171:至尊至貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによる我が母の済度記
リンチェンドルジェ・リンポチェにまみえたのは約四年前の事でした。当時、ある女性の友人の為に殺生の悪業を犯してしまった所で、兄を介してリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見致し、友人の為に傷付けた生命を済度して戴く様願いました。その時、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに私の仏教経歴をお話しし、また、その頃私の身体は非常に虚弱であったのですが、その病因についてお尋ね致しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、「これは祖先の殺生業により成るものである」と説かれました。この御答えを聴いた時、私自身、吃驚したのですが、よく考えると、台湾にやって来た私達の最初の祖先は明朝鄭成功の家臣の武将であり、殺生業が重いのも当たり前のことであると感じました。これは私が大神通力、大能力を具えるリンチェンドルジェ・リンポチェに接触した初めての出来事でした。以前私が関わってきた宗派では、神通力を取り上げてはならず、多くの事は、上師が占いをして決定していました。これは、一人の成就を遂げた修行者が、如何に神通力を使い衆生に因果関係を知らせるのか、如何に応用するのか、または私達に如何に影響を与えるのかをこの眼で見させて下さった事になります。
その後、母は心臟病の発作を起こしそうになり、極端な痛みの中、病院の救急治療室に送られました。私が兄に連絡した時、兄は、その日の夜丁度、リンチェンドルジェ・リンポチェが信徒に会うので、母を連れて逸仙路の宝石店へ行き謁見を求めるよう言いました。そこで私は、早速車を運転してリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見をする為に母を宝石店まで連れて行きました。宝石店に着くと、兄は母を車から降ろし、リンチェンドルジェ・リンポチェを待っていました。私は車を駐車しに行き、駐車が終わってから急いで宝石店へ行くと、母は既にリンチェンドルジェ・リンポチェにまみえていました。母は、リンチェンドルジェ・リンポチェが母の為に真言を唱え加持を与えると、元々心臓が大きな石に圧せられている感じがあったのですが、突然その石が無くなって息ができるようになったと言っていました。私はその時現場におらず、母の描写を聴いただけですが、実に不可思議な心持ちがしました。この様な短い期間内にこんなに大きな変化があり、また、再びリンチェンドルジェ・リンポチェの大能力を目の当たりに見ることとなり、これもまた、私の長年の仏教学習の間において出会った事がなく、短い期間内に一人の人間の状況がこの様に大変化させられるというのも、嘗て大徳のある祖師の伝記の中でしか見掛けた事のない状況なのでした。
続く一年、私は、以前の先輩法友の指示の下、インドへ行きチベット語を学んでいました。インドにおける一年、私は年齢も年齢なのにまたチベット語を学ばなくてはならない、チベット語をマスターし更に15年の月日を掛けて経・論を学んだ後、やっと修行に入れるのだと考えると、気の遠くなる思いがしていました。一年後、私は台湾に戻り、母と共に母の日を過ごしました。元々再度のインド行きの為の準備を整えていたのですが、母はそのことを知ってか、早朝、突然の心臟発作に見舞われ、逝ってしまいました。私が発見した時、母は他界してから既に数時間が経過しており、身体も硬くなっていました。私は兄に電話し、リンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法の修法をお願いしてもらいたいと告げました。こんなに長い間仏法を学んで来たというのに、最も親愛な母の他界にぶつかった時、私は為す術がありませんでした。経論上にこうすべきだと書いてあるなら、私はその通りにやりましたが、真に母を助けることができたのかは知る由もありませんでした。後に、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは母の為に修法して下さり、母の胸中の最後の願いを私達子女に教えてくれました。また、母の頭上部は本当にある熱気があり、これはポワ法成功の状況と符合するもので、リンチェンドルジェ・リンポチェの実際の修行の量を私は再びこの目で拝見しました。そして、この事実は私に非常に大きな刺激と苦しみを与えました。私が仏教を学んでいた目的は実際の状況とは完全にかけ離れたものだったからです。口では衆生を利益すると言って置きながら、何かが実際に起きた時には何もできないのでした。私は自分をしっかり変える事、二度と机上の空論は言わない事を決心しました。沢山の理論を学んでもある状況に出くわしたなら全く役に立たないのです。よって、理論を学びに再度インドへ行くことを取り止め、リンチェンドルジェ・リンポチェにしっかり依止して修行しようと心に決めました。
母は自分の生命によって、私に私自身の問題を見せてくれたのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは、御自身の修行によって何が仏法なのかを教えて下さいました。一切の祖師の伝記にある不可思議な出来事は、リンチェンドルジェ・リンポチェの行いからも拝見する事ができ、実証できます。この様に長い間仏教を学び、正真正銘の量を具えた上師に邂逅し、しかも言葉が通じ、弟子として摂受されたと言う事は、実に、盲亀の浮木の如しです。私のこの気持ちを書き尽くすことはできません。ただ今生、リンチェンドルジェ・リンポチェの教えにしっかり従い努力して実修を行ない、上師の一万分の一の御恩に報いたいと思っています。
弟子・公處定恭(林昌平) 合掌2009/1/5
2013 年 03 月 13 日 更新