245:殺生の業力

元来、これが殺生で、その果報はこんなにも早く、恐ろしく、且つこんなにも長く続き、依然として解決できないものだったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢うまでは…。

私の家族・恩徳を救って下さった事を文字によって表現する機会を与えて下さり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。

弟子である私の家は、幼い頃から農業を営んでおり、よって、家族は多くの殺生業を犯していました(土や水中には無数の衆生がおります)。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、曾て「殺生業の重い家庭、家族は、必ずや円満とはならない」と説かれたことがありました。私こそが、その生きている例であります。私が二歳の時、父は農薬を飲んで自殺し、二名の幼女もまた家の火災が原因で死亡しました。姉妹の内、二人は婚姻がスムーズにいかず離婚しました。これらは全て、殺生の恐ろしさを証明するものです。

私は、主人・王明華の関係で、2006年1月15日に皈依致しました。私自身の性格が受身でだらだらしており、物事に対して積極的でない為、皈依後、この性格の為に、皈依証の受け取りをその年の六月にまで延ばしてしまいました。リンチェンドルジェ・リンポチェから戴いた法名は「慧睫卓瑪」でした。これは、「眉と睫毛の間の如き切迫した」積極的態度で物事の処理に当たれということなのでしょうか?リンチェンドルジェ・リンポチェの様な大きな智慧を以ってのみ、私自身の悪習を理解させ、常に自己に警戒心を与え、全ての行為を反省させられるのです。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、その説法の中で、常に私達を戒めています。「絶対に自殺してはならない。私達の身体は修行する為の法器であり、傷付けてはならない。自殺する者は必ずや地獄へ行き、非常に長い間、自殺の場面を繰り返す。大修行者の済度なくしては、脱け出すことはできない。弟子である私は愚かで、親不孝にも、父を四十年も苦しめていたのです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの御蔭で、弟子の因縁が結実し、皈依するに至り、無上の正法を受け取ることができ、人生において最も大切な事、即ち、出離心を体得することができました。永遠に輪廻しないこと、これが、上師及び諸々の仏様、菩薩様の六道衆生に対する本願でした。

“人生は無常である”この言葉を深く心に受け止めました。1998年12月、二人の娘が家の中の電線発火が原因で命を落としていました故に、特に心の奥深くで理解できました。毎日自分の傍で活発に飛び跳ねている子供が、突然冷たい御棺の中に横たわるとは、考えられないことでした。当時、因縁が実らなかった為に、善知識の済度を得られず、外道の助けを受けただけでしたが、皈依した後、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法から、「施身法」がそれらの事故で死亡した衆生に大きな救いとなることを知りました。

リンチェンドルジェ・リンポチェが毎月開かれる施身法により、因縁が実り、父と二名の幼女に代わって懺悔を行い、並びに福徳を累積できた事を感謝致します。父達の因縁が実り、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けによって苦しみから離れ幸せを得ることができるよう心から祈っております。また、リンチェンドルジェ・リンポチェが既に、私の願いを聞き入れて下さった事を深く信じております。

幼少より母の手で育てられた私は、他人に御父さんの世話があることを非常に羨やましく感じていました。皈依後、リンチェンドルジェ・リンポチェの心は、弟子の一人一人に繋がっていることを深く理解致しました。皈依できた事は、弟子である私にとり、累世の最大の福徳です。教えに従ってしっかり実践する外、リンチェンドルジェ・リンポチェの教法に極力従い、仏法の日常生活における実践を謹んで遵守していきます。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこの世に常住することをお祈り申し上げます。

第四組弟子 陳美芸
2009年1月20日

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2017 年 03 月 29 日 更新