289:尊貴なる慈悲深い上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、諸々の仏様、菩薩様

法友の皆様、こんにちは。私は今年新しく皈依した張光宇と申します。48年前、私が10歲であった時、伯父は、その年に空軍総司令部の人事署長から国防部動員局の少将副局長に異動しました。私たちは、人事署長が金回りがよく権力を持つ職務であったことを知っていましたが、伯父は将軍の身でありましたので、一着の背広も一足の革靴さえも持たず、人が贈り物を持って来ると、怒鳴り返す様な人でした。出勤時には黒いカンフーシューズを履き、清廉潔白で堅固な志節を持ち長官にふさわしく立派でした。人生の前半はこの様に素晴らしいものでしたが、ある日、局長の代わりに公的な視察をしていた途中、田んぼの中で、乗っていたジープがコンクリート製電柱を引っ張ったことから、手元が狂い転倒し、伯父は後頭部をぶつけてしまいました。当時の神経外科の手術は今ほど進歩しておらず、伯父は二日後に他界しました。その時小さかった私は一時的に悲しんだものの、徐々にその事を忘ており、只、伯父は何と運が悪かったのだろうかと思うだけでした!

32年前、私と一番上の弟は同年に軍校を卒業し、本来なら二つの喜びを一緒に祝うはずでした。しかし、弟は卒業の前の晩に、溺れて亡くなってしまいました。弟は軍人水泳大会で二位だったのに!今回の事故は、もともと楽しく和やかだった家庭に非常に大きな変化を及ぼしました。家族は霧の晴れない愁いの中におり、過去の幸せは再び訪れませんでした。私自身の人生観も変わり、その後、私の学生達も、張教官の人生における座右の銘は、思想は悲観的であるが、行動は楽観的–ということを知っていました。これは如何に矛盾した人生観でしょうか!幸い専門の仕事上では、堅固で慎重でした。しかし、この時から、行動を楽しくする思想が私の一生を操っていました。

1995年、偶然の機縁によって、歯科医のクラスメートに伴い寶吉祥に行き、クラスメートに対するリンチェンドルジェ・リンポチェの教示を拝聴しました。その時は、リンチェンドルジェ・リンポチェの広東語訛りが非常に印象的でした。その後の2002年、光栄にも、法友の魏さんの御蔭で、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの為のほんの小さな御手伝いをすることができました。

昨年8月のある朝、悪夢が再び起こりました。一番下の弟が私の代わりに用事をする為に、バイクに乗って出掛けたところ、道の途中で、脇から突然飛び出してきた子供を避けようとして、バイクを転倒させ重傷を負い、救急車で国泰病院の緊急治療室に運ばれました。知らせを受けた私は急いで緊急治療室に駆け込みましたが、驚きのあまりつっ立ていました。弟の耳鼻口の五孔からは一回、又一回と呼吸に従い大量の血が噴出していました。弟の怪我がこんなに酷いとは思いも寄りませんでした。がっしりした体格の弟は、転倒した後、身体の左側を先に地面に打ち付け、転がって右側の頭部をグリーンベルトのコンクリートの縁にぶつけ、頭蓋骨内の大量出血を引き起こしていたのでした。コンピュータの断層走査によると脳全体が左側に圧迫され、頭蓋骨內及び頚椎の多数箇所に骨折が見られ、左胸部の肋骨も6本折れていました。私の神経外科のクラスメートは、特別診察を見ずに、汐止分院から戻ってきて弟の為に緊急手術を行ってくれました。クラスメートは、「救えるかどうかは分からない。救えたとしても、植物人間になってしまうかどうかも分からない」と言っていました。父母が一度、二度ではなく三度までも衝撃をうけることを考えると、愛情と恐れから、私はこの事を家族に内緒にし、ただ、弟の妻と娘にだけ知らせました。

極端に気が抜け非常な無力感を感じる中、私は慈悲の上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、国泰病院で昏睡指数が3の弟に加持を授けて下さるよう強く願いました。今思い返せば、その時は実に思いきってリンチェンドルジェ・リンポチェに願い、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、全く迷わずに承諾して下さいました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、集中治療室から出て来ると、私に、「張先生、弟さんは、生きていますよ!」ときっぱりと言い、更に、私と弟しか知らないいくつかの事を話されました。リンチェンドルジェ・リンポチェの話によって私は宝を獲得したような心持ちがし、忽ち安心感で満たされ、限りない希望が湧いて来ました。弟が徐々に意識を取り戻した後、父母に今回の事故について告げることができました。心から上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲に感謝を申し上げます!

昨年の事故以来、私は法会に参加し菜食を始めました。寶吉祥の法友達は私を見て「張先生、来られたのですね」と言いました。私は恥ずかしさを感じながらも「そう、縁が来たのです」と答えました。初めての上師リンチェンドルジェ・リンポチェとの邂逅から数えてみると、既に12年の月日が流れていました。

法会で上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教示を拝聴し、私は、上師の弟子達及び私に対する慈悲と寛容の大きさを感じざるを得ません。突発的に起こったものだと考えていた過去の事故には、実は因果関係があったことを理解しました!私がずっと動物の脳みそで思考し暮らしていた日々を考えると、実に冷や汗を掻く程、恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちがします。よって、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの語る仏法の修行の通り、まず初めに、自分の行動を改善しなければなりません。私達が衆生を利益する事はまだまだ、ほど遠いのです!

法会において、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの諄々たる教えに導かれた優秀な各法友達、特に、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下に成長する福徳を持ち合わせた多くの小さな子供達を見かけると、なんと幸せなことなのだろうと感じます!

再び、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と寬容に感謝を申し上げます。また、各法友の方々には、私に皆さんと分かち合う機会を与えて下さり、心から感謝を致しております。有難うございました!

張光宇 2007年

« 前へ衆生済度の事跡へ戻る次へ »

2013 年 04 月 06 日 更新