218:リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と智慧は肺癌末期の姉と家族全員を済度される
尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の御力の御蔭で、皈依していない姉の殊勝な因縁が実り、姉は迅速に福報を積み「ポワ法」を得られたことに感謝致します。
一番上の姉は、何年も前から仏法に触れ、各寺院の懺悔会に参加し、各種経典の研究では内容を流暢に話す程になり、大規模な各宗教団体には常に御布施を欠かしませんでした。しかし、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、「このような行為は福報を累積することができるだけであり、福報では業を変えることはできず、業を変えることができるのは功徳を積むことだけである。」と説かれていました。姉は今年二月、突然発病し、病院での検査結果、肺癌末期であることが分かりました。家族全員は混乱した心でリンチェンドルジェ・リンポチェへの謁見を求めました。謁見時、リンポチェは姉に「何事ですか。」とお尋ねになりました。姉は、人間界は無常であることを嘆いていると答えました。すると、リンポチェは、厳しく次の様に仰いました。「あなたはまだぶつぶつと仏の言葉を言っていますが、多くの経典を読み、多くのお金を御布施さえすれば、役に立つと思たのですか?今、どうして大規模な宗教団体に助けを求めず、私を訪ねて来たのですか?観音菩薩が貴女を連れて来て下さったのですよ。」リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲をもって、姉に痛みを恐れてはいけない、もし痛みが貴女を地獄に落させないとしたら、貴女は痛むべきです!もし死が貴女を二度と輪迴させないとしたら、貴女は死ぬべきです…。」その時、家族全員及び姉はこの御言葉の含意を受け入れることはできませんでした。しかし、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは姉に加持を授け、家族全員の法会参加を御許しになりました。
その後数回謁見を請い、姉はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を求め、リンポチェもまた慈悲によってその願いを受け入れて下さいました。しかし姉は上師に対する信心が不足していた故に退転してしまいました。その当時、家族は姉の為に別の寺院に救済を求め、姉もまた決まって一ヶ月に一週間、寺院での礼拝に参加しており、徐々に姉の心にも動揺が生じ、リンポチェの教えに対しても恐れを感じ始めていました。法会には継続して参加していましたが、信心不足から福報を得て皈依するには至りませんでした。5月に法王が来台しお茶会が開かれる前の日の晩、寶吉祥の法友が電話で、リンポチェの慈悲により皈依する申し込みをした姉は赤いベストを受領しお茶会に参加できることを連絡して来ました。我は喜んでこの事を姉に言いましたが、姉はその時、苗栗の山にいて、躊躇して決められず、暫くして三番目の姉が電話で、上の姉はお茶会に参加しないこと、並びに、師父が禅定の時に密教の恐ろしい本尊が現れて理論を交わし、何故自分の弟子を奪おうとするのか尋ねたことを話しました。その後、姉の事は彼らが処理をするが、姉の師父は姉が山を下りた後、家の中にある密教の物品を全て片付け、密教の全ての情報を断ち切ってこそ、継続して山にいられると話されたそうです。姉もまたこの時、一方では別の寺院に救済を求めながら、一方では上師リンポチェを利用することの矛盾を感じ、二度と法会に参加しないことにしました。当時、私は、姉の病に対しては全くの力が及ばないのを感じていましたが、自分は続けて法会に参加し、リンポチェだけが姉を救えるという唯一の考えを捨てませんでした。
六月末、姉の病痛は益々酷くなり、最後に彼らは姉に山を下りさせ、二度と姉を構いませんでした。七月、姉は緩和ケア病棟に入院することを決めました。強力な鎮痛薬はありましたが、痛む姉を見るにつけ、助けられない自分に内心恐怖感を感じ、兄弟間の恨み事も日一日と増える中、嘗て法会で聴聞したリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を思い出しました。それは、癌末期の病人が瞋恚ばかりしているなら必ず地獄に堕ちるというものでした。家族の能力には限りがある故、仏菩薩に救済を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェに救済を求める事が、その時、家族にとって救助を求める術になりました。よって、我と妹は再度寶吉祥に赴きリンポチェに加持を請いました。リンポチェは加持後、「お姉さんを絶対に三悪道に行かせない。」と仰りましたので、妹はリンポチェにどんな因縁があればポワ法を得ることができるのか尋ねました。リンポチェは慈悲により「話をよく聞く皈依弟子、及び累世、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養したことのある者です」と答えられましたが、姉は、現在このような条件を全く満たしていませんでしたので、私達二人に姉の代わりに法会に参加し、姉の為に福報を積むよう促されました。その後、姉は、私達が法会に参加する度に、自分から積極的にリンポチェの説法内容を尋ねるようになりました。私達は、リンポチェの慈悲の力によって、姉は懺悔を始め、誠心誠意でこの一切の因縁の果報を受け入れるようになったと感じています。
我と息子の聖軒は継続して法会に参加し、法会では、毎回仏法を聴聞すると感動の為に慟哭し、その後はリンチェンドルジェ・リンポチェに対する無限な信心が呼び起こされました。また、「人身は得難く、仏法は聴聞し難く、上師とは邂逅し難し」というリンポチェの開示を徐々に心で理解することができるようになりました。弟子として上師の仏法を聴聞できることは何と言う光栄でしょう。上師の戒めに従い今世を充実させる努力をし、菩提心を発し、出離心を発して生死を解脱するのが私の願いです。よって、八月、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を求め、リンポチェが同意された後、この事を姉に告げると、姉は聖軒が生まれた時からこの子の学習に非常に関心を寄せていたので、私達がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したことを知り、歓喜の涙を流していました。
姉は、他界の三週間前、昏睡状態に陥ることが多く、外部と話ができませんでした。姉にまだ意識がある時、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を授かりたいという願望がありました。ある雨の日、私達は姉の願望を成就しようと、万難を排して、救急車に頼み姉を淡水馬階病院から逸仙路の寶吉祥に運んでもらいました。病院で外出届を提出している時、看護人員は私達に、このような搬送は病人には耐えられず、随時、生命が危険に曝される恐れがあると、厳しく警告しました。実際のところ私達も、姉の残りの生命が、揺れ動く搬送に耐えられるか心配でしたので、万一他界した時に家に搬送できるように、同時に葬儀社に待機するよう連絡しておきました。姉は担架の上に横たわったままで寶吉祥宝石店に入り、言葉は話せませんでしたが、眼はリンチェンドルジェ・リンポチェをじっと見つめていました。私達が姉をリンチェンドルジェ・リンポチェの高座前に押し出すと、リンポチェは姉の為にマントラを唱え加持して下さりました。リンポチェは「お姉さんは大きな福報のある人で、諸仏菩薩が皆やって来て加持しました。因縁が満たされたのなら、ポワ法を修法しましょう。」と仰り、姉が三日以内に逝くが、泣いてはいけない、救急治療を施してはならない、姉にリンポチェを観想するよう随時告げることを指示され、私達は姉の以前の希望に基づき供養を捧げると、リンチェンドルジェ・リンポチェは同時に、言葉の話せない姉が聖軒の将来の仏道について関心を持っていることを感じ取られました。その後、リンポチェは法会において、姉が重病である時、激痛及び生命の危険を顧みず、鎮痛剤を打ちながら酸素マスクを付け、救急車に横たわってリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行った姉の信心は堅固であること、姉の供養には何も求める心がなく因縁を満たしたことを話されました。
しかし、一週間が過ぎても姉は昏睡状態で、我と妹は再度寶吉祥に行きリンポチェに教示を求めました。リンポチェは姉が非常に緊張しており、私達に、姉にリラックスしてリンチェンドルジェ・リンポチェだけを観想するよう告げる様にと説かれました。更に一週間が過ぎると、母は姉が家に戻された後、また病院に連れて行かれるのを見て、娘が受ける苦しみに心を痛めていました。母は家族全員を連れて再度寶吉祥に行き、自分の足の痛みを我慢して跪き、リンチェンドルジェ・リンポチェに救いを求めました。「私の娘の事は全てリンチェンドルジェ・リンポチェに託しました。どうかリンポチェ、娘を仏菩薩の処へ連れて行って下さい。」リンポチェは母の真心に感動され、家族が姉の為に安置した「長生きする為の御札」を観じました。リンポチェは加持後、慈悲をもって「貴女達が彼女の為に寺院に安置した長生きする為の御札を撤去すれば、逝く事ができます。よく考えなさい。」と言われました。姉妹達は、安置しなかったと思っていたのですが、実は兄が一ヶ月余り前に確かに安置したことが分かり、私達はその御札を撤去することに決めました。(その後、リンポチェは法会において、母親の哀求に感動され、母親は娘の受ける苦しみを我慢できないが、未練を断ち切る事を学び取ったので、娘も安心して逝きました。母親の智慧は仏法の悟りを表していると説かれました。)
10月31日、0時45分、姉は息絶えました。妹は1時頃、寶吉祥に電話し、姉の為のポワ法修法をリンチェンドルジェ・リンポチェに願うメッセージを残しました。姉が息絶えた後、姉の為に即刻ポワ法を修法して下さったリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します。その後、法友が電話で、ポワ法修法の成功を知らせてくれ、並びに、リンポチェが修法している時に姉妹の誰かが泣いていたことを観じられ、指示に従わなかった弟子の誤りを正そうとされたことを話していました。誤りを正すと言っていましたが、私達は、それが家族に最も利益のあるリンポチェの警告であったと信じています。何故ならリンポチェは嘗て、「生死は人生の大事である、仏教を学ぶということは生死の大詰を修得することである。」と説いていたからです。家族の不注意な愚かさは、姉を陥れただけでなく、恐らく自分をも陥れることになるのでしょう。その後、私達が触れた姉の額は冷たかったのですが、梵穴(サハスララチャクラ)は確かに僅かに暖かく、仏名を8時間唱えた後、姉の表情は依然として安らかで、皮膚は白く潤い、服を着替えさせた時、肢体は非常に柔らかく、身体もやはり僅かに温かい状態でした。私達は、姉が極樂世界に到達したと信じています。
11月1日、家族全員で寶吉祥に行きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な御力に感謝致しました。リンポチェは弟子達に、ただ眼の縁を赤くした行為だけでは姉を怒らせ極楽に往生させられないことを説かれ、家族全員、菜食をし、法会に毎回参加して仏恩に報いるよう教示されました。
最後に、弟子私は上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なポワ法によって姉を済度し、家族全員をも救って下さった御恩に感謝致します。姉を失ったものの、現在、私達は姉に対してただ懐かしい思いがするだけで悲哀感による心の痛みはありません。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持の御蔭により、弟子である私と息子の聖軒は、11月2日、正式に皈依し、妹及び兄にも機縁があり11月に皈依の申し込みをしました。中国語のわからない母も継続して法会に参加しており、これらの一切は上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲力及び偉大な智慧に依るものです。その御蔭で、私達は、今世でこのような殊勝な因縁に恵まれリンポチェの教えと導きの下で仏教を学ぶことができました。また、私の体験談により、未だ苦海を徘徊している衆生が上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する信心を更に高めることができますようお祈り致しております。
再度、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝申し上げます。有難うございました。
弟子 劉淑華 感恩 2008.12.31
2009 年 03 月 03 日 更新