231:帰依の縁

数年前、私はヘアケア製品の輸入会社で教育経理を担当していた。このため、普段から美容師と接触することが多かった。ある日、私と親しい美容師の1人(彼は霊能力を持つと言われていた)がこっそりに私に「晏先生、あなたの会社の三階に幽霊がいるよ。彼女は生前、先生だったようだ。ここで死んだのだけど、別に悪意を持っているわけではない。ただ、気がかりなことがあって、あなたの助けを必要としているようだよ」と言った。私はすぐに、三年前のことを思い出した。航空会社にいたころの同僚で、当時、フライトアテンダントを退職する準備をしていた邢先生のことだ。私は彼女に、講師としてこの会社に来てもらう準備をしていたのだ。その年の4月1日、会社では教育部門の教師の多様化を宣伝するため、美容院の経営者たちを招いて、説明会を開くことになっていた。この日、壇上に上がった邢先生は10分も話さないうちに、突然倒れたのだ。救急車で病院に運び、集中治療室で一時間、応急手当てを行ったが、その甲斐なく先生は息を引き取った。

美容師の話を聞いた私は、すぐ母、徐清に電話を掛けた。当時、母はすでにリンチェンドルジェ・リンポチェに帰依していた。母は、リンポチェと会う手配を取り付けてくれた。リンポチェは、無くなった人物の名前と年齢を聞いただけで、彼女が以前、友達と一緒に釣りに行ったこと、彼女は魚を釣らず、ずっとそばで見ていたことなどを言い当てた。そして、彼女は年老いた両親のことを気にかけている(邢先生は非常に親孝行な娘であった)、そして特に母親を心配していると述べた。またリンポチェは、この日実は彼女は私と一緒に入り口まで来ていたのだが、中に入ることが出来なかったのだと言った。リンポチェは私に「施身法」に参加すれば大丈夫だといった。

「施身法」の法会に参加したのち、リンポチェは邢先生が亡くなった日に来ていた服装を言い当てた。しかしそのとき、私は何もわからず、また何も感じなかった。だからその後、私は例の霊能力を持つ美容師に邢先生がまだ私のそばにいるかどうか聞いてみた。彼は、もういないと言った。私は安心した。その後、仕事が忙しいのを理由に、道場へ行って法会に参加することは二度となかった。

リンポチェに帰依したのは、2003年11月21日にしゅうとめが突然、アメリカで銃殺されたからだ。私としゅうとめは仲良しだったので、この悪い知らせを聞いた私は、悲しくて何にも手につかなかった。私はアメリカの弟の家に住んでいる自分の母に国際電話を掛けて、しゅうとめがこんなふうに亡くなったこと、そして、どうすればいいのかとたずねた。母はすぐに国際電話を掛けて、兄弟子にリンポチェとの謁見を手配してくれるよう頼んだ。私と主人がリンポチェの前にひざまずくと、リンポチェは慈悲深い様子で、しゅうとめの名前と年齢を聞いた。そして、彼女の体には少なくとも3発の銃弾が当たったと言った。事件発生当時、私たちはしゅうとめが銃殺されたということだけしか知らず、何発撃たれたかは知らなかった。その後、アメリカへ渡った主人は、犯人が銃弾4発を発射し、そのうち3発がしゅうとめに当たり、残る1発は壁に当たっていたことを知った。リンポチェは、しゅうとめと犯人は前世で因を結んだのだと説明した。リンポチェはそして、私たちに犯人の名前も一緒に「施身法」の亡者リストに記入するよう指示した。主人はリンポチェの言うとおりにした。リンポチェは主人に、甘露丸を一粒くださった。翌日、主人はアメリカへ渡り、葬式を執り行った。主人は、しゅうとめの口に甘露丸を入れた。リンポチェはさらに、主人に必ず金曜日の「施身法」法会に参加するよう指示した。その日は丁度、しゅうとめの初七日であった。

リンポチェに会って以来、誰かに心が導かれるように、わずかの間にすべてのことがうまくいった。その後、しゅうとめの葬儀などは、すべて順調にいった。しゅうとめの家(殺人事件の現場)でさえ、あっという間に買い手が見つかったのだ。私たちは彼に、この家で殺人事件が起こったことを伝えたが、彼はそれでも構わないといった。喪に服している期間、もし私たちから言わなければ、私たちと会った友人たちは皆、私たちが喪に服していることに気がつかないほどだった。その後、リンポチェはこう言った。亡くなった人が菩薩の住む浄土にちゃんと済度されたのであれば、この世に生きる遺族たちは悲しみを感じず、むしろ懐かしさだけを感じるのだと。

このことがあって以来、私はすべての法会に出来る限り参加するようになった。リンポチェが訓示した仏法アルバムがあれば、必ず持ち帰って家で聞くようにしている。ここ何年か、私はリンポチェの仏法の教えに深く感激するようになった。そして、仏法を生活の中に取り入れるようになった。例えば「敵に感謝すること。それは彼らが辛抱や試練のチャンスを与えてくれたのだから」あるいは「損をすることを学ぶ」などだ。これらはいずれも、私が人と付き合う中で役に立っている。

寶吉祥仏法センター弟子晏雯雯

2008 年 04 月 03 日 更新