305:私の再生父母リンチェンドルジェ・リンポチェ
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼します。長年の間リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子及び弟子の家族への慈悲そして加持にたいして、弟子は恩に着ます。振り返ってみれば、6年前(2002年)の今頃寶吉祥佛法センターに触れ合い始めたきっかけは、双子の息子の上の子が危篤の時、因縁が熟したからでしょうか、医師の方先生夫婦のご紹介で恩師に出会いました。リンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧と大能力で弟子を摂収しました。そして私と縁はなかったけど福報が持っていた息子のために「ポワ法」を修め、阿弥陀仏浄土に行かせました。当時私は皈依していなくて供養もしなかったにも関わらず、リンチェンドルジェ・リンポチェが酬いを求めずに尽くしていただいたこと、弟子が肝に銘記しています。リンチェンドルジェ・リンポチェにお礼を申し上げます。
こんなことがあったから、下の子を連れて施身法を参加してすぐにも皈依しました。後でわかったのですが、何故リンチェンドルジェ・リンポチェが息子は卵も食べてはいけないと言ったのか、それは息子が先天性極少難病の高アンモニア血症を患っていて一生薬を離れないからでした。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁してからではアンモニアを排除する薬を飲むことがありませんでした。高アンモニア血症は蛋白質の摂取が制限されていて、精進食を食べる上に卵は禁止されています。そこでリンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧大能力が証明されました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加持に恩に着ます。リンチェンドルジェ・リンポチェありがとうございます。
2006年12月息子は突然発症して、病院に行く途中で気絶しました。当時寶吉祥に電話して報告したら、息子はまだ待合室で受診を待っている間、早くも兄弟子から電話で上師の模様を観想し百字明呪を唱えるとの指示がきました。息子は急に騒ぎ暴れ訳わからない事ばかり喋り出して、医者らに病室のベッドに四肢を縛られ大文字のように固定されていました。兄弟子からのメッセージを息子に伝えたら、息子が突如大声で百字明の呪文を唱え出して、泣きながら唱えて、アキ・・・アキ護法・・・と泣き叫んでいました。リンチェンドルジェ・リンポチェの大能力そして加持の強い力、弟子はすぐに感受しました。そして上師に対する信仰はさらに強めました。当時の病状は危惧そのものでありまして、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持がなければ乗り越えることが出来なかったでしょう。息子のアンモニアの指数は非常に高く、血液透析を迫られていました。病院側は血液透析を早く決めらなければ息子の命が救えないと恐れていましたが、私の信仰には観想と真言と唱えれば、大丈夫かと思っていました。そして夜になって思った通りにアンモニアが下がり、兄弟子からも子供は心配しなくて平気、明後日には目が覚めるから家に帰って休みなさいとの電話が来ました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加持が有難く再び息子を救えました。リンチェンドルジェ・リンポチェありがとうございます。
ここ数年弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェの福報のお蔭で元の穏やかな日々を送っていました。しかし安逸しすぎて怠けてしまい、供養もしていなく日課もお粗末にしていて面目ない状況でした。上師への恩徳を返すことができないから、弟子が身、口、意を用いて世々代々尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを供養していきます。
そのうえ上師の法体安全健康、寿命極長、佛法事業の拡大をお祈り申し上げます。弟子が上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご恩を感謝致します。リンチェンドルジェ・リンポチェありがとうございます。心底からリンチェンドルジェ・リンポチェのすべてが吉祥円満でありますように願っております。
弟子 李麗惠 2008.12.12 にて
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2016 年 05 月 01 日 更新