296:仏道

私がこのような病を患い、松山病院(中文:松山醫院)内科主任の謝医師と知り合い、それによって尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢う因縁が実ったことについて、仏様、菩薩様の御手配に非常に感謝致しております。もともと、風邪のための発熱だと思っていたので、数日薬を飲むだけで治るはずでした。思いもよらぬことに、小さな風邪でほぼ三ヶ月もの薬を飲み、近くの個人病院、漢方医にも診てもらいましたが一向に良くならず、しかも、診てもらうほど酷くなっていました。咳にも血を帯び、仕事にも行けなくなりました。手が水にちょっと触れただけで咳が出、ご飯を一口食べても咳が出、咳で米粒まで噴出すほどでした。よく寝られず、横になっただけでも咳で涙が出るほどで、咳をすると胃腸さえも痛みました。この時初めて、病の苦しみというものを理解しました。本当に苦し過ぎました。その後、友人の紹介で謝主任と知り合いました。私の友人は、「謝主任はこの方面の疾病を得意としていて、優れた医術を持っているので、診てもらったらどうか」とアドバイスしてくれました。本当にその通りで、謝主任の薬を飲んで、確実に治癒されていき、ゆっくり眠れるようになり、咳の回数も減ってきました。しかし、気管支炎は慢性病であったので、良くなるまでには、しばらくの間薬を服用しなければなりませんでした。

2001年頃、世間話をしていた時に、謝主任はふと、私の父母について聞かれました。「父母は既に他界している」と告げると、「お父さん、お母さんがどこに行ったのか知りたくないか」と尋ねられましたので、「勿論知りたい」と答えました。すると、謝主任は、主任が皈依した伝法上師で、唯一の漢人で在家の尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェを紹介されました。謝主任は、「上師に聞いてもいいんですよ」と仰いました。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにまみえた時、父母は他界後どこにいるのかを聞こうと焦っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「施身法にたくさん参加することが亡き者の助けになり、お父さん、お母さんを善道に行かせることができる」と仰いました。続いて、「どんな職業に従事しているのか」と尋ねられましたので、「肉食のレストラン業に携わっている」と答えると、すぐに「菜食も可能だ」と語り、続いて「あなた方の収入の4分の1を善行に使っているかどうか」と尋ねられましたので、私と兄は「ありません。毎月数千円だけを定期的に寄付しているだけ」と答えました。教示が終わった後、施身法の参加申し込みをしました。心からリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べたいと思います。これらの御言葉を私はずっと心に刻みつけ、ためしに、毎月収入の4分の1を善行に使ってみることにしました。そして、姉には、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に肉食をやめて菜食をやるようにと説かれたと、話しました。しかし皆は受け入れられませんでした。眼前の利益ばかり考え、お金が儲かればいいとだけ考えていました。更に、これは正当な商売であり、違法ではないとも言っていました。肉食業界に従事することは殺生業が重く、その果報が非常に恐いことを理解できませんでした。父は他界した時、喉頭癌で往ったのです。母はビルから飛降り自殺をしました。肉食の飲食業に従事し、衆生の肉を売り、また、タバコ・酒を売っている…その果報は実に恐ろしいものです。父母には仏法を聴聞する因縁、福徳がありませんでしたので、自分がどんな悪業を為したのか知らず、自ら三悪道の因を植えていたのです。私は幸い、尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに出逢い、チベット仏教ディクン・カギュ派の大法会にも参加できました。謝主任は、「リンチェンドルジェ・リンポチェは、嘗て、漢方でも西洋医学でも治せない病気は業障であると説かれたことがあり、あなたが大法会に参加することで業障を滅し、病苦から解き放たれることができる」と仰いました。実のところ、チベット仏教には全く触れたことがなく、ただ、私の病を治癒して下さった謝主任には心から感謝しておりました。ですから、謝主任には、全てを受け入れて、全てを信じると言いました。その後、私は続けて数回の大法会に参加しました。これらの大法会は、尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェにより計画主催されたものでした。リンチェンドルジェ・リンポチェの大悲願により、法会は一年、一年と円満となり、更に多くの衆生が因縁福徳によってリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られています。

2002年6月30日、桃園アリーナにおいて開催された万人大法会は、チベット仏教ディクン・カギュ派の三十七代チェ・チァン法王が自ら主催され、殊勝なる阿弥陀仏浄土法門のポワ法と本尊の葉衣仏母の無病息災の法を修められました。自分は誠心誠意で法会に参加し、修法者に恭敬心をもって、その御恩に感謝しました。自分の過去に犯した悪業を非常に罪悪であったと理解し、衆生の為に福徳を修法される法王の慈悲心を感じました。殊勝な大法会によって、衆生は大きな利益を得ることができます。思い返せば、数ヶ月間分の薬を飲まずに済み、病苦の苦しみが和らぎ、身体も徐々に改善され、以前より健康になりました。これら一切について、尊貴なる法王に感謝申し上げます。更に、眠らず休まないで寶吉祥の弟子達を率いて黙々と大法会を計画された尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお陰で、殊勝なる法会は円満に終了いたし、衆生は病苦から解き放たれました。始めてチベット仏教ディクン・カギュ派の大法会に参加してから、大法会の殊勝さと、仏様・菩薩様の慈悲を深く深く感じております。また、謝主任のところへ行き、次に大法会を行う時には必ず参加する故、通知してもらいたいとお願いしました。

2003年、敬安(Che-nga)リンポチェ主催による釈迦能仁金剛座灌頂法会は、私が初めて甘露水を戴いた法会でもありました。これ以後、自然と肉、魚を食したくなくなり、菜食になりました。菜食となった年、小さい頃から今まで治らなかった蕁麻疹が、薬なくして治癒されて完全に消え、二度とできなくなったことに気付きました。続いて、ドラブ・ワン・リンポチェ主催による観世音菩薩六字真言実修浄土大法会、チベット仏教ディクン・カギュ派の大法会に参加しました。参加する度に、収穫は非常に大きく、為になることが沢山ありました。2003年は、ローチェン・リンポチェ主催による大白傘蓋仏母灌頂大法会、及び、2004年には、ガーチェン・リンポチェ主催の長寿仏灌頂及び金剛薩埵済度大法会、並びにローチェン・リンポチェ主催の蓮師及び大白傘蓋仏母大法会に参加しました。こんなに多くの殊勝な大法会に参加し、身体の体質も変わり健康になり、気管支炎も薬なしに癒され、平常の良くない嗜みも改善されました。本当に素晴らしいことです。大法会への参加を通して、良くない悪習慣が徐々に改められました。自分はただ単に一人の信徒に過ぎず、まだリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子ではありませんでしたが、2005年、尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら主催する阿弥陀仏無遮大済度法会(中文:阿彌陀仏無遮大超渡法會)に参加するまでは、宗派の大法会によって大きな助けを得、大きな利益を得、自然に自分の悪習慣を改善していました。法会が円満に終了したその日の晩、私は、ある夢を見ました。夢の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に厳かに高座の上に座していらっしゃり、私は地べたに跪き大泣きをし、自分を皈依弟子にして欲しいと願っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェの御姿は非常に厳かで立派でしたが、頭を縦にふらず、横にもふりませんでした。このような光景がとてもはっきりと夢に現れました。私は、尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することをこんなにも渇望していたのでこの様な夢を見たのだろうと考えていました。また、幼い頃から現在に至るまで、父母についてずっと肉食業を営んでおり、この様な深重な罪業は、どうしたらよいのか本当に分かりませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェの大法会に参加後、私は、自分と切っても切れない非常に重要な問題について考えていました。それは即ち、私は悪業から離れなければならず、現在の仕事を辞めなければならないことでした。実のところ、私は一度もこの職業を好んだことはありませんでしたが、仕方なく受け入れていただけでした。丁度この事について悩んでいると、近くに住む董姉さんが現れ、私に告げました。尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したと。そして、甘露丸を三粒くれました。私は彼女にお礼をし、彼女の為に喜び、祝福しました。しかし、自分はどうしたらよいのかまだ分かりませんでした。自分が見た夢を話すと、彼女は私を慰めるように言いました。「大丈夫。リンチェンドルジェ・リンポチェに会ったら、どうしたいいのか分かるわ。」リンチェンドルジェ・リンポチェに実際にお会いした時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私が何を考えているのか全てお見通しでした。夢の事をリンチェンドルジェ・リンポチェにお話しし、私の皈依を受け入れて下さるよう願うと、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く仰いました。「私の時間が来たので、皈依の登録をするように」と。また、「日曜日の法会に参加するように」とも仰いました。私はリンチェンドルジェ・リンポチェに、「誰も私に通知してくれなかったので、来なければならないことを知りませんでした」と報告すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「仏法を学ぶには、積極的でなくてはならず、受身ではいけない」と執われかれました。リンチェンドルジェ・リンポチェが頷いて皈依の登録をするように仰られた時、胸中、この様に高徳で、修行の量を具え、大能力、実修実証の大修行者に皈依できることに、非常に感激し、非常に感動していました。

リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した故に、自己の一切全てに変化がありました。悪業からスムーズに離れることもできました。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子の為に何でもしてくれました。私は心に深く刻みつけ、忘れはしませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を光明に向かう正道に導きます。善なる方向に向かってこそ、将来は浄土に往生することが叶い、二度と六道輪廻の苦しみを味わわなくてよいのです。今になってやっと理解できた事とは、人生において最も重要なのは仏法であることでした。私は既に、私の人生において多くの時間を費やしてしまいました。この機会をしっかり把握し、現在を大切にしなければなりません。リンチェンドルジェ・リンポチェは、いつも、こう説かれます。「仏法を学ぶ心は勇猛にまっすぐ前に進まなければならない。自分に対しては多少残忍になりなさい。死を恐れてはならない。病を恐れてはならない。痛みを恐れてはならない。苦しみを恐れてはならない。困難を恐れてはならない。」リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教えは、まっすぐ心を指し、直接きっぱりと言い、私達の過失がどこにあるのかを知らせるものです。また、途切れることなく私達を矯正し、自分を変えるよう戒め、仏法を用いて日々を送り利他の心を学ばせ、自分の身口意に悪念がないかどうかを確認させ、毎日睡眠前に自分の過ちを内省させ、過ちがあったらすぐに懺悔して二度と過ちを犯させないようにするものです。金剛上師は生生世世、私達が仏果に至るまで面倒を見てくれ、上師と弟子の関係は非常に密切で、上師なくては私はなく、弟子は上師に与えてもらった大きな恩徳を忘れることはできません。いつも上師への恭敬心をもって供養し、上師の功徳を讃え、上師を敬い、話を聞き入れる弟子とならなければなりません。尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが長らくこの世に住し、常しえに法輪を回され、仏法事業が円満でありますように御祈り申し上げます。

弟子 王玉英

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2014 年 12 月 21 日 更新