300:慈悲と智慧

2005年7月末、父は食べていたものの連続数日出るものがなかった、腹部には時々著しく音がするし、ある土曜日の夕方、お腹が絞られるような痛みに耐えられずすぐに救急病院に駆けこんだら、当直の医者は腎臓炎と判断、同時に飲食禁止の命令が出されていました。腎臓と痛みの位置が一致しているかどうかは疑問が湧いていましたが、それでも医者の指示に従っていました。日曜日昼間過ぎにお医者さんに父の状況を確認していたら、医者に腎臓炎症の指数が下がったので退院してよいと言われました。帰宅の準備をしているとちょうど急診室の日直が交代して別の医者の担当になりました。この医師こそ主治医だとわかり、もう一回病状を訴えてみしたら、父がすぐに超音波室への検査になり、そしてさらに詳しい精密検査が必要と言われ、主任医師から大腸がん三期との疑いがあるとの判定が下り、外科に回しさらなる治療を受ける必要があることになりました。

突然の飲食禁止命令は普段規則正しい生活を送っていた父を苦しめていました。家族の苦しみを見に見ぬ振りができないのにどうにもならないこの気持ち、弟と私が急いでいろんな手を考え、父を急診室から一般病棟に戻す方法を探りながら電話をしまくったのでした。しかしすべての手を尽くしたけれど、はっきりとした答えが得られないままでした。火曜日出勤途中に、二年前高校の友達が上師リンチェンドルジェ・リンポチェのことを紹介したことを思い浮かび、私も実際にお会いしたことがありましたので、そこで私がリンチェンドルジェ・リンポチェの模様を観想し始め、心底からリンチェンドルジェ・リンポチェのお助けを申し出し懇願していました。それでお昼前に家族からの電話で父が一般病棟に移されたことを知り、不思議とともにリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝の気持ちがいっぱいになり、時間を見つけて寶吉祥へリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝の気持ちを伝えに行きたく思うようになりました。続けての数日は手術して生体結果の報告を待っていたら、やはり大腸がん第三期しかもリンパに転移したとのことを知らされました。母の実家には癌の家系がありましたので、そのためリンパへ転移されたとの説明を聞いた瞬間、父がもうそう長くはないだろうと悟りました。人間の寿命は操られることではないとわかっているが、それでも父がガン末期の苦しみを耐えることは見るに忍びないから、リンチェンドルジェ・リンポチェにどうか父が生きている間苦しまないで済むようにお願い申したくなります。

寶吉祥にリンチェンドルジェ・リンポチェにお目見えしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェが父のために加持してくれると承諾していただいた、その時何故か私は突然無神経に父の寿命を尋ねたのでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは3ヶ月だと答えてくれましたが、涙溢れる私は更に、どうすれば父のためになるのと聞きました。リンチェンドルジェ・リンポチェはお父様の名義で善事を実行するとよい、そしてお母様を来させるようにと親切に話してくれました。しかしお金で善事をすることが出来ない私にとって、できることは父に代わって基本の素食で善を積むしかないと考え、その日の夕食から素食し始めました。

そしてその後母と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに会いにいきまして、母が父の状況を説明し終わったら、どんなことがお望み?とリンチェンドルジェ・リンポチェに聞かれて、母は父が元気回復して欲しいと答えたら、リンチェンドルジェ・リンポチェが人間は誰かも死にますと微笑んで答えました。お家に帰ってよく考えてからまた会いに来たらと言われました。翌日母が独りで再びリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行きましたら、リンチェンドルジェ・リンポチェがその週の金曜日に行われていた施身法を参加するように言われ、母もそれに従いました。命は期限があることは誰だって知っている、それでも私の心はそれと向き合うことができない。そしてやはり「三ヶ月」というのは重すぎて、家族にはどうしても打ち上げることが出来ないままになりました。そんな中、三ヶ月が過ぎて、父が無事に生きていてくれた、そのため私は感謝の気持ちいっぱいでリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェにどうしたのと聞かれ、私は助けてくれてありがとうございますと答えたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは御礼する必要はない、私は何のお助けもしていないと言いました。そこで私は私自身に自分を助けた機会をリンチェンドルジェ・リンポチェが与えてくれたと悟りました、とても有難く感謝しています。

リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生済度のやり方は数千パターンがあるのでしょう。リンチェンドルジェ・リンポチェが違う方法で父、母そして私を救えてくれました。それこそリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と智慧を表しています。

父が入院している間、同僚のお父さんそして主人のおばも癌に侵されて、彼らは穏やかに亡くなることが出来ませんでした。しかし父はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持によっていまでも健在していて、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝感激しています。

すべての因縁が回ってきたから、2008年の11月2日に私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。皈依してからリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲そして智慧にさらなる理解が得ることができました。弟子としてはしっかり佛法を学び、しっかり修行をすることしか上師への恩返しの方法がありません。

弟子蕭友婷  2009年1月10日

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2015 年 07 月 10 日 更新