464:造業は深重でれば、恩を引き受けるのはもっと厚かったです。

尊い上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼します。各位大徳、各位寶吉祥相弟子達:

私は三番目組の蔡文栄で、側にいるのは家内張玉容及び息子蔡聖宗です。私の父親は10月03日朝一番、首吊り自殺しました!私は父親の只一つ息子で、父親にこんな事を発生させて、息子としての私は、この正信な仏を学ぶ道場に顔を出すべきはありません。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは大変慈悲でいらっしゃいます。今日まだ私を道場に入らせて、この壇城の前に立って、各位大徳、各位弟子達に直面しました;各位に私の顔をはっきり見させて、こんな私を覚えさせます。十数年リンチェンドルジェ・リンポチェの数えなく恩恵を受けた皈依した弟子の私は表面的に仏を学ぶさえも言えない、是非自分は公徳を欠けて、卑劣な行為で、自分の父親にこの無間地獄に落ちる道を選ばせました。現在、私はここで、各位大徳、各位弟子達に願って、はっきりこの極悪弟子、不肖の子私の模様を見て、私を戒としてください;自分が数年来散漫放逸するため、自分の父親に害して、無間地獄に堕ちて、悪趣を離脱にくい事を近くさせました。最後に、やはり大慈大悲、仏と分けなく上師リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の福報を尽くして、リンチェンドルジェ・リンポチェ自分の力、生命を使って私の父親を済度なされました。

《造業は深重です―弟子が恩を返せず教法に遵わず》

一、十年帰依して、上師の豊厚な恩沢を引き受けたのに、父親を自殺して往生させ!最悪弟子、不肖の子、私は『受けては無愧』です。!

同席の大徳、相弟子達皆様、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して遅いか早いか問わず、全部リンチェンドルジェ・リンポチェより多い恩恵を受けました、別に言わなくとも、1999年から今まで皈依した私、既に無数な上師、仏菩薩の恩恵を賜ったやつ。各位大徳、各位相弟子達、この数年来、寶吉祥の弟子の中に、自分の至親を自殺して、無間悪業を犯させたのはありません、私―蔡文栄は一番目です。リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った、本当な皈依して仏を学ぶ者は必ず自分を修正して、自分の身、口、意を注意して、側の人に悩みを起こさせません。私は全く皈依した弟子ようではありません;もう少しところで周りの眷属、親友は私のため、父親のため、仏法を誤解するのをさせました。一層悪かったのは、徹底的に上師が十年来の苦心、苦労を無駄にしました。各位大徳、各位相弟子達は、必ず自分の父親を害した私を負の教材としてください。

二、上師は父親のように私を扱って、私に妻を与え!、父親に臨終の際にもう少し無間地獄に堕ちて帰所が無いのをさせました!不肖は私のようで、これ以上はならぬ!

十何年前,あの頃の彼女―今側にいる妻張玉容は本来出家の考えを起こって私を振りたいでした。二人ははじめてリンチェンドルジェ・リンポチェに伺った時、上師慈悲の摂受力で、それに、彼女に一度のご開示で彼女に当時気持ちを全く変わらせて、仏法に対してもっと正確な認識だけを起こったのではない、その故でそのまま私を受け取りました。上師は私に妻を賜って、福が薄くて、低微な私に一万災難に逢うにくい契機をさせて、リンチェンドルジェ・リンポチェの足元に従って、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏光を濡れました。上師がこんなに私の世話をしてくださって、妻があの時の提携で、私をリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に引き込みました;いままで、私は何もせずに、只自分の父親にこの恐怖な不帰路を歩かせました。私のような息子は世間にめったにありませんでした;少なくとも、寶吉祥道場の中に聞いたことはありませんでした。これは全部私が出来たものです、父親はこんなになったのは、全て私この『驚世息子』のせいです。

三、妻と結婚して、上師は慈悲で教えました:台北で滞在して、上師に随って仏を学ぶこそ本当な孝行です。このようで 夫妻は二人で幼児共に始めて十年来の安楽な生活がありました;父親はさらに上師及び仏法の加被が必要のを忘れたしまった。利己的、偸安して、人子するのを恥じました、一段と上師の教導に謝ります。

2000年四月の間に、家内共にリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れました。上師に二人は結婚するのが可否か伺いました。上師は慈悲で、いいと返事しました。また二人は結婚した後台北に滞在するとご指示しました、もともと自分が南部に定住するのはただ生活費用の考慮で、親孝行ではなくと叱れました。リンチェンドルジェ・リンポチェのご教導のため、我ら夫妻二人、特に私がはじめてこの十数年の安楽の生活が有らせました。自分はかえって福を惜しまなくて、楽しくて親の事を思いませんでした。数年来、私の無知、無能で父親が上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な功徳を見るのを出来させなくて、父親が仏法に恭しい心と希望な心を起こすことをさせるのを出来ませんでした。私は息子に成る資格もなく、さらに弟子として資格もありません、自分は順調で安楽なのに、側の眷属に上師の法益を濡れさせることが出来ませんでした。各位大徳、各位相弟子達は覚えてください、私は利己的で偸安の行為で自分の父親を害しました。

四、上師は私の息子の皮膚病を治りました;亡父の病気は、自分の無能で、まだ誠に懺悔するのをしませんでした。亡父の病状は段々悪くなり、悪果まで熟しました! 一番不肖のは私です!

結婚した二年後、上師の福徳のお陰で夫妻二人は順調で1人息子を産みました;リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で幼児に「聖宗」と名づけられました。八ヶ月より後の四年間の内に、子供は大変なひどい異位性皮膚炎にかかりました。この四年間の中に、全部上師に頼って救護してくれました;さもないと,四肢の皮の表に大面積、ひどく潰爛した皮膚は既に細菌に感染されて敗血症などが起こられましてもうこの世にいなくなりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に息子を与えて、幼児の皮膚病を治したのに、私はまだ真剣に懺悔心を起こさなくて、痛かった後自分がどのぐらいまずかったを忘れて、自分がまだ父母親がいるのを忘れて、自分の父母親の代わりに懺悔するのを分からなくて、終に重大な悪果を引き起こしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに私に恩を賜って、一度また一度我にチャンスを下さいましたが;私は…この事態が悪化に移り変わるのを無神経するのではなく、座視するしかしませんでした。

五、上師は亡父に生前前列腺癌を加持して、癌の指数を下げさせました; 愚かな私は、あの頃事態が酷いことを知らなくて、無知で、非常識で上師が父親の病苦を軽くするのをしか求めませんでした;かえって上師に父親を済度することを知りませんでした!昏々無知で、表面な偽の親孝行で、父親に因循な悪業で無無間罰を受けさせました。

今年は今年の七月末、従来三宝を信じない父親はやっと道場へリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れるのを承知しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に全く何にも求めません;それを言うのは私がそんなに情けなくて、父親も十分な信心、恭しい心を持ちませんでしたのに、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けて家に帰って、もう一度回診の検察報告により、前列腺癌の指数は元来の1.9から1.6まで下げました;父親が自殺して往生するまでに、第3期前列腺癌の病苦に苦しめられませんでした。今思い出すと、あの時私は利己し過ぎで、それもとても無知でした!上師に父親のお体の病苦を軽減することを求めるのをしか分かりませんでした、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェに直ちに父親の不安、恐怖な心を救護するのを願うのが出来ませんでした。また、自分が供養するのを分からなくて、やっとこんなにひどい悪果を爆発させました。

《引き受けた恩は豊厚でー上師は悪弟子を棄却せず、衆生を捨てぬ》

一、今年五、六月の間、上師は皈依した弟子の供養を受け取らなくて、不肖の弟子の父親は間もなく悪趣に堕ちるのを知って、法外な承諾で、慈悲で弟子が父親の代わりに差し上げた供養を引き取りました。

二、七月の末、上師は自分の命、福報を費やして、亡父が癌にかかった半年間を助けました、医寮を受けずに苦しめさせなくて、病苦に苦しめないため、父親のお体に激しい痛苦を経歴させませんでした。

三、八月の初め、上師は弟子が貪欲で、父親のため供養するのを惜しむことをわかったままで相変わらず慈悲で、恩恵を施して、弟子夫妻二人と幼児を含んで一家三人で大礼拝するのを承諾してくれました。父親にこんな微薄な福報のため、本来無間地獄に堕ちるはずなのに、縊死して息を断った後かえって大法会現場に行って、上師の済度を受けて悪道に堕ちないのをさせました。

四、上師の大威徳の加持で、全家が喪中の七日間に、老少が平穏で、葬儀を円満に終了しました。上師の功徳に被られたため、自殺した家の中にある陰晦、悲しい霧囲気を取り除いて、逆巻く大波の中で,母親の気持ちを安定しました;これらは全て上師が不思議な、数えない功徳のお陰です。

五、大法会の中に、上師が体力を尽くして父親を済度しました;自殺でなくなった父親は火葬後頭蓋骨に、奇跡で一つ極めて小さくてしかし平らで整っている焼き焦がした丸い穴がありました。(写真は《ポワ法円満な瑞相》に参照ください。

第3組 蔡文栄 忝絮

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2010 年 11 月 16 日 更新