190:真地師が済度を得た
2006年7月14日金曜日午後6時過ぎ、寶吉祥道場には「施身法法会」に参加する皈依弟子および信者が多く集まりました。みんな誠の気持ちで静かに尊きリンチェンドル・リンポチェの皆のための修法を待っていました。
七時ちょうどに法座に上がり、リンチェンドルジェ・リンポチェはまず「施身法」は密宗八大成就法の一つであり、亡くなった者はこの施身法を借りて個々違う福徳因縁によって、相応的な仏または菩薩の導きで違う浄土に迎えられると開示しました。そしてまた「今日は良い日であり、観世音菩薩の成道日である」ことを開示した後に修法を始めたのです。
「観世音菩薩の成道日」?それは義父の葬列を行われる日と同じ日ではなかったか?と義父の影像が鮮明に浮かびました。リンチェンドルジェ・リンポチェが「皆さんが済度してもらいたい人の名前を三回呼んでください」と言った時、私はすぐに大声で義父の名前を三回呼びました。義父のイメージは温厚な年配で、始終台北で有名な行天宮で泊まり込みに務めていました。大晦日だけは自宅に帰り、翌日にはまたも行天宮に戻り、青いガウンのような法衣を着て信衆のために働いていました。ですから用事があるとき、行天宮に行くと青い法衣を着て大殿内で経典を読誦する彼の姿が見えますし、出殿後はお菓子や飴などを子供達に差し出すほか、自分がいつか亡くなってもいつもそこで務めたい気持ちを語ります。「父さんは何もやってないかのように見るなよ、将来私はこの恩主様の傍で仙人になる候補者でいるからじゃ」と自分の修練は必ず仙人になれ、永遠に行天宮で務められると自信満々で話し、絶対やり遂げる執着心を見せていました。
お正月家族団欒で食事を取るときは、いつも自分が胃腸が弱いから漬物しか食べないと言いました。初七日の法事の時、行天宮の方からお焼香した際、お供え品が肉食ばっかりをみて、「真地師は長年の間素食しか食べなかったのに、何ゆえ肉食のお供え品で祭るのか」と言われた時、義母が義父は胃腸弱いから漬物だけでよいと言うのは、また家族が彼のための特別な素食の食事を用意してもらうような余計な迷惑を掛けたくないからだと初めて悟りました。
子供が連続一、二ヶ月毎晩原因不明な熱を出して、義父が子供のために二回私達の家にお経を唱えに来て、すべての部屋の中「お清めの浄水をまく」ことにしました。不思議にその二回とも義父が家に来た後の三日目に子供の熱が下がりました。後々から信衆に「真地師」が人の病気を治すによく効くと聞きました。
義父の告別式に来る人が非常に多かったのです。その中に極めて目立ったのは青い法衣を着てる行天宮から来たボランティア達の大勢の列でした。彼らは整然とした姿でお焼香をし、何台もの大型観光バスを貸切って三芝という処の墓地まで見送ってきました。車の中で彼らが「真地師」の霊感が当たりこの観世音菩薩様の成道日にお葬式を重ねたとの話を聞いて、私は初めてその日は特別な日であることが知りました。
十三年の前のこの日のことを思い出してる最中、道場祭壇前の明かりが突然何回も点滅して、電気回路のトラブルなのかと気になり不安を感じましたが、すぐに回復して明るくなしました。
しばらくして修法が終えて、「今日引接しに来たのは観世音菩薩、先ほど大勢の衆生が済度され、その中にとある年輩の方がいて、背が高く、外道の修行していて、青い法衣を身に着けて、いくら勧めてもなかなか離れてもらえず、やっと浄土に行くことを承諾してくれたのに、去る前に悔しいらしく法力を披露し、祭壇前の明かりを点滅させてから観世音菩薩と共に去った」とリンチェンドルジェ・リンポチェがそう開示しました。
それを聞いて、その年輩の方というのはまさに私の義理の父ではなかったでしょうか。三回の呼びかけはちゃんと届いたのですね!本当に恩主様の傍で「仙人になる候補」のために十三年が過ぎても続けて青い法衣を着て務めていたのでは?それは本当に強い執着を持っていましたね。
続いて日曜日の共修法会になりまして、リンチェンドルジェ・リンポチェが法会上で「一昨日のあの年輩の方は私の弟子の義父であり、最初彼は何のためにこちらに呼び出されたのかは分からないから、浄土に行くようにさせても嫌がってた。実は彼の修錬は『大力鬼』レベルしか達してなくて、いずれ輪廻に従うざろう得ない。」と開示しました。それを聞いた私は大きな衝撃を受けました。結局一生をかけて修行に励んだ義父は仙人になる願いが叶えることができなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲での助力がなかったら、輪廻の苦しみから脱ぎ出し、往生浄土に行くことこそ究極な道であることを義父に知らされなかったら、義父は輪廻の中であと何世を回されれば解放されることができるのでしょうか?
リンチェンドルジェ・リンポチェのお陰で弟子達に機会を与え、大修行者に従って仏法を習い修行し、今生今世が往生浄土に行き輪廻の苦しみから逃れられるように希望を持たらせました。リンチェンドルジェ・リンポチェの恩を肝に銘じます。
弟子黃麗嬌謹んで書き上げます。
2008年12月25日
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2017 年 03 月 29 日 更新