194:根、隨
因緣によって上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、そして寶吉祥の門をくぐりました。当時初めてお会いした時の状況を思い返してみると、初めて目に映った感じとして、この智者は非常に厳しく気宇壮大でありながら、初めて会ったという感じでもなく、また怖いという感じでもなく、一人の普通の人とは違う修行者という印象を持ちました。皈依後、私は毎週法会に参加し、耳を澄ませて上師が法座で開示する仏法を聞いていますが、一つ一つの境界に達する度、心の中にはたくさんの貪瞋痴がいて、上師が開示した教法を未だ実践することができず、加えて自身には累世の悪習が蔓延り、深く反省もできず、改める決心もできず、福徳と智恵が不足しています。どうやって輪廻の苦しみから解脱できるのでしょうか?
今年のある日、私は上師に供養に行った時、慈悲深い笑顔で上師は私に尋ねました。「ベッドの上には何を飾っていますか?」。「一対の瓢箪です」と私が答えると、上師は「それは取り払いなさい」と開示し、更に「最近体の具合が悪くないですか?」と尋ねました。上師は私に手を伸ばし、長い時間感知しているようで、上師の手と私の手の間には一定の距離を隔てていたにもかかわらず、一種の暖かい熱気が私の手に染み入るのを感じました。上師は直ぐに一個の甘露丸を渡して加持の後に飲むように言った後、続いて金剛杵で私の頭上をしばらくの間加持しました。そのすべての時間は10分間に及び、最後には私に対してどのように体をいたわるのかを細かく指示しました。その時の情景を私は未だ深く心に刻んでおり、上師の慈悲深い加持力と産みの子供に対するような深い愛を発した眼差しで、私は目頭を熱くし、心の中は感恩と懺悔の気持ちでいっぱいになりました。
当時、私は上師に何も話していなかったのですが、上師は私に会って入定されると、直ぐに私の問題を見て取りました。実はその前から私はこの二ヶ月に渡ってずっと大小の風邪をひいており、薬もずっと飲んでいるのにも関わらず、病状はずっと好転しない状態でした。ひどい時には、中耳炎を引き起こし、鼓膜に大きな穴が開きました。大小の膿が右耳を覆い、耳からは常に膿液が流れ出し、いつも拭いていなければならない状況でした。ただ、不思議なことに、私は重い中耳炎を患っているにも関わらず、一般の人のような強い痛みを感じることはありませんでした。元から私を上師と護法が守ってくださり、私の痛みを和らげてくれていて、私が上師に供養に伺うその時までずっと上師は慈悲の力で私の体の苦しみを円満な結果に変えてくださっていたのです。この時から私のその後の人生は変わりました。なぜなら、世の中の苦しみを体験したことによって、私に『根』を見つけて下さり、そして今は「苦」の味に対して新しい定義と印象を持つことになりました。
上師の大きな慈悲は,一秒ごとに一人ひとりの皈依した弟子を巡ります。ただ、各弟子の因縁福報は違うので、 上師が示される教法もまた違います。上師はご自分の長年に亘る持戒と閉関苦修を修行し、その修行で得た有難い福報及び功徳をすべて一人ひとりの皈依した弟子の救済や六道の苦しみを受けるすべての縁ある衆生を救済利益してくださいます。それは本当に完全無私の犠牲と見返りを求めないもので、上師の体は菩薩道を歩み、清らかな心が菩提願を発するのです。それはつまり法を習得された金剛乗の大成就者であるリンチェンドルジェ・リンポチェであり、この方はこの世で類稀な宝物であり、寶吉祥全体の皈依した弟子の心の中には最も尊い伝法金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがいらっしゃいます。私の心の中にはいつでも上師の恩沢が刻まれており、生々世々に上師に着いてゆきます。
私 曽以媜 頂礼叩首
2008年12月29日
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2017 年 04 月 04 日 更新