227:逆境で
帰依してからずっと リンチェンドルジェ‧リンポチェより多くの加持を頂いており、溢れんばかりの感激で胸がいっぱいだ。2001年に帰依した後、業力が現れて、義理の父と夫が相継いで中風で入院したときのことを思い浮かべた。リンチェンドルジェ‧リンポチェに会うと「彼に仏を学びに来させるのではなかったのですか?他の人にきいて御覧なさい。私が彼らに配偶者を来させなさいと言ったことがありますか。」と淡くおっしゃった。
確かに以前、あることを リンチェンドルジェ‧リンポチェに伺った折、リンチェンドルジェ‧リンポチェは夫を仏を学びに来させる様に言付けたが、あの時、私自信も信心がなく、口から出任せに「彼は信じないでしょう」と返事した。それで、菩薩の救済の縁が切れた。 今思えば リンチェンドルジェ‧リンポチェが口に出すことは、我等に助けを差し伸べているのであって、必ず指示のごとく実行しないといけないのだ。
夫の中風のことで リンチェンドルジェ‧リンポチェに拝謁した時 リンチェンドルジェ‧リンポチェは「安心しなさい。彼は死なない」とおっしゃった。「後遺症が残るのが怖いですね」と危ぶむと、リンチェンドルジェ‧リンポチェは開示しておっしゃった。「自分で求めたのだ。この世にはこんなに多くの人が居るになぜ彼を選んだ」この言葉は私がその後逆境に直面した時心の支えとなった。 その後数年間に亘って、私達夫妻の感情は座礁した。 双方ともに第三者がいたため、たいへんな苦しみを味わった。幸い毎週、仏法を聞くことで自分の問題に対して開示でき、間違った決定を下さなかった。もしそうでなければ、自分の今までの性格では、きっと離婚していただろう。
或る時、兄弟子が リンチェンドルジェ‧リンポチェの済度事跡の話しをしているのを聞いたが、私は突然悟った。私たち夫妻の何年もの逆境は リンチェンドルジェ‧リンポチェが開示した「殺業の重い者は 世にいる時によく病に罹り、命が短く、家族も円満にいかない」との言葉が適中したのだ。1999年、私たちは胎児をおろした。これはひどい殺業だ。リンチェンドルジェ‧リンポチェの加持はこの茨の道で我等を導き、夫の中風は完全に回復した。
2003年8月に外祖父が重病で集中治療病室に入ったが、既に話をする事が出来なった。慈悲深い リンチェンドルジェ‧リンポチェ、わざわざ病院に駆けつけて加持を与えてくれた。加持の後 リンチェンドルジェ‧リンポチェは外祖父が言葉に出せない話を伝えてくれた。 海外にいる息子にあいたい、大陸にいる姉を助けたいなど、あわせて六つの事だった。 また、外祖父の殺業が重いのに加持を得られるのは、過去彼がまだ軍隊に居た頃、七人の敵兵を見逃した事があるので、その善行が今の因縁に繋がったのだとおっしゃった。私が集中治療室に戻って外祖父にこの事を語ると、外祖父は子供のように泣いた。その激動した様子を見ると、この事が外祖父の心の内でどれほどの重きを成しているのかが分かるようだった。 翌日、外祖父の病気は奇跡のように軽くなり、一般病棟に戻ったが、それほど苦しみは味わうこともなかった。
私は利己的だったので、上師を疑い、仏法の助けを家族と分かち合うことなく、日ごろ リンチェンドルジェ‧リンポチェの開示で生死に関する大切なことを家族に注意しなかった。このため外祖父が亡くなるとき、素晴らしい「ポア法」を得ることができなかった。翌日、リンチェンドルジェ‧リンポチェに会うと リンチェンドルジェ‧リンポチェはこう開示した:
- リンチェンドルジェ‧リンポチェは昨夜2時間ほど待った。しかし混乱が生じていた。それは日ごろ家族と往生際に関しての意見を同じくする事が出来ず、家族も不信が故、因縁が備わっていなかった為だ。
- 今回、外祖父は慌しく他界したが、日ごろ護法に助けを求めていなかった。
- 私は修行を積まなかったので、周りの冤親債主は私の思いを知らず、私は衆生に利益することが出来なかった。こまごまとした事で私の私心が現れた。仕事の上では何時でも他の人の事を考え、利己心は捨てなければならない。
- 当たり前なことなど無い、あるのはただ因果のみ。
外祖父が亡くなった後の「施身法会」で リンチェンドルジェ‧リンポチェは特に開示した。この期間にある帰依弟子の家族は「ポア法」が得られず、未帰依の信者がかえって「ポア法」を得た。これは敬う心と信心が足りないためだ。しかし、自分の悪習はとても深くて、それを聞き入れる事が出来なく、翌日 リンチェンドルジェ‧リンポチェに「外祖父は昨日の『施身法会』に来ていたか」と尋ねる有様だった。次の日曜日の法会で リンチェンドルジェ‧リンポチェは皆の前で私の一番の問題点―信心がなくて金剛上師を疑うことを指摘し、私が道場に入ることを禁止し、過ちを反省する事を促した。
あの時は、法会に參加することを禁止され、繰り返し リンチェンドルジェ‧リンポチェの開示テープをきくしかなかったが、それにより、過去の二年間,不真面目な気分で仏を学び、加護を求めるだけで、真面目に仏に向かわなかった自分は、ただ時間を無駄に費やすだけだっただった事を悟った。リンチェンドルジェ‧リンポチェが私に真っ向から一喝した事に感謝。痛い所を突かれ、もう一度自分で自分を見直す事が出来た。これで、仏を学ぶ正確な方向を見出すことが出来た。
リンチェンドルジェ‧リンポチェは、私達に自身の行為を直す多くのチャンスを与え、慈悲深く我らの家族を加持してずっと見守った。リンチェンドルジェ‧リンポチェが経営する事業は衆生によりよいサ-ビスを提供することを目指している。 祖母が前回、集団傘下の祥楽旅行社催行の日本紅葉ツアーに参加したとき、人に出会う毎に楽しかったと言っていた。目上の人を楽しませることはとても重要な事だ。
人身は得がたく、仏法は聞き難く、上師は逢い難し。現在すでに完璧な人身を頂いており、 また,幸いに稀で得難い大行者 リンチェンドルジェ‧リンポチェと出会い、弟子はただ伏して感謝し、仏法を聞く努力をし、絶えず法を奉じて行なうのみ。
寶吉祥仏法センターの弟子 董暁蕾
2009 年 01 月 23 日 更新