284:仏法の学習と仕事

私は2008年1月6日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに正式に皈依いたしました。当時私は心の中で仏法を学ぶことを知っていました。今の仕事は度々中国大陸へ出張しなければいけないので選択を迫られ、そこで妻と最悪の状況を話し合って、最後には妻の了解を得ました。

2月下旬に会社の責任者と社のレストランで昼飯をしている時、緊急のプロジェクトがあるので近々中国大陸へ行く日程を手配してくれと突然に言われました。短かくて1~2ヶ月、長くて3ヶ月は必要だから、早く準備してくれと催促されました。私はすぐには彼の要求に応じずに、食後彼のオフィスで相談しました。日曜日には私は台北の寶吉祥仏法センターで共修法会に参加することになっていますし、上師へ皈依した事をも説明したのです。自分は彼の計画に合わせることができないと断り、彼に理解を求めました。その結果、私があまりにも自分本位であると思われてしまいました。責任者は、中国大陸の工場には5,000人近くいて、中国大陸へ出張するのは会社のために解決してもらいたい事があるからで、実際これらの5,000人のために困難を解決するのも衆生を済度することになるはずだし、これも修行につながることになるはずだと言い、何故私が頑固な考えを堅持して、この話を引き受けてくれないのかと思われたのです。責任者の話を聞いて、ついついその話に惑わされるところでしたが、幸い護法のお助けがあり、心の中では事に直面して自分の考えはしっかりしていました。当然なことではありますが、責任者も最後には厳しいことを口走り、若し会社の高級管理職までが会社の指令を受けないなら、ほかの管理者を如何にして管理するのだと私を責めました。私は責任者に、自分はどうすべきかはっきり分かっている、決して会社を困らせませんとはっきり答えました。

3月の初め、私は正式に辞表を会社に渡しました。三週間後、責任者はまた私と話し合い、台南の工場へ回すことを提案し、私の意見を聴きました。私はこれは管理特例だと考え、受け入れませんでした。最後に、責任者は私の辞表を受け入れ、5月末に私は会社をやめました。

もともと、自分の仕事能力と経験から言ってすぐに適当な仕事が見つかると思って、人材バンクとヘッドハンティング会社に個人の履歴を出しましたが、3ヶ月経っても私に面接通知は全然来ませんでした。私の内心はこの上ない失望感に満ちていました。家計は確かに安定した収入が必要で、このままでは蓄えが尽きることになります。

6月の末にちょうど今年大法会の準備が始まるので、私は場内組のボランティアに参加して、寶吉祥仏法センターに私の力を貢献する機会を与えられ、それでいくらかの福報を積み、その間毎日の空いた時間を利用し上師の説法テープを繰り返し何遍も聴きました。8月31日に大法会は円満に終わりました。ちょうど私個人の履歴も読んでくださる会社があって、最後にはようやく環境保護に関する会社が面接の機会を与えてくれました。その会社の社長と一時間半も話し合った後に、社長から何時中国大陸へ駐在できるかと聴かれ、私は呆気にとられるのみでした。

こうしたことがあり、私は上師及び仏菩薩は私に一番よいようにとご手配してくださるのだと信じるようになりました。若し仕事を通じて衆生の何かのためになれば仕事し、若し仕事を通じて衆生のためにならなければ失業している現実を受け入れて、一切は自分の業が現実に現れているのだと考えるようになりました。私は現実一切を快く受け入れることができるようになりました。その後父が私に雲南の故郷の伯母と叔父が台湾へ親族面会に来たいので段取りしてくれるようにと通知してきましたので、一切の準備を整えました。伯母と叔父が台湾へ来て面会する一日前、嘗て知り合いの社長から突然電話があって、彼の会社へ来てくれないかと言ってくれました。私は、日曜の共修法会へ参加することと、時には休みを取ってチベットへ赴かなければいけない等の条件を彼と慎重に話し合いましたが、彼は「結構です」と返事をくれ、与えられた職務と給料はその前の仕事に相当するものでした。

この間に歩んできた道を振り返り、内心実に懺悔しております。若し上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御加持と御愛顧がなかったなら、弟子の私に福報を積む機会も与えられず、私は金融危機のこの世の、世界的に悪い経済の中で、順調にこの仏法を学ぶことができ、安定した仕事に就くことはできるはずがありませんでした。

弟子 李明義 敬具
2008年12月31日

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2016 年 03 月 27 日 更新