193:心に感動を残す

2004年7月祖父は昼食を済ませて休んでいた時、突然倒れました。救急で台湾大学病院の救急室に送られた時、既に意識不明に陥っており、私が知らせを受けて病院に行った時、祖父はずっと意識不明の状態で、病室の外に立ち尽くした私たちはどうしたらいいのかと悩みました。そしてその夜、祖父は亡くなり、私たちは命の無常を深く感じました。ひとつの縁で友人から寶吉祥仏法センターの主法上師リンチェンドルジェ・リンポチェが長年、仏法で衆生利益を行っていることを知り、私はこの未だ面識もない上師に祖父の祈祷をお願いしたいと思いました。

リンチェンドルジェ・リンポチェに拝顔したその日、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深い笑顔で、「何かありましたか?」とお聞きになりました。私は直ぐに「私が祖父のために施身法に参加する事を了承していただきたいのです」と伝えたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは直ぐに了承して下さり、更に慈悲深い開示を下さいました。それは祖父が臨終前に気に掛かっていたこととして祖父にはたくさんの子供がいるが、一番心配なのは末娘で、その娘に最後に会えなかったことで、他には何も心配していないという開示でした。帰宅後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示の話を家族に伝えたところ、当初、叔母は中国大陸で働くということで、祖父に会いに行ったところ、祖父はしきりに行かないように言っていたそうで、それでも叔母は中国大陸へ行き戻ってみたら祖父に会えなかったと父が私に話してくれました。祖父が往生する前、すべての人は祖父の最後に立ち会うことができたのに、たった一人叔母だけが間に合わなかったのです。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と父のその後の話は同じで、リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての衆生を助ける心と、私たちのように衆生のものにリンチェンドルジェ・リンポチェは決して報いを返す事を要求することもなく私たちを助けているのだと驚きを禁じえませんでした。祖母が亡くなった時、私たち家族は皆悲しい気持ちでいっぱいであったことは記憶に未だ生々しく残っています。しかし、祖父の告別式はとても平静で、悲しいけれども苦しい感じはありませんでした。私は金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法によって祖父を助け、私たちを助けてくださり、そのお陰で私たちは祖父を失くしたことの苦しみから逃れることができたのだと思います。

その後、素晴らしい施身法法会に参加して、幾人もの兄弟子に出会い、彼ら自身が体験したリンチェンドルジェ・リンポチェの彼らを救った話を聞き、このように徳を備えた上師に出会うことはどんなに大変なことかを実感せずにはおれませんでした。特に衆生が最も苦しんでいる時、リンチェンドルジェ・リンポチェは疲れをものともせずに衆生に渡って来てくださることは本当に有り難いことです。法会に参加した数ヵ月後、私は皈依しました。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩。弟子はこの特別な因縁を福とし、仏法の素晴らしさと上師の弟子に対する教えを体得し、衆生のすべてが因縁及び福報が具えるように願います。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教法を得て、苦から離れ楽を得られるように祈ります。

寶吉祥仏法センター弟子蘇嘉鳳叩首
2009年1月22日

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2017 年 04 月 04 日 更新