195:上師は皆にたくさん、たくさんのものを下さる…

これはたぶん、因縁なのでしょう。1996年末のある日、息子が私に、「少し前に、僕は仏を学んでいる神通力のある人に会ったんだけど、僕がお父さんの名前と干支を書いて渡しただけで、その人はお父さんは蛇を叩いたことがあるって言ったんだ。そう言うことあった?」と聞きました。私はあるよ、それは私が子供時で、抗戦勝利の一年前だったと答えました。すると、息子は続けて「僕はその人のところへ行くんだ、そこは仏堂なんだけど、お父さんも一緒に行って見てみないかい?」と言いました。そして私は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに会ったのです。つまりこれが、私がリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いした縁の始まりです。そして上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したのは1999年8月8日でした。

私は子供の頃から、よく怖い夢を見ることがありました。夢の中で何匹もの犬が私を囲んで攻撃してきます。その情景は非常に怖いものでした。また、日常に於いても野良犬に追いかけられたこともありますし、ある時には噛まれた事もありました。また友人は犬を飼っていて、私たちが揃って犬の名前を呼ぶと、その犬は一人ひとりにしっぽを振って好意を表していましたが、私にだけは見向きもしませんでした。これらの事は私が上師について仏教を学び、何度も施身法に参加した後、上師の加持と助けによって、再び悪夢にうなされる事も、犬に追いかけられる事もなくなりました。上師に感謝致します。

私の両親は早く亡くなったため、私はいつも二人のことが忘れられずにいました。両親はこの世にいた時、たくさんの苦難があり、抗日や匪賊の討伐もありました。亡くなった後も私は彼らがどんな境遇で生活していたのか知りませんでした。それを上師に尋ねると、慈悲深い上師は仏教家の目から見ると、彼らはとても苦しかっただろうと言い、そして、変だな、あなたのお父さんはどうして門の外に立っているのですか?と私に言いました。上師のその言葉を聞き、不意に私の心の中には悲しい忘れがたい記憶がひとつひとつ浮かび上がってきました。母は、晩年ずっと父を恨んでいて、死ぬ時でさえ、父に返事すらしませんでした。上師は私に「それでは彼らが良くなるように助けてあげましょう」と言ってくださいました。そして後日、上師は二人のために施身法を修法すると知らせてくれました。その時の施身法は私の両親と別の一家の往生者の為だけの修法だったのです。上師の助けに感恩。私の両親を苦しみの海から救い出して下さり、私も両親の事で苦しまなくても良くなります。上師と仏菩薩に感恩。

また、ある日、それは確か1998年だったと思います。息子の嫁が外国から台湾に戻ってきて私にリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせてほしい、そして最近亡くなった姉と姉のご主人のために施身法を修法したいと言いました。慈悲深い上師は直ぐに了承してくださいました。慈悲深く威力を備え、幸せをもたらす上師に私たちが出会えたことはなんと幸運なことでしょう。

上師は嘗て、アキ護法は子供を最も愛すると言ったことがあり、我が家ではそれを実感したことがあります。2000年、一番下の孫娘は、家で転倒して唇を切ってしまい、台湾大学病院の救急に行きました。医師は子供が小さいのでもしも麻酔をかけたら、後遺症が残るかもしれないと言います。麻酔をしなければ孫娘は痛みに耐えられないでしょう。この時、直ぐに決めることができずにいました。私たちはアキ護法に助けてくださいと祈りました。そして、医師は麻酔を打たないことに決めました。縫合の間、孫娘は泣く事も叫ぶこともなく、医師は孫娘に対してこんなに勇気があって痛みを怖がらない子は見たことがないと言って褒めました。しかし、私たちは、これはきっとアキ護法の助けに違いないと思い、上師、護法及び諸仏菩薩に感謝を捧げました。

上師は、皆のためにたくさん、たくさんの物を下さいます。この恩をお返する方法はただ一つ、つまり教えに従い、仏を学ぶ事です。

第六組  李憲和
執筆日2008年12月22日

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2017 年 04 月 04 日 更新