186:無辺な苦海の中で幸いにも得られた大修行者の助け

短い数ヶ月間にリンチェンドルジェ・リンポチェは私の二人の家族を救って下さいました!「衆生済度の事跡-私が息子・張博堯」及び「不定時の爆弾–脳血管腫」を御覧下さい。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心をも救って下さいました。上師にずっと着いて行こうとする心、輪迴を断ち切ろうとする心を持たせてくれたのです。千言万語を費やしても私に対する広大無辺な上師の恩徳を言い尽くすことはできません。再度頂礼し至尊至貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝を申し上げます。

幼い頃、海辺の農村に住んでおりました。父母は私達12人の子供を養育する為(娘11人と11番目の息子1人)、風が吹いても焼けるような太陽が射しても、毎日海へ行き、田畑へ行き、山に登り臨時の仕事をする等、ありとあらゆる仕事をしていました。私達は5歲から学校へ行きましたがそれは副業で、家の経済を助ける為に臨時の仕事を手伝ってお金を稼ぐことが、私達が目を開けるとしなければならない宿題でした(本業)。除草、田植え、牡蠣の刳り貫き、葱切り、藁縛り、稲干し等十八種の武芸は皆学ばなければなりませんでした。当然、これによって数え切れない程の殺生業をも成しました。私達には所謂日曜日はないのに、どうしてお正月が過ごせましょうか。その当時、私は、只々、早くこの村と毎日繰り返すこの様な生活から逃げ出したい気持ちで一杯でした。

小学校をトップの成績で卒業した私は、幸運にも他の兄弟姉妹よりも先に、私が感じていた苦しい日々から離れることができました。しかし私立学校の学費は父母に一息もつかせることなく、知らない間に狹心症を患っていた父は毎日一生懸命、日夜仕事を続け、また母も毎日子供を背負って朝から夜まで働き尽くしました。第一希望の台南女子高校に合格した時、父母が喜んで安堵する様子のないのを知りつつ、無理矢理に父母の気持ちに背き、泣きながら入学手続きに行きました。私は只、国立大学に合格すれば良い日が訪れると信じ、持ち堪えていました。

しかし一切は無常です。一人息子の父は、私が高二の時、突然、家で他界し、母は12人の子供に一人で向き合わなければならなくなりました。祖父は私達が生まれる前に亡くなっており、祖母はずっと以前に他家に嫁いでいましたので、母は全く頼れる者がなく、親友にも敬遠されていました。当時、学校の教官は全校を挙げての募金を始めましたが、母はそれを受け入れず、また、多くの者は、他家へ嫁ぐことを勧めました。しかし母は一人で歯を食いしばって忍耐強く頑張りぬきました。しかし、父の死という打擊は、私達12人の子供達にとって実に晴天の霹靂であり、頼みとする者を失い困り果て、明日はどの様であるのか分からない恐怖感、及び他人から施されるのを厭う卑屈感が、常に心の奥底で蔓延り続けました。外向きが強く勝気な私は、大学四年を頑張って終えました。一心に、一生苦労し通しの母に幸せを感じさせたいと思っていました。そして、慈悲深い上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって私の願いは叶えられました。更に重要な事には、他界から20年近く経った後の父が上師の済度を得られ、苦しみを受けて大声で泣き叫ぶ数度と無く見た父の悪夢に、ついに終止符を打つことができたのです。

2005年大学時代のルームメイトであった美娥さん(その時皈依していた法友)が、上師主催の5000人法会の開催を教えてくれました。私は、占い好きの妹から、非常によく当たる香港の著名な易経大師が、母が二年後に他界すると言っていたと聞き、占いをずっと排斥していた私でしたが、この易経大師の予言した事は非常に正確であると妹が言うので、心配で堪らなくなりました。その一方で、美娥さんが上師の衆生済度の功徳を語り続け、正真正銘の大修行者の殊勝な大法会に参加した後には「深い業の報いも軽く受けられる」ことを話してくれており、私は因果と、悪業の果報の恐ろしさを信じ、母に、大法会に参加することを極力励ましました。2005年から2006年11月に上師に皈依してから今に至る迄、母の身体は日一日と元気になって来ました。昨年母を連れて逸仙路にて上師に謁見した時、上師は、母に説法しただけでなく、母の多くの衰弱した器官に慈悲の加持を授けて下さいました。毎回魚がなければ御飯が進まなかった母は、上師の加持を与り、数回法会に参加した後、完全な菜食になりました。また、母の延命は、上師の説かれた殊勝な仏法を証明してくれました。占いは過去について語ることはできますが、私達の未来を変えることはできません。法に基づく上師と邂逅し、一生懸命に仏教を学ぶことだけが自分の未来の運命を変えることができるのです。

私が伝えたい事は、上師に皈依できて本当に幸運であるという事です。さもなくば、人生を歩き続けて行く事はできなかったでしょう。もし私が上師に出会わなかったら、息子の事が起きた後、世を厭い自殺していたかもしれません。上師の御教示を聴聞後、自殺の果報は無間地獄に堕ちて永らく人間に生まれ変われないことだと知りました。また、自分の悪業が深い故にこの様な因果となることも分かりました。上師の御蔭で、私は、自分の悪果に勇敢に、積極的に向き合い、受け入れるようになりました。その上師の御恩に感謝致します。上師が加持を与え続けて下さった御蔭で、私は深い業の報いを軽く受けられるようになりました。その上師の御恩に感謝致します。各種の福徳を積み重ねる機会を与え続けて下さる上師の御恩に感謝致します。台湾、日本、印度、ネパールにおいて「実証実修」の大能力者である上師にまみえることができた御恩に感謝致します。法に基づく上師を拠り所とする重要性を深く理解することができた御恩に感謝致します。仏法の無辺性、真実の存在を実際に示して下さる上師の御恩に感謝致します。不退転することがない上師の慈悲故の衆生済度に感謝致します。有り余る程の私への助力に感謝致します。リンチェンドルジェ・リンポチェに出会わせて下さった諸仏諸菩薩に感謝致します。弟子である私は上師がこの世に永らく住し、常しえに法輪を回されることをお祈り申し上げます。衆生は貴方を必要としています!

以前、ガルチェン・リンポチェが道場に来られ説法された内容は全て、通常、上師が私達を導いているものでした。その中で「私達が多くの経典を読み、多くの御経を唱えることに比べ、三宝を敬う心、上師を敬うことはそれよりももっと重要なことである」と説かれました。弟子である私は上師に付いてどこまでも学び、この様な稀少な因縁を大切にし、一生懸命に仏教を学んで上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に報わなければならないと感じています。

弟子 曾麗文 叩首 2008年12月17日

2013 年 03 月 11 日 更新