222:癌指数が30から0に
2006年11月のある夜、急に義弟から電話があり、義父が突然背中に痛みが走り立つことさえできなくなったと訴え、両足もコントロールできず感覚を失ったから病院に搬送したとの連絡でした。それを聞いて家内と急いで病院に駆けつけたら、目に映ったのは歳月の刻み及び日光に浴びすぎた痕に満たされた顔が想像絶する痛みにより歪んだ表情でした。
義父が必死に目を開けようとして、「痛い!」としか言えずに、再び痛みの淵に陥り、しかめ面をして何もしゃべれずに、ただただ痛い表情で苦しみを訴えていました。尊き上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに嘗て、他人の苦痛はどんなに辛いものなのかはその当事者しかわからない、他の者は親身になれるはずが無いのだと教えられました。当時私たちは本当に義父の痛さを体感できず、無力感溢れるばかりで虚しく慰めていました。その時初めて八方ふさがり虚しさを実感し、頼りのあることはどんなに大切なのかを思い知らされました。?
医者の検査の結果前立腺癌第四期を確認できて、癌細胞は既に転移され、しかも脊髄の第三節と第四節付近にもかぶせられ、神経が圧迫されたために痛みを生じ、両足の感覚を失い、緊急手術をしなければ神経が壊死してしまうことがわかりました。また、血液の検査により癌細胞数値が30(一般はおよそ4以下)にも達したのが判明し、癌細胞の転移の事実が証明され、家族全員がどうすればよいのかをわからずに恐怖の淵に陥ったのでした。
その前に私の同僚から尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが脳梗塞だった彼の母親を救えた事及びリンチェンドルジェ・リンポチェ殊勝的な教法を聞いたことがあり、彼はその時リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁してみませんかと言い、私はただ「縁が来たら行く」と返事しました。一週間余り過ぎごろ義父のことが起きて、考えてみればまさに縁が来たと信じざるを得ないのでした。
当時私が家族に寶吉祥に行ってリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を懇願しようと提案し、みんなの同意を得て、翌日義弟と一緒に寶吉祥を訪ね、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに参りました。懇願する仕方を教えてもらった兄弟子に感謝します。跪いてしたら、慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェに何かあったのかと聞かれ、私達は状況を報告したうえで義父の苦痛を軽減するようにリンチェンドルジェ・リンポチェに懇願しました。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐさま義父の干支と年を確認し加持を行われました。その後私達に義父が沢山の犬と蛇を殺した事があり、特に蛇については、チベットでは羊100匹を殺すより蛇1匹を殺したほうが罪深いとリンチェンドルジェ・リンポチェが教えてくれて、義父の代わりに毎回の法会を参加するように言われました。
続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが梁皇法会の意義及び梁武帝があんなに沢山のことをしたのにも関わらず何故達磨祖師に功徳なしと言われたの?と説明していたら、突然、リンチェンドルジェ・リンポチェが私にやや厳しい口調で「仏菩薩はあなたに借りが無い」「私も顕教を学んでから密教を学ぶことによって修法ができた」「仏法が私の身の上で証明されたものは、あなた達の身の上でも証明されることができる」を言いました。
帰り道にリンチェンドルジェ・リンポチェの話がずぅーと頭の中でぐるぐる回っていて、特に「仏菩薩はあなたに借りが無い」という言葉に対して、どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェが言ってくるのか?私には絶対どこかに問題があったのでは?と気になっていました。その後施身法及び毎週の法会を参加して、リンチェンドルジェ・リンポチェがほとんど毎回の法会で「仏菩薩はあなたに借りが無い」という話をするようになり、私もそれを聞く度、それが自分へのメッセージだと毎回考えさせられ、きっと何かの思いがあって自分はそれに気づかないままだと思っていました。ある時、リンチェンドルジェ・リンポチェが「仏菩薩があなた達のお金を取った訳ではない」と話したとき、私はやっと悟りました。リンチェンドルジェ・リンポチェに出会う前私は沢山の法会を参加したことがありあました。水懺、梁皇法会、水陸大法会、齋僧法会などで、また沢山の寺院及び団体に寄付した事もありました、しかし自分の状況は全然変わりありませんでした。たとえば、私の悪い習慣や悪念が溢れコントロール不可能な状態だったことや、考えてはいけない悪念と行為だと知りながら業に流されるがままで、後で後悔したり悩んだりしたこともありました。特に当時長年念仏した母が重病に(地蔵経で説いたように、母は殺業が重いための果報)なったため、私は更に法会を参加し供養にも努力し、仏菩薩に母の加持を懇願し、母と冤親債主との怨念を解けるようにと祈りました。顕教の法師が母を見舞いに来た時も「仏菩薩が加持したので安心して休養しなさい」としか言えず、母の病状が変わらないまま亡くなりました。母の最期を見た私は心がとても辛くて、どうして母がこんな状況になるの?しまった!と思った次の瞬間、何故自分がこんなに努力したにも関わらず報いがないままなの?一体どうすればいいのか?との思いが胸いっぱいでした。ですから、母よりも深刻な義父の状況をみると「私にはもう何の力もなれない」と心がそう思うようになっていました。
直接しかも面倒臭がらず私の誤りを指摘してくれた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しています。もしリンチェンドルジェ・リンポチェの教えがなければ、一生を終えても悩みや悔しさが重ね重ねに積もった心の深い所でわざと無視しようとした大きな誤りを知る由も無かったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェが私に改め、懺悔の機会を与えてくれまして、ご恩に感謝しております。義父もリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けてから、すべての医療プロセスが順調に進み、三ヶ月後の血液検査で、なんと血液の中の癌細胞指数がゼロ近くまで下がって、正常な方よりも素晴らしいと医者も家族も驚かされました。これらすべては、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェからの賜り、癌指数が30から0にだけではなく、さらなる多大な無形な宝を下さったのでした。
これらの事及びリンチェンドルジェ・リンポチェの教えを経験し本日に至って、修行者の慈悲とは口ばかりや形ばかりだけのものではなく、実際に現すものであり、すぐに衆生に最適な助けを与えられることであることを思い知らされたのです。同時にもし高徳な上師の教誨及び摂受がなければ、自分の間違いがどこにあったのかを実際に発見することもなく、反省し改めることももちろん出来ないままに、輪廻を脱離することもできる訳が無いことをわかるようになりました。輪廻の険悪な迷宮の中にもし大成就者からの依怙および引導が無ければ、私は再び輪廻に陥ることは避けられないのでしょう。そう信じざるを得ないでした。
王世達 謹んで書き上げます。
2008年12月18日
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2017 年 03 月 29 日 更新