この数年間、この弟子は彼の奥さんに苦労して世話しなければならなくて、彼の奥さんも心から望んで仕方が無いのである。
寶吉祥仏法センターのこの道場はとても特別で、多くの事を発生し、そなた達に仏法の示現に見させた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれらの人々の例をそなた達に教えて、そなた達がストーリになって聞いてはいけなくて、それらが他人の事で自分と関係がないと思ってはいけなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが説く例は一部が反面の教材で、然し、彼らが菩薩のようにそなた達にこれらがそなた達も犯す錯誤であるのを話した。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く開示されて、弟子が生きていて或いは死んでも加持していて、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェが去っても、全て加持していて、弟子達がリンチェンドルジェ・リンポチェが父のような世話に深く感謝した。
ガムポパ大師は「若し上師がいないなら辺境がない。舟が櫂を使う者がいないのように、これにより彼岸に到着する事が出来ない。上師がいないならば、それでは、我々は『三有』輪廻の辺境を尽くす事が出来ない。これは船頭がいない舟のように、これにより我々が彼岸(涅槃)に到着する事を望まない」と開示された。
もし上師がいないならば、船頭がいない舟のように、彼岸に到着する事が出来なかった。上師がいないならば、我々も輪廻を離れる事も出来なかった。六相慧能が逃げるように、五祖は河辺で船を用意し、自ら舟をこいで六相に川を渡る事を送った。六相は上師が自分の為に船を漕ぐ事を如何にすると思って、受け入れなかった。五祖は「迷う時に上師から済度し、悟る説きに、自分による」と説いた。この意味は、我々が悟らない場合に、同じように上師の教導に依止し、間違う道に行けなかった。悟りを修めれ得れば、自分が生死を解脱する事把握があったら、自分で自分によるのである。
皈依してから、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを絶えず試練して観察していた。直貢チェツァン法王もリンチェンドルジェ・リンポチェがお茶を入れた事が無いを知って、ある年、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王にお茶を入れて、直貢チェツァン法王が飲んでから「まずい」と仰って、その上、多くの人々の前に仰って、師徒の二人にいる事だけではなくて、が、リンチェンドルジェ・リンポチェがその場で何も説明をしなくて、すぐに台所に帰って、他人にお茶を入れる事を尋ねて、再びお茶を入れた。そなた達であれば、必ず言い訳を見付けて、責任を逃れて、自分が何故お茶を入れる事が出来ないのを説明した。それから明らかにリンチェンドルジェ・リンポチェが上師への恭敬心が完全に遣り遂げた。
ガムポパ大師は「これにより、我々は『前世の修行』を備えるべきで、同時に、更に『自分が努力してしっかり修める』を持って、その上、『資格を具える上師に依止する』が要って、この三者、つまり秘密な真言の道を尽くす誓言である。だから、このような誓言に対して、そなた達は力を尽くして守るはずである」と開示された。
「師長の教えについて、ただ表面の言葉だけで分かって、ただ単独でこの理解によって、同様にどれだけ大きな利益を持って来る事が有り得なくて、ただオウムの口真似をする。知らなければならなくて、我々の大恩の上師達に、彼らも実修を通して、(注目させる)成就を貰えた。だから、我々は上師(及びその実修)に対して敬慕して恭敬な思いを起こって、また、この敬慕と恭敬により、自分の身と心を加持する。その後、如法で実修する上師の教導により、そして、様々な成就の徴候を現す事が出来る」
皆の知る通り、オウムが人に口真似をして、然し、話の中に気持ちが無かった。そなた達は上師の仏法の教導を聞いてから、しっかり修めなくて、生活に使わないで、それも表面の理解で、そなた達に生死を解脱して助ける事が出来なかった。
上師に敬慕と恭敬の思いを起こるのは、『普門品』を説くのように、観世音菩薩を常に思って唱えるのである。「常」とは永遠で、つまり全ての思いは敬慕と恭敬の思いである。敬慕とは絶えず上師が衆生に利益する功徳を思っていて、恭敬とは一心一意で依止するのである。直貢チェツァン法王はずっとリンチェンドルジェ・リンポチェに観察し、リンチェンドルジェ・リンポチェが境界を修め出ないなら、直貢チェツァン法王が伝法する事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に完全な恭敬で、心が変った事がないで、嘗てがないで、いまも無いで、未来も変らないで、その上、完全な言う事を聞いて、自分の如何なる考えがない言う事を聞くのである。
直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェリンポチェは一年の間に何回で会えなくて、常にしゃべる事が出来た。然し、師徒の間にはずっと考えていて、心が緊密な繋がっていた、偶に、直貢チェツァン法王は何かご用件があったら、リンチェンドルジェ・リンポチェも急に直貢チェツァン法王に連絡したいのである。偶に、リンチェンドルジェ・リンポチェは何か事柄があったら、直貢チェツァン法王も急に電話が来た。何故このように出来るのでしょうか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に完全な言う事を聞いて恭敬するのである。
ガムポパ大師は「ナロバ尊者はディロバ上師に12年間で依止するように、ディロバ大師は直接にナロバ尊者に何か教導を伝授しなくて、けれども、彼が上師への敬慕と恭敬により、その上、目上の言い付けにより、教法に従ってしっかり実行し、最後、様々な成就象徴を表れた」と開示された。だから、具相の上師と具器の弟子は二人が因縁により会えて、それでは、瞬間で自分が一切な(内証の)功徳を成就して行った。
そなた達は下記のように言うかもしれない。前に言及した7種の善趣の中に財産を具える事で、ミラレバ尊者の家で嘗てお金持ちで、然し、ディロバ、ナロバ尊者がお金持ちではなくて、何故彼らが修め得られるのでしょうか?これは彼らは上師に百パーセントの恭敬で、言う事を聞いたわけである。ナロバはディロバに従う12年の暮らしがとても苦労し、ディロバがナロバに多くの法門を教えた事ではなくて、彼にそなた達が思う不合理な行為をさせた。彼に断崖を跳ばせて、彼が跳んで、彼に盗ませて彼が盗んで、彼に女に無礼させて女に無礼し、結局、人々に死ぬ程打って、多くの苦労を受けた。現代でそなた達にこのようにさせるならば、そなた達はこの上師が気が狂うと思って、全部離れた。何故ナロバはディロバにこのように恭敬できるのでしょうか?これは累世の善根を備えるわけで、だから、心の中に上師の一切が私に良い事を信じていて、少しの懐疑も無いで、完全に恭敬で教法によりして、自ずから功徳と成就を修め出た。
上師に敬慕と恭敬の気持ちにより、ある具相の上師とは生死を解脱する事が出来てその上衆生に生死を解脱する事を助けられる上師で、ある具器の弟子とは、累世善根の弟子を具えて、因縁に会える瞬間で、一切な功徳が成就する事が出来た。上師がいないならば成就することが出来なくて、そなた達は六相慧能がある者が『金剛経』を唱える事を聞いたので見性する事を言った。然し、五祖により心法を伝えてからしっかり修める後、開悟する事が出来始めた。当年、釈迦牟尼仏は花をつまんで微笑んで、多くの弟子達の中に、ただ大迦葉尊者が見ると悟りを開いた。これは因縁に会えるので自ずから形成するのである。
今日、開示した仏法はとても重要で、そなた達は聞いてもぼんやりしているかもしれないし、しかし、そなた達に絶対に助けがあった。死亡無常、輪廻過患、慈心と悲心と菩提心を起こし、ある上師に依止して景仰し、これらは修行の次第で、つまり基本の工夫である。最も重要な基礎がしっかりあったら、修行が進歩する事が出来た。これらは全てカンポパ大師が開示された修行の次第で、法本の中に見えて、リンチェンドルジェ・リンポチェが説く事ではなかった。昨日、そなた達はある直貢噶舉の女の出家衆がリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来た。多年前に、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した事があって、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の考えが多くて、性格を改正しなくて、彼女に暫く来させなくて、家に自分が良く考えていた。結局、彼女は直貢チェツァン法王に自分が出家したいと泣いて言って、直貢チェツァン法王は彼女にある機会を与えて、彼女に出家させられた。然し、直貢チェツァン法王は彼女に教えなかった。教派の中に多くの目上ラマ僧も彼女に教えて、彼女の上師がリンチェンドルジェ・リンポチェで、然し、彼女は自分が直貢チェツァン法王に既に皈依したと思っていた。彼女も多くのリンポチェに謁見し、法会に参加し、灌頂を受けたけれども、問題が依然として多くのである。
彼女は閉関し、灌頂し、その上、大手印の教導を聞いた事があって、然し、大手印の修行が完全に少しの成果を修める事が無かった。これは何故でしょうか?大手印を修める階段で、上師相応法は上師の加持に入る事が 要って、もし、上師の加持に入らないなら如何なる功徳を増える事が出来なかった。2007年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに連れてラチ雪山に閉関した時に、彼女も行きたいと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「死ぬ事が恐れないなら、来よう」と説いた。今回の閉関は中階段を修めえる行者は行け始めた。そなた達の参列の皆はまだ始めの階段で、出家すると初めの階段を跳び越す事が出来ると思ってはいけなくて、始め階段の有情に利楽する事を遣り遂げないなら、根器をしっかりある事をしないなら、直接中階段から開始する事と思ってはいけなかった。その上、彼女もある上師に依止する事が無いで、数年で経て、彼女の問題がまだ解決しなかった。
リンチェンドルジェ・リンポチェはある出家衆が領眾の身分で、教衆の身分ではない事を罵った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に他の弟子に六字大明咒を教導する事を許さなかった。もし彼女は他の弟子が六字大明咒を乱れていて唱える事と感じていて、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの事を報告するはずで、彼らに摂心をしなければならなくて、リンチェンドルジェ。リンポチェが唱える方式を学ぶ事を勝手に教えるのではなかった。もし彼女は入定で唱える事が出来るならば、他の人も入定して唱えられて、他の人が連れて唱えないのがこの出家衆の自身が定我無いわけである。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに連れて真言を唱える理由がリンチェンドルジェ・リンポチェのわけではなくて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェの定力なのでそなた達に唱えさせた。
そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの音、呼吸を学んだ事が無くて、直貢チェツァン法王の真言を唱える声とリンチェンドルジェ・リンポチェのが異なった。毎週の土曜日に、リンチェンドルジェ・リンポチェが信衆を接見する時に、側にリンチェンドルジェ・リンポチェに仕える事が出来るので、自分が異なると感じて、高慢な考えを起こって、リンチェンドルジェ・リンポチェにより他人を抑える事と思ってはいけなかった。その二人は少しの事を聞いて彼方此方に他人に話すことも同じ錯誤を犯して、そなた達もすべてこのようにする事が出来た。この出家衆はもう一度間違いを犯すならば、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に離させて、他のところへ行くのである。
今日の開示は修行に対するとても重要で、仏を学ぶ事がとても生活化でとても活発で、教条主義ではなくて、いま、そなた達はこの条件があって「勝義菩提心」を修める事が出来なくて、ただ言う事を聞いてそのまま従う事が十分である。それからの内容は禅定の境界で、今日の時間が足りないので暫く開示しなかった。法席に降りる前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会の前に懺悔した女衆が信者の身元で法会に参加する事が出来るのを慈悲深く開示された。
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2011 年 11 月 07 日 更新