281:上師リンチェンドルジェ・リンポチェは御仏であると信じます
2001年に主人が亡くなり、私達一家は悲しみのどん底に陥りました。何処へ行けば徳を具えた上師が、なくなった主人を往生させてくれるのかわかりませんでした。幸い鄒兄弟子が娘を連れて上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会わせて下さって、亡くなった主人は上師リンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩のお助けを頂くことができ、私達一家は悲しみから抜け出ることができたのです。本当に上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝いたします。
2002年初めてチベットへ行く前、体の調子が悪く、全身が無力感に包まれ、ベッドに寝たきりになっていました。何人かの医者に見てもらって、心電図等の検査をして、薬を服用しても、状態は一向に好転しませんでした。また医者に診てもらうときチベットへ行くことを話しましたが、そこは高海抜の所で、あなたの気管支は良くないし、肺の呼吸状態も悪いからと大反対されました。そんな所へ行って発病したら助けてくれる人はいないと、医者から厳しく警告されました。そしてカルテに「病人はチベットへ行くと言うが、病人の考えには不賛成だ、病人がどうしても行くなら、自分で責任を取るように」と記しました。その後、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに御開示を願いに行くと、上師は怖ければ行かない様に、死ぬのなら家に居ても同じ死ぬのだとおっしゃったので、私は勇気づけられ怖くなくなりました。チベットへ行きましたが、私は薬も飲まなく、高山病にもならず、総本山へ着いても持参した酸素ボンベも使わなかったのです。
直貢噶舉教派に皈依した弟子として、上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお導きでチベットまで参ることができるのは、大いなる福報でありました。一方物事の由来を知るのに、私達の教派の伝承を知るのは、私達の生きている由来を知るようなもので、家へ帰ったような感じがしました。同時に心の底から崇拝する気持ちが湧き上がり、祖師さまと、歴代の上師と護法が如何に教派を擁護し、衆生のために尽していることかと讃嘆せずにはいられませんでした。一方今回見聞したことから、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教派へのご貢献と、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが平等な慈悲心で衆生のために尽されたことについて、些か理解を得ました。今回、ディクンテイ寺の金頂を見て、ラマが山々を越え二日もかけて上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来られるのをこの目で見、ディクンテイ寺の上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する尊敬崇拝及び礼遇を目にし、兄弟子方が上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御慈悲のお助けによる数々の奇跡を受けられるのを見て、だからこそテンジン・ニンマ・リンポチェが私達の供養を受けず、ハタさえ受けてくれないことを知りました。それは、私達が自己中心すぎ、心底から仏法を学び衆生のために行う事を知らず、教派を擁護していないからです。テンジン・ニンマ・リンポチェから再び皈依文の、私達が常に上師リンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩を忘れることなく、自分は仏弟子であり、教えに準じて行うことを伝えてくださったことに感謝いたします。
上師リンチェンドルジェ・リンポチェを信ずれば、御加持を得ることができます。そして今やっと法王の御開示:「私達が上師は仏なりと見なせば、仏の御加持を得ることができ、上師を菩薩と見なせば、菩薩の御加持を得ることができ、私達が上師を凡夫と見なせば、凡夫の御加持を頂くことができるのです」が分かるようになりました。故に私達は上師リンチェンドルジェ・リンポチェを信じることです。というのは上師リンチェンドルジェリンポチェは仏だからです。
再度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳に感謝いたします。リンチェンドルジェ・リンポチェの法輪が常に回り続け、この世に常駐なさることを願っております。
弟子 許蜜 敬具
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2016 年 03 月 26 日 更新