239:何故幸運にも金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できたのか
1999年3月19日早朝7︰45、父は集中治療室のベッドで逝きました。全身にチューブを挿入し、身体は硬く、厳しい表情をし、両目でじっと天井を睨んでいました。医師は病人は既に死亡していることを告知し、どの様に遺体を処理すべきか、手続きはどうすべきか説明してくれました。しかし、呼吸器は依然として止まらずに酸素を父の身体に送り続け、胸部が膨らんだりへこんだりしているだけで、この様な状況に切なさを感じていました。
古人曰く、「寿命が尽きて永眠する」。一般人の見方で言えば、父は善人として一生を送りましたのに、どうして死を目前にしてこの様な多くの苦しみを受けねばならなかったのでしょう?まさかひと欠片も代わってくれる者はいなかったのでしょうか。寿命が尽きて最後の数口の息もできないなんて!「父は大丈夫?」この様な考えが心に巣くい、友人とお寺に行き法会の奉仕に数多く参加していましたが、心は落ち着かず、充実感はありませんでした。
一つの因縁が実り、リンチェンドルジェ・リンポチェに出会い、施身法に参加しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を以って禅定において父を見、私に、父が嘗て眼科手術及び気管切開手術をしたことがあるか尋ねられました。(父は十余年前、白內障手術をし、気管切開手術は他界する三ヶ月前にしました)。父は元々悪い所にいましたが、数回法会に参加した御蔭で比較的良い所に行ったと仰りました。リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞いて、非常に感動し、充実感を感じました。他の者には助けることはできませんでしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは全く私心なく、父を悪道から脱出させてくれたのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏、菩薩の化身であって無力の衆生を助けに来たのだと直感しました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て密教の修法を説かれたことがあります。即ち、悪道に堕ちた衆生の命を早く終わらせ、善道に往生させるというのです。私は、父は一つの良い例であると思い、継続的に施身法共修法会に参加し、1999年8月8日、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。ある施身法において、私は他界して五十余年になる会った事のない兄を思い出しました。兄は溺死したのです。思慕の念が自然に沸き起こり、悲哀から、涙は堰を切ったように流れ出し止まりませんでした。法会終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ある男性が深い深い海の中から上がってきたと仰いましたので、リンチェンドルジェ・リンポチェに伺いますと、それが自分の兄である事が実証され、心は喜びで満たされました。リンチェンドルジェ・リンポチェ、有難う御座います。リンチェンドルジェ・リンポチェの区別ない慈悲心によって、兄は苦しみから離れ幸せが得られたのです。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、嘗て、法会に参加する者が、懺悔心、恭敬心、感謝心を抱いて衆生に代わり法会に参加するなら、亡き者や助けたい者に対し、必ず大きな助けとなると説かれました。私は、もしこれが仏様、菩薩様の如く、一切衆生の解脱に希望を持つリンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、兄は済度されなかったでしょう。1999年10月、母を伴い「母難日」の法会に参加した後、母は、「仏教を学ぶ事は、自分の平安を求め、保護を求める事ではありません」というリンチェンドルジェ・リンポチェの説法を聴き、母は以前聞いたのとは異なる点に、敬服を感じていました。暫くして、母、姉、甥もまたリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、父を救って下さっただけでなく、下の兄をも助けてくれました。この兄は、十余年前に気功を始め、徐々に異常な様子が現れ、よく気功の先生と空間を隔てて語り合っていました。その後、中部にある著名なお寺で出家しました。しかし、出家して暫くたたない内に自分で悟りを開いたと言い、全てわかったので各地を行脚すると言ってお寺を離れました。6 、7年前兄はアメリカから戻り、帰国した時は既に還俗していました。他所から聞いたところによると、兄のアメリカでの行動は異様で、よく怒り、大きな病気をしたそうです。兄が1人きりで話しているのをよく見、自分では神通力等の怪奇現象があると言っていました。その後、入浴しなくなり、また、家族とも話さなくなり、生活時間は日夜逆転し、その後何度もベッドに寝たきりの半身不随となり、家族は飲食や下の世話もしなければなりませんでした。胸中、兄がリンチェンドルジェ・リンポチェにまみえる福徳があるよう仏様、菩薩様に祈っていましたが、ある日、ついに、兄が自らリンチェンドルジェ・リンポチェに会いたいと言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に忍耐強く、兄に、「何が用ですか?」「身体はどうしたのか?」「腰は怪我をした事があるのか?」尋ねられました。兄は、「いいえ」「いいえ」とだけしか答えませんでしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く兄に、「度々来なさいよ!」と言って下さいました。兄が席を立った時、振り返ってリンチェンドルジェ・リンポチェを見ると、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶え間なく真言を唱えていらっしゃいました。その時以来、兄は半身不随の為にベッドに寝たきりになることはなく、私達もまた、自分に他人と異なる変わった兄がいることを徐々に受け入れられるようになり、家庭の雰囲気も改善されていきました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは「自分の敵は菩薩であるから敵を敬わなくてはいけない」と説かれます。以前、私は兄の一切の行為を理解することはできず、恥であるとさえ感じていました。何故自分にこんな兄がいるのでしょうか?しかし、私は兄に心から感謝せねばなりません。兄は私の菩薩です。兄の経緯は、現在出会ったこの大修行者を大切にし、様々な事に思いを巡らさず、自分の心をしっかりと見つめ、リンチェンドルジェ・リンポチェに付いて真面目に仏教を学び、リンチェンドルジェ・リンポチェの教え導く一切を学び取る事を勧誡するものでした。
兄は仏教を学ぶ事は神通力を求め、仏との感応を求めるものであるとずっと思っているようでしたが、結局、不当な求め方がこの様な結果を招き、母を心配させ、多くの苦しみを受けました。兄の状況を目の当たりにし、リンチェンドルジェ・リンポチェの説かれた「仏教を学ぶ事は何れの欲望、貪りの念を持ってはいけない。しかも仏教を学ぶには実際に修行している上師があなたを見、注意し、あなたが法に従わず戒律を破る行為をとった時、上師は遠慮なく、あなたが改善する迄、矯正し、処罰する事さえもあるのです」という言葉を深く深く理解することができました。
「人身得難し、仏法聞き難し、上師遇い難し」。正法を説き、神通力を語らず、私達に何が因果で、何が因縁か、輪廻を解脱するにはどうすべきかを真に教えて下さる無上なる導師に実際に出会えたのはどんなに得難い事でしょうか!私達に切実に期待し教えを諭して下さるリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏諸菩薩の御恩に深く感謝申し上げます!
弟子 王碧蝶
2013 年 03 月 11 日 更新