291:私の厭離心
外の作業代行箇所に依頼し、持って帰ってきた縫製済みの服を店内に置き、店を出て、車を駐車場に止める為に、車のドアに手を伸ばそうとした時、王さん(現在は同宗派の金剛法友)が手を振りながら、急ぎ足で私に近づき言いました。「すごく殊勝なものを見せてあげる。きっと見た事はないと思うわ。」私は次の動作を止め、彼女の手の上に現れようとしている宝物に注目しました。“え、写真?!”疑惑の眼差しを写真に注ぐと、それは火葬後の頭蓋骨の写真でした。それと同時に、耳元に、彼女の若干興奮を帯びた高く響く調子で、「頭上の平たい小さな丸い穴、見たことある?」という声が聞こえました。更に詳しくその写真を眺め、「見えたわ」と言うと、更に響き渡る声が耳に入ってきました。「これは、私達の尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェがポア法によって、亡くなった者を済度した時にできるものなの。すごく殊勝でしょう?見たことあった?初めてでしょう!」本当に不思議でした。この世に生まれて60年になろうとする時に、初めて済度された往生者を見、また、往生者の身体には済度された跡が残っていたのです。
その後、幸いにも、彼女の称賛する上師リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生済度の出来事を聞きました。そして、非常に慎重に、「一生で徳を具える大修行者に出会える縁があるというのは、非常に貴重なこと。この機縁を大切にしなければいけない」と言ってくれました。このように彼女の非常に熱心な導きがあり、逸仙路の寶吉祥宝石店でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めました。それからというもの、頭に、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時の状況とリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い御言葉が浮かんできました。「………貴女には彼らを救う能力はない……貴女のは厭離心であって、出離心ではない……帰ってからもう一度よく考えみなさい……。」
ここ10年余りを思い返すと、最も親しかった家族の3人が永遠に私から離れていきました。私は本当に彼らを救う能力はありませんでした。この一生を50余年生きてきた自分自身でさえも、無知から多くの衆生を傷つけてきているのです。懺悔する他は、彼らを助ける能力は全くないのです。更に、この世の無常を考えていると、知らぬ間に心の奥深くから「二度と生まれて来たくない。この世はこんなにも苦しいのだから!」という叫び声が聞こえて来ました。これは、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた時の慈悲深い教示と同じではないでしょうか?その後、法友に熱心に導かれて、阿弥陀仏無遮大法要(中文:阿彌陀佛無遮大法會)に二度、日本の小さい汽車の中での施身法会に参加しました。2007年末、生死を解脱し、二度と輪迴の苦しみを受けない為には、徳を具えた上師リンチェンドルジェ・リンポチェに依止して仏法の教えを受けることしか方法はないことをはっきり理解しました。そこで、2008年1月2日、寶吉祥宝石店でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、誠心誠意で皈依を求めました。尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私の願いを聞き入れて下さり、2008年1月6日、寶吉祥仏法センターのリンチェンドルジェ・リンポチェの門下の弟子として皈依を致しました。慈悲により一切衆生を苦しみから救って下さる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝申し上げます。
弟子 陳任黃 2009年1月2日
« 前へ – 衆生済度の事跡へ戻る – 次へ »
2014 年 12 月 21 日 更新