279:懺悔に懺悔を重ね、感謝に感謝を重ねる
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが人間の病苦をお救いになると言うより、お慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェが様々な方法で衆生を色々な苦しみからお救いになると言ったほうが適切でしょう。
2000年8月、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して現在に至り、あっという間に八年間の歳月が過ぎました。あらゆる衆生をお救いになる事蹟をこの目で見、この耳で聴いて、地蔵王菩薩のような大願をかけた大修行者でなければそういったことはできるはずがないと実感いたしました。
私は他の人のように病気で助けを求めにきたのではなく、又婚姻、子女の問題で助けを求めに来たのではありませんし、まして事業運が悪いためでもなければ、家族の重病、往生という問題で助けを求めにきたのでもありません。私自身は何も求めないために来たと思います。善知識を持つ大修行者にお近づきになることを知っているのだと自己アピールするために来たのです。
しかし私は間違っていました。徹底的に間違っていました。それは私の心が病んでいたのです。心が病んでいる人は、体まで病気になっていないわけがないです。心身ともに疲労困憊していても自覚なしとは、何と言う悲しいことでありましょう!しかしながら一切の結果の因は、自分で自分が聡明であり、自分が何事もこなせると思う傲慢から来たものでした。
自分の過ちが見えない人、自分が過ちを犯した、言い間違えた、考えが間違えたと自分で思っていない人は、もちろん検討したり自分を反省する必要がないと思い込んでいます。だから何事にも自分勝手な方法で人と接し、事を解決して、自分の誤りを自覚できません。「無意識に人を傷つける」技を、私は生まれながらに備えていたのです。
お慈悲深きリンチェンドルジェ・リンポチェは、私のような頑迷で愚かで教え甲斐のない悪い根性の弟子を見放されませんでした。ひたすら諄々と導いてくださり、私の言動の度に、少しずつ自分の言語と行動上の過ちを見つめさせてくださり、私は慈悲深い上師のお心遣いと、比べることが出来ない根気と包容力を会得できました。しかしながら私は間違いを重ね、古い過ちを改正しないうちに、又新しい過ちを起こすというように、劣等な根性はそのままでした。自分でも過ちは改正し難いものだと思い、人間の皮を纏うだけの人間であり、この世はさっぱりおもしろくないと考えました。しかしこういった私でも、大修行能力のある尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェはやはりまた私を救ってくださったのです。私のみではなく、一人一人の弟子、衆生を大切にしてくださり、決して簡単にはお見捨てになりません。
私を生み育ててくださった父母の恩は天より高く、私を救って教えてくださった上師の恩は言葉では表しきれないものです。上師は衆生を救い見返りを求めることはないのですが、私ども愚かなものは懺悔に懺悔を重ね、感謝に感謝を重ねて初めて、少しでもその恩に感謝の念が表せるのです。
最後に『吉祥法界祈祷文』を引用させていただきます:「根本上師の恩を思うと、ひたすら悲痛に祈祷するのみです!」
愚かな弟子 崔元元敬具
2009年1月1日
2017 年 03 月 30 日 更新