283:皈依の因緣
初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いした時、私は自分が親孝行だと自負しており、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに、社会へ出て働き何年か経ち、色々な社会経験を得て、生活方式とか、物事を見る目とか、自分に足りないところを学んで、自分では大いに進歩成長したと考えています、そして今、家で高齢の親を看て、何か親に良い変化をもたらしてくれ、親の生活方式を少し変える事ができ、親がそんなに頑固にならないようになればと希望していますと話したのです。
するとリンチェンドルジェ・リンポチェはその場で頭ごなしに厳しく私をお叱りになりました。リンチェンドルジェ・リンポチェが私を訓示なさったときに、その声量がまるでライオンが吼えるように猛々しかったことを今でもよく覚えています。私は四十歳近く生きてきましたが、知り合いでもなく、初めて会ったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェのようにピシャリと私の欠点と過ちを叱りとばしてくれる人に出会ったことはありませんでした。上師は「おまえは何と傲慢なのだ、自分が偉いと自負している」と諭され、そして「おまえの両親にもし親としての堅持がなければ今日のおまえは存在していない」とおっしゃいました。
今思うにあの時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に二つの寶を与えてくださったのです。それは親孝行をする意義と、自分の傲慢を反省することでした。今日、皈依した弟子として、私達は幸いにもこのように巨大な福報を授かることができ、リンチェンドルジェ・リンポチェの身を以っての教え、お言葉から、絶えず自分を修める機会と御加持を与えられているのです。
自分が親孝行だと自認している人は、みずからリンチェンドルジェ・リンポチェの教えを受けにくるべきだと私は思います。今もし私の周囲の親族友人が、嘗て傲慢だった私が少しでも変わって謙虚になったと感じてくださるなら、それは絶対に上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御慈悲と御加持を授かったお蔭なのです!
弟子 柯順僥 敬具
2009年2月
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2016 年 03 月 26 日 更新