238:占いも因果を変えることはできない
東海大学の学生であった時、因縁が結実し、先生からリンチェンドルジェ・リンポチェの事を伺い知りました。しかし、その時知っていたことは、先生が毎週金曜日、わざわざ台北に行き施身法に参加している事だけで、施身法や金剛上師については全く如何なる概念も持ち合わせていませんでした。クラスメートの「私達も行っていいですか?」という一言で、尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する因縁が得られました。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いした時、リンチェンドルジェ・リンポチェは父の職業を尋ねられただけでした。リンチェンドルジェ・リンポチェなら父の職業を知らないはずはないだろう?私は、依然として誇りを持って「人の為に占いし風水を見ています」と答えました。その時は、全く、この職業が父の身体や家族に影響を及ぼしているとは知る由もありませんでした。皈依後、リンチェンドルジェ・リンポチェの説かれる仏法を聞き、事の深刻さを徐々に理解し始めました。仏菩薩が私達を導いて下さるのは全て因と果の顕現であり、悪果が現れると言う事は、必然的に以前に悪因があることになります。占いは吉の方向に向わせ凶を避けさせて人を助けますが、もし占いに来た者が実際に元の悪果を避けようとするなら、根本的に解決されていない悪因は、他の者が引き受けなければなりません。よって、父の身体は丈夫でなく、心臟病と糖尿病を患っていたのです。
占いの果報を徐々に理解した後、私達姉妹は父の身体の事がとても心配になりました。最初、私は愚かにも直接、幼い頃から私達を仏教に触れさせてくれた父に、「仏様、菩薩様は私達に因果を信じなさいと教えているのに、どうして人の為に占いをするの?」と尋ねました。無知蒙昧な、また無礼な私達の質問は、一生かけて運命理論を研究し、これを職業とし一家を支えてきた父親にとって、当然ながら全く受け入れられないことでした。当時の私達はまだ学生で、家の全ての支出と負担は全て父が担っていました。どの様にしたらよいのか分からない私達は、毎晩アチ護法神を修法する時、心配でいたたまれず涙を流し、尊貴なる金剛上師及びアチ護法神の助けを求めました。その後、父が言うところ、神通力の少しある友人が家に来て、父に聞きました。「最近何か修法しているの?それとも、どこかのお寺に行ったとか?家の中にすごい護法神が来ている。でも護法神は金銭を見分けられない。あなたのお金を外で止めている…。」そこで、彼は父に、一本の棒の上に千元札を一杯に貼り付け、これによって、呪を解き、アチ護法神に父の金儲けの手助けをしてもらおうと考えていました。私達はこれを知った後、緊張し恐怖を感じ、アチ護法神と父への悪い影響を恐れ、すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェに教示を請いに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、アチ護法神は既に仏果を得ています。これらはアチ護法神に全くなんの影響もありません。しかも、アチ護法神は、父の業力の比較的深重である人を遮断し、彼らが父を探し出して占いを願わないようにし、父がこれらの業力を引き受けないよう助けているのです。これらの出来事によって、私達は、この様に黙々と表し、些細な報いを一切求めない尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの私達に対する慈悲と助力を深々と感じました。
皈依して二年が経ち、ある施身法の法会終了後、いつもの様にリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私を一目見て、上に上がって来るよう指示し、父の最近の健康状態をお聞きになりました。私は全く健康状態を理解していませんでしたので、「まあまあです」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに、「心臓に注意するよう言いなさい!」と仰いました。その時、私達は非常に焦り緊張しました。心臓病という病気は、逝く時は逝くものです。父がこの期間、よく中国大陸へ行き、風水、占いをし、東奔西走し非常に多忙である事を知っているだけで、父の身体の事は全く気にしていませんでした。帰宅後、父がいつも手で心臟の辺りを擦っているのを見かけたので、父に聞くと、リンチェンドルジェ・リンポチェの御言葉通り、心臟の調子の悪く、数日後、病院で検査をすると言っていました。私達は父に、リンチェンドルジェ・リンポチェが心臓に注意するよう仰っていたと伝えると、父は、実に驚いて、リンチェンドルジェ・リンポチェに「お気遣い有難う御座います」と伝えるよう言いました。母は訝しがって、私達がリンチェンドルジェ・リンポチェにお父さんの心臓の調子の悪いことを伝えたのではないか聞きました。父と常に交際のある、所謂神通力のある友人でさえも父の身体の不調に気付いていなかったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私達の親不孝娘を二人見ただけで、母のように心配し積極的に注意を促してくれたのです。
週末の法会が終了した後、私達二人はリンチェンドルジェ・リンポチェの御前で泣きながら、父の心臟の調子が本当に悪かったこと、並びに、リンポチェに感謝を伝えて欲しいと言われたことを報告しました。すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、どうして御父さんは自分で来ないのかと聞かれた後、私達はもう卒業したのかどうかを尋ねられました。まだ学生である私達は満面涙で首を横に振りました。リンチェンドルジェ・リンポチェは深く長い溜息をつき、私達姉妹から父に伝えるよう説かれました。「人の為に占う時は、知ったとしても言わなくても言わない事もある。一見して恭敬心、懺悔心のない人に対しては、分かっても知らないふりをしなければならない。お金を儲けようとばかり考えてはいけない。帰宅し甘露丸を御父さんに飲ませれば、今回は生命の危機に陥ることはないだろう。」リンチェンドルジェ・リンポチェの教示を聞き終わり、心中、感激して言葉で表現できず、只々繰り返し感謝するだけでした。
その後、私達は父が自分でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見するのが最良の方法だと感じ、父に甘露丸を飲ませた後、リンチェンドルジェ・リンポチェが身体を気遣っていた事を話し、一緒に寶吉祥宝石店へ行きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しないか聞きました。するとついに、父は了承してくれたのです!その週末の午後、私達は父と弟を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めました。リンチェンドルジェ・リンポチェは父を見ると、「今日はやっと来られたのですね。友達の様に語り合いましょう」と話されました。傲慢、且つ防御心を持った父はこの瞬間、頑なな心を緩めました。リンチェンドルジェ・リンポチェは父に本山の甘露丸を一粒与え、その場で飲むよう仰り、父にとり大きな助けとなる事を告げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に、「貴方はもう年齢も高いですし、自分の生死の問題について考えなければなりません。しっかり修行に専念し、自分の未来の準備をしなければなりません。子供達を心配させてはいけません。あなたの二人の娘が私の弟子であるなら、私は、自分の命を尽くして面倒をみます。もし貴方の息子も皈依したのなら、私は彼をも面倒みます。娘達の事について心配しなくていいのです。しっかり修行しさえすれば、それでいいのです。」傍らにいた私達は、再び涙に咽び、感動で胸が一杯になりました。
父は、その後、病院で心臟の検査をし、結果は一切正常で、何れにも問題は見つかりませんでした。長年の糖尿病はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持によって、現在は飲食コントロールでき、薬の服用は不要です。この様な事を経過し、更に私達は、占いは真に1人の未来を変えることはできない事、また、父は何の宣伝もせずにかなり有名な占い師となりましたが、自分の運命を計算し変えることはできなかった事を深く理解しました。唯一、リンチェンドルジェ・リンポチェの如き大きな能力を具えた修行者だけが、父に今回の難関を突破させることができたのです。もしリンチェンドルジェ・リンポチェでなかったら、私達は、一生苦労して私達を育ててくれた父をとっくの昔に亡くしてしまっていたかもしれません。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、慈母の如く、四六時中私達を気に掛け面倒をみて下さいます。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは厳父の如く、最も勇猛な教法によって、その場で私達の種々の悪習を断ち切らせ、再び悪を行なわせないようにし、今世で生死から解脱させてくれます。リンチェンドルジェ・リンポチェはまるで明るい灯明の如し、私達の前方を照らし導いて下さいます。リンチェンドルジェ・リンポチェの導きと教えなくば、この一生はどちらへ往けばよいのか分かりませんでした。弟子が受けたリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩の重きことは山の如し、報い難いものです。弟子である私はその御恩に繰り返し感謝致します。そして、得難し縁をできる限り大切に思い、努力して教えに基づく行動をとり、輪迴の大海から解脱することにより、師恩に報いたいと存じます!
弟子 楊螢蓁、楊曼禎 頂礼、合掌
2013 年 03 月 11 日 更新