164:尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します
2001年、私が中学の時、母方の祖父は身体が弱く、入退院を繰り返していました。丁度、病院の內科の主治医が寶吉祥の弟子であった故に、母と祖母はリンチェンドルジェ・リンポチェに邂逅する機会を得ました。
最初の頃は、母、祖母、父だけが皈依し、私、姉、妹は皈依をしていませんでした。母と共に参加した日曜日の法会は、私が初めて参加した寶吉祥仏法センターの法会で、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにまみえた時でもありました。その法会で最も印象深かったのは、「菜食するように、殺生しないように」というリンチェンドルジェ・リンポチェの御言葉でした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、一滴の血を流すこと、怪我をすること、病気になることは全て、殺生、肉食に関係しており、食べ、殺したなら、全て返済しなければならない事を説かれました。今回の法会が終わった後、胸中、恐怖感に襲われ、肉食はすべきでなく、してはならないと理解できました。思えば十二歲のある日、風邪で病院へ行った際、心臟に問題がある事が医師の検査で分かりました。その後、薬を服用して改善したものの、右腹部と心臟には度々痛みがありました。しかし、後も大きな病院での精密検査を受けませんでした。その後、両親がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、家では常に菜食を作っておりましたので、菜食をとる機会が増え、菜食の当日は、右腹部と心臟の調子が良いことに徐々に気付き始めました。このようなことから、その法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を聴聞した後、まだ皈依していませんでしたが、菜食者になりました。
暫くして、私、姉、妹は両親と共に法会に参加しました。両親は私達の意見を聞き、私達三姉妹を一緒に逸仙路の寶吉祥宝石店に連れて行きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めることにしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、私達それぞれの身体の状況と注意すべき事柄を御話になりました。母が私の心臟問題について尋ねた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは笑って、優しく、私に向かって「大丈夫だ」と仰りました。その時、胸中の重荷が無くなり、安堵感を覚えました。その日から現在に至るまで、私は何れの薬も服用しておらず、検査にも行っていません。しかし、心臟と右腹部は正常に機能しているようで、痛みを感じることも殆どありません。間もなくして、私と姉は、2002年4月28日、ディクン・カギュー派寶吉祥仏法センターの住職上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。
皈依してから、既に六年余りの月日が流れました。家の経済状況は思わしくはありませんが、仏・菩薩は、仏教を学ぶ者に対し、衣服が着られず、住む家がなく、食べる物もない状況には陥れさせず、危機がある度に乗り切らせ、家族は平穏で、意外な事が起こる事もないと、リンチェンドルジェ・リンポチェが説かれたことがありました。弟子である私には家があり、現在の生活を過ごせることをリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致します。皈依後、まるで新しい人生を迎えたように、多くの見方や考え方が矯正され、どんな事をすべきか、どんな事をすべきでないか、如何にすべきなのかを知ることができました。人生において最も心配であるのは生老病死ですが、リンチェンドルジェ・リンポチェがいる御蔭で、私を含めた家族には全く心配がありません。これはまるで人生において、真に、最も大切な頼り処を探し当てたかのようです。リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢い、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した故に、家族は富裕でなくとも、世界中で最も貴重な宝物の様なリンチェンドルジェ・リンポチェの御蔭で、自分が他の誰よりも幸運で、豊かであると感じられるのです。
弟子 翁而薇 2008年12月26日
2009 年 06 月 14 日 更新