297:三千大千世界の黄金を用いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを供養しても、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳への恩は返す事が出来ないです
私は第八組の呂芝閩です。2006年1月15日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。それでこの一生は無駄にしたわけではありませんでした。
初めて寶吉祥仏法センターの道場で共修法会を参加したとき、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞きまして、上師が開示された一言一言は宝物であり、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を説くのではなく、行動で見本を示して私達に仏法を見せていきました。その時私はすべての共修法会を逃す訳にはいかないと自分に言い聞かせました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずにご自分の大威徳大願力、大慈悲心を用いてすべての有情衆生に利益をし、私は仏法の偉大さと慈悲に感動させられました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝仏法とは、各種の法門で衆生を助け生死輪廻の苦海から解脱させ、永遠の苦しみから離れさせ、永遠の楽を得るためにあります。どこに行ってもこのように弟子を教誨するような上師は居ないのでしょう。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母への手助けに感謝申し上げます。三千の大千世界の黄金を用いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを供養しても上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳を返すことが出来ません。
2007年3月の始め母が三度目の脳梗塞になり、台中栄民総医院の医者に母が脳死状態になったと言われました。当時私は尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェがインドの北部のパンジャブのシーク教区の有名な大きい町ジャランダルで仏法を広め衆生に利益するために開催される法会に参加していました。そんなある日、突然私の頭が誰かに捻られたように痛みが走り、思わずに頭が折れたと悲鳴を上げました。以来心がずっと震えていて不安なままで台湾に帰り、帰国してすぐに母が入院したことを知りました。実は6歳以降母は私達と一緒に暮していませんでした。母が私の面倒を見れなかったことをずっと引きずりながら、もしいつか死んだら自分のお葬式などを私に託したいと何度も言いました。
そんなことがあって、1983年3月1日のことを思い出しました。あの日母が私にこう言いました:土城の承天寺に果物師と呼ばれる師父がいるから、貴女を皈依してもらうために連れて行くけど、師父がいるかどうかは運任せにします。当時私は皈依の意味がわからなくて、ただいいよと返事しました。あの日は大雄寶殿に行き、年輩で痩せ型のお坊さんが老朽な椅子に座り、私は母に従って跪くして比丘尼と皈依文を読んだ記憶があり、それが私が初めて三寶に触れた経験で、廣欽老和尚は得道な高僧であることは後で知りました。あんなに早くも顕教に皈依する因縁があったのにも関わらず、私は相変わらずに戒を犯し、自己中心で傲慢を極め、人生のどん底まで陥ってしまいました。仏菩薩が私を放棄しなく、そのうえ尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨を得ることが出来て、自分の誤りを再度検視する機会をくださり、仏法の真意を再認識することができたこと恩に着ます。母が集中治療室で意識不明なまま一週間過ぎ、生死を彷徨い続けていました。死に直面する一番辛い時に、子供として何一つ力になりませんでした。
直貢噶舉派の尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してからは密法の中にあるポワ法の殊勝を知り、その殊勝は言葉では言い尽くせないものであり、心の中は母が上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られることを切願しているため急いで寶吉祥に駆け込んで、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母が脳梗塞のため台中の栄民総医院の集中治療室に入院し、医者に脳死状態だと宣告されたことを言い、尊き上師の力で母が阿弥陀仏浄土に行けますようにお願い致しました。その時尊き上師は法座の上で修法していて、私に弟がいるかどうかを確認され、母親が二番目の弟を心残りであることを言われました。確かに母が再婚後私には3人の同母異父の弟ができまして、その中の二番目の弟はかつて鼻咽癌を患われたことがありました。その場で尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに二点の事項を命じさせされました。そのため私は急いで台中に行き、弟3人を母の所に呼び寄せました。そして第一点、上の弟と三番目の弟に二番目の弟の面倒を見ることを母の前に言わせ、母を安心させます。二点目は私自身が母に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは佛菩薩があなたを助けるから安心していいよと言いました。その二件を伝えたら台北に帰るつもりでいましたが、その日の午後5時ごろ病院から母の血圧が急速に下がり、急いで家に連れ戻ったほうがよいとの連絡がありまして、家に着いたらまもなく母が逝きました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母の頭の上にいるように観想せよと兄弟子が助言してくれたことを感謝しています。それをしながら弟三人と連続で10時間を念仏しましたら、母の表情がとても安らかなに、火葬した後も不思議な瑞相が現れ、それはきっと母が上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得て素晴らしいところに行った表しだと思いました。そのため、私達は悲しむこともなく、臨終の際に具徳実修実証大修行の成就者—-尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な加持を得られた母は幸せだと思いました。
このような恩徳、私が仏法の偉大さと平等に感動し、仏法の価値は無限であり、弟子は恭敬懺悔な気持ちで一生懸命仏法を学び、身口意で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを供養することを切に願います。
上師の御身体のご健勝をお祈り申し上げます
尊き身命は極め末永くなるようにお祈り申し上げます
ご事業が円満隆盛でありますように
そして無離上師の加持を得られるようにお願い申し上げます
弟子 慧妮卓瑪(呂芝閩) かしこ
2009年1月17日
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2015 年 07 月 10 日 更新