176:二人の家族を同時に済度して下さったリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝
祖母は菜食し仏を礼拝して、四十余年になります。晚年病気に罹り、身心共に大きな苦痛を受けていました。幸いなことに尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会い、この一生で輪迴から解脱し、浄土に往生することができました。
祖母はパーキンソン病を患い、行動が困難で、長年病の床に臥していました。また脊椎の石灰化の為、どんな動作をするにも身体に非常な痛みを伴い、昼夜を問わず、悲鳴を上げ続け、落ち着いて眠ることができませんでした。家族としての苦しみともどかしさは感じていましたが、為す術は何もありませんでした。
ある時、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する機縁があり、祖母の身体の状況を尋ねた処、リンチェンドルジェ・リンポチェは、祖母が三ヶ月後危険な時期にあることを教えて下さいました。家に戻り父母と相談して、私達は、万難を排する為に、祖母を宝石店に連れて行き尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を請うことに決めました。祖母はこのような偉大な修行者にまみえることのできる殊勝な因縁を喜び、合掌して恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェに御布施を致しました。リンポチェは慈悲により祖母を加持し、にこやかに御布施を受け取って下さいました。家に帰った祖母には、奇跡の変化がもたらされました。精神面での変化はもとより、ベッドに横たわっている時も痛みを訴えることが無くなりました。祖母はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲心と偉大な能力に対し絶対的な信心を持っていました。祖母は、いつも身近な人にリンチェンドルジェ・リンポチェから得た助力について語り、リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生救済を讃仰していました。
祖母は二年余り延命されましたが、この期間に二回、状況がひどくなったことがありました。私達は祖母が逝くのだと思い、祖母を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しました。リンチェンドルジェ・リンポチェに御加持戴いた後、又元気が回復しました。
2005年末、連日の高熱が退かず、87歳の高齢となった祖母は病院の集中治療室に運ばれました。長いベッド生活からの酷い床擦れが原因で、敗血症を引き起こした可能性がありました。救急治療では、何と、背部の尾椎骨箇所に大きな穴を開け、その傷口は殆ど骨が見える程の深さでした。元々身体の弱い祖母は、今回痛めつけられて、更に生命の危険な状態にいました。
父は再度宝石店へ赴き尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を請い、祖母について意見を求めた後、祖母の銀行貯金全てを御布施しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲により御加持を与えた甘露丸を持って帰り祖母に飲ませるよう仰り、父に祖母に代わって施身法に参加するよう指示しました。父がポワ法を願うと、リンチェンドルジェ・リンポチェは、因縁が満たされ、臨終時にリンチェンドルジェ・リンポチェを見つける事ができれば、祖母の為に修法して下さることを約束されました。
退院して在宅看護を受けていた祖母は、昼も夜も宝円膏を大量に使用した処、ガーゼを十数枚も入れていた傷口が、半年の間に殆ど戻ってしまい、医師さえも信じ難い出来事でした。
2007年2月から、祖母の状況は徐々に悪化し、リンチェンドルジェ・リンポチェが法会で嘗て説かれたことのある臨終前の身体における地風水火各方面の分解が起こり始めました。祖母の話はしどろもどろで、何もない空間に向かってしきりに話をしていました。このようではありましたが、家族はリンチェンドルジェ・リンポチェの指示を忘れてはいませんでした。つまり、祖母に法の録音テープをずっと聞き続けさせ、リンチェンドルジェ・リンポチェの声を覚えさせることでした。いつもリンチェンドルジェ・リンポチェの御写真を祖母に見せ、執着を離れ最大の助力を与えてくれるのがリンチェンドルジェ・リンポチェであることを信じるよう言い聞かせていました。祖母の意思は非常に堅く、消え入りそうな様子で頷いていました。
2007年3月23日晩9時過ぎ、父からの電話で祖母が臨終したことを知りました。その時リンチェンドルジェ・リンポチェは日本でしたので、私は宝石店の留守番電話に録音した後、直ぐに基隆へ戻りました。悲哀の感情を消す為に、一路、一心にリンチェンドルジェ・リンポチェを観想しながら、心の中で祖母に向かって繰り返し叫んでいました。「リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと私達を助けてくれる!おばあちゃん、必ず信じていて!」
父は祖母の臨終時、即刻、祖母の口の中に甘露丸を含ませました。私達が家に帰った時、家族全員は落ち着いて六字大明咒を唱えていました。一時間後の10時30分頃、法友からの電話で、リンチェンドルジェ・リンポチェによる祖母の為のポワ法の修法が終了したので、祖母の梵穴(サハスララチャクラ)が暖かいかどうかを確認するよう知らせて来ました。また、祖母には亡くなった娘がいるかどうか聞きました。祖母の次女は数年前に骨癌の為他界していましたが、叔母はとても苦しみながらこの世を去ったことを思い出しました。法友は私達に、「叔母さんはとても親孝行で、御祖母さんが逝く時、ずっと側にいた。だから叔母さんも共に浄土に済度された。」と言いました。この事を聞き、家族全員は非常に感動し、仏法の殊勝さを感じ取っただけでなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの空性の慈悲心に満たされました。家族一人一人、祖母の梵穴(サハスララチャクラ)に触れました。果たして暖かく、元々臨終時に僅かに開いていた唇もまた、殊勝な修法を得た後、閉じられ、慈しみ深い静かな面持ちをしていました。
8時間連続の六字大明咒を唱え終え、二日目の早朝、家族は祖母の衣を取り替える時、奇怪な事に手足が非常に柔らかく、顔や手の染みも非常に薄くなっていることに気付きました。その後、祖母の外国人家政婦は、奇妙な事に、祖母が逝った時、彼女は入浴中でしたが、お風呂から早くあがっておばあさんを見るよう耳元で囁く女性の声が聞こえたので、出てみると既に臨終していたと話していました。しかし、その時、家には父と祖母だけで、他に女性はおらず、未だにそれは謎に包まれています。
喪中、家族にはそれ程大きな悲哀感はなく、祖母と過ごした日々を非常に懐かしく思い出すだけでした。祖母の火葬時、頭蓋骨上には、ポワ法成就の瑞相である一つの丸い穴があり、異なる時空においても依然として順調に修法可能なリンチェンドルジェ・リンポチェの偉大な力を証明していました。
尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できることは、実に累世に修した福徳の果報に他なりません。リンチェンドルジェ・リンポチェの恩沢を弟子である私は、謹んで心に刻み、忘れません。今生今世、リンチェンドルジェ・リンポチェに依止した御蔭で、生命は転換期を迎え、散乱した心は安定致しました。この場を借りて、自分の犯した悪行、及び、嘗て多くの衆生を傷付けた事を懺悔します。また、リンチェンドルジェ・リンポチェが久しくこの世に留まり、更に多くの衆生に、正法聴聞と生死からの解脱の機会が与えられることを祈願致します。
弟子 江志欣 2009.01.01
2009 年 02 月 24 日 更新