278:生命の喜び
2005年12月11日の朝5時頃、妊娠既に37週間の弟子は、お腹の調子が悪い感じがして目覚めました。経験皆無の弟子は、悪い食べ物を食べたのが原因で胃腸の具合を壊したと考え、特に注意を払わなかったのです。陣痛はきれぎれに発生し、来たかと思うと又おさまり、6時前後に、破水したような感じがしました。主人はそれを聞くと、すぐさま品物を整理し、出産の支度に新竹へ戻りました。
台北から新竹の途上、些かの陣痛以外に、破水の状況はますます進む一方で、座席まで濡らしてしまいました。しかしながら月曜の通勤ラッシュで、高速道路の車の流れはスムーズではなく、もともと車で1時間10分の道のりのはずなのに、2時間も掛けて新竹にたどり着きました。そう言った状況の中でも、私と主人は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、私達の傍でお守りくださっているのを信じていましたので、少しも不安は感じませんでした。
病院へ着いた時は、もう午前9時でした。驚いたことに、大きな新竹国泰病院の産室に、その日分娩する妊婦は一人もいませんでした。新竹の国泰医院は、新竹地区で有名な産婦人科病院であり、普段は人でいっぱいなのですが、その日に限って異常に静かでした。定例検査の後、病院側は私にすぐ入院して様子を観るようにと勧めました。入院の手続きをしてから、主人は私に分娩を楽にするためにもできるだけ歩くようにと言いました。幸いなことに当時ほかに分娩待ちの妊婦は居なく、ナースは私一人だけの面倒をみればよかったので、私が歩き回っているのを見て、すぐ入ってきて私に、「あなたは破水しているので、ベッドで安静にしていなさい、歩き回らないようにして赤ちゃんが感染するのを防がなければいけません」と注意してくれました。その直ぐ後医師が来て検査してくださり、産道の開き具合を見て、12時に又状況を見るとおっしゃいました。この時私は軽い陣痛のほか、特に悪い所はありませんでした。
午前の回診が終った後、医師は再び私の状況を観察しに来ましたが、私の産道の開きはやはり緩慢でした。出産が長引くことからの感染を避けるため、医師は子宮の収縮を早める薬を注射することを勧めました。注射して半時間足らず、私の体は直ぐに反応し、陣痛の回数が増加して、その時間も長くなりました。痛みの強度もだんだんと耐えがたくなりました。この時は、午後2時ごろで、午後4時半になると、私の忍耐は極限まで来ました。この時私と主人はリンチェンドルジェ・リンポチェが私達の頭上で御加持なさってくださるのを観想していました。そしてちょっとしてナースがもう赤ちゃんの頭が見えてきたと教えてくれ、私を分娩室へ連れて行ってくれました。5時12分に赤ちゃんが生まれました。出産が意外に順調なので、助産の豊かな経験を持つ医師も、私が初産のため、出産は晩まで時間がかかると思っていたのが、退勤前に分娩するとは思わなかった、しかも経過がこんなに順調すぎるのなら、私に余り速く生もうと力をいれすぎないように注意すればよかったとおっしゃいました。産後ナースが私を休ませるため車椅子で病室へ運んでくれる時も、私は自分で歩けると言いました。ナースは私の回復の速さを不思議がりながらも、冗談交じりに「私にサービスさせてよ」と笑っていました。病室に入ってから、隣の産婦の話を聞くと、彼女の出産過程は丸2日間もかかったということでした。更に入院期間、多くの産婦が病院に来て、又帰らされ、何度も病院を行き来してようやく赤ちゃんが生まれた例を見たそうです。そうしてみると私の出産過程は、一番痛む時も、3時間足らずだけだったことを思うと、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御加持がなければ、こんなに順調に無事出産出来るはずが無いことを痛感し、苦しみがこんなにも短かったのは尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェの御加持とお守りがあったからこそと感謝いたしました。
妊娠を知った当初を振り返りますと、私はすぐに主人と寶吉祥へ行って、リンチェンドルジェ・リンポチェに報告いたしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私を御加持くださり、又私に毎日地蔵経を45分間唱えるようにと御開示くださいました。妊娠したときはちょうどリンチェンドルジェ・リンポチェが私に大礼拝を皆伝くださる時でありまして、主人の家族は大礼拝は胎児を圧迫し、胎児に影響するのではないかと恐れていましたが、私はリンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩が私に一番良いように取り計らってくださると信じていました。大礼拝は仏を礼拝することと懺悔を通じて、赤ちゃんに早くから仏法の薫陶を受けることが出来、仏を学ぶ善縁を累積することができることを信じていたのです。だから大礼拝を続けました。そこで妊娠している時体の調子はその前よりよく、一般の妊婦に良く見られる水脹れや腰痛背中の痛みなども起こりませんでした。これは仏を学ばない主人の家の人達にとっては不思議なことであり、皆仏法の殊勝と偉大さを見聞しました。
出産予定日前、私は主人と寶吉祥へ行き、 リンチェンドルジェ・リンポチェに私の出産が順調であるように御加持を願いました。それで出産の時も情緒は安定して、不安、恐れなど全然ありませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に最高のお取り計らいとお世話をしてくださり、私の心の拠り所であることを信じていたからです。一切はこのように不思議であり、産後家族と友人にこのことを語りますと、皆不思議がりました。リンチェンドルジェ・リンポチェがお守りくださったお蔭で、私の出産がこんなにも順調だったことに感謝いたします。
三日後、赤ちゃんと私は無事退院することができ、次の日私達一家は寶吉祥へ、リンチェンドルジェ・リンポチェに名前を授かりに行きました。面白いことに、赤ちゃんは寶吉祥へ着いた時お腹がすいて泣きやまず、お手洗いで授乳しようと思ったのですが、その後慧蓮師がリンチェンドルジェ・リンポチェがいらっしゃいますよとおっしゃた時点で、赤ちゃんはなんと泣かなくなり、静かにリンチェンドルジェ・リンポチェの御到来を待っていました。そして リンチェンドルジェ・リンポチェが寶吉祥に入った時、赤ちゃんはなんと一声泣き声を上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは赤ちゃんを一目見た後部屋へ入り法衣を纏い、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上がった後、兄弟子のお取り計らいで、 リンチェンドルジェ・リンポチェは一番目に赤ちゃんを見てくださり赤ちゃんのために御加持くださったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈愛深く赤ちゃんを見、赤ちゃんは リンチェンドルジェ・リンポチェの手の中でとても安心していて、静かにリンチェンドルジェ・リンポチェを眺めていました。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが法父であることを知っているかのようでした。寶吉祥を出たとたんに、赤ちゃんはお腹がすいて泣き出しました。月曜日にリンチェンドルジェ・リンポチェは「天恩」と言う名前を授けてくださいました。名前の意味は深く、それは私のようなものが想像できないものです。リンチェンドルジェ・リンポチェが私ども一家に寄せてくださる関心とお世話に、ただ感謝するのみです。
孫心蕙、王劉輝、王劉天恩
2009年01月01日
« 前へ – 衆生済度の事跡へ戻る – 次へ »
2017 年 04 月 09 日 更新