241:尊貴なる上師との邂逅と家族の与った加持

私は、嘗て別の道場の共同修業会に参加したことがあり、現在に至るまで菜食を通しており、仏法を学べる場所をずっと探していました。ある日、法友が私を自宅に招待し、尊貴なる上師の感動の出来事等を話してくれました。しかし、愚かな私は、ここ4、5年間に多くのチベット仏教の道場を訪ね歩き、自分では様々な事を知っていると思い込み、自分の無知に気付きませんでした。自分は仏教の入口にさえもまだ入っていませんでしたが、既に尊貴なる仏菩薩にお会いしている事も信じず、二年間を無駄に過ごしていました。法友は、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの毎週日曜日の法会に参加し、見聞きして自然に覚えた事を私に教え、リンチェンドルジェ・リンポチェは稀少な金剛上師であるから早く法会に参加するよう勧めていました。愚かな私は寶吉祥宝石店に行くこと3回、三度目にして初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見が叶い、法会参加を願いました。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェの御蔭で、愚かで身体中が罪障深重の私は、毎週日曜日の殊勝なる法会と毎月一度の施身法に参加することができました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの毎週一度の教えの中で、リンチェンドルジェ・リンポチェは経典の中の儀軌に基づき、口を酸っぱくして、一つ一つ真の修行者の基本知識を教導下さり、弟子である私は今世の現在こそが真の修習の始まりの縁であると理解しました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私を再び生んでくれた真の父母の様です。今世でリンチェンドルジェ・リンポチェに出会えずにいたら、実に人となった因縁を無駄にしてしまったことでしょう。

尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私達を導いてくれただけでなく、一分一秒も絶え間なく弟子達とその家族に加持を与えて下さっています。2008年11月、インドへ行く前、数回、宝石店へ行きましたが、いつも、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの隣で、未だ皈依していない信徒に対する説法を聴いていました。また、いつも、リンチェンドルジェ・リンポチェが大変ながらも癌患者に無私の加持を授けられるのを拝見し、上師リンチェンドルジェ・リンポチェはどんなに疲れていようとも、依然として皈依していない信徒に加持を与えられているのを見ました。それは、命を尽くして衆生を利益するかのようで、いつもリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲心と菩提心に、感動の涙に咽んでおりました。ある時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の方向に振り返られ、二回見られました。私は、上師が加持を与えて下さった事を直感しました。木曜日の夜中、家にいる姉から電話があり、70歳過ぎた母が自転車に乗りバイクと衝突し、手の中指の血管が切れ幾針か縫い、その他、太腿と御尻に血が鬱血してあざができたと話していました。聞いた途端、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持があった御蔭で、気性の激しい母が重い罪障を軽く受けられたことを感謝致しました。母はカトリックの信者でしたが、今年九月に新竹から来て、初めて、阿弥陀仏大超渡法会に参加し上師リンチェンドルジェ・リンポチェと縁を結んだ故に、10月末の事故で加持が得られたのです。弟子である私はリンチェンドルジェ・リンポチェに対し、リンチェンドルジェ・リンポチェの諄々と説かれる教えに従わず、自分の毎日の振る舞い、最初の心の動きに対して常に注意を払わず、仏子行三十七頌の各戒律、及び五戒十善を守らなかったことを懺悔致しました。しかしながら、上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこの聞き分けのない弟子を諦めることはありませんでした。弟子が必要とする時、変わらずに加持を与えて下さった上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致します。私を再び生まれ変わらせ、母に加持を授けて下さった上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳に報いられる唯一の方法は、リンチェンドルジェ・リンポチェの教えに従い、今世で努力して生死を解脱し、輪廻を断ち切ることであると感じています。

許麗珍  2009/1/3

2013 年 03 月 13 日 更新