280:上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、私の父の命を救いました

今年の二月、私は突然兄からの電話を受け取り、父が中風で入院し、今は救急室で救急手当て中だと知らされました。そして又すぐに兄から、病院から父の危篤の通知を受けたと知らされ、最も危険な脳卒中なので、すぐさま家へ帰るようにと勧められました。早速仕度をして家へ帰り、一番上の姉は寶吉祥へ赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に礼拝し、リンチェンドルジェ・リンポチェが父に御加持くださるよう願ったのです。私は高雄の長庚病院で父の苦しんでいる表情を見ながら、その苦しみを軽くしてあげることもできず、ただ心の中でリンチェンドルジェ・リンポチェが父を御加持くださり、父の苦しみを少しでも軽くしてくださることを観想するのみでした。

1999年、母はスピード違反で赤信号を横断した自家用車にはねられ負傷し、手、足、腰骨の骨折で入院し手術を受けました。傷の痛みは耐えがたいもので、夜は寝つき難く、常に両手を振り回し、誰かが邪魔しているようでした。母は叔父に神仏にすがって処置してくださるようにと頼み、叔父は丁度陰暦の七月なので神仏に問うのは無理だと答えました。しかたなく、母は苦痛の中で不眠状態が続き、私達子供達は傍で何も出来ず戸惑ったことがありました。それに比べてリンチェンドルジェ・リンポチェは何処にいらっしゃっても、常に私達を加持し、面倒を見てくださいます。今日父はリンチェンドルジェ・リンポチェの御加持のお蔭で苦痛を大いに減少することが出来、しかも当日の午後、長庚病院の中でも病院のベッドにありつけるのが難しい、特に脳神経内科のICUにたった一つだけ空いたベッドがあり、父はより適切な世話を受けることができたのです。

中風で胃が出血したので、中風の薬を投与することが出来ず、出血が止まるのを待つだけでした。リンチェンドルジェ・リンポチェの御加持のお蔭で、父の出血はすぐに治まり、更に病気は日とともに好転し安定してきました。四日後、父は一般病室に換わることができました。これは実にリンチェンドルジェ・リンポチェの御加持とお世話のお蔭です。死亡率が高く、医者としても楽観視できない脳卒中の患者が、四日後にはもう一般病室に転入することが出来たのですから。それに父はその後の回復がかなり早く、一般病室に換わってから、ベッドから降りて歩こうとしました。そして立てるようになり、歩き始めたのです。手足の動きも回復してきました。あの日急診室で父の病状を楽観視できなかった脳神経内科の医者までが、見舞いに来て、父の回復振りが早くて良いことに感心していました。そして特別に詳しい診察と、精密器具による検査を準備して、深刻な病状の脳卒中の患者が、こんなにも早く回復した原因を知ろうとしました。しかし、この一切はリンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲による御加持とお世話のお蔭だと私達は知っていました。今の父は、散歩、運動だけでなくバイクにも乗れるようになっています。

リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子の私、及び私の家族のお世話をしてくださることに感謝いたします。私が父の中風を知った時、悲しかったけれども緊張と恐怖感にとらわれてパニック状態にならなかったのは、リンチェンドルジェリンポチェのお蔭です。父は リンチェンドルジェ・リンポチェが面倒を見てくださっていることを私は知っていました。大慈大悲のリンチェンドルジェ・リンポチェが、私の父を救い、私達一家を救ってくださったことにただただ感謝するのみです。

李皇諭、李雀芬 謹んで書き上げます。
2008年12月

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2017 年 03 月 30 日 更新