202:暗闇の中の明燈
2001年、私は、受験のため、予備校で勉強していました。兄弟子(高校時代の同級生でもあります)の紹介を通して、初めてチベット仏教「寶吉祥」道場の対外公開の大法会に参加しました。しかし、その時は仏教に対して半信半疑であり、また若さからの反発もあり、ほとんど友人に請われて無理やり参加した法会でした。その後、同じような情況からこの高校時代の友人に引っ張られて寶吉祥へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに会いました。生まれて初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに会い、顔つきが非常に荘厳な長者であると直感しました。ただ、私はやはり自分の態度を定めることができず、だらしない幼稚な態度でした。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「どうしましたか?」と尋ねたので、私は「健康の状態を見てください。」と答えました。そして私に手を出して開くように言い、その伸ばした私の腕で空を隔ててなぞっていたかと思うと、リンチェンドルジェ・リンポチェは手を戻した後に真正面から私に「あなたはタバコを吸っていますね?それに胃も悪いでしょう。」と尋ね、合わせて私の性格の長所と短所を言ったので非常に驚きました。なぜ私は一瞬にして透明人間に変わってしまったのだろうか?続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは厳しく訓戒し始めました。私は驚いて頭が真っ白になりました。最後に喫煙してはいけないといわれたことだけを覚えています。
その後、大学に受かり、退廃した大学生活が始まりました。リンチェンドルジェ・リンポチェにもうタバコを吸ってはいけないと訓戒されたものの、時間が経つにつれて、元に戻り、大学一、二年生の時は食べたり飲んだり遊んだりと忙しく、自分勝手に人生とはこういうものだと思い込み、そのくせ星座占いを信じ込み、星座の運勢に合わせて生活し、非常に浮ついた生活でした。更には高校時代に身についた悪い癖、万引き、盗み、特に高価なスポーツシューズやバイクを好んでは盗んでいました。2003年春、生活において続けて悪いことが起こりました。親友に売られて仲たがいし、両親の関係が崩壊し、家族が病気になり、家庭の経済状態に新たな負担が発生して様々なことが続き、更に加えて大学生活は半分を過ぎ、前途は茫々とした状態で、これらの生活上での問題は奢り高ぶった自分が招いたことで、私はこれらの問題に向き合わなければならなくなりました。なぜ自分の家庭が円満でなくなってしまったのだろう?なぜ私はいつも他人が大きな欠点を持っていると思うのだろう?人は年を取るとなぜ病気になりやすいのだろう?私はあの高校時代の友人の上師リンチェンドルジェ・リンポチェを思い出し、友人に連絡して困難と悩みを彼に話しました。彼は二年前に行ったことがある寶吉祥へ連れて行ってくれ、リンチェンドルジェ・リンポチェに毎週金曜日の「施身法」法会に参加させてほしいとお願いしました。
初めて参加した施身法は、赤いベストを着た皈依弟子が入場してから案内してくれ、私は前方のリンチェンドルジェ・リンポチェ法座に近い位置に座らされました。他の道場に行ったことがないものの、全てが理路整然としていました。法会が始まると、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は私に活を入れ、それは私が信じていた占いなどの迷信とはまったく違っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は、多くの人に向かって話しているのですが、一つ一つの言葉は正に自分の欠点と問題を突いているようでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、全てのことは過去の自分がしたことで、もしも希望ある未来にしたいなら、今全ての悪行をやめなければならない。命運は自分の手の中にあると開示されました。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた寶吉祥は、まったく功德主がなく、衆生は全て平等で、新しく来た信衆は最前列に座ると開示されました。これを聞いて父が嘗て或る道場へ行った時、信衆は後ろに座らされ、皈依弟子が前に座ることができ、駐車にもVIPの区別がある等について文句を言っていたのを思い出しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は私に大きな信頼を与えてくれ、法会が終わった時、私は非常に感動し言葉では言い表せない喜びに溢れていました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感恩。その後、私は信念を持って毎週日曜日の共修法会に引き続き参加し、半年後の2003年7月、正式にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。
皈依する前、私は焼肉が非常に好きで、特に鶏の腿肉と手羽を好み、自分が蒔いた大きな悪の原因がわからず、法会に参加している時にもやめることができませんでした。自分が大きな禍に入り込んでいることがわかり、また徐々に殺生や盗みの恐ろしさ、自分の傲慢と固執が家族や友人を困らせていることが解るようになりました。大学で芸術を専攻したのは、哲学と芸術流派の思想に接触したためなのですが、たとえ学術の思想を深く研究してもそれは全てリンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩教法の偉大さを証明するだけであると深く感じました。以前、私は自分の力だけを頼りにして何事も自信を持って対してきました。けれども死にそうな病人や家族に対面した時、私は何か手伝えるのでしょうか?答えは何もできないです。リンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩の大きな智恵と大願力は凡夫の私には想像できないものです。一人の人間が目に見えない事実を信じ、心から仏教を学び皈依するのは長い道のりで、私はこの世で幸運にも大修行者に会うことができ、正法を聞くことができました。更に多くの衆生がリンチェンドルジェ・リンポチェに出逢え、法の助けを得られることを願ってやみません。リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩。阿弥陀仏。
韓君岳 謹んで書き上げます
2008年12月24日
2017 年 04 月 04 日 更新