304:暗闇の中の黎明
夜中静まっているときにいつも昔のことを思い浮かびます。あの年のあの日甥が天疱瘡に患っていたことは私がリンチェンドルジェ・リンポチェの存在を知るきっかけとなり、それがあったからこそ、今の私は穏やかで不安がらずに毎日を過ごせることになりました。
2004年私の結婚生活が破局になり、主人が家を出て、娘は私が引き取り自分で養育することになりました。強情な私にとって、人生が瞬間に暗闇に陥り、孤独や無力感に包まれ、どうしたらよいのかがわからないままでした。特に元夫が負けず嫌い性格のため、私には無実な冤罪まで背負わせられ、次から次へ裁判所の通知書が送られてきました。司法と戦いながら娘を傷付けないようにいつも気を配っていました。そのための独りで出廷する日々や、その心の苦痛とやりきれない気持ち、心と身に受けた衝撃は言葉では言い尽くせないほどのものでした。その時の私の唯一の救いは何度も法会を参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法開示によって私の枯れた心を開け、心の傷を和らげることが出来ました。持続的にリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示を得ることが出来たため、私の気持ちもだんだん落ち着き、目の前に再び明るい光が見えるようになり、娘と私を勇気付けてくれて、未来に邁進できるように導いてくれました。ですから、その年の12月に私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。
2005年の初めごろ、娘は父親が母親へ控訴した内容は事実ではない事を自ら証人として出廷しなければなりません。当時僅か8歳の娘を独りで法廷に立たせ、法官の尋問を直面させざるを得ない私の不安と辛さ、そして娘の恐怖感溢れる表情、母親として私はどうしたら娘の不安を消す事ができるのかわかりませんでした。そのため私は再び寶吉祥宝石店に行きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持をお願い申し上げたのです。あの日のあのシーンを私は永遠に忘れることが出来ないと思います。リンチェンドルジェ・リンポチェが娘に対して慈愛な口調で「怖がらないでいいの、私は傍で守っていますから」を言いました。この短かった言葉は目に見えない温かいものを娘の心に流れ込んで、冷えていた私達親子の心の中を力強く温めてくれて、私がとても感動させられ、歓喜のあまりに涙がこぼれてしまいました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を心底から感謝しております。娘が出廷した日、緊張せず法官と対面することができました。終わった後に娘がそう話してくれました:リンチェンドルジェ・リンポチェが法衣を着て霧の中から現れ、法官の傍に座って私に微笑んでくれましたから、私は恐怖と不安が消えました。このようなことがあったから、娘も同年7月にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。それから母娘が頼り合い一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェを追随し、一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェの福報加持を得ることができました。
何故私と元夫との解けることのできない恨みや葛藤、両親としての私達の犯した過ちが何の罪も無い娘に莫大な負担にのしかかることになるのでしょうか?私のできることはただただ悲しく痛むそして耐えずに懺悔していました。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を忘れずに、自分のしたことを自己責任で解決し、すべての苦難を受け入れていれば、苦痛がくっついて来ないでしょうと私はよくこうやって自問自答していました。心が苦しまなければ、苦は苦ではなくなると自分に言い聞かせました。今の私と娘はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があるから、夜は私達にとってはもう暗闇の夜ではなく、燦爛な黎明であるでしょう。
弟子 方惠芳 黃靖雅
2009年1月23日
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2015 年 11 月 11 日 更新