224:医師さえも絶賛した奇跡
初めて至尊至貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしてから現在迄、凡そ8年の月日が流れました。妻も皈依して既に6年余り経ちました。この期間、私達一家はリンチェンドルジェ・リンポチェの数え尽くせない程の加持と恩徳を授かりました。特に私の息子の魏中雄がです。
中雄は生まれて三ヶ月余りのある日、発熱がひかず中山医院に送り込まれました。医師の検査後、尿道逆流によると判断されました。病因は、中雄の膀胱と尿管の接合部の弁膜の成長不完全にあり、小便時に尿液が尿管または腎臓に逆戻りして尿路感染を生じさせ、並びに、傷ついた腎臓が、ひどい時には腎機能低下を引き起こす可能性があるとのことでした。その時の診断の結果は1~2度の軽度の逆流でしたが、医師は、家に帰ったら予防の為に、定時に抗生物質を飲ませるよう言いました。約二ヶ月飲ませた後、妻は、子供が皈依をし法会に参加すればリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず助けてくれると言い、薬の服用と診察を止めさせました。私は中雄の病気も再発することはないのだろうと感じましたので、頑なに薬の服用を続けさせることもしませんでした。しかし、一ヶ月余りが過ぎ、中雄が生後約六ヵ月半を過ぎたある晩、高熱の為、中山医院に再入院しました。医師は妻に、時間通りに薬を服用させたのかを聞き、妻は首を横に振りました。続くは、医者の非難です。その時中雄は、それ程幸運ではなく、既に四度の深刻な逆流症に至り、高熱は下がらず、腎臓を傷付けていました。医師は、すぐに手術を行なうことを勧めました。その時、私は仏教を学んでおらず、非常に緊張し、心の中では医師は科学的であるから間違いない、私達は医師の言うことを聞くべきだと思いました。しかし私の妻は違っていました。家族の強烈なプレッシャーを受けていたにも関わらず、妻は始終、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず子供を救ってくれると堅く信じていました。そこで、妻は、医者に薬での治療と観察を続けることを要求し、私にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し助けを求めるよう説得し始めましたので、私も了承しました。この前に私は断続的に寶吉祥宝石店にてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めること数回、大法会及び施身法に一度参加したことがありました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、息子がどうしてこの病気を患ったのかを説かれました。また、更に私に、「病気は治ります。子供は元気であるようなので、手術する必要はないでしょう。しかし、いつもあなた方に菜食を食べなさいと言ってもやらず、供養しなさいと言っても勿体無くてできず、それなら私はどうやってあなたを助ければいいのですか?」と仰いました。帰宅後、妻は、息子の為に発心し、一緒に供養したいことを相談して来ました。私は胸中長い間苦悶していました。一方で、リンチェンドルジェ・リンポチェは実にすごく、神通力をもって息子を救ってくれるかもしれないと思う反面、一方では勿体無い気持ちが起こり、なぜ供養しなければならないのかを理解できませんでした。そんな時、ある法友の文章をネットで偶然に拝見しました。リンチェンドルジェ・リンポチェが如何に自分の生命を惜しまずに筆者の他界したばかりの祖母の為にポワ法を修したのかについての経過を綴ったものでした。文章を拝読した後、供養することに決めました。しかし、私の当時の心情はやはり強制的で誤ったものでした。
供養後の二日目は、病院では例の通り中雄の白血球指数が正常値に戻ったかどうかを検査しました。白血球指数が正常値に戻る前、中雄は入院し観察を続けなければならなかったからです。しかし、検査結果は私達が予期していたものではありませんでした。これにより、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの能力とその前に行なった供養に対して懐疑的になりました。私の舅を尋ねて、妻は一体どうして迷信を信じるのか、私が苦労して貯めたお金を布施してしまい、子供にも菜食しか与えない…等と訴えました。この為、舅は激怒し、私は舅に口業を作らせ仏教を誹謗させた他、姑と妻からは訓戒を受けることになりました。
その後、妻は種々のプレッシャーの下、子供を退院させ、並びに、私の両親の意見を聞き入れて、新店慈済医院の非常に著名な泌尿科医に診察してもらうことになりました。私達が手にした、以前中山医院で写した写真を専門家に見ていただくと、同じ回答が返って来ました。四級の深刻な逆流症の為、すぐに手術する必要あり。並びに、CTスキャンの日程を予約し、中雄が四級を維持しているのかを再度確認し、次の手術のスケジュール及び準備すべき一切の事柄を決めるとの指示でした。CTスキャンを待っている期間、私は、今回の手術は避けられないのではないかと妻に言うと、妻はただ私に「まだ決まったわけじゃないのよ!」と答えるだけでした。私が「息子の手術日と、お前が法王の誕生日を祝う為にインドへ行く日が重なったらどうするのか?」と問うと、妻は自身を持って答えました。「手術をするといってもその時であるはずがない。私がインドへ行くことを、アチ護法神は知っているはずだから、障害を取り除いてくれるはずだ。」と答えました。私はその時、当然ながら、冷ややかな嘲笑、辛らつな風刺、未練がましさをもって応じました。
ついに、CTスキャン検査をする日となりました。その日、私は、恐怖に手足を無暗に動かし縛り付けられている小さな生後七ヶ月余りの中雄を見ていました。その後、中雄は、訳の分からないまま巨大な氷のように冷たい全被覆式の検査機器に押し込められました。中雄は恐くて大きな声を上げて泣き、妻もまた隣ですすり泣いていました。それは私が一生忘れ難い一幕となりました。全ての検査を終えるまで時間がかかりました。中雄は泣き寝入りした後また目覚めて泣き続ける程の長い時間でした。その後、私達は、中雄の検査をした人達が何か話し合っていて、繰り返し同じ検査をしている事が分かりました。その後、報告は主治医に渡され医師から説明がある故、予約を取るようにと言われました。そこで、私達も多くの質問をせずに、帰宅して次の予約日を待っていました。
約一週間余りが過ぎ、魏中雄の予約日が来ました。しかし、その日、私は実父と共に中国に出張中で、妻が中雄を連れて結果を聞きに行きました。その日の晩、私と父が工場で食事している処に、妻は電話を掛けて来て言いました。「私が今日、中雄を連れて病院へ行くと、医者は、中雄の病気が完全に無くなってしまったと言ったのよ。四級のひどい逆流症で手術と言われるまでもなく、一度の症状も全てなかったの!」私はそれを聞いてストレートに聞き返しました。「本当なのか?本当に確かなのか?」妻は、「100%確実よ。医師さえも奇跡だと絶賛していたの。」その時、内心、これら一切は、確かにリンチェンドルジェ・リンポチェの加持によるものだと確信しました。電話を切る前、妻に、帰国したらすぐにリンチェンドルジェ・リンポチェにこの事を報告し、リンポチェの恩徳に感謝することを約束しました。
尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の御蔭で、私はこの様な殊勝な因縁が結ばれ、2007年1月28日、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。これによって私の生命及び生活は全く新しいスタートを切りました。現在の末法時代において、徳を具え法に基づいて修行されている上師に出遭えるという事は実に難しいことです。弟子である私は、唯々、過去世に累積された一切の因縁と福徳を非常に大切に思い、リンチェンドルジェ・リンポチェに付いてしっかり仏教を学ぶことだけが、真に累世の悪業を解決し、六道輪迴の苦しみを断ち切り、リンチェンドルジェ・リンポチェの救済の御恩に報えることであると深く知りました。再度、尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を致し、並びに、リンチェンドルジェ・リンポチェが永らくこの世に住し、常しえに法輪を回され、更に多くの有情を利益される事を願っております!阿弥陀仏!
弟子 魏立倫 恭撰 2008年12月18日
2013 年 03 月 11 日 更新