229:いつ爆発するか分からない爆弾─脳血管の腫瘍

2006年11月7日、アメリカ、深夜12時半、夜のしじまは野獣のようなうめき声で破られました。部屋に飛んでいった私は驚きました。妻が枕の上で、腹ばいになって全身を引きつらせていたからです。私は直ちに妻を仰向けにしました。妻の両目は引きつり、白目をむいて、口からは泡を吹いていました。私は「淑鈴、淑鈴、どうしたんだ」と妻の名前を続けざまに呼びましたが。何を言っても、妻は反応しませんでした。私は慌てふためいて救急車を呼びました。

主人からそのときの様子を教えてもらいましたが、私は全く覚えていないです。病院で検査をした私は、左の脳の言語をつかさどる部分に1.2センチンメートルの腫瘍があることをしりました。気泡のような「脳血管の腫瘍」でありました。アメリカの医師は、根治することは不可能だという理由から、私に手術を勧めなかったです。ただ、「癲癇(てんかん)」の薬を飲んで、「癲癇」を抑えることになりました。

それからは毎日ベッドに横たわる日が続きました。気力が衰え、記憶力も低下していました。また、言語能力がひどく損傷を受けたため、ときどき完全な文を表現することができなかったり、話をすることもできないほどです。体の具合が悪くて、一日中、ぼんやりしていました。ただ毎日、死ぬのを待つだけです。

姉は私の病状を知ると、台灣には慈悲深く、大願力と高い能力を持ったリンチェンドルジェ・リンポチェがおり、必ずや私を助けてくれるだろうと教えてくれました。彼女は私に、リンポチェが彼女の息子の命を救ってくれたこと、また、数多くの人を助けてきたことを教えてくれました。そのときの私は、こうしたことをあまり信じていなかったです。どうせ人はいずれ死ぬのです。私は死を恐れてはいなかったです。私はただ、主人が二人幼い子供の世話をきちんとしてくれることだけを願っていました。

ふとしたきっかけで、私は「八大人覚経」を読み、人はこの世で十種類の苦難に直面することを知りました。そこには「八番目の苦難に直面したとき、修行を積んだものから加持がもらえる」「十番目の苦難に直面したとき、菩薩仏をその目で見ることができる」と書かれました。私は、この世の中に仏が存在することを信じました!姉が教えてくれた寶吉祥仏法センターのホームページにアクセスし、リンチェンドルジェ・リンポチェの写真を拝見しました。その夜、ベッドに横たわった私は、ずっとリンチェンドルジェ・リンポチェのことを観想しました。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェが私の病気を治してくれる夢を見ました。夢から覚めた私は、薬による副作用がすべてなくなっていることに気がつきました。右手の血管も、二度とけいれんしなくなりました。そして、一日中ベッドの上でぼんやりして過ごすことはなくなりました。

私が病気になってから、姉は毎週のようにリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行き、救いを求めました。3週間通い続けましたが、答えはいつも同じでした。つまり「彼らが信じなければ、救うこともできない」というものでした。私がリンポチェの夢を見た翌日、姉はもう一度、リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いしました。するとリンチェンドルジェ・リンポチェは、何も言わずに、海の向こうにいる私のために加持して下さいました。12日後、私は飛行中の乱気流により脳血管が破裂して植物人になるか、または死ぬかもしれないという危険をおかして、14時間のフライトを経て、台湾に帰ってきました。意外にも、乱気流に巻き込まれることなく、順調に台湾に到着することができました。

2006年12月23日に始めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、リンチェンドルジェ・リンポチェは台湾に戻ってくるのは容易なことではなかっただろうと開示されました。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟も、私と同じように脳に腫瘍があることを教えてくれました。しかし、彼の弟は、菜食主義者ではなかったため、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟を救おうとしなかったです。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親がリンチェンドルジェ・リンポチェに頼み込んだので、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟を救うことにしたといいます。ここまで聞いて、私は涙が止まらなかったです。リンチェンドルジェ・リンポチェがまるで、仏菩薩のように見えました。心の奥底から湧き上がる感動を、どう形容していいか分からなかったです。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に、いつアメリカに戻るのかと尋ねました。「来年3月18日にアメリカへ戻るつもりです」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは「そのように行ったり来たりでは、私にはあなたを救うことができない」と言いました。すると私の主人がその場で、「アメリカへは戻らなくてもいい」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「そんなに早く答えを出すことはない。来週の火曜日にまた来なさい」と言いました。私たちはアメリカに残してきたすべてのもの、例えば車や家、仕事などを捨てて、台湾に戻って定住することを決めました。なぜなら私は、リンチェンドルジェ・リンポチェだけが私の未来に、一縷の望みを与えてくれるのだと知っていたからです。

リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生のために殊勝な施身法を修められました。

12月29日、私は初めて施身法の法会に参加しました。家に帰ると、私の下半身から、大きくてどす黒い、粘り気のある濃い液体が流れ出て来ました。それが決して月経ではないことは分かりました。1ヶ月後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、初めて供養を行いました。その日、家に帰ったらまた下半身から血の塊のようなものが流れてきました。

皈依して1ヶ月半すると、私は元気になり、言語能力も回復してきました。頭脳も以前と比べて明晰になりました。自分でも不思議に感じるほどでした。2007年3月5日、脳の検査を受けました。腫瘍が大きくなっていなかったばかりか、腫瘍の周りにあった血の固まりがすべてなくなっていました。周囲の親友たちも、私の健康と言語能力が以前より回復していることを実感していました。すべてはリンチェンドルジェ・リンポチェのおかげです。リンチェンドルジェ・リンポチェが私に、仏法のすばらしさと偉大さを知るきっかけを与えてくれたことに感謝しています。

アメリカから台湾に戻り、リンポチェと会ってから2週間。私は薬を服用しなかったし、一切の治療も受けませんでした。いまに至るまで、再発もしていないし、私の生活は一般の人たちとなんら違わないです。

曾淑玲(右二)の家族全員、四人は上師の助けに感謝しました。

2007年1月28日に皈依してから現在に至るまで、上師の慈悲によって、皈依した私達は上師とともに各地の聖地を訪れ、そして貴重な法会に参加し、福徳を蓄積する多くの機会を得ました。前世から受け継いだ罪が深くて重く、現世で早く仏法と接し、功徳を積まなければならないことを知ってからは、こうした機会を絶対に逃さないようになりました。今年2月には、インドで行われた大型の法会に参加しました。また、4月にはネパールで行われたリンチェンドルジェ・リンポチェの閉関を見送り、また8月には、閉関を終えたリンチェンドルジェ・リンポチェを迎えに行き、上師に随って、日本の京都を訪れて大文字の送り火に参加しました。また、インドのラダックを訪れて亥年の大法会に参加しました。さらに10月には、ネパールで行われた寺院の開光式典に参加しました。この1年間、飛行機にのって何度も長距離の移動を行ってきました。また、海抜3500メートルのインドのラダックで亥年の大法会にも參加しましたが、上師の加持のおかげで、調子の悪いところはひとつもないです。いつ爆発するか分からない爆弾、脳血管の腫瘍を体に抱えているなんて、どこから見ても分からないほどです。

上師がいらっしゃらなかったら、私もいなかったでしょう。上師がいらっしゃらなければ、私は永遠に恐怖の中にいたでしょう。上師の弟子に対するご恩は大きくて、永遠に報いるすべがないほどです。

寶吉祥仏法センター弟子曾淑玲

編集後記 2008/12/12:

曾淑玲さんは2006年に発病しました。検査の結果は脳血管腫瘍でした。リンポチェからの殊勝な加持により、病状は段々落ち着き。その後、2007年9月と2008年7月に、馬偕記念病院新竹分院で後続の追跡検査をしました。

  1. 受けた検査:脳部の核磁気共振血管撮影、これは脳血管が検視できるし、脳に本質的な疾患があるかを知ることが出来ます。
  2. 2007年と2008年の検査の結果は共に大脳の左側聶葉に脳血管腫瘍が認められ、そして、周囲に圧迫痕跡及び出血痕跡が併せて認められました。(写真矢印の指す処です。)大脳の他の場所には異常が有りませんでした。
  3. 2度の検査結果の明らかな相違は次の通りです。

(a) 病巣は明らかに小さくになり、前の1.3cmx1.4のcmから1.13cmx1.13cmに縮小しました。
(b) 2007年の追跡検査では病巣の周囲に繰り回し出血の痕跡が有りましたが、2008年では古い出血の痕跡だけが見つかり、新しい痕跡は認めませんでした。つまり病状が安定し改善されて、更なる出血はしていませんでした。

説明:
(a) 血管の腫瘍:普通の腫瘍と異なり、実質腫瘍はなく、血管の変形のみです。よく見るのは血管の壁が薄くなり、風船のように膨らみます。脳血管の腫瘍は先天的なのが多く、原因は不明で、普通の検査では発見できない故、予知もできない。しかし、いつ爆発するか分からない爆弾のように、脳内圧がが上昇或は、外部の衝撃力が加わると、血管が部分的に変形し、破裂して出血する可能性があります。破裂して出血すると、脳溢血即ち出血性中風になり、ほとんどが厳重な事態に陥り、命取りになる場合もあります。

治療について:医師が手の施しようの無い所や、匙を投げ出す箇所は多いです。曾淑玲さんはその一つの例です。血管腫瘍が大脳髄質にあり頭蓋骨から奥に離れており、手術をして血管腫瘍を取り除けば、大脳左半球に多大な損傷を与えることを免れないです。その結果、血管腫瘍は治しましたが、半身不随になり、中風と同じ事になります。やれるのは血管塞栓術だが、それとてリスクが高いです。しかし手術をしないといつ破裂するか誰も知らないです。いつも命に関わる危険に臨んでいるわけです。

(b) 検査の結果:血管腫瘍は小さくなり、再度出血した痕跡はないです。奇跡としか言いようがないです。

2007年脳部の核磁気共振血管撮影 2008年脳部の核磁気共振血管撮影
(1) 病巣は1.3cmx1.4のcmでした。
(2) 病巣の周囲に繰り回し出血の痕跡がありました。
(1) 病巣は1.13cmx1.13のcmでした。
(2) 病巣は古い出血の痕跡だけが見つかり、新しい痕跡は認めませんでした。

2016 年 04 月 08 日 更新