197:上師リンチェンドルジェ・リンポチェのすべては私たちのためを思ってのことである

概要
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、様々な素晴らしい方便法で衆生を教化し、すべては私たちのためを思ってのことです。それは私のように恩知らずなことをする大悪人に対しても同じで、決して見捨てたりすることがないのです。

本文
「人生最後を終える、その時私は何を考えるのだろう?」嘗てパリのダカール国際空港で頭の中にふっとそんな思いがよぎりました。当時、パリでの長期駐在を終えたものの、私は台湾に戻りたくないと思っていました。まだまだ遊びに行きたいところがたくさんあり、まだまだやりたいことがたくさんありましたが、私には離れる以外の選択はありませんでした。台湾へ戻る飛行機の座席に座り、滑走路から離陸するその瞬間、人生の滑走路から離陸する時、私の人生の最後の息を引き取る瞬間、この世に対して未練を感じるのだろうか?私は何を考えるのだろうか?と突然に頭に浮かんだのです。

どこから話し始めればいいでしょうか。私は自分の人生に対して非常に困惑していました。この世の宝である尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに出会うまでは。

私は、2002年6月、父の事でリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしました。当時、父はすでに肝癌の末期でした。リンチェンドルジェ・リンポチェは父の病気の原因を開示し、私を慈悲深く施身法会に参加させて下さいました。この時から父はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受け、それは亡くなるまで続きました。このことで病気の痛みがずっと軽くなっただけでなく、癌の末期にその他の器官に転移した時に起こる末期患者の痛みは父にはなく、そのためヘロインなどで痛みを止める必要もありませんでした。これはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの素晴らしい加持のおかげです。

初めて施身法会に参加した時、リンチェンドルジェ・リンポチェの判り易い仏法の開示は私を震撼させました。私がずっと感じていた困惑は寶吉祥仏法センターの素晴らしい道場で答えを見つけることができました。この感覚は、ちょうど遠くに灯台の明かりが見えたような感じで、こんなにも簡単でこんなにも明るいのです。

問題を解決する方法は何通りもあります。しかし、私はいつも最も直接的で最も自分に有利な方法を選択していて、他人の立場を考えたことはありませんでした。当然、それでいつも多くの人を傷つけてきました。何度か施身法法会に参加した後、私は菜食することに決めました。しかし、私の性格はこの元々素晴らしい事をぶち壊しにしてしまうのです。菜食のスタートとその後の過程に於いて、私は独りよがりな態度に出てしまい、私と妻の衝突が始まりました。法会に参加して半年後、即ち、2003年の初め、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することを決めました。しかし、私の独りよがりな態度がまたしても元々素晴らしい縁起であるはずのことをぶち壊しにしてしまったのです。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、「仏を学ぶために家族とけんかしてしまったら、すべての戒律を破ることになってしまう。」と開示されます。これだけでなく、皈依後の私は仏法で学んだことを実際に行わず、悪い習慣を改めず、人に仏を学ぶ長所を見せることもしませんでした。そのため、私と妻の間の言い争いと衝突は益々ひどくなっていきました。更には私と妻の実家の目上の人、また多くの親しい友人らは私が仏を学んだために生活がおかしくなってしまったと思っているようでした。周囲の人々は私が仏法に対して信心がないと思うだけでなく、仏法や尊き上師に対しても良くない感じを持っていました。私は本当に罪深い者です。

父は、2004年末に亡くなりました。仏を学び始めてから何も修行をしておらず、それは父に代わって福報を貯める事を尽くさなかったということです。父は往生の時、因縁がなく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を受けることができなかったものの、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深く施身法会で父のために済度をしてくださったことに深く感謝致します。私が父の往生のためにリンチェンドルジェ・リンポチェに祈っている時、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は私を大変落ち着かせくださいました。私は生まれて以来、これほど深く無我の承諾を得たことはありませんでした。

私はただ表面的に仏を学んでいただけで、重要な時になるとやはり私利私欲に走っていました。父が亡くなった後、私の婚姻は常に臨界点にありました。2005年の或る日曜日は非常に重要な法会があり、すべての皈依した弟子たちは皆道場に集まる日でした。そして私はそんな日も行きませんでした。たとえ自分の婚姻の状態が悪かろうと、私が参加しなかったのは間違いです。この大切な時、上師の教えをまったく省みることはなく、諸仏菩薩と上師に対して信心を持たず、更には独りよがりな態度で、自分の立場を考え、上師の恩徳をまったく考えず、私は本当に恩知らずな大悪人です。

その時の法会後、何度も上師リンチェンドルジェ・リンポチェに向かって懺悔をしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは教えに従ってしっかり実践する重要性について非常に深く開示を与えてくださいました。その後、私の皈依証とすべての法本が回収されました。それはつまり、私はもう尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの皈依した弟子ではないという意味です。私はすぐに私を引き続き法会に参加させてほしいとお願いしました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は「奥さんは了承してくれましたか?あなたの奥さんの口から直接聞きます。」というものでした。

それはまったく不可能なことで、私はもうこの世で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに付いていくことはできないと思いました。私たちの当時の状況はと言えば、妻は私が何と思おうとしようと一切関わらないという態度で、更には寶吉祥へ行ってリンチェンドルジェ・リンポチェに会うことなどまったくもって無理な状況でした。弟子から信衆に変わり、また法会にも参加できず、結婚生活は崩壊の淵に立っていました。私は私の人生は終わった!と思いました。せっかくこの世で尊い導師に出会うことができたのに、私はこの因縁を得ることができずにいるのです。諸仏菩薩と上師は私を見捨てたりしません、私が自分で諸仏菩薩と上師の教えを捨ててしまったのです。妻に対する状況に対して、私は彼女にこのような苦しみを与えたことに自責の念を持ち、私は心で諸仏菩薩と上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私に代わって彼女の苦しみを解いてくれることを祈りました。しかし、私は何をすればいいのかわからず、ただただ頼るところのリンチェンドルジェ・リンポチェが私に法会に参加しても良いという開示を与えてくださることだけでした。

リンチェンドルジェ・リンポチェの開示のように、リンチェンドルジェ・リンポチェは安易に人に会ったりしません。リンチェンドルジェ・リンポチェが私の妻のためだとわかってはいたものの、彼女が行かないことは明白で、それでも私は時々彼女に助けを求めました。しかし、この件について話し出す度に私たちは激しい言い争いになり衝突しました。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩。毎回の衝突はすべて私に仏を学ぶ基本的な心と観念を呼び覚ましてくれ、特に妻が激しく私に問いただしたのは、何で仏を学ぶのか?どうして寶吉祥へ行くのか?どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェに着いていきたいのか?ということでした。私は私自身何もかもはっきりしていないことに突如気づきました。問題はこんなにも多かったのです。

この期間、私は自分に離婚してはいけないと言い聞かせ続けました。さもないと、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を実行できないだけでなく、諸仏菩薩と上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私に代わって彼女の心の苦しみを取り除くことを祈る機会さえ失ってしまうと思ったからです。諸仏菩薩と上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感恩。最悪の事は起こりませんでした。確かにあと少しで危ないところだったのですが、私たちはただ表面的な婚姻関係を維持していました。しかし、一年後、私たちの関係は奇跡的にゆっくりと好転していったのです。2006年9月、およそ一年半の年月が経った時、妻は遂に私が道場に戻ることを了承してくれました。しかし、それでも自分が寶吉祥へ行くことは了承しませんでした。

やはり状況はまだ解けていないようでした。私は再びリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いに行き、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示をお願いしましたが、答えは一年半前とまったく同じでした。「奥さんは了承してくれましたか?あなたの奥さんの口から直接聞きます。」。家へ帰っても私は悩み、どうしたらいいのかわかりませんでした。しかし、二日過ぎて、妻の方から「私は昨晩あなたたちリンチェンドルジェ・リンポチェの夢を見ました。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても優しい感じで親しみ深い人だったわ。リンポチェは私に二つの贈り物をくれました。」と言ってきたのです。そして私はスムーズに彼女に私を助けてほしいと頼み、思いもよらずに彼女は同意してくれました。その土曜日、私たちは娘も連れリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェに向かって妻が同意してくれたことを報告すると、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは妻に殊勝な仏法の開示を与えてくれました。妻が涙を流してリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いているのを見て、私の心の中は自分に対して聞かずにおれませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示のとおりにしたから不可能だったことができたのだろうか?本当にそんなに簡単なことなのだろうか?そうだ、こんなにも簡単なことだったのだ!妻は家へ帰ると、たくさんの悪いものを吐き出すように、すぐに下痢をしました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは「皈依の戒律を破ってしまうともう一度始めるのはたいへん難しい。」と開示されました。私は嘗て皈依していた時、衆生に対しての約束事、諸仏菩薩への約束事、そして最も大切な上師に対する約束事を破りました。リンチェンドルジェ・リンポチェが私を改めて信衆の身分から法会に参加させて福報を貯めることにして下さったことに心から感謝します。一年半経って初めて共修法会に参加し、更に妻の同意を得た後、私は寶吉祥へ行きリンチェンドルジェ・リンポチェに私に改めて皈依させてほしいとお願いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、再び同じ開示をしました。「奥さんは了承してくれましたか?あなたの奥さんの口から直接聞きます。」と。妻は一緒に行ってから再度寶吉祥へ行くことを同意してはくれませんでした。しかし、私には前回の経験があります。私たちはきっと出来ると私はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を深く信じました。大切なことは次に私はどうすればいいか、どのような心で行えばいいかということです。半年経った後、妻は遂にリンチェンドルジェ・リンポチェに報告に行くと自分から言い出し、私が再び皈依することを了承してくれました。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く再び妻に殊勝な開示をして下さいました。そして私は2007年4月、遂に再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、直貢噶舉派に皈依して仏法を学び始めました。

リンチェンドルジェ・リンポチェのすべては私たちのためを思ってのことです。私は恩義を忘れた大悪人です。リンチェンドルジェ・リンポチェは嫌いになって見捨てることなく、ずっと異なる方便法で私に私の過ちと教えに従ってしっかり実践することの大切さを教えてくださり、仏法と伝法上師である尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに対して更に深い信心を起こしてくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェのすべての開示と教えはすべて私たちのためを思ってのことで、私を皈依した弟子から信衆にしたのも私と私の家族のことを思ってのことです。私が信衆の期間、私を助け励ましてくれた兄弟子の皆さんに感謝します。すべての兄弟子の皆さんと共に教えにに従ってしっかり実践することを願い、仏法を実行することで尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの無上の恩徳に報いたいと思います。

弟子 許阜裕 謹んで書き上げます
2008年12月

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2017 年 04 月 04 日 更新