165:御言葉を実現する上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します
上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して以来、リンポチェの御教示を賜った御蔭で、私は人生において真にすべき事は何なのか、人生の道をどう歩んだらよいのかを理解することができました。私達の通常為す事はただ単に「人」の基本であるだけでありますので、リンチェンドルジェ・リンポチェに師事し私は死に対して理解を深め他の見方を知ることができました。
上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に仏法を教示して下さり、私達に感謝の気持ちを持つことを説かれます。私達はそれぞれ形のある物から始まり、絶え間なく多くの人からの助力を得ています。どんな者であろうと群衆を離れて生き続けることはできません。衆生は一体なのです。他人の長所を常に忘れないで、恩に報いなければなりません。徳に対して怨みで返してはいけません。いつも人に対して良くするのは当たり前のことですが、他人が自分に良くなくてもその人に良くしなければなりません。正にこれが「37の菩薩の実践」中にある、相手があなたの敵であっても寛恕しなければならないという事です。
一切を忍耐しなければなりません。「忍耐が忍耐できなくなった時こそが忍耐の始まりである」このような言葉があります。これが「忍辱」です。生活における多くの例が仏法を離れてはいないのです。
「仏法は世間にあれども、世間は法を悟らず」
ここで、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに問題点を指摘された法友達に感謝を述べたいと存じます。皆さんは私の鏡です。皆さん方から、私自身の欠点及び誤りを発見することができました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが親孝行を説かれた時、自分が実に親不孝であることを知りました。通常、両親の世話とは、単に肉体上の世話だけで、子供として又は後輩としてすべき基本的な事でしかありませんでした。真に父母の苦しみを解決したわけではありませんでした。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、母親の為に五体投地をし懺悔している事を取り上げたことがありました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの如き尊貴な方、仏菩薩の果位を修めた方であっても、母親の為に毎日五百回の五体投地を行なっているのです。何故私ができないのでしょうか?その時私は、仏菩薩及び上師リンチェンドルジェ・リンポチェに向かい、母の為に一万回の五体投地を行ない、母に代って懺悔することを発願しました。私が礼拝を続け、凡そ5000回前後になった頃、母の身体の状況は徐々に回復して来ました。そこで、一万回を礼拝し終えた後も、毎日礼拝を続けています。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致します。懺悔の力は文字によって形容できませんが、弟子である私によって実証されました。
1997、1998年の頃、当時、推拿のクラスで手伝い(ボランティア)をしていた私をクラスメートが実験台にしたのですが、次の日、頚椎がおかしい事に気付きました。その時は、緊張し過ぎたので引っ掛かったのだろう位に思っていましたが、その後もずっと治らないままでした。上師が「四加行」を伝授された後、私は毎日懺悔の礼拝及び金剛薩埵百字真言を修していましたが、ある日突然、以前の殺生、特に鶏と魚を頭部の頚椎から切断していたことを思い出しました。私はすぐに、皈依をし懺悔を致しました。懺悔が終わると、頚椎がゆるくなり、頚部の不都合は、煙消雲散の如き完全に消失していました。
それから、何時の頃からであったか覚えていませんが、私の皮膚にはよく虫に刺されたような感覚があり、「四加行」を修した時に、家にあった蟻の巣を壊して捨てたこと、これによって蟻が生存できなくなった事、並びに、多くの虫を殺した事を思い出しました。私が懺悔を終えると、一切の症状は薬なくして治癒されていました。これによって、私は再度、懺悔の力を体験致しました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、「懺悔する時は真剣に正しく懺悔しなければいけない。謝るのとは異なる。一切は、確実に行なわなくてはならない。すれば良いのではない。徹底的にやりなさい。小さい箇所も周到に詳細に考えなければならない。懺悔の為の礼拝は、更に確実にやらなければならない」と説かれました。古人は「顔を洗う時は鼻の穴まで洗いなさい。掃除は部屋の窪みまできれいにしなさい」と言っています。言い換えれば、仕事はいい加減にやってはいけないということです。仏法は、私達の日常生活に偏在し、37の菩薩の実践は衣食住の行中に尽きますので、法友の皆さんと共に励ましあって努力して行きたいと存じます。
電話のベルが鳴り、一番上の姉が「お母さん、逝くかもしれない。救急車を呼んだところだ」と言いました。私は、「わかった。すぐに行く」と答えました。病院へ到着した時、母は眠っているようでした。医師は、私に、どんな病気なのかを尋ねました。癌であることを告げると、医師は、勘違いしているのだろうという様に私を見つめ、もう一度繰り返し、母の病歴を尋ねました。癌末期の患者がどうしてこの様な様子でいられるのか訝しがっていました(むくみが現れ、骨が棒のように細くなり、顔色は暗色、痛くて苦しむ様子が顔に出るのが普通)。しかし、母は普通の人のように眠っているのです。これは全て上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御蔭です。リンポチェの御恩に感謝致します。
2001年の秋のことでした。法友の謝さんが母の癌を知り、上師リンチェンドルジェ・リンポチェへの謁見を勧めてくれました。そこで、私と一番上の姉は、母を伴い寶吉祥宝石店に赴き上師リンチェンドルジェ・リンポチェにまみえました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、私達に幾つかの質問をされた後、「生老病死は皆が必ず経過する過程です。お母さんの回復について保証することはできませんが、そんなに苦しまないで済むように助けてあげましょう。」と説かれました。母は「有難う御座います!」と答え、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは母の為に加持を授けて下さいました。その後、私に「お母さんは来なくていいですが、貴女は来なくてはなりません。分かりましたか?」と仰りましたので、私は頷き、こうして『寶吉祥』の弟子となりました。母はその後、大きな痛みを感じませんでした。ここ数年の間、母は寶吉祥で上師リンチェンドルジェ・リンポチェに何度も謁見し、毎回、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に与りました。病気を見ている医師でさえも不思議に感じている様子でしたので、私は医師達に上師リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生救済の事実を話すと、彼らは奇妙さに包まれているようでした。
上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します。母は2006年6月に他界しましたが、丁度その時「施身法」がありましたので、私は上師に「ポワ法」の修法を願わず、母を施身法に参加させてもらうよう懇願しただけでした。母が「施身法」に参加する事を許可して下さり、私には何があっても必ず来るようにと仰って下さった上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を致します。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御蔭で、母は苦しまずに、あの様に平静に逝くことができました。私達家族は全員、悲しみに打ちひしがれることもありませんでした。上師は嘗て「もし亡き者が良い所または浄土に行った場合、家族は悲しみに打ちひしがれる事はない」と説かれたことがありました。母には凡そ、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが話された瑞相が現れ、身体は柔らかかっただけでなく通常の肌色をしていました。また、癌患者の遺体は火葬後、灰が暗色または灰色がかった黒色であるのに対し、母の灰は赤色と白色でした。ここで、翁さんにも感謝の意を表したいと思います。自分の仕事を中断して、母を階下まで背負い、運転をして私達を寶吉祥宝石店まで連れて行き、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見させて下さいました。
此処で、再度、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝の気持ちを述べたいと思います。有難う御座いました。
第6組弟子 陳学智 2009.1.8
2009 年 06 月 14 日 更新