317:金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェとポワ法の素晴らしさに感謝
2007年6月23日午前、母と台北市健康路にある松山国軍病院へ、ICUに入っている父を見舞いに行きましたが、ドアが開くと母が気を失って倒れました。ちょうどその時に仏と無二無別の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから弟子の私が賜った非常に有難い甘露丸を持ち合わせていました。
それを早速母の口に入れ、子供たちと私は母の耳元で、心配しないで大丈夫ですよ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが加持して私達をお守りくださっていますからと言い続けましたら、母の口からふうっと息を吐く音がはっきり聞えました。母のやや見開いた両目と、歯を食いしばっていた顔は、次第に目を閉じ安らかな表情になってゆきました。
病院側は早急に母を急診室へ運んでくれ、母は擬似心筋梗塞だと診断されましたので、私はすぐに如何なる救急措置も放棄する事にサインしました。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが何回も、衆生を修法済度なさるたびに、生前に救急された衆生は、みな胸がとても痛いと叫ぶと、弟子達に開示なさるのを覚えていました。
一般に急死した衆生は必ず畜生道に堕ちると言われます。当時兄弟子の謝医師が駆けつけてくださり、母は親友からの如何なる干渉も受けなかったことを感謝しながら、母の手に死斑が早々と現れるのをこの目で見て、心の中で絶えず観想し、そして跪いて虚空界に頂礼し、仏と無二無別の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持により、母が苦痛を免れますようにとお祈りしました。
頭を上げると、まるで奇蹟のように母の手の死斑が次第に消えて、唇の端はやや上がり、目じりも一緒に微笑みを浮かべて居る様で、もともと猫背だったのも直り、心安らかに眠っているようで、私が今までに見た事のない寝姿でした。
当時、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは遥かなネパールで閉関なさっていましたので、母を遺体安置室に運んだ後に、私と子供たちはすぐ寶吉祥宝石店へ行って、法写真に向かって、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにご報告のお祈りを捧げてから遺体安置室に帰って8時間お経を唱えていました。
兄弟子が、母の梵穴(百会のツボ)が温かいかどうか触ってみなさいと注意を促してくれたので、触ってみると本当に温かかったのです。娘がさっき救急室で担架に移して遺体安置室へ連れてくるときも頭は温かかったと言います。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは遠くからいつも私達を庇護してくださり、遥かに遠いところにいらっしゃっても同じく瑞相が生じるとは、実に不思議なことでございます。
それから二、三日、母は化粧も施していなかったのですが、母の教会の友人達が殯儀館の納棺の間で母の遺体を見て、とても美しいと言い続けていました。
納棺して荼毘に付す当日、殯儀館の人達が遺体を動かすときに、母の頭部がとても柔らかいので驚きました。お骨を拾うときにスタッフの方に、母の頭蓋骨を注意してそっと置いてくださいとお願いしました。母のお骨は白くて清らかなピンク色と黄色があり、頭のてっぺんには滑らかで整然とした穴ができており、スタッフがすぐさま「五彩舎利花」というお骨を拾い上げたので、急いで写真を撮りました。
母はキリスト教徒でしたが、遥かネパールで閉関修行しておられる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの素晴らしく優れたポワ法のお助けを得て、私も子供たちも歓喜に咽び、喪の家の苦痛はありませんでした。
話は戻りますが、ICUに入っていた父は、点滴を受けるほかには何も治療をしなかったのですが、お見舞いに行く度に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子たちにくださる甘露水と甘露丸を飲ませていましたら、しばらくして普通病室に移る事ができ、次第によくなり、寶吉祥の漢方薬診療所の漢方薬を服用し、また漢方薬軟膏を塗っております。
もともと中風、心臓病、糖尿病、胃腸病、眼疾があり、痰を抽出しなければならず、皮膚は鬱血し瘡蓋ができていたのが、今ではすっかり良くなり、ただ家で行動が不便なだけというふうになりました。父の入院から今までずっと、王兄弟子は傍で母を慰めてくださり、王兄弟子が兄弟子の謝医師に連絡してくださって、兄弟子の謝医師は病院で一人一人の患者を細心の注意を払って夜遅くまで診てくださり、潘兄弟子は甘露丸と甘露水をわざわざ運んでくださり、寶吉祥宝石店の頼兄弟子は、寶吉祥の漢方薬診療所には優秀な医師たちがおられて、医療チームが、上等だけれど高くない漢方薬で治療してくださると教えてくださったことに心から感謝いたします。
自分の悪行を懺悔するのに、銭兄弟子が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに接見できるように連れて行ってくださらなかったら、私達の一家は支離滅裂になっていたでしょうし、父母が仏と無二無別の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な仏法のお助けを得る事ができなかったであろうことは自明の理ですが、私はそれに感謝しないだけでなく傷つけておりましたのに、やはり黙々とお助けくださったのです。実に私は畜生にも劣る人間で、ここで銭兄弟子に私の過ちをお許しくださるようにお祈りいたします。
これらの一つ一つは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に開示くださるように、兄弟子の方々は血を分けた兄弟姉妹よりも親しいものだということを今私は懺悔いたします。父は平素ハクレンの頭が好きで、上手に料理していましたが、もし菩薩と尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがご自分の命をかけて父と母そして一切の病人を加持してくださらなかったら、受けるべき苦痛は筆舌に尽くし難いものだったでしょう。
弟子の私は皈依しても長年怠けて、教えに従ってしっかり実践しないで、傲慢で子供たちのお手本にもならなかったことを懺悔いたします。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも衆生のためを思い、衆生が苦悩から離れるようお助けくださり、耳が痛い事も諄々と説いてくださいますので、弟子の私は自分の心に浮ぶものはすべて悪であり、業であり、沢山の重い罪を知らずに犯していた事が分りました。
仏と無二無別の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに弟子として懺悔を公開する機会をいただいたことを感謝いたします。この報告を読まれる方が、私の例を一つの手本として同じような過ちを犯さないように、また常に私を糺してくださるように願います。
すべての衆生が私達と同じく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお助けにより一日も早く苦悩から離れる福報を得られますように願います。人生は無常であり、仏法を聴くことは難しく、人生を把握するのは難しく、立派な上師に出逢うことは更に難しいことを知り、共に励んで参りましょう!
弟子 李秋華 2009年2月4日
« 前へ – 衆生済度の事跡へ戻る – 次へ »
2016 年 03 月 24 日 更新