尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年8月16日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは2013年8月16日に、日本の京都寶吉祥仏法センターに於いて、殊勝なる「地蔵王菩薩法会」を主催された。日本、スペイン、台湾からの信衆20人と、日本、台湾の弟子121人の合計141人の法会は殊勝にも円満した。

法会の始まる前に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、観音法門を初めて日本の弟子に伝授なさった、法会の当日は晴天で、ただ幾許かの雲が太陽を暫し遮っていたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが伝法し始められると、幾條かの陽光が雲間から突如射し込んで、まばゆい光を放ち、八方を広く照らし、その情景は非常に殊勝であった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが伝法なさる時にはこのような瑞相が出現するが、直貢噶舉の伝承法脈が日本に延続し、清浄なる教法が広く発揚されようとしており、無量無辺の一切有情が益されるのだ!

午後4時30分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に登られ、自ら殊勝なる地蔵王菩薩法会を主催なさり、並びに法会の大衆に尊き仏法の開示をなさった。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆さんのために地蔵王菩薩の法門を修法する。日本では皆さんは地蔵王菩薩は読経の方式で修めると思っている。まずリンチェンドルジェ・リンポチェは、地蔵王菩薩名号の意義を解釈する。「地」は、地獄を示すわけではなく、大地を指し、地蔵王菩薩は大地と同じく多くの衆生を包含し、養育する。「蔵」は地下の宝蔵ではなくて、一人一人の衆生にはすべて御仏の無二無別の清浄な仏性があることを指すのだ。仏性も「如来蔵」と呼ばれ、釈迦牟尼仏と如来仏の宝蔵と同じであり、衆生一人一人に如来蔵があり、只それが貪、瞋、痴によって遮られ、覆い被せられているので、地蔵王菩薩が私達の学習、仏法の修行を助けて、如来蔵の作用をスタートし回復させてくださった後に、衆生を益することができるのだ。「王」というのは、地蔵王菩薩が地獄の王を受け持っているわけではない、皆さんは地蔵王菩薩は専門に地獄の衆生を救い済度すると思っている、それは地蔵王菩薩が「地獄が空にならずんば成仏しない事を誓う」と誓言されているからだ。実は、地蔵王菩薩は地球上の人類が地獄へ堕ちないように済度し助けられるので、地獄に堕ちる衆生がいなくなれば、地獄はいつかは衆生がいなくなる日が来るというのである。だから、「王」は実際には地蔵王菩薩の功徳と願力の最大、慈悲の最大、不可思議なる最も殊勝なることを指すのだ。

日本では、火葬場、墓地でさえあればどこでも多くの地蔵王菩薩の彫像が見られ、日本人は地蔵王菩薩を見かけると、みんな恭しく合掌して供養する。日本人は火葬場の地蔵王菩薩の像でさえあれば、当地の亡霊を済度でき、当地の住民が安心できると思っているが、実はそうではない。人々が地蔵王菩薩に恭しく合掌するのは、只自分の僅かばかりの福報を累積するだけで、亡霊達を済度することはできないのだ。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェが地蔵王菩薩の法門を修法するのは、あなた方と地蔵王菩薩とが結縁することを助けるのだ。地蔵王菩薩さえ覚えておけば、生前に小さな悪をいくらかして、地獄へ堕ちる因を持っても、臨終の時に本当に懺悔心を起こし、地蔵王菩薩を念じれば、地蔵王菩薩の助けを得ることができ、地獄へ堕ちない機会ができるのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは2005年に日本での弘法を始めたが、ここ数年来本当に仏法を学び、修行しようとする日本人は何人もいなく、大部分は法会に参加して、ご加護を祈るだけであるが、しかし、仏菩薩は本当に発心して仏法を学び修行する人だけをご加護なさるのだ。以前、仏法を中国から日本へ持ち帰った日本の出家衆は、日本人の個性を理解しているので、地蔵王菩薩の法門を大いに広めて、日本人が地獄へ堕ちる機会を減少させたのだ。

今日は、密法を主に修法するので、皆さんにはこの一生を地蔵王菩薩と深い縁を結んでいただきたい。地蔵王菩薩の経典は《地蔵菩薩本願経》であり、経文の中には特別に、因果はどのようにしてできたかを開示してあり、地球の衆生の種々の罪と業で一番重いものは、生命の殺害であるとしている。経典のなかの記載では、地蔵王菩薩のある一世の母親が、スッポンの卵が好きで、死後地獄へ堕ちた。釈迦牟尼仏は多くの経典の中で、世間に戦争、疾病、意外、不慮の事故が絶えないのは、すべて殺業と肉食のためであると説いておられる。経文にも、ある地方で長期間多くの殺業を造成すれば、戦争と災難が発生する可能性があると説いている。日本人の長年の個性は改めにくく、だから今日はリンチェンドルジェ・リンポチェが皆さんのために修法をして、百年前の日本の僧の願力を根拠に、その願力を延続し再び発揚し、あなた方と地蔵王菩薩とが非常に深い縁を結ぶようにして、未来に地蔵王菩薩の助けを得て悪道に堕ちないようにする
ことができるようにする。

法本の中に、修法前に法会の大衆は、上師と諸仏菩薩に対して頂礼をすること、上師は仏法を学ぶ者にとって非常に重要であると説いている。法本では初めから皆発心するべきだと教えるが、これは菩提心を発することで、衆生を益する心を発願する。法会に参加する者は真誠なる極恭敬の心を持つべきである。「真」は完全に何も求めないのを、「誠」は誠実で懇切な心を指す。「極恭敬」は完全なる恭敬を指し、自分の考えは無い。皆さんは今日地蔵菩薩法会に参加して、真誠極恭敬の心を持つ事で、恭敬であって始めて供養あり、供養があって、始めて福報が累積され、福報があって、始めて仏法の助けと利益を受ける事ができるのだが、しかしながら、ほとんどの人ができないのだ。もし、真誠極恭敬になることができなければ、少なくとも上師への信心は持つ事で、一番大切な事は上師に対する信心である。

次に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる地蔵王菩薩の法門の修持を始められた。先ず、一部を修法された後に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはさっきの儀軌は修法者が先ず自修して、自分と地蔵王菩薩とが無二無別となることだと開示された。修法者は必ず先ず自修して、自分が生死を解脱する事ができると確定できたら、他の人の修行を助ける事ができるのだ。次に進行した儀軌は、地蔵王菩薩に壇城へお出でいただきみんなを助けていただく事を祈願し、地蔵王菩薩の功徳と事業を讃嘆し説明なさった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法されてから引き続き開示なさった。地蔵王菩薩は仏教のなかの八大菩薩の一人で、八大菩薩と仏の意義と事業は実は平等であり、仏と同じである。本質上、八大菩薩は既に成仏されており、衆生を済度するために、一回また一回と菩薩の様子を顕現なさり、衆生の各自の異なる因縁と根器に基づいて異なる化身を顕現なさり衆生を苦海から離れるように済度される。

先ほどの修法を経て、皆さんが身、口、意を清浄にする助けをしたが、次の修法過程では、皆さんの身、口、意は地蔵王菩薩と無二無別であることを修めるので、法会に参加する時には専心して、悪念や妄念を起こすべきではない。

今日修めた法本は密法に属し、金剛亥母が南インドの修行者に自ら伝法した。金剛亥母は108種の法門があり、今日修めたのはそのなかの一つである。つまり、この法は釈迦牟尼仏の口から伝えたものではなくて、金剛亥母が瑜伽部と無上瑜伽部の本尊を代表して自ら伝えた法であり、そこで加持力は非常に大きいのだ。チベットには本来この法門はなくて、金剛亥母がこの法を南インドの一人の修行者に伝え、後に一人の尊者が南インドへ行って法を求め、やっとこの法をチベットへ持ち来たった。尊者は24個の法門があり、これらの法の加持力は特別強くて、特別に殊勝であり。無数の衆生を益することができる。

続いてハタを献上する儀軌を進行し、入場の時に抽選を行って日本とスペインの信衆の代表が、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上するのを、出家弟子が引率した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、法会参加者に3遍の帰依発心文を念じるように導き、日本語の翻訳者には法本中の日本語翻訳を念じるように特別指示なさり、並びに日本の信衆及び弟子に復誦するように指示された。念じている過程で、リンチェンドルジェ・リンポチェは、法会参加者に、恭敬心でこの文を念じるように再三注意を促した。

次は、法本中に一段の祈請文があり、その内容は上師に殊勝なる密法を賜ることを祈るものだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に自分の心中にひとひらの白い蓮の花を、蓮の花の上に白い満月輪、中間に「吽(ホン)」の字を思い描きなさいと指示なさった。咒語は上師の心の中の本尊から来たもので、上師の口から出て、それがあなた方の口に伝えられ、あなた方の心の中の本尊になる。法本に説いているが、伝法を求める時、心は真誠極恭敬で、感謝感激に涙する、つまり上師に非常に感謝することで、ひいては涙まで流して、極めて懇切感謝の心になって初めて上師は咒語を伝授することができるのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、次に修める儀軌は観想であると開示され、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方の観想を助け、地蔵王菩薩が壇城へお出でになり皆さんの助けをしてくださるように祈るのだから、皆さんは敬仰心、清浄な心で参加すればよろしい。法本の中に、弟子達が密法を聴く時には、心が散乱していてはならないと書いてある。先ほど皆さんに念じてもらった咒語は皆さんの心を清浄にするもので、あなた方の雑然とした心態を平静にし、あなた方の妄念と煩悩を取り除いてはじめて仏法のお助けを受ける事ができるのだ。

法本の中にまた、地蔵王菩薩法を修める所は、必ず清浄な土地と家屋でなければならないと言っている。清浄というのは、清潔の程度ではなく、法を修める土地は屠殺、殺人、売春などが行われたことのない、或いはレストラン、’監獄、火葬場等ではなかった場所を指す。京都の寶吉祥仏法センターの所在地は清浄の地であり、歴史上の記載では、清朝の時に皇帝が大使をこの地に派遣しており、そこでこの土地は歴史的にも非常に清浄であり、仏法センターの建築内でもさきほど言ったような活動に従事した事はなかった。今日皆さんがここへ来て、地蔵王菩薩の法会に参加できたことは、皆さんにとても福報があることを表しており、法会に参加した機会をよくよく大切にしてもらいたい。修法の過程では菩提心を起こし、この法が一切衆生を益するように願ってほしい。

法本の中にはまた、この法を修めるのには壇城を設けて、修法は三つの部分に分けられ、発心、正行と後の行(つまり迴向)である。法本に基づくと、修法者は二つの事をしなければならない。一つは清浄な心で発心し、名利のために修法してはならず、そうすれば一切の善の行為は、清浄なる菩提心で衆生を助けることができる。二つ目は4種類の加持で一切有情衆生を益するのだ。
この後続いてこの法を修持する儀軌と方式を話された。法本には修法者は空性を悟らなければならない、しかも禅定を修めるには、三摩地の境地に進入してはじめてこの法を修める事ができると書いてある。三摩地は一種の禅定の修行境地で、修法のリンポチェは一定程度の定境に入る事ができて、はじめてこの方を修める事ができ、衆生を益する事ができるのだ。

法本にはまた、法会に参加する人は静かで定まった心を持つべきで、出鱈目なことを考えてはならず、疲れた、煩わしい、或いは聞いても分からないなどと考えてはならず、法会に参加する時には、まだ多くの衆生が仏法の助けを必要としていることを考えて、清浄なる菩提心を起こし、衆生が輪廻の苦痛から離れる事を願うべきだ。続いて尊き尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは入定なさり、出定後に引き続き法会の大衆に尊き仏法を開示なさった。

法本に非常に大切な意味を含んだ言葉があり、修法者は出定後に、慈悲の眼差しをもって、悟りを開かないで、成仏しない一切の衆生を見るべきだ。修行者の目には分別はなく、聡明或いは愚かな衆生の別はなく、修行者は、未だに悟らず、輪廻生死を解脱しないでいる衆生を見るのみで、絶えず自分の功徳を衆生に与えて助けようとしているのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、地蔵王菩薩の法門の修持を始め、並びに法本の中の重点を開示された。出家弟子が皆を引率して壇城に向い、右足を地に着けて跪き、両手で花を捧げ、地蔵王菩薩がこの地にご来臨なさるよう恭しく祈った。続いて、ハタを捧げる儀軌で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが儀式軌跡を修持なさった後、出家弟子がハタを地蔵王菩薩像タンカ上方に掛けた、修法過程で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる地蔵王菩薩真言を口伝なさった。

この時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、法務担当の弟子に、経書を法会の皆さんに配ったかどうか訊ね、この弟子がまだ配っていないのを知ると、厳しくこの弟子を叱責して、何事も上師が言ってから行動する、本当に老いたな、いつ退職するのだとおっしゃった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる真言を口伝なさった後、経文の開示で、もともとみんなで《地蔵菩薩本願経》を念誦するはずだったが、念誦には2時間かかり、現代人は忙しく、ことに日本人はみんな忙しくしているので、リンチェンドルジェ・リンポチェが簡単に経文の大切な所を開示するとおっしゃった。この時、一人の日本人が経文を捲っていたので、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは捲るのを止めるように注意し、この信衆の動作を叱責されて、上師がまだ話さないのに開いて、経文には何が書かれているかを好奇心で知ろうとする事は、仏法に対して非常に敬仰心がない。密法ではすべての法本と経文は、上師の許しがなければ、開いて見る事もしてはならない。あなた方が小学生の時に、初めての授業で、先生がまだ教科書を開けなさいとも言わないのに、自分で勝手に開けて見たかどうか思い出してみなさい。きっと先生が本を開いてみなさいと言ってから開いただろう。仏の前では、あなた方は小学生にも如かない、自分は字を知っているから、仏教の内容を理解できるとは思うな。仏法は学問ではない、経文もそうである。本書は、好奇心や研究心、心態を知ろうという気持を抱かないように。リンチェンドルジェ・リンポチェは、世間の一般の人とは異なり、仏法に対して敬仰心のない人、仏法に関する話に違反する人であれば、すぐ口に出して相手を制止する。これはリンチェンドルジェ・リンポチェのためではなく、相手のためなのだ。

では、今から皆は経文を開いて、どの頁を見てもよい。その前に、リンチェンドルジェ・リンポチェが経典中の一品ごとのポイントを簡単に紹介する。あなた方がどの頁を開けようと、リンチェンドルジェ・リンポチェが説法する時にはすべて加持があるのだ。

《地蔵菩薩本願経》の来源は、釈迦牟尼仏が忉利天(とうりてん)の母親のために説法して、母親が輪廻生死を解脱する助けをするために、地蔵王菩薩を紹介した。釈迦牟尼仏が忉利天(とうりてん)の母親のために説法した折に、多くの聖衆、菩薩と竜天護法みんなが聴きにやって来た。釈迦牟尼仏は地蔵王菩薩の功徳と願力、累世の修行過程、並びに因果業報に対してはっきり開示なさった。天道に生れたら大変よいことだとは思うな、天道には多くの享受できる事があるが、最後はやはり輪廻に堕ち、三悪道に堕ちる可能性もあるのだから。

《地蔵菩薩本願経》に、釈迦牟尼仏は、未来世に善男善女が居ると説いているが、ここで言うのは十善法を修めた善男善女で、慈善団体に寄付した人のことではない。十善法は次の10件の事をしない事であり、それは、殺生、偸盗(他人の物を盗む、著作権無視のDVDを製作販売するなどを含む)、邪淫、悪口、両舌、綺語、妄語を言うこと、貪念を起こす、他人を恨み怒る、そして因果の不信である。

もし十善法を修めた男女であれば、地蔵王菩薩の名号を聴きさえすれば、讃嘆、頂礼、供養でき、地蔵王菩薩の仏像、描いたもの、彫刻したもの、泥塑で地蔵王菩薩の像を造るという人の果報は必ずや100世を三十三天(忉利天)に往生でき、しかも臨終の時に地蔵王菩薩の像を想えば、永遠に三悪道(地獄、餓鬼、畜生道)に堕ちない。このような修行方式は、顕教の範囲で、最も簡単な修行方式であり、もし密法であれば、あなた方にはできない。だからまだ肉食、魚食をしている人は十善法は修められなく、善男善女ではない。死後念仏を唱えてもらえば浄土へ往生できるとは考えるな。仏菩薩、上師の教えを聴き入れないものは、いくら拝んでも役に立たないのだ。

忉利天(とうりてん)宮神通品第一:経の中に書かれているが、地蔵王菩薩がある一世で当時在世の仏が非常に荘厳な相をしているので、仏にどうしてこのような相を得ることができるのですかと聞いた。仏は、生々世々、身、口、意で、一切の苦しみを受けている衆生を益し済度してこそ、仏と同じ荘厳な相になれるのだと開示された。地蔵王菩薩はそこで、大願力を発し、方便法門で、輪廻に苦しむ一切衆生の解脱を永遠に助ける事を発願した。経文に、地蔵王菩薩はある一世でバラモンの女性に生まれた。つまり貴族の家の女性に生れたのだが、彼女の母親が邪見を持ち、三宝を軽視していた。嘗ては三宝に敬仰心を持っていたが、後に不信、軽視したので、その結果死後地獄へ堕ちた。だからさっきリンチェンドルジェ・リンポチェが日本の信衆を叱責して、彼が仏経を手で捲るのを阻止したのは、このような行為は三宝を軽視することになるからだ。

分身集会品第二:この一品は地蔵王菩薩は多くの分身があると説いている。

観衆生業縁品第三:この一品は、衆生の種々の業縁は、地球の衆生が異なる事をして異なる応報を得て、どのような業を造ればどのような果報があるかを説いている。その中で、地獄は男女、老少、種族、貴賎、竜、天、鬼等の衆を問わず、悪を行いさえすれば、同じようにその果報に応じて地獄へ堕ちると言っている。みんな誤解しないように、地獄は仏菩薩が、衆生を懲罰するために創造したのではなく、衆生自身がやった事が招く境地である。

閻浮衆生業感品第四:この一品の中には一つの重点があり、特に地蔵王菩薩は、ある一世で女性だったが、食物を僧衆に供養して、一人の阿羅漢に出会った。地蔵王菩薩は自分の母親が死後何処へ行ったかを知らず、この阿羅漢にたづねた。阿羅漢は、あなたの母親は生前何をしていたのかとたづね、地獄で大変な苦しみを受けていると言った。地蔵王菩薩は、阿羅漢に、自分の母親は魚やスッポン、海鮮類の卵を好んで食べ、生前は炒めたり、煮たり、焼いたりどれだけの卵を食べたかわからないと答えた。日本人も海鮮が好きで、特に海鮮の卵が好きなのと同じだ。地蔵王菩薩は自分の母親のために、広く仏事を行い、母親はやっと地獄から離れる事ができ、人道となったが、下賤の家に生まれ、他人の奴婢になり、しかも短命で、13歳で死んだ。さきほど言ったように、最も重い業は殺業であり、あなた方がよく病気したり、意外が発生したり、心臓病、糖尿病、癌などになるのは、殺業が重いことに関係があるのだ。

この一品にはまた、殺生すると短命の宿業を受けると書いてある。他人の物を盗むと、貧苦の業報があり、邪淫の者--男性としては、もし強姦や薬物などでの姦淫、泥酔させての姦淫、未成年者、他人の妻、他人の世話になったいる女性と関係が生じるのを、邪淫と言う。女性にとっては、男性から生活費を貰ったり、プレゼントを貰ったりしながらも、ほかの男性と関係が生じたら、邪淫であり、その果報は子宮或いは腎臓面に疾病ができ、老い易く、次の一世ではスズメ、ハト、或いはオシドリになる可能性がある。悪口は、いつも他人を罵り、自分の家族と喧嘩したり闘争したり裁判沙汰を起こす。他人を誹謗する人は、以後舌がないか、または口内に瘡ができる。いつも瞋恚を起こす人の果報は、非常に醜くなるか、身体障害になる。吝嗇は、布施をほとんどしない人で、その果報は求めても願いが叶わず、求める物が得られず、何をしてもよくない。飲食無度者、つまり大食いをして、節制しない人の果報は、飢渇或いは喉頭面の病気になる。猟、釣り、動物を罠で捕まえるのが好きな人の果報は、錯乱死する、つまり精神狂乱になって死ぬという果報である。父母に逆らう、親不孝者の果報は、天地災殺報、天地災殺というのは、大雨、水害、地震、火災等で死ぬという果報である。もう一つ重要なのは、三宝を誹謗する人で、その果報は将来、盲聾唖者になり、見えない、聞こえない、或いは話ができなくなるのだ。

法会の現場で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、法会中写真撮影している一人の弟子を叱責し、リンチェンドルジェ・リンポチェが撮影の仕事を担任してはならないとはっきり彼に言ったのに、なぜまだ撮影しているのだ? と言って、この弟子に直ぐ退場しなさいと指示した。

地獄名号第五:この一品は数数の地獄を紹介していて、経文に、衆生は自分で造った悪業のために、地獄へ堕ちて苦しみを受けるが、その時にはたとえ親子の間柄でも、苦しみを代る事はできないと出ている。やっても構わないだろう、只ちょっとした事だけだから大丈夫だろう、またはやってからにしても構わないだろうとは思うな。今もまだ嘘を言って騙す人は、経典では耕舌地獄が出てくるが、嘘を言う人は耕舌地獄へ堕ち、牛が引く犂で、あなた方の舌を耕すのだ。殊に自分に恩のある人、例えば自分の両親を騙すような人は、ちょっと騙してもどういう事はないだろうと思っている。彼等は一回ぐらい構わないと思っている。多くの人が電話が掛かっても話したくなかったら、電話を切ってしまう。受信停止或いは電話に出ないで、受信状態が悪かったからなどと言い訳をする。彼等は一回ぐらい構わないだろうと思っているが、これもすべて嘘を言って人を騙す中に入るのだ。

如来讃嘆品第六:この一品には、もし女性が自分はとても醜い、或いは病気が多いと思うなら、地蔵王菩薩の像の前で、敬仰心を持って頂礼しさえすれば、将来は相貌円満になり、百千万億生の中で、常に国王の娘に生まれるか、貴族、富貴の人の娘に生まれ、その容貌も端正であると説いている。

利益存亡品第七:この一品は、家族がどのようにして家の亡者を助けるかを教導している。家の中の誰かが往生する前に、その人に、肉のスープ、魚のスープなどの肉食を食べさせてはならない、或いは鬼神に求めてはならない。このようにするのは亡者に対して非常に悪いのだ。この他に、経典には、決して肉食の食物で亡者を祭ってはならない、この様にすると亡者の業力を増加させる事になると書いている。

閻魔王衆讃嘆品第八:リンチェンドルジェ・リンポチェは、日本人が閻魔王を祭る習慣があるのを見て、日本人は閻魔王に対して敬仰心を持ち合掌し、献花供養しさえすれば、閻魔王はその人を早死にさせないで、彼を探しにはこないと思っているが、この種の観念は正確だとは言えない。経典には、もし閻魔王のご加護をもらいたいなら、家族は必ず善を行い、仏号或いは菩薩の名号を念誦するべきで、それをする人は、鬼、魔、竜等が来て危害を加えない、ひいては鬼王、神祇までも敬ってくれて、あなたを保護してくれる。この一品の重点は、家族で誰かが臨終の時に、家族はその人の福報を累積する手伝いをするべきで、大供養を設けて手伝う事ができるのだ。大供養をするのは、お金を出して職業としている人に念じてもらうのではなく、もし因縁がなくて亡者を手伝ってくれる善智識が探せなかったら、家の肉親が自分で亡者のために念じれば助けになる、というのは肉親は亡者の心に一番懇切であるからだ。

称仏名号品第九:この一品は異なる仏号を念じて、得られる種々の利益を説いている。

校量布施功徳縁品第十:この一品は異なる布施で得られる種々の利益を説いている。布施を行う功徳は一切の衆生に迴向することで、衆生が菩提を悟ることを願うものであり、只自分の家族だけを迴向するのではない。

地神護法品第十一:地神は私達にとってとても重要で、経典には堅牢地神と書いてある。土石流、地震、山崩れ等が発生するのは、実はすべて地神と関係がある。もしあなた方が農業耕作、演芸あるいは建築業に従事しているなら、地神を祭るべきだ。ある日本人が建築業に従事して、自分は以前リンチェンドルジェ・リンポチェが主催した地蔵王法会に参加した事があるので、一回だけ参加すればそれでいいと思って、今日は参加していないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼自身に関係ある開示をするとは思ってもいなかっただろう。だから、法会がありさえすれば、皆どのような参加の機会も放棄するべきではなく、自分は参加した事があるとか、後程また参加しますなど言うな。実は、毎回の法会でリンチェンドルジェ・リンポチェは新らしいものを皆に与えているのだから。

あなた方が自分で本経を読むなら、ただ文字に書いてある通りを読むだけで、非常に簡単だと思うだろうが、もしリンチェンドルジェ・リンポチェがこの本の仏経を説けば、少なくとも1ヶ月から3ヶ月の時間が必要で、それでやっと仔細までを語れるのだ。もしあなた方が《地蔵菩薩本願経》の細かい部分まで学びたいなら、よくよくリンチェンドルジェ・リンポチェに祈り求めて、地蔵王菩薩に祈り求めるのではない、というのは地蔵王菩薩はあなた方とは話をなさらず、あなた方も地蔵王菩薩を見ることは出来ないからだ。

見聞利益品第十二:この一品はあなたが地蔵王菩薩の像を目にすることができ、或いは地蔵王菩薩の名号を聞いて、得られる利益を説いている。ここにはまた、衣食が不足し、疾病が多く、衰亡一途の人がいるなら、つまり、わけもなく良くない事が起こり続けて、衰退の坂を下り落ちる、或いは家宅の不安、つまり家庭内が不安定で、いつも事が生じ、家族は分散し、睡眠中までうなされるようなら、地蔵王菩薩をしっかり修め、敬仰心を持てば、これらの不如意な事は次第に消滅して、衣食は豊富に、睡眠中も悉く安楽になってくる。

嘱累人天品第十三:この一品は特別に地球の衆生の事を説いており、地球の衆生は個性が定まらず、何事も欲しがり、悪を造る習慣があり、悪を行う人が多く、少しの善心が起きても、すぐに退き、消えてしまうが、悪縁に出遭うと、悪念は増長しやすい。リンチェンドルジェ・リンポチェが例を挙げると、ある人が禁煙をしようとしていて、周囲の友達は彼の禁煙を知っているのに、タバコを一本ぐらい構わないと勧める人がいるが、このような人等はその誘いを受けるとすぐ一本また一本と中毒してしまう。これが悪行が蔓延るのはかなり簡単で、思うごとに増長するのだ。

最後に、善男善女が地蔵王菩薩の像を見て、《地蔵菩薩本願経》を聴いたなら、或いは経典を読経し、線香、花、飲食物を捧げ、衣服や珍しい布を供養し、地蔵王菩薩を讃嘆、参拝すれば、28種の利益を得ることができると説いている。経典に説いている事は嘘ではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは《地蔵菩薩本願経》に説いている通りにやり、そこで多くの利益を得たのだ。手を打ち、お金を投げて仏菩薩の助けがあると思うな。法会に参加して、帰ってからやはり続けて肉食、殺生をしているなら、仏菩薩の助けを得られると思うか?

経典の要点を開示なさった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続き修法なさった後に、非常にやさしく十分間の休憩にすると言われた。一部の人は膀胱が無力なので、お手洗いに行きたい人は遠慮なく早く行くようにとおっしゃった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて修法をなさったあと、法会に集まった人々に尊い仏法を開示なさった。

法本の中の最後の一段は、皆が仏法を学ぶ縁を延続し、あなた方の煩悩、邪見、飢餓、流行病、戦争、懶惰、猶予、忘却を減少させ、あなた方の善業を阻害する一切から遠のく助けになる。猶予というのは、まだ考えてみるから待ってください、現在仏法を学ぶかどうか、何かをし終わってから仏法を学ぼう等々と言うことである。また忘却というのは、あなた方がよく言う「忘れた」「覚えていない」「知りません、誰も言わなかった」等で、あなた方の修行の善業を妨げる、ちょうどあなた方が法会に参加するとき、まだ自分の店の事がある、家にする事があるというようなもので、これらの妨げがあるから、法会に来る事ができないと、多くの人はこのように言い訳をする。このような人は、今日この法を修めて、地蔵王菩薩があなた方に今後そのような理由を無くさせてくださり、修行する善業を阻害する一切から遠ざけて、仏法を学ぶ決心を堅くさせるようにと希望する。

法会は円満した、今日のリンチェンドルジェ・リンポチェの修法は、チベットでは本来一日中修めるのだが、皆忙しいので、リンチェンドルジェ・リンポチェは比較的早く修法したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の時に法本のなかの内容を減少させてはいない。今日の修法は、皆に地蔵王菩薩の身、口、意の功徳を得られるようにしたが、以後はあなた方自身がやって継続して累積してゆくのだ。《地蔵菩薩本願経》の中にはまだたくさんのことが説かれていて、どのようにして家庭内の病人を助けるか、妊娠過程での変化、及び妊娠前後になすべき事、などが含まれるが、今日は時間がないので、開示しない。もしあなた方が地蔵王菩薩の法と経典を学びたかったら、またリンチェンドルジェ・リンポチェの伝法を求めなさい。

今後あなた方が地蔵王菩薩の像を見たら、恭しく頂礼するべきで、頂礼することができなければ、少なくとも心中で「南無地蔵王菩薩」と黙念しなさい。あなた方が地蔵王菩薩を非常に信心してさえいれば、地蔵王菩薩は生々世々あなたの世話をしてくれるというのが、顕教の説法である。密法から言えば、最大の敬仰心で、完全に上師に頼り、上師に地蔵王菩薩の法門を伝えてもらい、並びに修行を深めるように心から願ってこそ、地蔵王菩薩の身、口、意の利益と加持がえられるのだ。

今日は8月16日で、京都では大文字祭りの伝統的な習俗があり、寶吉祥仏法センターの所在地から丁度大文字祭りが見られる。夕食の用意ができているので、参加した信衆の皆さんをご招待するから、残って食事をして、祭典も観賞されたらよい。今日の法会は、チベットと中国と日本の習俗を結合したものとも言える。はたして大文字祭りは本当に助けになるのだろうか?実は大文字祭りは鬼神に対して一部の安撫効果があるが、これも短いものに過ぎない。本当の助けを得るには、一番大切なのは仏法を学ぶ事ができ、因果の上から自分自身を改める事だ。

7時30分となり、法会は円満し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが辛労も辞さず殊勝なる修法をしてくださり、法会に参加した皆に仏法を開示してくださった事に、一同声を揃えて感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りられるのを規律して恭しくお送りした。

法会当日は晴天で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に登られると、京都寶吉祥センターの上空から甘露の妙雨が舞い、暫くして止んだ。法会の進行中、天の彼方より雷鳴が轟いたが、法会の円満後は晴れ渡った。法会の過程での天気の変化は極めて殊勝なる瑞相であり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、この度京都寶吉祥仏法センターで殊勝なる地蔵王菩薩法会を挙行して、清浄なる法語の甘露と大威徳力で、無辺無際の広大なる有情を撮受し益したので、諸天菩薩もやって来て敬意と讃嘆を表したことを代表するものだ。

« 昔の法会開示 – 法会開示へ戻る新しい法会開示 »

2013 年 12 月 02 日 更新