286:リンチェンドルジェ・リンポチェが母をご加持、家族に仏法を開示してくださったことに感謝

母は、2006年5月に肺腺癌の末期であることが確認されました。当時癌細胞は全身に蔓延しており、私は母の体質を維持してくれる漢方医を探す一方、どのようにして母の余生に付き添うかを考え、母が引き続き御仏を信じるように励ましました(註:母はもともと御仏に心を向けておりましたが、まだ皈依していませんでした)。

同年8月、母はある顕教法師に皈依し、毎週土曜日の午後は木柵のあるお寺で阿弥陀経を唱え、毎日写経をし、仏教音楽を聴いていました。当時家内の趙予玟(現在第五組の皈依弟子)が、幸いにも毎月リンチェンドルジェ・リンポチェが自ら行われる施身法会に参加しており、母の御仏に向う心が堅固だったからか、家内の関係からか、2007年6月前後に福報が累積され、めでたくも母を連れて逸仙路の、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしに行くことになりました。ただこの時はリンチェンドルジェ・リンポチェはちょうど閉関修行中で、お会いできませんでした。この期間家内は逸仙路の頂礼によく行き、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に向かい、姑がリンチェンドルジェ・リンポチェに接見が叶いますようにと祈っておりました。私も仏菩薩に一心にお祈りして、一生を家族のために尽してきた善良な母をお憐れみくださって、リンチェンドルジェ・リンポチェの閉関修行が明けるまで母を長らえさせてくださいとずっと祈り続けました。

リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲により、2007年8月半ば、母が二回目に寶吉祥へ謁見に行ったとき、リンチェンドルジェ・リンポチェはお慈悲深く母を加持してくださり、私達に、母を伴って民権西路の道場の法会に参加することをお許しくださいました。

母は病気の身体を支えて、毎週日曜日の法会に参加し、毎月の施身法と年度の大法会にも参加しました。初めて法会に参加した時は、母は定心丸でも呑んだかのように、心境は以前よりも平静でした。このようにして11月上旬には、疼痛で我慢できないので、私は忍びなく家で母に付き添いました。

母が亡くなる一週間前後に、私は逸仙路の寶吉祥へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いして、「母はここ数日で亡くなるような気がいたします」と申し上げましたら、リンチェンドルジェ・リンポチェははっきりと、しかしとてもやさしい口ぶりで「そうですよ」とおっしゃって、そのお顔は慈悲に溢れておられました。それから「お母さんはあなたに何か言い渡しましたか?」とおっしゃるので、「はい、病院へ連れて行かないでと言いました」と答えましたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「ではお母さんの言うとおりにしておあげなさい」とおっしゃいました。私はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝の頂礼をしてから去りました。

母が亡くなる前日の午後、私は母のベッドの傍の畳に休んでいましたが、切羽詰った呼吸音、喉に痰の詰まった音に目ざめました。母が亡くなるとは思いませんでしたので、親不孝の私はやはり母を病院へ連れて行き、急診室で痰を抜いてもらい、母を苦しませました。私は何日もよく眠っていなかったので、叔母さんの主人と家内とが急診室で変わって看てくれるというので、家に帰ってしばらく休みました。

正午近くに、一種特殊な感覚に呼び覚まされて、私は知らないうちにリンチェンドルジェ・リンポチェの仏教DVDの外箱のお写真に大礼拝百回を行っていました(当時私はまだ皈依していませんでしたので、法写真がなかったのです)、起き上がってからすぐさま急診室の母に会わなければと思いました。私が大急ぎで急診室へ行ってみますと、母の顔色が大丈夫で無いと思って、病人を家へつれて帰ることをお願いしました。帰宅後、おばさんの主人、叔母さん、叔父さんと家内、娘がお経を唱える中で、母は域を引き取りました。

母は皈依が間に合いませんでしたが、お慈悲深きリンチェンドルジェ・リンポチェは、母が亡くなった後、悪道に陥らないように呪を唱えてお守りくださいました。そして母のために施身法を行ってくださって、家族は母が亡くなる過程で、忍びない心では有りましたが、ほとんど涙をこぼしませんでした。というのは母は幸運にもリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いできて、加持をしていただいたのですから。

私は自らを反省しております。実に満身罪業であるから、リンチェンドルジェ・リンポチェのご開示も聴かなくて、母を病院へ送って苦しみを受けさせました。私は上師へ敬虔なる心を捧げる事は弟子として当然のことであると深く体得いたしました。兄弟子の皆さんや信者の皆さんにはお分かりいただけると思いますが、あの百回の大礼拝で、私は母をぎりぎりのところで家へ連れ帰って往生させることができ、母が安らかな面持ちでこの世を去ったあの一刻で、この親不孝な私は、リンチェンドルジェ・リンポチェの願力と功徳を深く感じました。上師のこのような恩情は、文字や言葉では形容しがたいものがございます。

上師のまだまだ沢山の恩に感謝して、母の亡くなった一ヶ月後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私と家内子供に皈依することをお許しくださって、弟子の私と家族が御仏の道を進む上で、二度と迷う事がないようにしてくださいました。また最近皈依を受けた中に、弟子私の父も幸運にも入れていただき、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になり、これで弟子私の家族全員が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教えの下で、根本の根気が低劣な、悪性重大な私に加えて、家族が正法を学び生活の中で実践することができ、心から上師の御慈悲に感謝しております。御仏の道を学ぶ路上で、怠らずにしっかりと上師の御教えを聴き入れ、仏恩、上師の恩、母の恩、衆生の恩に報いることを望んでおります。

寶吉祥仏法センター弟子 洪瑞隆 献上
2008年12月30日

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2016 年 03 月 27 日 更新