243:尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を込めて

今日に至る迄、弟子である私と家族に御加持と御助力を授けて下さった尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。私は尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから、人生は、まるで再び新しくスタートしたようです。如何なる事に出逢おうとも常に思い出されるのは、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェが毎週法会にて労を厭わず説法されていることです。この世の中には、面倒がらずに、どこに誤りがあるのか、どこを改善したらよいのかを毎週説いてくれる人は誰一人としていません。本当に!本当に!いません!尊貴なる上師の慈悲深い御加持と御助力に感謝申し上げます。

当時、仕事が順調にいかないことで、谷底に落ちた如き人生を送っていました。心には大きな穴がぽっかり開いて、痛くて、切なくて、棘が刺さったかのようでした。8月の夏真っ盛りの中でさえも、毎日、寒気を感じ、冷風は絶え間なく、心の大きな穴に向かって吹き付けていました。今思い返せば、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの説かれる地獄のような生活でした。続いて何が起こるかわからない、更には明日がどの様な日であるのか見当も付きませんでした。唯一つの方法は、電車に載り台北へ行き、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することでした。尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェを一目拝謁した愚かな私は、顔中を涙に濡らして、自分の身に起こった事を告げました。尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲による教示を拝聴し、長い間、自分本位であったことを理解しました。過去の人生において、意志的に、または気が付かないうちに多くの人を傷付け、実に滅茶苦茶な誤りをしていました。暫くして、ぽっかりと大きな穴の開いた心が、一瞬にして、まるで暖気団に包まれた様に感じました。私はそれら一切が尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い御加持により与った救いの力であると信じています。尊貴なる上師の慈悲の御加持と御助力に感謝致します。

皈依する過程において、私は、初めて尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時に好機を見逃して皈依を願いませんでした。尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな慈悲力の助けなくては、自分は悪を為し続け、独りよがりの心は依然として外を彷徨い、依拠する処を探せませんでした。初めて尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した理由は、父が長期的に、夜、悪夢に魘されていた故に尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに救いを求めて謁見を請いました。その後、台北の法会に続けて参加していたものの、やはり自分に言い訳をして皈依の申し込みをせず、この振る舞いによって自分が非常に大きな悪業を為していたことを知る由もありませんでした。ただ単に、法会に参加しさえすれば、いい事が起き、心穏やかに日々を送ることができると考えていました。尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに依止して仏を学ぶことで自分の悪い行為を変えよう等とは考えもせず、思いがけず徳を具えた尊貴なる上師 リンチェンドルジェ・リンポチェと邂逅したにも関わらず、この殊勝な因縁の機会を押し退けてしまっていたとは、当時の自分は、実に、死ぬほど愚かで、悪業は根深く、悪を断ち切り善を行なおうという善念は少しも見当たりませんでした。一時期を無駄に浪費し、自分の身に事が起きて心にぽっかりと大きな穴が開いた時になって初めて、自分の多くの悪に気付きました。尊貴なる上師の深い慈悲の加持と助力の御蔭で、私は皈依をし悪を断ち切る決心ができました。本当に有難うございました。

私を生み育ててくれた父母は、私に完全な身体を与えることができただけです。今世で尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子として皈依できた事は、愚かな私にとり無上の栄光と幸福です。なぜなら、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、愚かな私に悪を断ち切り善を行なう道を歩ませて下さったからです。尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェが愚かな私に与えて下さった広大無量の恩恵に報いることは不可能ですが、今後、愚かな弟子が多少の反省する能力を持ちえた場合には、尊貴なる上師の深い慈悲の御加持と御助力に感謝しなければなりません。この場をお借りし、愚かな弟子は最高の恭敬心と最高の慇懃さを表し、尊貴なる上師の与えて下さった全てに感謝致したいと存じます。また、更に、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェを衷心から大切に思い、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常しえにこの世に住されますことを祈願致します。

愚かな弟子 鍾震耀 恭敬心を以って合掌
2008年

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2013 年 04 月 06 日 更新