299:人間にも菩薩がいるのです
小さい時から家の仏壇には媽祖を祭られていて、両親の宗教信仰に従って、道教の一貫道を信仰してきました。
1993年2月初春のある午後、同僚の潘さんはお義父さんが亡くなったので天禅寺へ焼香し晩課をしなければならないため、私も一緒に行ってくれないかと聞かされてお伴にしました。当日大雄宝殿に入り、宝殿内の佛菩薩を眺める瞬間に涙が洪水のように流れ出し、口から出てきた言葉は「私は此処に居たくない、私はお家に(浄土)帰りたい」でした。言葉では言い尽くせない震撼そして動悸を感じ、その場で突然強烈な願望が生じた、宝殿内の佛菩薩に自分が根本上師に出会えるように、自分を生死から抜き出せ浄土に帰られるように祈りました。長い間封印された記憶がやっと開封されたかのように、その瞬間言葉では言い尽くせない歓喜そして感動が込み上がって、心底から修行したいという願望が芽生えて、それから14年間もの間各宗派や各顕密宗の道場で行き来しながら捜し求め続けました。
2007年同じ2月のとある初春の午後、友達の紹介で褚さんの会社に伺いお仕事の打ち合わせをしに行きました。そこで瑞珍さんがあるリンポチェがどのように衆生を渡化した伝説を語っていたのを偶然に耳にして、心には莫大な歓喜と感動が再び込上げて、褚さんに寶吉祥に行くことを手配してもらいました。寶吉祥にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁をしに行った時、番号順は後ろのほうだったため、ゆっくりと他の方との接し方を傍聴することが出来ました。隅の席から眺めていて、初めてこの大修行者を見た瞬間、何故か懐かしさのようなものに震撼させられました。佛菩薩の前で具徳上師に巡り合わせるようにお祈りしたシーンが思い浮かび、目に涙が溢れて、涙を溢さないように一生懸命我慢していました。やっと自分の番になって、跪く祈願していた時はもう我慢しきれず涙がこぼれてしまい、頭の中が真っ白になり、喋るのも考えるのも出来ない状況に陥りました。このような慈悲的な摂授力そして激しい動悸を受けた心の内は中々回復できず、二夜連続に大泣きしていた、その挙句に寺廟に出掛け観音菩薩にやっと根本上師に出会えたこの大因縁大福徳を賜ったお礼を申し上げました。
2007年2月施身法を参加してから2008年6月皈依するまで、「人身を得ることが難しく、仏法を聞くのは難しく、上師に出会えるのは難しく」の道理を更に理解できて、そのうえ上師慈悲願力の加持のお蔭で過去世の自分の身・口・意の悪業はどんなに重いものなのか、そのため六道輪廻苦海の中で行ったり来たりしていたことがやっと理解できました。毎回尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を広めるため各地に駆け付けする苦労や衆生を渡化するための空性な大慈悲・空性な大智慧そして大願力、もし菩薩でなければどうやり遂げられるのでしょう。
この乱世な末法の時代でリンチェンドルジェ・リンポチェのような人間菩薩に出会えたことを諸佛菩薩様に恩に着ます。ここにで、皆様も私のように大因縁福報を手に入れ人間菩薩に出会えますように祈っております。
許碧霜 2008-12-28
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2015 年 07 月 10 日 更新