尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本「地蔵王菩薩法会」を円満に主法終了
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは2013年8月16日に、日本の京都寶吉祥仏法センターに於いて、殊勝なるチベット仏教直貢噶舉派「地蔵王菩薩法会」を主催されました。この法は密部の行部及び事部を含み、加持力は極めて殊勝です。
参列者は日本、スペインと台湾の信者20人、日本と台湾の弟子121人計141人で法会は殊勝かつ円満に終了しました。
法会の始まる前に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、観音法門を初めて日本の弟子に伝授なさいました。法会の当日は晴天で、ただ幾許かの雲が太陽を暫し遮っていましたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが伝法し始められると、幾條かの陽光が雲間から突如射し込んで、まばゆい光を放ち、八方を広く照らし、その情景は非常に殊勝でした。この瑞相が現れましたのは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する「地蔵王菩薩法会」は清浄な仏法で一切衆生を利益して、衆生に苦を離れ楽を得る事を助けます。
午後4時30分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に登られ、自ら殊勝なる地蔵王菩薩法会を主催なさり、並びに法会の大衆に尊き仏法の開示をなさいました。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはまず地蔵王菩薩名号の意義を解釈します。「地」は、地獄を示すわけではなく、大地を指し、地蔵王菩薩は大地と同じく多くの衆生を包含し、養育します。「蔵」は地下の宝蔵ではなくて、一人一人の衆生にはすべて御仏の無二無別の清浄な仏性があることを指すことです。
「王」というのは、地蔵王菩薩が地獄の王を受け持っているわけではなく、地蔵王菩薩の功徳及び願力「地獄が空にならずんば成仏しない事を誓う」について、地蔵王菩薩の功徳と願力の最大、慈悲の最大、不可思議なる最も殊勝なることを指します。地蔵王菩薩は八大菩薩の一人であり、八大菩薩は既に成仏して、衆生を救済して、苦海を離れるために何回も菩薩の姿が現れて衆生を済度します。日本では、火葬場、墓地でさえあればどこでも多くの地蔵王菩薩の彫像が見られ、当地の亡霊を済度できると思いますが、実は地蔵王菩薩に恭しく合掌して供養するなら、只自分の僅かばかりの福報を累積するだけで、亡霊達を済度することはできないです。
リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて因果及び発心の重要性を開示されました。《地蔵菩薩本願経》には特別に、因果はどのようにしてできたかを開示してあり、地球の衆生の種々の罪と業で一番重いものは、生命の殺害であるとしています。釈迦牟尼仏は多くの経典の中で、世間に戦争、疾病、意外、不慮の事故が絶えないのは、すべて殺業と肉食のためであると説いておられます。
日本人の長年の個性は改めにくく、だから今日はリンチェンドルジェ・リンポチェが皆さんのために修法をして、百年前の日本の僧の願力を根拠に、その願力を延続し再び発揚し、そなた達と地蔵王菩薩とが非常に深い縁を結ぶようにして、地蔵王菩薩を覚えれば、生前に小悪を行なって地獄に堕ちる因果あっても臨終の時に真の懺悔心を起して、地蔵王菩薩を念じると、地蔵王菩薩の助けを得て悪道に堕ちないようにすることができるようにします。
法本の中に、修法前に法会の大衆は、上師と諸仏菩薩に対して頂礼をすること、上師は仏法を学ぶ者にとって非常に重要であると説いています。法本では初めから皆発心するべきだと教えますが、これは菩提心を発することで、衆生を益する心を発願します。法会に参加する者は真誠なる極恭敬の心を持つべきです。「真」は完全に何も求めないのを、「誠」は誠実で懇切な心を指します。「極恭敬」は完全なる恭敬を指し、自分の考えは無いです。それは恭敬であって始めて供養あり、供養があって、始めて福報が累積され、福報があって、始めて仏法の助けと利益を受ける事ができます。一番大切な事は上師に対する信心です。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる地蔵王菩薩の法門の修持を始められました。先ず、皆の身、口、意を清浄にして、地蔵王菩薩と無二無別である事を修めます。続いて、参列者に三回の皈依発心文を念じるように導き、日本語の翻訳者には法本中の日本語翻訳を念じるように特別指示なさり、並びに日本の信者及び弟子に復誦するように指示されました。念じている過程で、リンチェンドルジェ・リンポチェは、法会参加者に、恭敬心でこの文を念じるように再三注意を促しました。また、この法は金剛亥母が瑜伽部と無上瑜伽部の本尊を代表して自ら伝えた法であり、そこで加持力は特別強くて、特別に殊勝であり、無数の衆生を益することができることを開示されました。
続いて、ハタを献上する儀軌を進行し、入場の時に抽選を行って日本とスペインの信者の代表が、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上するのを、出家弟子が引率しました。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な密法を修めるだけではなく、上師に祈って、殊勝な密法の観想を賜り、誠に恭敬で感謝の心を具えるべきと教導しました。更に法本の重点を詳しく説明しました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは次に開示されました。弟子達が密法を聴く時には、心が散乱していてはならないです。そうすれば、仏法のお助けを受ける事ができます。地蔵王菩薩法を修める所は、必ず清浄な土地と家屋でなければならないと言っています。清浄というのは、清潔の程度ではなく、法を修める土地は屠殺、殺人、売春などが行われたことのない、或いはレストラン、’監獄、火葬場等ではなかった場所を指します。京都の寶吉祥仏法センターの所在地は清浄の地であり、歴史上の記載では、清朝の時に皇帝が大使をこの地に派遣しており、そこでこの土地は歴史的にも非常に清浄です。修法者は二つの事をしなければならないです。一つは清浄な心で発心し、名利のために修法してはならず、そうすれば一切の善の行為は、清浄なる勝義菩提心で衆生を助けることができます。二つ目は4種類の加持で一切有情衆生を益することです。法本には修法者は空性を悟らなければならない、しかも禅定を修めるには、三摩地の境地に進入してはじめてこの法を修める事ができると書いてあります。法会に参加する人は静かで定まった心を持つべきです。まだ多くの衆生が仏法の助けを必要としていることを考えて、清浄なる菩提心を起こし、衆生が輪廻の苦痛から離れる事を願うべきです。法本に非常に大切な意味を含んだ言葉があり、修法者は出定後に、慈悲の眼差しをもって、悟りを開かないで、成仏しない一切の衆生を見るべきです。修行者の目には分別はなく、絶えず自分の功徳を衆生に与えて助けようとしている事です。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、地蔵王菩薩の法門の修持を始め、並びに法本の中の重点を開示されました。ます、出家弟子が皆を引率して壇城に向い、右足を地に着けて跪き、両手で花を捧げ、地蔵王菩薩がこの地にご来臨なさるよう恭しく祈りました。続いて、ハタを捧げる儀軌で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが儀式軌跡を修持なさった後、出家弟子がハタを地蔵王菩薩像タンカ上方に掛けた、修法過程で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる地蔵王菩薩真言を口伝なさいました。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる真言を口伝なさった後、経文の開示で、もともとみんなで《地蔵菩薩本願経》を念誦するはずでしたが、念誦には2時間かかり、現代人は忙しく、特に日本人はみんな忙しくしているので、リンチェンドルジェ・リンポチェが簡単に経文の大切な所を開示するとおっしゃいました。
この時、一人の日本人が経文を捲っていたので、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは捲るのを止めるように注意し、この信者の動作を叱責されて、上師がまだ話さないのに開いて、経文には何が書かれているかを好奇心で知ろうとする事は、仏法に対して非常に敬仰心がないです。密法ではすべての法本と経文は、上師の許しがなければ、開いて見る事もしてはならないです。そなた達が小学生の時に、初めての授業で、先生がまだ教科書を開けなさいとも言わないのに、自分で勝手に開けて見たかどうか思い出してみなさい。きっと先生が本を開いてみなさいと言ってから開いたでしょう。仏の前では、そなた達は小学生にも如かない、自分は字を知っているから、仏教の内容を理解できるとは思わないでください。仏法は学問ではない、仏経もそうです。好奇心や研究心、心態を知ろうという気持を抱かないように。リンチェンドルジェ・リンポチェは、世間の一般の人とは異なり、仏法に対して敬仰心のない人、仏法に関する話に違反する人であれば、すぐ口に出して相手を制止します。これはリンチェンドルジェ・リンポチェのためではなく、相手のためなのです。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは今から皆は経文を開いて、どの頁を見てもよいと指示しました。リンチェンドルジェ・リンポチェが経典中の一品ごとのポイントを簡単に紹介します。そなた達がどの頁を開けようと、リンチェンドルジェ・リンポチェが説法する時にはすべて加持があることです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェははまず《地蔵菩薩本願経》の来源を開示します。釈迦牟尼仏が忉利天(とうりてん)の母親のために説法して、母親が輪廻生死を解脱する助けをするために、地蔵王菩薩を紹介しました。釈迦牟尼仏が忉利天(とうりてん)の母親のために説法した折に、多くの聖衆、菩薩と竜天護法みんなが聴きにやって来ました。釈迦牟尼仏は地蔵王菩薩の功徳と願力、累世の修行過程、並びに因果業報に対してはっきり開示なさいました。天道に生れたら大変よいことだとは思わないでください。天道には多くの享受できる事があるが、最後はやはり輪廻に堕ち、三悪道に堕ちる可能性もありますから。
《地蔵菩薩本願経》に、釈迦牟尼仏は、未来世に善男善女が居ると説いていますが、ここで言うのは十善法を修めた善男善女で、慈善団体に寄付した人のことではない。十善法は次の10件の事をしない事であり、それは、殺生、偸盗(他人の物を盗む、著作権無視のDVDを製作販売するなどを含む)、邪淫、悪口、両舌、綺語、妄語を言うこと、貪念を起こす、他人を恨み怒る、そして因果の不信です。
もし十善法を修めた男女であれば、地蔵王菩薩の名号を聴きさえすれば、讃嘆、頂礼、供養でき、地蔵王菩薩の仏像、描いたもの、彫刻したもの、泥塑で地蔵王菩薩の像を造るという人の果報は必ずや100世を三十三天(忉利天)に往生でき、しかも臨終の時に地蔵王菩薩の像を想えば、永遠に三悪道(地獄、餓鬼、畜生道)に堕ちません。このような修行方式は、顕教の範囲で、最も簡単な修行方式であり、もし密法であれば、そなた達にはできません。だからまだ肉食、魚食をしている人は十善法は修められなく、善男善女ではありません。死後念仏を唱えてもらえば浄土へ往生できるとは考えないでください。仏菩薩、上師の教えを聴き入れないものは、いくら拝んでも役に立たないです。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に《地蔵菩薩本願経》に、全ての品の要点を開示されてて、《地蔵菩薩本願経》の真実義をはっきり説かれて、参列者に仏を学ぶ知恵及び資糧を累積させて、六道一切衆生に広大無辺の清浄法益を得られます。
リンチェンドルジェ・リンポチェは次に開示されました。忉利天(とうりてん)宮神通品第一:経の中に書かれているが、地蔵王菩薩がある一世で当時在世の仏が非常に荘厳な相をしているので、仏にどうしてこのような相を得ることができるのですかと聞きました。
仏は、生々世々、身、口、意で、一切の苦しみを受けている衆生を益し済度してこそ、仏と同じ荘厳な相になれるのだと開示されました。地蔵王菩薩はそこで、大願力を発し、方便法門で、輪廻に苦しむ一切衆生の解脱を永遠に助ける事を発願しました。経文に、地蔵王菩薩はある一世でバラモンの女性に生まれました。つまり貴族の家の女性に生れた事ですが、彼女の母親が邪見を持ち、三宝を軽視していました。嘗ては三宝に敬仰心を持っていましたが、後に不信、軽視したので、その結果死後地獄へ堕ちました。だからさっきリンチェンドルジェ・リンポチェが日本の信者を叱責して、彼が仏経を手で捲るのを阻止したのは、このような行為は三宝を軽視することになるからです。
分身集会品第二:この一品は地蔵王菩薩は多くの分身があると説いています。
観衆生業縁品第三:この一品は、衆生の種々の業縁は、地球の衆生が異なる事をして異なる応報を得て、どのような業を造ればどのような果報があるかを説いています。その中で、地獄は男女、老少、種族、貴賎、竜、天、鬼等の衆を問わず、悪を行いさえすれば、同じようにその果報に応じて地獄へ堕ちると言っています。みんな誤解しないように、地獄は仏菩薩が、衆生を懲罰するために創造したのではなく、衆生自身がやった事が招く境地です。
閻浮衆生業感品第四:この一品の中には一つの重点があり、特に地蔵王菩薩は、ある一世で女性でしたが、食物を僧衆に供養して、一人の阿羅漢に出会いました。地蔵王菩薩は自分の母親が死後何処へ行ったかを知らず、この阿羅漢に尋ねました。阿羅漢は、あなたの母親は生前何をしていたのかと尋ね、地獄で大変な苦しみを受けていると言いました。地蔵王菩薩は、阿羅漢に、自分の母親は魚やスッポン、海鮮類の卵を好んで食べ、生前は炒めたり、煮たり、焼いたりどれだけの卵を食べたかわからないと答えました。日本人も海鮮が好きで、特に海鮮の卵が好きなのと同じです。地蔵王菩薩は自分の母親のために、広く仏事を行い、母親はやっと地獄から離れる事ができ、人道となりましたが、下賤の家に生まれ、他人の奴婢になり、しかも短命で、13歳で死にました。さきほど言ったように、最も重い業は殺業であり、そなた達がよく病気したり、意外が発生したり、心臓病、糖尿病、癌などになるのは、殺業が重いことに関係がありますから。
この一品にはまた、殺生すると短命の宿業を受けると書いてあります。他人の物を盗むと、貧苦の業報があり、邪淫の者--男性としては、もし強姦や薬物などでの姦淫、泥酔させての姦淫、未成年者、他人の妻、他人の世話になったいる女性と関係が生じるのを、邪淫と言います。女性にとっては、男性から生活費を貰ったり、プレゼントを貰ったりしながらも、ほかの男性と関係が生じたら、邪淫であり、その果報は子宮或いは腎臓面に疾病ができ、老い易く、次の一世ではスズメ、ハト、或いはオシドリになる可能性があります。悪口は、いつも他人を罵り、自分の家族と喧嘩したり闘争したり裁判沙汰を起こします。他人を誹謗する人は、以後舌がないか、または口内に瘡ができます。いつも瞋恚を起こす人の果報は、非常に醜くなるか、身体障害になる。吝嗇は、布施をほとんどしない人で、その果報は求めても願いが叶わず、求める物が得られず、何をしてもよくないです。飲食無度者、つまり大食いをして、節制しない人の果報は、飢渇或いは喉頭面の病気になります。猟、釣り、動物を罠で捕まえるのが好きな人の果報は、錯乱死します、つまり精神狂乱になって死ぬという果報です。父母に逆らう、親不孝者の果報は、天地災殺報、天地災殺というのは、大雨、水害、地震、火災等で死ぬという果報です。もう一つ重要なのは、三宝を誹謗する人で、その果報は将来、盲聾唖者になり、見えない、聞こえない、或いは話ができなくなります。
地獄名号第五:この一品は数数の地獄を紹介していて、経文に、衆生は自分で造った悪業のために、地獄へ堕ちて苦しみを受けるが、その時にはたとえ親子の間柄でも、苦しみを代る事はできないと出ています。やっても構わないだろう、只ちょっとした事だけだから大丈夫だろう、またはやってからにしても構わないだろうとは思わないでください。今もまだ嘘を言って騙す人は、経典では耕舌地獄が出てくるが、嘘を言う人は耕舌地獄へ堕ち、牛が引く犂で、そなた達の舌を耕すのだ。殊に自分に恩のある人、例えば自分の両親を騙すような人は、ちょっと騙してもどういう事はないだろうと思っています。彼等は一回ぐらい構わないと思っています。多くの人が電話が掛かっても話したくなかったら、電話を切ってしまいます。受信停止或いは電話に出ないで、受信状態が悪かったからなどと言い訳をします。彼等は一回ぐらい構わないだろうと思っていますが、これもすべて嘘を言って人を騙す中に入ります。
如来讃嘆品第六:この一品には、もし女性が自分はとても醜い、或いは病気が多いと思うなら、地蔵王菩薩の像の前で、敬仰心を持って頂礼しさえすれば、将来は相貌円満になり、百千万億生の中で、常に国王の娘に生まれますか、貴族、富貴の人の娘に生まれ、その容貌も端正であり、一切円満になると説いています。
利益存亡品第七:この一品は、家族がどのようにして家の亡者を助けるかを教導しています。家の中の誰かが往生する前に、その人に、肉のスープ、魚のスープなどの肉食を食べさせてはならない、或いは鬼神に求めてはならないです。このようにするのは亡者に対して非常に悪いです。この他に、経典には、決して肉食の食物で亡者を祭ってはならない、この様にすると亡者の業力を増加させる事になると書いています。
閻魔王衆讃嘆品第八:リンチェンドルジェ・リンポチェは、日本人が閻魔王を祭る習慣があるのを見て、日本人は閻魔王に対して敬仰心を持ち合掌し、献花供養しさえすれば、閻魔王はその人を早死にさせないで、彼を探しにはこないと思っていますが、この種の観念は正確だとは言えないです。経典には、もし閻魔王のご加護をもらいたいなら、家族は必ず善を行い、仏号或いは菩薩の名号を念誦するべきで、それをする人は、鬼、魔、竜等が来て危害を加えない、ひいては鬼王、神祇までも敬ってくれて、そなたを保護してくれます。この一品の重点は、家族で誰かが臨終の時に、家族はその人の福報を累積する手伝いをするべきで、大供養を設けて手伝う事ができます。大供養をするのは、お金を出して職業としている人に念じてもらうのではなく、もし因縁がなくて亡者を手伝ってくれる善智識が探せなかったら、家の肉親が自分で亡者のために念じれば助けになる、というのは肉親は亡者の心に一番懇切であるからです。
称仏名号品第九:この一品は異なる仏号を念じて、得られる種々の利益を説いています。
校量布施功徳縁品第十:この一品は異なる布施で得られる種々の利益を説いています。布施を行う功徳は一切の衆生に迴向することで、衆生が菩提を悟ることを願うものであり、只自分の家族だけを迴向するのではないです。
地神護法品第十一:地神は私達にとってとても重要で、経典には堅牢地神と書いてある。土石流、地震、山崩れ等が発生するのは、実はすべて地神と関係があります。もしそなた達が農業耕作、演芸あるいは建築業に従事しているなら、地神を祭るべきです。ある日本人が建築業に従事して、自分は以前リンチェンドルジェ・リンポチェが主催した地蔵王法会に参加した事があるので、一回だけ参加すればそれでいいと思って、今日は参加していないですが、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼自身に関係ある開示をするとは思ってもいなかったでしょう。だから、法会がありさえすれば、皆どのような参加の機会も放棄するべきではなく、自分は参加した事があるとか、後程また参加しますなど言わないでください。実は、毎回の法会でリンチェンドルジェ・リンポチェは新らしいものを皆に与えていますから。
そなた達が自分で本経を読むなら、ただ文字に書いてある通りを読むだけで、非常に簡単だと思うでしょうが、もしリンチェンドルジェ・リンポチェがこの本の仏経を説けば、少なくとも1ヶ月から3ヶ月の時間が必要で、それでやっと仔細までを語れますから。もしそなた達が《地蔵菩薩本願経》の細かい部分まで学びたいなら、よくよくリンチェンドルジェ・リンポチェに祈り求めて、地蔵王菩薩に祈り求めるのではない、というのは地蔵王菩薩はそなた達とは話をなさらず、あなた方も地蔵王菩薩を見ることは出来ませんから。
見聞利益品第十二:この一品はそなたが地蔵王菩薩の像を目にすることができ、或いは地蔵王菩薩の名号を聞いて、得られる利益を説いています。ここにはまた、衣食が不足し、疾病が多く、衰亡一途の人がいるなら、つまり、わけもなく良くない事が起こり続けて、衰退の坂を下り落ちる、或いは家宅の不安、つまり家庭内が不安定で、いつも事が生じ、家族は分散し、睡眠中までうなされるようなら、地蔵王菩薩をしっかり修め、敬仰心を持てば、これらの不如意な事は次第に消滅して、衣食は豊富に、睡眠中も悉く安楽になってきます。
嘱累人天品第十三:この一品は特別に地球の衆生の事を説いており、地球の衆生は個性が定まらず、何事も欲しがり、悪を造る習慣があり、悪を行う人が多く、少しの善心が起きても、すぐに退き、消えてしまうが、悪縁に出遭うと、悪念は増長しやすいです。リンチェンドルジェ・リンポチェが例を挙げると、ある人が禁煙をしようとしていて、周囲の友達は彼の禁煙を知っているのに、タバコを一本ぐらい構わないと勧める人がいるが、このような人等はその誘いを受けるとすぐ一本また一本と中毒してしまいます。これが悪行が蔓延るのはかなり簡単で、思うごとに増長しますから。
最後に、善男善女が地蔵王菩薩の像を見て、《地蔵菩薩本願経》を聴いたなら、或いは経典を読経し、線香、花、飲食物を捧げ、衣服や珍しい布を供養し、地蔵王菩薩を讃嘆、参拝すれば、28種の利益を得ることができると説いています。経典に説いている事は嘘ではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは《地蔵菩薩本願経》に説いている通りにやり、そこで多くの利益を得ました。手を打ち、お金を投げて仏菩薩の助けがあると思わないでください。法会に参加して、帰ってからやはり続けて肉食、殺生をしているなら、仏菩薩の助けを得られると思いますか。
《地蔵菩薩本願経》の要点を開示なさった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは十分間の休憩にした後に引き続き修法すると指示しました。また参列者に貴重な仏法開示を与えました。
法本の中の最後の一段は、皆が仏法を学ぶ縁を延続し、そなた達の煩悩、邪見、飢餓、流行病、戦争、懶惰、猶予、忘却を減少させ、そなた達の善業を阻害する一切から遠のく助けになる。猶予というのは、まだ考えてみるから待ってください、現在仏法を学ぶかどうか、何かをし終わってから仏法を学ぼう等々と言うことです。また忘却というのは、そなた達がよく言う「忘れた」「覚えていない」「知りません、誰も言わなかった」等で、そなた達の修行の善業を妨げます、ちょうどそなた達が法会に参加するとき、まだ自分の店の事がある、家にする事があるというようなもので、これらの妨げがあるから、法会に来る事ができないと、多くの人はこのように言い訳をします。このような人は、今日この法を修めて、地蔵王菩薩がそなた達に今後そのような理由を無くさせてくださり、修行する善業を阻害する一切から遠ざけて、仏法を学ぶ決心を堅くさせるようにと希望します。
修法が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは特別に慈悲に開示されました。今日のリンチェンドルジェ・リンポチェの修法は、チベットでは本来一日中修めますが、皆忙しいので、リンチェンドルジェ・リンポチェは比較的早く修法しましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の時に法本のなかの内容を減少させてはいないです。今日の修法は、皆に地蔵王菩薩の身、口、意の功徳を得られるようにしましたが、以後はそなた達自身がやって継続して累積してゆきます。《地蔵菩薩本願経》の中にはまだたくさんのことが説かれていて、どのようにして家庭内の病人を助けるか、妊娠過程での変化、及び妊娠前後になすべき事、などが含まれるが、今日は時間がないので、開示しません。もしそなた達が地蔵王菩薩の法と経典を学びたかったら、またリンチェンドルジェ・リンポチェの伝法を求めなさい。
今後そなた達が地蔵王菩薩の像を見たら、恭しく頂礼するべきで、頂礼することができなければ、少なくとも心中で「南無地蔵王菩薩」と黙念しなさい。そなた達が地蔵王菩薩を非常に信心してさえいれば、地蔵王菩薩は生々世々そなたの世話をしてくれるといますが、顕教の説法です。密法から言えば、最大の敬仰心で、完全に上師に頼り、上師に地蔵王菩薩の法門を伝えてもらい、並びに修行を深めるように心から願ってこそ、地蔵王菩薩の身、口、意の利益と加持がえられます。今日は8月16日で、京都では大文字祭りの伝統的な習俗があり、今日の法会は、チベットと中国と日本の習俗を結合したものとも言えますが、本当の助けを得るには、一番大切なのは仏法を学ぶ事ができ、因果の上から自分自身を改める事です。
法会は円満し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに一同声を揃えて感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りられるのを規律して恭しくお送りしました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、殊勝な密法を修めた事及び貴重な仏法の教えを以て、参列者に正知正信の仏法開示を与えて、皆に仏を学ぶ時具えるべき懺悔心、菩提心、真誠極恭敬心を教導しました。皆に仏法を以て衆生を利益する時広大無辺の心量をはっきり理解させました。更に参列者に諸仏菩薩と深い善縁を結んで、地蔵王菩薩の身、口、意の殊勝な利益及び加持を得られて、未来に輪廻苦海を解脱できる貴重で得難い機会を与えました。
法会当日は晴天で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に登られると、京都寶吉祥センターの上空から甘露の妙雨が舞い、暫くして止みました。法会の進行中、天の彼方より雷鳴が轟きましたが、法会の円満後は晴れ渡りました。法会の過程での天気の変化は極めて殊勝なる瑞相であり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、この度京都寶吉祥仏法センターで殊勝なる地蔵王菩薩法会を挙行して、清浄なる法語の甘露と大威徳力で、無辺無際の広大なる有情を撮受し益したので、諸天菩薩もやって来て敬意と讃嘆を表したことを代表するものです。
2008年5月に日本京都寶吉祥仏法センターは開光大典を行った以来、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎年京都の民間が祖先を祀る「大文字祭」の当日に於いて、京都寶吉祥仏法センターにて殊勝な法会を主催なされて、清浄な仏法にて一切衆生を利益して、無数の六道衆生が苦を離れ楽を得るように助けています。直貢噶舉伝承の法脈は日本で継続できて、清浄な教法が広がって発揚して、無量無辺の一切有情を利益します。
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2013 年 10 月 03 日 更新