303:尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに敬意を

2002年の3月か4月ごろ、勤めていた元の職場を離れ新しい職場に移ろうとした時、同僚の羅さんから尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した話を偶然に聞き、「どんな種を撒いたらどんな結果に遭う」との奥深い話に胸が高鳴り、言葉では言い尽くせない悦びを感じさせられ、すぐにでも何方に伝え薦めたくなるものだと思いました。けれど、自分はまもなくその職場を離れるため、その場では自分は彼女が皈依した尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁したいとの願望を伝えないままとなりました。しかし、その後一緒に転勤した同僚の甥が脳腫瘍に罹ったり、社会人学校のクラスメートが体調を崩したり、義父が海外旅行中に脳梗塞になってしまったなど、一連の不幸が再び私を尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依するきっかけになりました。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを拝謁し始めのごろ、自分自身が自分の思考や行為に対して随時反省検視という認識がなくて、ただ加持を得られれば苦痛は解除できる、そのほかはすべて余計な事だと思い込んでいました。なのに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこんな私を許し加持してくれて、私の願いを叶えてくれました。そして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、仏法の教えを受けてから、初めてこういう貢高我慢な態度(高慢、傲り高ぶるな態度)や因果関係から招く果報を信じない無知さは既に輪廻の悪業の種を撒いたと知り、本当に悲しみ極まりました!

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが離さなかったお蔭で、私は皈依し仏法の教えを受けることができ、まず善業と悪業の因果関係を認識し、次第に布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若六波羅蜜の修行によって悪を止め善を行う源は徹底的に懺悔をすることで、それによって随時悪念を検視でき、悪行を阻止し、そして、場に応じて動き、自分の心をよく観想し、正念と正知を常に持ち、成辦利他の意義をきちんと理解して把握できようになり、純善の境地までに辿り着きます。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する時間が長ければ長いほど自分の微小さと間違いが目立つようになり、自分は間違いだらけ以外の何もありません。罪を犯した死刑犯と比べれば同じレベルに値するぐらいで、ただ自分は「大きいな過ちは犯さないものの小さな過ちは絶えない」、彼らのように一回完結というのではなかっただけでした。それとも自分がまだ残りの「福報」があり、そのお蔭でなんとか忍んできたのでしょう。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨に感謝致します。それがあったからこそ、悪を止め善を行うことを悟ることが出来て、悪業が遠ざかるきっかけを得ることが出来ました。

ここ数年尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの深甚な教法の中で、自分のいままでの人生は得るための悪念以外に施しの善念は全然ありませんでした。そのため、貪欲からの瞋恚(しんい)と愚痴そして傲慢と疑いは自然と数え切れない悪業の果に結びます。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの厳しい教誨がなければ、施しと得るの意味を永遠に悟ることができないままで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを拝謁し始めた頃にその身内の人の心身の苦痛を急いで解除してもらいたく、他人がなんのため自分の身内の苦痛を解除することを少しでも感じたりはしていませんでした!どうして身内の苦痛だと急いで解除したい、他にもっと必要な人に譲り身内の人に少しだけ辛抱してもらえなかったのか?それらの脱序行為はすべて貪、瞋、痴、慢、疑に離れられなかったためでしょう。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えがなければ自分の心の荒さを知るよしもなかった!暗闇にある意念の欲張りを知るよしもなかった!これらいろいろ自分にも気が付かない悪念悪習慣とは心が環境に流され、悪果の芽を切っても切れない状況を生み出させたのでした。貰わなければ損するかのように貰って、貰って、貰って、貰い続けて、自分ばかり貰いっぱなしでいたら他の人は如何すればよいのかは全然気に留なかったのです。そのため、借り、借り、借り、借り尽きることがなく、返す、返す、返す、一生を掛けて返しても返しきれず、もう一世の輪廻を回すことに陥り、しかし返しきれない輪廻の中でも貰う悪習を懺悔せずに貰い続けているので、輪廻の渦輪から脱離することができないままでした!

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨を感謝しています。そのお蔭で自分に一挙手投足一顧みの眼差しはすべて施しと受けるが存在していることを用心させられました。縁に付随して過ごし、境遇に付随して平穏さを保つことによって、利、衰、誉、称、譏、苦、楽を乗り越えられ、悪境を捨てて惑を減らすようになり、怠けが無くせば善が増すことになり、知性が澄んで法を確信する境地になります。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの再三な教えがなければ、ちゃんとした気持ちでこの因縁を悟ることもできる訳がないままではないでしょうか?

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにしっかりと追随しながら戒より定めを得る智慧を得る法門を学び、貪、瞋、痴、慢、疑のような累世悪習を徹底的に取り除かなければ輪廻の苦を脱離することができません。罪業を徹底的に懺悔することこそ、強烈な出離心を感ずて、三寳に対する信心や恭敬心が湧き出し、それによってさらに無所求の清浄心を生みます。教法に従って行った正知・正見によって六度万行諸功徳、衆生が自分と共に成仏できるようの正果を修めることができるのです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが絶えず言い聞かせ目を離さない厳しい教え方のお蔭で、怠ける隙もなく、累世悪習と向かい合う勇気をいただきました。悪習の根を徹底的に切ることによって、命が難関に面した時にも罪を造ることなく仏子のあるべき行為ということができるからこそ、本当に輪廻の苦痛から脱離できるようになります。

第三組弟子 彭智寬 拜書

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2017 年 03 月 30 日 更新